アプローチ3『あ、手が……』vs 後輩男子【実践編】

 終業のチャイムが鳴る教室で、俺は目一杯息を吸い込んで吐き出した。心臓が休符無しのビートを刻んで、緩いチャイム音をロックに変える。


 よし、普通に図書室誘うだけ。

 断られて当然。

 頑張れ、俺!


「あの、中川さん!」


「なあに、前島くん?」


 何気ない仕草に、いつもの如くドキリとさせられる。


 中川さんの、相手の目をまっすぐ見るところとか、必ず手を止めて聞いてくれるところとか。やっぱいい。


 わざわざ俺の方へ向き直ってくれた中川さんに、俺もできる限りで応える。


「あ、その。いきなりなんだけど、今日から部活、試験期間で休みだし、今から一緒に図書室で勉強とか、どう、かなって……」


「うん、いいよ」


「ははっ。だよな、やっぱ急すぎ……って、へ? いいのっ? 俺と?」


「あれ、前島くんとじゃない、の?」


「いや俺とです」


「あ、良かったー。うん、行こ」


「は、い……」


 え? あれ? 俺、本当に全日本国民と図書館行けちゃう人?


 そんなあっさりOKされたら。

 一緒に帰ろって誘ってくれた友だち断って、俺を優先してくれたら。

「早く行こ」って、嬉しそうな笑顔向けられたら。


 俺にかかる誰かの声なんて、リスニングの英語と同じくらい素通りしてく。


 しかも、二人で手を繋いで歩くような未来まで期待してる俺って、単純だよな。


 それでも。


「うーん、届かないかぁ。えっと、脚立はー」


「これ?」


「わぁ、ありがとう。いいなぁ前島くん、背が高くて。私にも分けて? なんて」


「……中川さんは、そのままでいいよ」


「え?」


 約二十cm差で微笑んでくれるその顔が、たまらなく好きだから。


「俺の身長は高い所の本を取るためにあるから。脚立もたまには休みたいだろうし、俺も脚立から感謝されたいし。いつでも言って?」


「ふふっ。前島くん、おかしー。あ、このシリーズ最新刊入ったんだー」


 勉強始める前の束の間。一緒に見て欲しい本があるからって連れられた、図書室の一番奥。

 古い本と新しい本の匂いが混じる、二人きりの書架の下で、中川さんが新たな一冊に手を伸ばす。


 あれ、今、かなりいい雰囲気なんじゃ?

 もしかしてこのまま、あのシーンを再現すれば……。



 衝撃の三度目は、放課後の体育館裏で告白しようと、靴箱に手紙を忍ばせてみた。

 約束の時間、俺が部活を終えて急いで向かうと、なぜか道着に黒帯姿の中川さんが全力待機していた。


『な、中川さ……』


『お前かっ、うちの可愛い美琴を呼び出したやろうはっ!』


『ふぇっ? にゃ、にゃきゃぎゃわしぇんぱ……?』


『って、大和っ? 何やってんだ、こんな所で』


 中川さんに気付かれるより早く、突然背後から羽交い締めにされた俺が振り向くと、見知った顔が二つあった。

 現空手部主将で三年の中川先輩と、元剣道部主将の中川OB。つまり、中川さんの二人のお兄様方だった。


『ゲホゴホッ。せ、先輩たちこそ、こんな場所でどうされたんですか?』


『悪い、大和。おれたち、美琴から今日この時間この場所に来いって匿名の手紙をもらったって相談されてさ』


 えっ?

 あ、俺、緊張し過ぎて名前書き忘れたんだ!


『あの、先輩方、それ実は……』


『オレたちのスーパーエンジェル美琴をこんな所に呼び出す理由は一つしかない!』


 わ、言っちゃうんですか、先輩!

 バレたら、ちょー恥ずいやつ!


『『せーのっ。そう! 果たし合い!』』


 ………………はい?


『美琴が直接対決する前に、オレたちが相手してやるわ!』


『フゥー! かっこいい兄貴! 袴姿サイコー! 美琴に指一本でも触れたら、無事に校門は通れないってこと、おれたちが教えてやろうぜ!』


『お前だって決まってんじゃーん。その殺気シビレルゥー! さすが我が弟!』


 相変わらず仲良いな、このご兄弟。


 何を隠そう、それぞれ所属する部を全国制覇まで導いた経験のあるお二人。ちなみに、お父様は柔道、お母様も合気道を少々嗜まれるとか、中川さんに聞いた覚えがある。

 とっても運動好きなご一家で、好感が持てる。


 けど……。


『まさか大和、相手はお前じゃないよな?』


『あ、そのまさか、なんですけど……』


『『ああんっ⁉︎』』


 それこそ、マンガでしか見たことのないような殺気……気迫溢れるお二人に、今から大事な妹さんに告白したいので、どうぞお帰り下さい、なんて言えるはずもなく……。

 ていうか、ご家族に前もって告白宣言なんてしないだろ、普通!


『……いや、すみません。何でもありません。出直して来まーすっ!』


 そのまま、最敬礼して帰った俺。

 あれほど自分を情けないと思った日は無かった。



 でも今は、すぐ隣に中川さんがいて。

 なんかいい雰囲気で。

 お兄様方も、なんならタケルもいなくて。


「これ、すっごく面白いから、良かったら前島くんも……」


 中川さんが言う一冊をなるはやで特定した俺は、あくまでもさり気なく、同じタイミングで、一ミリの狂いなく同じ場所へ手を伸ばすべく、全神経を使った。


 手と手が、触れた……。


 かも、と思ったその時。


 ゴッ、という鈍い音と共に、自分の足先に何かの全集が突き刺さって倒れるのを見た。


 世界のかわいい熱帯魚、改訂版。


 それ、さっき俺が取ってあげた図鑑、デスヨネ? 一kgは優にありそうな。


「っ⁉︎⁉︎」


 声にならない悲鳴を上げた。


「ッ、キャーッ! ごめんね、前島くんっ、大丈夫⁉︎」


「だっ、だいじょ、ぶっ、かなぁっ?」


「ど、どうしようっ? そうだ、前島くんっ、とりあえず脱いで」


「へっ?」


「骨折してるかもしれないし、今すぐ全部脱いでーっ!」


「全部ぅっ⁉︎」


 何その突然親が再婚したらクラスメイトと義理の兄妹になって一つ屋根の下で暮らし始めたんですけどドキドキいっぱいです的な台詞ーっ⁉︎


「前島くん、早くー!」


「ま、待って、俺まだお兄ちゃんじゃないからーっ!」


「うるさいですよ、先輩方」


後田うしろだくんっ?」


「い、伊吹ぃぃぃ」


 半ばパニックになってた俺の前に、人差し指を唇に当てた大天使が現れた!


「大体察しが付くけど、自分抱きしめて何泣いてんの、大和くん」


「あの、違うの、後田くんっ。私が悪くてねっ?」


「だって、俺が思ってた展開と違うからあっ」


 先輩二人に泣きつかれ、呆れ顔を隠しもせずに伊吹がため息を吐いた。


「気を取り直して、三人で試験勉強しませんか? このままだと、図書室追い出されちゃいますよ?」


「うん、するぅぅ」


「大和くん、キモイからやめて」



 そんなこんなで、何とか落ち着きを取り戻して試験勉強を始めた俺たち。科目が伊吹の提案で英語っていうのがアレだけど、伊吹がいてくれて良かった。本っ当に良かった!


 俺の正面に座る中川さんも、何事も無かったように勉強してる。


 ん、あれ、さっそく単語の意味が分かんねー。辞書、辞書っと。


 左に置いてある辞書に手を伸ばすと、横にいた伊吹の右手とぶつかった。


「あ、悪い。って、俺の辞書じゃん」


「へへ、間違えちゃった。ねぇ、大和くん。一緒にplowの意味も調べてよ」


「はあ? 自分の辞書あるんだから自分で調べろよ。甘え過ぎ」


「ふーん、そんな偉そうに言うんなら、もちろん大和くんはplowの意味知ってるんだよね?」


「……いや、知らないけど。でも俺は伊吹のために」


「中川せんぱーい。大和くんて……」


「分かったよっ。何て単語だって?」


「plowだよ。p、l、o、w」


「ったく、伊吹の方が英語得意なのに。ピー、エル……あ、あった。鋤、だってさ」


「え? ごめん、何?」


 小声で聞き取りにくかったせいか、耳を寄せて来た伊吹に、俺も軽く寄って辞書を示した。


「だから、すき、だって……」


「僕も、好きだよ」


「っ!」


 突然、近距離で顔を合わせ、はにかみながら見つめてくる伊吹。その視線はまっすぐで……。


「あははっ、なーんて、びっくりした?」


「……も」


「え、何、大和くん?」


「やっぱ今回、全面的にアリかも。俺、こういうピュアなの、すっげー好……」


「は? 大和くん……、Are you ×××××」


 悶える俺に対し、冷酷なまでの無表情で流暢な英語を紡ぎ出す伊吹。


「あのなぁ、俺が英語苦手なの逆手に取って毒吐いてんのだけは分かるぞ、伊吹」


 すると続いて、正面から可愛らしい声が重なった。


「正気か大和? 今度、くだらないこと言ってみろ、お前のk……」


「な、中川さん! 訳さないでいいからーっ!」


 この後、図書室を追い出されたのは言うまでもない。

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