青いガラス 主役:遠野

 一面、海が見える。

 遮るものは透明のガラスだけ。


 見渡す限り海で、空はどこまでも広く手が届かない高さ。風は緩やかで心地よい。雲が動いていない点を除けば特に気にすることはない。


 私は遠野(とおの)。水島とは同級生。ちょっと大人の気持ちを抱いている学生だ。


 水島とは対照的だとよく言われる。

 特に気にしてはいないけど、皮肉のようにも感じる。だから、私は否定はしていないけど、気にしている派だ。顔には出ないけど、口には出る。口が「ヘ」になる。だから、それを隠すために日々顔の訓練をする。


 水島のようにすぐ顔に出ることを気にしているから。


 今日は珍しく月野と同級生の矢神と水野と来ている。

 扉を通った先から塩の風と海の匂いが漂ってきていた。


 真っ先に駆け出す矢神を追いかけ、私たちは一面海であることに唖然した。周りは島一つなく青い水たまりしかないのだ。


「すげーな! こんな世界初めてだよ!!」

「青い海、みずみずしい空、白い優雅な雲、明るい太陽、晴れ晴れの空! 私は非常に興奮している。こんな場所見たことも聞いたこともない! これは、月野がいるからこそ起きた奇跡なのかもしれん!!」

「そんなことないさ。たまたまだよ。それに、この光はぼくにとって辛いし苦しい痛いッ・・・」


 月野がおびえるかのように膝をつく。伊東がもってきたパラソルで光を隠すが、地面から発光する割れたガラスが日光を反射し、容赦なく月野を苦しめる。

 月野の肌が見えた。ブツブツと吹き出物が次から次へと生まれている。吹き出物が焼いた餅のように破れる度に月野が痛く辛そうにしていた。


「月野!!」

「おい! しっかりしろ!! 矢神、いそいで月野を扉の外へ!」


 私たちは持ってきた服やタオルで月野を覆い、日光が当たらないように扉の中へ入っていった。

 ぐったりする月野を見つめ、心配する私たちは、救急車を呼ぶかどうか揉めていた。


「月野! しっかりしろ!! ダメだ、脈が弱い」

「救急車だ! 救急車!!」

「矢神、職員室に言って、電話を借りてこい!」


 大騒動だった。

 月野が切り開いてくれた世界が月野を傷つけた。この責任は大きい。私たちは近くにいるのに月野を守ることができなかった。


 私が悪かったのだろうか。

 いつもいないはずの月野がいた。初めて会った。とても可憐で女の子かと思うほど可愛かった。長袖で頭を覆い隠すフード、サングラス、そのほかの装備。月野がこの学校で通うのに必要な品々。


 それらを見て、私は提案してしまった。


『月野くんと一緒に異世界に行ってみたいな』


 って。普通なら断るはずなのに、月野は「うん、いいよ」と答えてくれた。


 本人は嫌だったのか、それとも本気でよかったのか、それは本人に確認することはできない。

 救急車に運ばれていくのを見届け、私は無責任さに押しつぶされそうになった。


 その日は解散した。


 あの世界よりも月野ことを心配する部員たち。

 夕暮れのなか、帰っているとき私は責任を感じていた。。


「私が誘わなければ、あんなことには・・・」


 私は胸が押しつぶされそうだった。

 無責任に誘ったせいで、あんな場所についてしまった。月野は断ることもできたはずなのに。私は強制させてしまった気持ちだった。


「そんなことないよ。あれは事故だよ」


 伊東先輩が慰めるかのように私に近寄ってきた。


「扉は気まぐれだよ。月野が辛い場所を通したのさ。遠野は悪くないって。それに、月野と一緒に行けたのは嬉しかったよ。月野もそうだと思っているさ。普段、部員のことを気にしている優しい奴だから」


 伊東先輩はそう言ってくれたが、心につっかえたとげが消えない。


「心配だから病院行ってくる!」

「あっ!」


 私は涙を流しながら駆け出していた。

 月野本人に合って、謝りたい。

 私が誘ったばっかりにあんなことになったんだって。


 病院に着くと、月野は病室のベッドの上で空を眺めていた。

 電気は消えており、空はすっかり夜になっていた。


「月野、くん」


 振り返った月野はまるで別人のように吹き出物の痕がこびりついていた。タニシのような顔立ちで元が人間とは思えないほどひどい有様だった。


「遠野さん・・・ごめん」


 慌てて机の上に置いてあった仮面をつけた。見苦しいと思ったのか私の口から察したか月野は傷ついていたようだ。


「私こそごめん。私が誘わなければ月野くんは・・・」

「謝ることないよ。ぼくが装備不足だったのが悪いんだ。ごめん。ぼくのせいでせっかく海で泳げたかもしれないのに・・・」

「私は――」


 私は、というところで、看護師が入ってきた。


「面会は終了よ。日影くん、辛いけどお薬の時間よ」


 看護師がもってきた薬は7種類ほどあった。錠剤とカプセル。どれも大人が飲むほどの大きさだ。


「遠野さん。あまり自分を責めないで。それに、みんなと久しぶりに遊びに行けたのは嬉しかったよ。また、行こうね」


 看護師さんに締め出され、私は帰り際に月野の部屋を見上げた。

 カーテンは閉められている。部屋は暗く、そこに人がいるなんて思えない。


 月野という少年がいる。

 灯りを嫌い、決して防護服を脱がない変わった子。


 教室で面白がっている同級生に注意したことがあった。人にケチをつけるのはよくない。人を面白がって話すのはよくないって言っていたのを思い出した。


 あの時のことを覚えているのだろうか。

 私は――ううん。深く考えないことにしよう。


 月野君が元気になることを祈っている。

「また、行こうね」

 その言葉が耳から離れない春のことだった。

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