少年と彼 主役:月野

 鬱蒼とした森の中でひとり佇む少年を見かけた。

 興味本位じゃなかった。少年はぼくを見るなり先に声をかけてきたのだ。


「君、どこから来たの?」


 少年はTシャツに半ズボンと涼しい格好に麦わら帽子をかぶっていた。

 ぼくは声を籠らせながら「あっち」と指さした。


 あの先には扉がある。白い霧に包まれ姿を隠している。

 扉をくぐってきたもの以外には何も見えないという不思議で不気味でもあるが。


「あっちってどっち?」


 具体的な場所を教えてほしいとすがんでいるようだ。ぼくは、答えにくくつい「向こうの山から来たんだ」と答えてしまった。


 少年は妙に納得した顔で「ふーん」とそっけなかった。


「君こそどこから来たの?」

「ボクはねえ、あっちかな」


 ぼくとは別の方向へ指さした。

 かすかに光が差し込んでいる。風が吹き枝が揺れキラキラと光がかすめる。ぼくは冷や汗と共に唾を飲み込んだ。


「どうしたの?」


 きょとんとしている少年にぼくは怖気づきながら「怖いんだ」と答えた。


「なにが?」と気になる様子でかしげる少年に「光が」と怯える唇で答えると「まるでおばけだね」とからかわれるように笑みを浮かべた。


 少年はぼくの手を引っ張る。


「ついてきて。ようは光を避ければいいんでしょ」


 少年の手は暖かくそして柔らかった。


「こっちこっち」


 まるで無邪気のように飛び跳ねる。

 木の根っこから木の根っこへ飛ぶ。光を避けるように絶妙なタイミングで軽やかにジャンプする。


 ぼくも同じように飛び跳ねるのだろうか。

 まるでウサギのよう飛び跳ねる少年の後を追って無事にたどり着けるのだろうか。心が揺らむ。自身が揺れる。


「大丈夫だよ」


 少年はこっちに振り返り元気よく腕を伸ばして左右に振った。


「ん・・・うん・・・がんばるよ」


 自分よりも年下かもしれない少年に励まされるのはやや癪だが、少年に負けじとぼくもジャンプする。木の根っこは意外とスベる。


 つま先で着地するとまるで石鹸のような木の根っこに鮮やかに滑りそうになる。


「うわっと」


 慌てて大木にしがみつく。

 危なかった。もう少しで陽の光に当たりそうになった。


「大丈夫?」


 少年の心配そうな大声が耳に染みる。

 少年が一緒に来てあげようかと提案するけど、ぼくはひとりでそこまで行きたいんだと意地を張った。


「よっと」

「はっと」

「せよっと」


 なんとか少年のもとへ着地することに成功する。


「なんとかこれたね」

「ああ、まあね」


 少し疲れたけどようやく少年の前まで来ることができた。

 少年は疲れた様子もなくぼくを待ちわびていたかのように大きな欠伸を搔いた。


「余裕そうだね」

「まあね、お庭だから」

「お庭?」

「いつも駆け回っている場所」


 少年は再び駆け出した。

 ぼくもあわてて少年の後を追った。


 森を抜けると、太陽が雲に隠れていた。

 幸いなことに肌の痛みが来ていない。


「太陽が隠れたけど、痛みはある?」


 心配しているのか健気に笑っているようにも見える。

 ぼくは「平気だよ」と汗だくになりながら言った。


「あと少しで着くよ」


 少年の言うとおり、畑を通り抜けると一軒の家がポツンと佇んでいた。

 周りには家々はなく、その家一軒だけ畑のど真ん中にあった。


 家の門をくぐり中に入ると、少年は「いま、帰ったよ」と大きな声で呼びかけた。家の中からは誰も声が帰ってこない。


「仕事かも。まあ、太陽が沈むまで家(ウチ)にいるといいよ」


 少年ははにかみ自室まで案内してくれた。


 家の中はしんみりとしており、外とは違いひんやりとしていた。

 留守のようで少年とぼく以外は誰もいないようだ。


 玄関から長い廊下を渡り台所を抜ける。五つの席があり、五人家族だと分かる。台所から扉を二つくぐると階段があり、階段を上った先にみっつの扉。中央の扉を開けると四畳ほどの部屋と窓二つの部屋に出た。


 ベットはなく引き物の布団、学習机、タンス、本棚。一見して変わった様子はどこにもない。壁には有名人のポスターとカレンダーが飾られていた。


「なにもないけど、好きにしてね」


 カーテンを閉め、ぼくにくつろぐように言った。

 ぼくはなんだか落ち着かなく少年を見てはなぜかぼくは胸がドキドキと鼓動をたてていた。


**


 時刻が5時を過ぎたころ、玄関の方から声が聞こえた。

 ハッと目が覚め、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。


 布団が引かれ、そのうえで眠っていた。

 隣で少年が目をこすりながらその声がした方向へ向かうように扉を開けた。


「父ちゃんだ! 友達が泊まるって報告しなくちゃ」

「待って、泊まるって・・・!?」


 カーテンを開けると、外はすっかり寝静まるかのように真っ暗闇に包まれていた。街灯はこの家のそばにしかなく、周りは闇そのものだった。


「山の向こうから来たんでしょ。いまから帰れるの?」


 窓の先の暗闇にぼくは肩を落としながらそれは無理だと伝えた。

 光の中ではぼくは生きられない。


 逆に夜の中では光がない場所をたどって進むことはできない。

 懐中電灯もスマフォの光でさえもぼくにとっては毒でしかなかったからだ。


「無理だ。朝日が昇る時間帯を狙って帰るよ」


 ぼくなりに失態だった。

 まさか、扉を抜けた先に少年が立っているとは思いもしなかった。


 振り帰った先で扉を開けてしまえば少年に見つかってしまう。扉の存在を知られることはないが、ぼくがあの場所にいたこと・消えてしまったことがきっと少年の瞳に宿して(記憶)しまう恐れがあった。


 ぼくは少年に気遣ったのだろうか。

 扉に触れることなく少年に近づくことに決めたのだ。


 でも無駄だった。声をかける前に少年はいち早く気づいたのだ。

 もし、あのとき扉に手をかけていたら・・・恐ろしくぼくはそれ以上考えることを止めた。


 階段の下から話し声が聞こえる。


 ぼくはその声に妙に聞いたことがあった。むかし、どこかで聞いたことがある声だ。


 階段を下り台所から顔を覗き込むと、そこに立っていたのは見間違えるはずもない彼だった。


「高間木・・・さん」


「おー! 久しぶり元気だったか? 月野」


 二年上の先輩の高間木さん。

 伊東とはメンツがあり、ぼくにとっては影に近いものだった。


 ぼくは影に引きこもることが多く、伊東や大槻先輩は光を好んだ。ぼくは二人と距離を置いていたのだが、高間木先輩は唯一ぼくのことを気にかけてくれた人だった。


 その人がなぜ、こんな場所に――?


「その顔はいろいろ聞きたそうだな。いいぜ、まずは風呂に入って飯にしてからな」


 少年が割って入った。

 まるで未来と過去を行き来したかのようなありえない再開に少年は嫉妬した顔でぼくと高間木さんを交互に睨んでいた。


「悪いな娘が嫉妬しているようだな」

「娘!?」

「あれ? 気づいていなかったのか」


 突然顔を真っ赤になった。

 布団の上で二人そろって寝ていた。

 不思議と少年の前にいる胸がドキドキした。

 原因はこれだったのか。


「もうぉ! どうしてバラスのさ!」

「ごめんごめん」


 二人の関係性から親子のようだった。

 そういえば似ている。からかう時のはにかむというのも。


 親子のやり取りを終え、高間木先輩と一緒に風呂へ向かった。


 玄関から右に行った先にお風呂場があった。

 高間木さんらしい工夫が風呂に現れていた。


 お風呂の横に扉がもう一つあり、その扉をくぐった先には石の窯があった。庭付きで豪華な露天風呂だった。


「高間木さんらしい工夫ですね」


 久しぶりにあったにもかかわらずぼくは皮肉っぽく言った。

 高笑いする高間木さんを横目にぼくは鼻の下を湯に沈ませた。


「ガハハハッ俺は昔から露天風呂に憧れていたもんでね作っちまった」

「作ったレベルじゃないよね、これ」


 庭付きの露天風呂とはそこらの大工や庭師が作ったものとは違う。先輩は独学で工作するのは昔からすごかった。

 宿題の小舟(模型)造りにも熱心で人でも乗れる船を作ったほどだ。


 製作時間を考え工夫を重ねてエンジン着きのボートをわざわざ学校に持ってきたという逸話を残すほどすごい人だった。


 そんな高間木先輩が卒業後、後沙汰もしないうち行方不明になった。

 伊東と大槻先輩が寂しそうにしていたけれども、ぼくはひょっこりと帰ってくるんじゃないかと疑う様子もなく図書室に引きこもっていた。


 苦手な光から遠ざける理由もあった。


「昔から作るだけは好きだったからな」


 自信満々に告げる。


「アレもそうなのですか?」


 家に指さした。

 高間木さんは悔しそうに嘆くかのように湯船に顔を向けていた。


「俺も造りたいと志願したんだが、”素人は手を出すな!”と職人さんに怒られて仕方なく遠目で観察することにしたんだ」

「それで・・・」

「家が完成後、秘密基地と露天風呂を作ってやった。職人さんすごく驚いていたよ!」

「でしょうね。こんなこと先輩ぐらいでしょうし」

「おうよ! あとで「ぜひ、ウチに働きに来てくれって頼まれたぐらいさぁ」と誘われたぐらいだよ」

「それで働きに?」

「いや、俺は好きでやっただけだ。仕事でと考えたこともねぇ。だから、断っちまった」


 高間木さんは誇らしげに言った。趣味は趣味、仕事は仕事、プライベートはプライベートと分けているところはちゃんとしていた。


「月野。クラブはまだ続いているか?」

「・・・ええ。頼もしい仲間が増えたって伊東から教えられましたよ」

「そうか。月野、今夜泊っていけ。お前にしか頼めないことがあるんだ」


 先輩は立ち上がった。すっぽんぽんの顔をさらけ出し、ぼくはびっくりした。いつの間にか先輩も立派なものを生やしたものだなと圧巻しながら頭に置いてあったタオルですぐに目を塞いだ。


「まだ早かったか? ガハハハハッ!」


 ぼくは先輩の部屋に止まって寝た。

 客室を用意させてもらい、その中で先輩と0時まで話し合った。先輩は昔と変わらず愉快な人だった。


**


 扉を閉め、ぼくは戻ってきた。

 先輩の手見上げの手紙と、あの畑で採れた新鮮な野菜、少年からの贈り物を手に、ぼくは一足先に家に帰った。


 伊東たちに伝えることはない手紙の内容にぼくは、ややホッとしていた。


 高間木先輩がいなくなった原因はやはり、扉が原因だった。扉の先に出会った女性に一目惚れをし、それからずっと扉をくぐってはその女性を探していた。


 卒業後、ようやくその人と出会い、そのまま帰ってくることはなかった。

 手紙には大槻に対してのやり取りが記されていた。


「大槻先輩・・・そういえば、三年先まで都会へ引っ越しするって言ってたっけ・・・まだ間に合うかなー」


 黒いコートにフード、マスクにサングラスを付け、不審に思われるような恰好をしたぼくは、先輩の家に向かった。


 先輩はいま、アパート暮らしだ。

 引っ越しが住んでいなければいいが・・・。


「先輩! いますか?」


 ぼくは取っ手に手をかけようとしたとき、「お前、月野か!?」と手首をガッチリつかまれた。振り返ると私服の伊東が立っていた。


**


「そうか・・・間に合わなかったんだね」


 大槻先輩は今日の朝に都会へ引っ越ししてしまった。住所は伏せられ、ぼくたちが知ることがない場所へ行ってしまった。


「その手紙・・・どうしたんだ?」

「ああ、大槻先輩宛てのラブレターだよ」

「なぜ、お前がそれを・・・?」

「預かったんだ。その人も遠い場所へ引っ越すって言っていたから」


 そう言って手紙を見せた。

 中身は見せていない。


「ラブレターって・・・お前なぁ」

「預かった以上、先輩に渡さなくちゃ」

「・・・はぁ~先輩、戻ってくるかも」


 とりあえず無駄かもしれないけど待つことにした。

 夕日が沈んでいく。こうして今日から明日へ書き換えられているのだろうなと思うと寂しく感じる。


 昨日という日が過ぎて、今日という新しい日が来る。まるで過去と未来を行き来するあの扉のようだ。


 壁を背もたれにして優雅に夕日を見ていた。

 何も言わずただ男二人で空を見上げていた。


「・・・・・・」

「・・・・・・」

「ちょっとでいいから名前だけでも見せてくれない?」

「いやや」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「月野、たまにはクラブに顔をだせよ。みんな心配しているから」

「だったら光もカーテンも隠してよ」

「バカ、それじゃ暗いだろ」

「なら、いけないな」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 二人の沈黙合戦はいつから始まったのだろうか。

 そういえば、大槻先輩と高間木先輩と別れてから始まったんだっけ。


 それまでは唯一無二友達だったはずが、今では距離感が開いてしまった関係だ。


「よっこらしょっと」


 伊東は立ち上がった。


「もうすぐ夜だろ。さっさと帰ろう。月野、お前のその格好は目立つぞ。知らない人から見たら不審者そのものだ」

「・・・わかったよ。親が来るまでの時間つぶしだよ。このまま学校に戻って待つことにする」

「お互い、親は怖いからな」

「だね。それに比べて大槻先輩と高間木先輩だけは例外だね」


 距離感が開いていたはずの溝はいつの間にか言葉のキャッチボールをしているうちに深めていた。学校で別れたころには「車で送って行ってやる」「バカ、借りを作りたくねえんだ」とやり取りするぐらいまで発展した。

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