第三話 京女のかわいさ

 次の週の学校帰りに、佳代ちゃんのお店へ向かった。

 コンサートに着て行くワンピースに合うイヤリングが、片方なくなっているのに気付いた。


 最近、毎日雨ばかり。今日は厚い雲の切れ間から、太陽が時折顔を出す。北山通りを歩いていたら、西日が私の顔を照らす。久しぶりに日の光を感じていると、急にぽつぽつと雨が降り出した。


 狐の嫁入り。大粒の雨が、太陽に照らされ光り輝く宝石のように落ちてくる。本当に狐にばかされたみたい。不思議な光景。しばらく、天を仰いで顔に雨粒を感じる。


 頭や体についた雨を払って、お店のドアを開けようとしたら、中からドアが開きスーツを着た男の人が出てきた。平日の夕方、雑貨屋さんにスーツの男性が来るなんて珍しい。思わず顔を見たら。祖父の会社で働いている高藤たかとうさんだった。


「こんにちは、美月さん」

「こんにちは、何か会社の用事ですか?」


 高藤さんは、はにかんだように、

「ええ、ちょっと」

 とだけ言い、行ってしまった。


 祖父の会社の人なんてほとんど知らないけれど、この間の創立パーティーで祖父に紹介されたから覚えていた。わが社始まって以来の優秀な人材や、わっはっは。と言っていたような気がする。


 年齢は四〇前ぐらいかな。いかにも仕事ができるエリートビジネスマンという感じで、冷たい印象を受けたんだけど、今日はなんだか雰囲気がピンク色だった。


 店内は、学校帰りの学生さん達で賑わっていた。でも、佳代ちゃんの姿がない。


 山口さんに頭を下げつつ、スタッフルームの前に立ち、中に大きな段ボール箱がありませんようにと念じながらドアを開けた。

 幸い、中に荷物はつまっておらず、佳代ちゃんは机に向かって事務をしていた。


「さっき高藤さんが、お店に来てたな、私すれ違った。なんの用事やったん?」

 矢継ぎ早に質問を投げかけると、

「ちょっとした用事があっただけ」

 さっきの高藤さんと同じような顔をして、はにかんだ。なんなのこれ?


「ちょっとした用事ってなに?」

「もーあんたもしつこいな。だいたいわかるやろ、雰囲気で」

 じれったそうに、私をにらむ。


「わからへん」

「ほんまにぶい子やな。先生もかわいそうに……はっきり言うわ。私達つきあってんの」


 なんで、先生の話が出るのかムッとした。しかしそれよりも、後に続く話に気をとられた。

 あまりの意外な組み合わせに呆然としていたら、たたみ掛けるようにもっと驚く事を言われた。


「そして、結婚するの」

「ウソや。木村さんと別れてすぐやん」


「木村さんとは、一年前には別れてたの。その後、おじいちゃんにフリーになったのがばれて、是非にって紹介されてん」


「ほな、一年も付き合ってないやん。それで、結婚したいって思えるん?」

 だんだん驚きが治まると、怒りがわいてきた。誰に?


「私をいくつやと思ってるん。そんなのんびり付き合ってられんわ。子供もほしいし、三五歳ってギリギリの年齢やで」


「おじいちゃんに言われたから、無理やり結婚するんと違うの? ひょっとして婿養子に来てくれるとか?」


「嫌いな人と結婚するほど、ええ子違うわ。たしかに彼は婿養子に入ってもええって言ってくれたけど」


「ほらやっぱり、高藤さんは家と会社ほしいだけやん。佳代ちゃんだまされてるんや!」


「いくらあんたでも、彼を侮辱するのはゆるさへんで、いい加減にしなさい!」

 佳代ちゃんのどなり声と共に私は部屋から出た。お客さん達の視線を痛いほど感じながら、雨の中へ飛び出した。イヤリングの事なんてすっかり忘れていた。


                 *


 クラブが終わり、美術室の戸締りをしていると、机の上に、スケッチブックをみつけた。

 名前を確認する。(有賀美月)


 およそ、かわいらしい字ではない。生真面目な程、整っている字。

 俺は、その字を指でなぞる。持ち主の事を思いながら。

 その忘れ物を持って、準備室に入った。課題の採点がたまっている。今日中に終わらせなければ。


 集中できない気分のまま採点を続けていた。すると、戸が開く音がして、美術室に人の気配を感じだ。彼女が忘れ物を取りに来たのだろう。扉を開ける。

 灯りがともっていない、薄暗がりに彼女は立っていた。


「有賀さん、忘れ物はこっちだよ」

 探し物が見つかり、ホッとした顔をする。


 準備室に入り、目をあわせず、スケッチブックを受け取る。彼女は礼を言い、扉から出て行こうとした。

 俺も、仕事に戻ろうと机に向かい、座った。

 扉が閉まる音がしたので、目を向けると、彼女は扉を背にしてこちらを見ていた。


「先生、ちょっと話を聞いてもらってもいいですか?」

「いいよ、仕事しながらでよければ」

 机に向かう俺の背後に、丸椅子を置き彼女は座った。


「佳代ちゃんの結婚が決まったんです」

 会話の内容に反してすねた声だ。


「ほんと? おめでとう。佳代子さん付き合ってる人いたんだ。でも、君なんかあんまりうれしそうじゃないね」


「相手の人、おじいちゃんが紹介したみたいで、会社の人なんです。政略結婚みたいでなんか嫌。佳代ちゃんも家のためってがまんしてるような気がする」


 こういう内容の相談の場合、どういう返答を期待するかは、相手による。

 相談相手が男の場合、ただ話をきいてもらいたいだけ。

 相談相手が教師の場合、何か解決策を提示してもらいたい。


「相手の人ってどんな人?」

 俺は、後者として返答する。


「仕事ができる冷たい人って感じたんやけど、佳代ちゃんのお店で会った時は、雰囲気やさしかった」


「男は仕事とプライベートで、気持ちをきり替えるからね。プライベートの時の方が本当の自分に近いと思うよ。その人も、佳代子さんの前で優しい雰囲気なら、冷たい人じゃないと思うけどな」


「でも、やさしい顔して人をだます人もいるでしょ?」

「それもそうだ」


「あの家を継ぐの、本当は母だったんです。でも、母は父と無理やり結婚してもう継ぐ人が佳代ちゃんしかいない。母のせいで佳代ちゃんが犠牲になるみたいで」

 俺は眼鏡をはずし、ふりかえり真っすぐ彼女を見た。


「君はどうしたいの? 佳代子さんに結婚をやめてもらいたいの? そしたら家を誰が継ぐの?」

 彼女は、俯いたまま言葉を発しない。


「君が、ご両親の責任を背負い込む必要はない。それに、佳代子さんの気持ちがウソか本当かどうして君にわかる?」

 さも、大人のふりをして彼女に説教をする。


「大人になったら、自分の感情だけで突っ走れないんだ。佳代子さんにしたって、純粋に好きって気持ちだけで、結婚するんじゃないかもしれない。この人なら家を継いでくれるとか、そういう打算も入ってるかもしれない。でも、打算も愛情も全部ひっくるめて結婚したいって言ってるんじゃないかな。全部憶測だけど」


「じゃあ、一番ずるいのはお母さんや。大人になりきれんと、自分の感情だけで突っ走ったって事や」

 彼女が陶器のような冷たい顔で言う。俺はその冷たさに不意をつかれた。この間の母子の姿を思いだしたが、教師としての説教を続けた。


「お母さんの事悪く言うもんじゃないよ。お母さんがいるから、君の今の生活がまわってるんじゃないか。ご飯とか洗濯とか自分でしてる? してないだろ」


「なんで、そんな事言うん?」

 俺を見上げる彼女の視線の先。その視線が期待する存在に、ドキリとした。


「なんでて……」

 京言葉のイントネーションがうつる。


 京都人は、誇り高い。言葉にも誇り高い。俺のように、地元を離れれば、東の言葉を使い出す腑抜けではない。

 大学の先輩の結婚式に、去年招待された時の事。


 教会式、牧師の前での、誓いの言葉。

「やめるぅとぉきでぃもぉ」


 牧師の英語なまりの日本語に、生粋の京女の新婦は、けったいなイントネーションにまったくつられない。それどころか、京言葉のイントネーションですべてを復唱した。最後には、牧師が京言葉のイントネーションになっていた。

 京女はこのように、意固地でマイペース、自己中心的でそして、かわいい。


「かわいいから」

「何それ、また、私の事からかうん?」


 男なんて、二十二歳であろうと、三十二歳であろうと、四十二歳になっても、恋愛に関して、小学生男子のままとまっている。


 好きな女子は、からかいたい。からかって、相手の反応を見て、間合いをつめる。そうやって、石橋をたたいて、たたきまくらないと、怖くて言えない。


「ほっぺたさわったり、手つないだり、私にちょっかいかけて、おもしろい? そんな事されるたびに、先生の事考えるのが嫌や。考えて、考えて先生の事でいっぱいになる自分が嫌や。もういいほっといて!」


 彼女は怒りで体を震わせ立ちあがり、出て行こうとした。

 俺は、彼女の腕をつかんだ。その腕の細さに一瞬たじろぐ。しかし、自分の気持ちにしたがい、腕を強くひいた。


 座っている俺の膝の上に軽い悲鳴と共に、彼女は落ちてきた。

 慌てて立ちあがろうとする彼女の肩をつかみ、強引に胸の中に抱きとめた。息も出来ないほど強く。

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