宴のあと
その日の夜。
サンガリアの民の集落は歓喜に湧いていた。
まともな食べ物があまりないから飲めや歌えの大騒ぎとはいかなかったが、少なくとも歌と踊りはこれでもかというほど見せられた。祭りに興味のない俺にとっては全く面白くはなかったが。
宴の中心はもちろん、救世主である俺と、福音の騎士エリウだ。
奇跡の御技によって、死せる福音の騎士を甦らせた俺と、ついに聖剣アランサーの秘めたる力を解き放ち、ゴーマ人の軍勢を打ち破って見せたエリウ。ゴーマ人の侵入以来初めての勝利に、サンガリアの民衆は狂喜乱舞した。
宴は夜まで続いた。
すっかり夜が更けたころ、踊り疲れた民たちはようやくそれぞれの掘っ立て小屋で眠りにつき、集落は平静を取り戻した。少し疲労を感じていた俺は、集落の外れで地面に寝転がり、ぼんやりと夜空を眺めていた。
ゴーマ軍を撃退してから俺は、自分の能力を確かめるため、挫いた足首に手を当ててみた。すると、みるみるうちに痛みは消え、たったの数十秒で完全に回復してしまったのだ。俺は確信した。
ヒーリング。
触れただけで傷を癒す能力。それは人間なら誰でも多少は持っていると言われる力であり、『手当て』という言葉の語源にもなっているという。だがいくらなんでも、瞬時に傷を塞いだり、挫いた足を治したり、更には死んだ人間を蘇生させるなんてことは有り得ない。これぞまさに神の御技に等しい奇跡であり、俺が救世主たる証でもあった。
向こうの世界にいた頃は怪我の治癒にも人並みに時間がかかっていたから、きっとこの世界に来てから突然身に着いた能力なのだろう。だから、俺は自分がこのサンガリアの預言に伝わる救世主だなんて露ほども思っていなかったし、サンガリアの民に対しても、いい加減な預言を信じるバカな連中だとしか思っていなかったのだ。二十世紀末を経験した俺らの世代は、預言というものがいかにバカバカしいか、身をもって知っている。
だが、俺は現にこうしてその能力を発揮してしまった。
はあ、参ったなあ。
「救世主さま、ここにいらしたのですか」
女の声だ。振り向く、そこにはエリウが立っていた。防具も剣も身に着けていない白いローブ姿、普段着のエリウだ。
エリウのすぐ背後では焚火がごうごうと燃え盛っており、彼女の顔は陰になって、表情がはっきりと窺えなかった。
「お疲れのようですね」
エリウはそう言って、俺の横に膝を抱えて座った。薄いローブの裾から、程よく引き締まった脛が覗く。
「どうかしましたか?」
視線に気付いたエリウが俺を見る。燃え上がる炎の明かりを受けて暗闇に浮かび上がるその横顔は、昨日の彼女よりも格段に艶めかしく、俺は慌ててエリウの脚から目を逸らした。
「い、いや、別に……でも、確かに疲れたな」
「ええ……私も」
しばしの沈黙が流れた。
率直に言って、俺は気まずかった。いくら極限状況だったとはいえ、俺がエリウに対してやったことは、彼女の人としての尊厳を踏みにじる行為だったからだ。それをきっかけに俺のヒーリング能力が発揮され、彼女が死の淵から蘇ったとしても。
盗人にも仁義あり、ではないが、いざ冷静になって考えてみると、あまりにもひどい行為だった。チョーシこいてた。しかも、その彼女が今こうして生き返り、俺の隣にいるのである。それに、彼女は俺を一度も詰らなかった。
気付いてないということはないだろう。エリウが目覚めたとき、彼女の衣服はボロボロに引きちぎられていたのだし、何よりも、彼女の下腹部には今でもその痕跡が残されているはずなのだから。
責めるなら責めてくれたほうがずっと気が楽になるはず。何も言われないからこそ、悪ぶることも開き直ることもできず、罪悪感が重くのしかかってくる。
「私、死ぬのが怖かったんです」
エリウが唐突に語り出した。
「私ね、小さいころは本当に、ただの普通の女の子だったんですよ。聖剣アランサーだって、一応伝説の聖剣ってことになっていたけど、実際のところは神話なんて誰も信じていなくて。ただ、誰がどう引っ張っても鞘から抜くことができなかったから、子供から大人まで皆冗談で触っていただけ。きっと中が錆び付いてるから抜けないんだろうって誰もが思っていて」
意外な告白だった。サンガリアの民たちの預言に対する信仰は、ほぼ無宗教の日本で育ってきた俺から見れば、狂信的と言っていいレベルだと感じていたからだ。
「へえ……今の様子からは想像もつかないな」
エリウは小さく頷いた。
「でも、ある時、同い年の子供たちと一緒にふざけ半分でアランサーの柄を握ったら、抜けちゃったんですよ。筋肉ムキムキの戦士がどんなに引っ張っても抜けなかった聖剣が、本当に、スルッと。それから私の生活は一変しました。その頃、ちょうど周辺の民族の領土にゴーマ人が進出してきたこともあって、ゴーマ人の脅威に対抗するため、毎日毎日剣の稽古」
「何歳の頃から?」
「あれは、えーと……十二歳だったかな」
十二歳からというと、女の子にとって一番大事な思春期をまるまる稽古に費やしていたことになる。どうりで処女だったわけだ。
「でも、私はずっと、死ぬのが怖かった。怖くて怖くて、戦いの前の日にはいつも震えていました。笑っちゃうでしょう? 福音の騎士と崇められている私が、死ぬのを恐れてまともに戦えないなんて」
そう語るエリウの瞳は、いつの間にか微かにきらきらと濡れていた。
「だから、毒矢を受けて意識が遠のいていったときは、本当に辛かった。このまま呆気なく死んでいくのかって……だから」
エリウはそこで一度言葉を切り、こちらを向いて正座に座り直した。
「ありがとうございます。私を救ってくれて」
俺は、そんな彼女の目を真っ直ぐ見ることができなかった。彼女を救うために触れたわけではない。むしろ、一時の欲望に負けて、彼女の人格を無視し、破壊するような行為に熱中していたのだ。だが、ここで謝らなければ、きっともう二度と謝れなくなる。そんな予感がした。体を起こし、必死で言葉を探す。
「か、感謝されるいわれはないよ。俺は、その……君の死体に……」
顔を直視できないため、視線が自然とエリウの豊かな胸の辺りに落ちてしまう。おいおい、俺ってこんなにウブだったか? 童貞かよ!
「君の死体に触れたのだって、別に君を助けようとしたわけじゃない。君の死体を慰みものにしようとしただけだ。だから……」
ここで突然焚き火の明かりが消え、辺りは完全な暗闇に包まれる。火の番をしていた奴が寝支度に入ったのかもしれない。もう宴は完全にお開きになっていたし、俺達も隅のほうでボソボソ話していただけだから、きっと俺達がここにいることに気付かなかったのだろう。
頼りは幽かな月明かりのみ。エリウの表情は再び全くわからなくなった。彼女の艶やかな黒髪が月光を淡く弾いている。
「だから……何ですか?」
彼女の声は、ここで一段重みを増した。やっぱり怒っているのだろうか。当たり前だよな……。
「だから、本当に、すまない」
昔から肝心なときほど語彙力貧困マンな俺。
「……聞きたいですか? 私の返事を……」
沈黙。
静寂。
夜風にそよぐ森がカサカサと答えを急かす。
俺は……。
「あぁ、ここにいたのかあ。ねえ運転手……じゃなかった、救世主さん。私そろそろ寝たいんだけど、どうするの? 早く来ないと鍵閉めちゃうよ?」
場違いなほど間の抜けたヒトミの声。小さな松明を持ったヒトミの姿が暗闇に浮かび上がり、こちらに近づいてくる。
「あら、エリウちゃんも一緒? 珍しいね……って、昨日の今日だから珍しいもなんもないか、アハハ」
ヒトミはエリウにも声をかけたが、エリウは答えない。
「え、な、何? ちょっと……なんかあたし悪いこと言った?」
ヒトミが気まぐれに向けた松明の炎が一瞬だけエリウの顔を照らす。彼女の目は異様なほど鋭く、ぞっとするような光を放っていた。
その眼光が俺に向けられたものなのか、それともヒトミに向けられたものなのか。あまりに瞬時の出来事だったため、判別することができなかった。
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