第3章
再開の日常―1
霧のかかる深い深い森の奥。
陽の光を浴びても尚眠ったかのような草木生茂る暗いお屋敷がありました。
聞くところによるとそのお屋敷には恐ろしい化け物が住んでいると言われていました。
誰がいつ建てたのか分からない。
過去に何の目的で使われていたのかも分からない。
謎に包まれたお屋敷はただ森の奥で眠るだけで誰も近づこうとはしませんでした。
ある晩に物好きな貴族が沢山の護衛と共に例のお屋敷に向かいました。
近くの村から道を逸れ、川を越えて森を越え、やがて辿り着いた時には初めは20もいた鎧の騎士達が音も無く全て消えていました。
初めは好奇心でワクワクした様子だった貴族も身体の芯から凍りつくような気分になりました。
不気味なお屋敷に見下ろされ、震える足で帰ろうとしたその時、貴族は窓の中に白銀を見ました。
帰ることも忘れて目を凝らしていると、誰かが肩を叩きました。
何の気なしに振り向くとそこにいたのはまさに魔女。
しわくちゃで背が曲がり、薄ら笑いを浮かべて杖をついているその様に貴族は驚き、一目散に森から逃げて行きました。
それから貴族はお屋敷であった事を村の人に話しましたが誰も信じようとしません。
それどころかみんな貴族の言葉に耳を貸そうとしないのです。
不思議に思って村人のひとりを捕まえると、恐ろしいことに息をしていないのです。
怖くなって他の人々も観察しますが、やはり誰一人として生きている人はいませんでした。
それなのに誰もが村を歩き回り、なんとなくだけど生活をしているので貴族は頭がおかしくなってしまいました。
先程の魔女のせいだったのでしょうか。
村から人が消え、残されたのは弔いの花々。
いつか子孫達が戻ってきて村を作り直すまで、ここはお化けが徘徊する魔界のよう。
魔女は今もひっそりとこの深い森の奥で生きているかもしれません。
もしも悪い子がいたのなら、その子の所にお化けと共にやってくるかもしれませんね。
おしまい。
◇◆◇
パタンと本が閉じられる。
穏やかな休日のお昼前、子供達が集まり広場で行われていたのは読み聞かせだった。
パン屋の娘のサレナによるこういった企画は定期的に行われており、主に子供と一緒になってやることが多いそうだ。
「この村に伝わるお伽話。『貴族と森のお化け』でした〜」
集まっている子供のうち数人は拍手を送っているが、残りは身を寄せて震えている。
無理もない。
これはゆづきが聞いても怖いと思ってしまうくらいだったのだから。
いや、怖がるポイントは全く違うだろうが。
――ゆづきが目覚めてから約3ヶ月が経った。
その時にあった細かい事はさておき、今日は色々と用事があったので村まで来ていたのだ。
全て終わらせて帰ろうと思っていた矢先、何やらやっていたのでふらっと立ち寄ってみたというわけだ。
まず20人の武装した護衛と森に入って、知らぬ間に全員が消えているだけでも十分怖すぎる。
お伽話だからトンデモ展開で特に深い理由もなく消えちゃいました。ならまだ安心できるが、本当に誰かが音も無く20人を葬ったとしたらかなりの腕前の暗殺者がいたものだと思ってしまう。
「これは何でも興味や好奇心でやってはいけないという教えね。例えば自分がやってた事が誰かにとって知らないうちに迷惑になっていたとしたら嫌よね」
ゆづきからしてみればそれは賛否両論だとは思う。
まあ子供へ言っている事だからあまり気にしないようにはしよう。
「ちなみに最後の弔いの花々っていうのはみんなも遊んでるあの花畑のことなのよ」
「……は?」
花畑とはゆづき達の家がある場所だ。
広い土地の真ん中を占拠する二軒の家。
そこがそんな伝承の締めを飾っている土地ということはあの花畑の下には……
「じゃああのお花畑の土には死んだ人がいるってことなの?」
怖がっていない様子だった男の子が手をあげて尋ねた。
そうそうよく言ったぞ少年、ゆづきもそれを気にしていたのだ。
「うーんずっと昔のお話だからね、今はもう誰も分からないのよ」
結末として本に記されていないのなら人に語り継がれるしかない。
しかし話があまりにも古すぎて、仮に語り継がれてきていたとしてもどこかで真偽が曖昧になってしまったと言ったところだろうか。
「でも大丈夫よ。このお話には続きがあって、この村が今のように明るくなった時に、偉大な魔法使いが土地を浄化してくれたと言われているわ」
「へーそうなんだー」
だとしてもそれも伝承でしかないではないか。
結局、日本昔話や神話のような嘘か本当か分からない夢物語というわけだ。
だが実際話通りに花畑が存在しているとなると全否定する気にもならない。
作り物だとギリギリバレそうなホラー特番をじっくり観て、夜中にひとりでトイレに行くのが躊躇われるくらいには怖くなった。
「はぁいそれじゃあ今日はおしまい。次はみんなでお菓子でも作ろうかしら」
「お菓子!」
「やったー!」
子供にあるべき反応だった。
先程の読み聞かせで怖がっていた子達も、今ので何事も無かったかのように喜んでいる。
「おねーさんありがとー」
「はーいどういたしまして」
お礼の言葉を言い、子供達はゆづきの横を通り抜けてそれぞれの家へと帰って行った。
「どうだったかしらゆづきちゃん?面白かった?」
本を片手にサレナが寄って来た。
のんびりとしたお姉さんオーラに思わずゆづきも甘えたくなってしまう。
しかしこんな公衆の面前で突然抱き付いたりなどしたらサレナが困ってしまうし、この村で築いてきたゆづきのイメージが崩れてしまう。
さらに言うならばゆづきも『姉』である故にそのプライドだけは譲れない。
だからここはグッと堪える。
「なんて言うか、結構怖めの話でしたね」
「ふふっ、確かにそうかもねぇ。昔は私も同じ話を聞いて怖くなってしまったもの」
「今は怖くないんですか」
「まだちょっとね。でも今とはだいぶかけ離れた昔のお話だし、本当にあったかも分からないものだからそんなに怖くないわ」
やはり大人になると物事を多方面から見れるようになってしまって、想像の話などを純粋に楽しめなくなってしまうものなのか。
昔は怖がっていたサレナでさえも今は半信半疑なのだから、あの子供達もその内信じなくなるのだろうな。
「それじゃあ私は帰るわね。お店のお手伝いをしなくちゃ」
「そうですか。ではあたしもこれで」
「気をつけてね〜転ばないようにね〜」
「はいはい、ありがとうございます」
過保護なサレナに見送られながらゆづきは帰路に着き、シマン村から花畑へ向かう。
食料が詰まった紙袋を抱えて舗装された道をゆっくりと歩く。
花畑が見えてくると、先程の話を思い出してこの綺麗な花々の下に良からぬものがいるのではないかと想像してしまう。
それと先程はあまり触れていなかったが、この村は割と近所に例の屋敷のモチーフと思われるものが存在しているらしいのだ。
恐らくは誰も近寄ろうとしないためにその存在がみんなの記憶から徐々に薄れていて、非現実的かつ実在するのかすら怪しくなってきたからもはや日常で意識しなくなったのだろう。
ならばこの目で見てみたい気さえする。
誰も近寄ろうとしない謎に包まれた森の館。
中に潜むのは魔女か怪物か。
なんて、こんな単純な好奇心で行こうと思ってはいけないという教訓だったのだな。
ゆづきからしても興味はあるが、積極的に近付こうとはまず思わない。
前提として現世だったらまだ肝試しの穴場程度で済みそうなものを、ここは異世界だから本気で何が起こるか予想も出来ない。
「ふう」
澄み渡る青空に流れる雲。
そよ風に揺れる色とりどりの花畑。
その中に建つ二軒の家。
黒宮と七瀬の家だ。
軽く息を吐き、時折感じる謎の高揚感のようなものに身を浸して家までの道を歩く。
◇◆◇
夏が終わろうとしている。
もうじき秋がやってくる。
この世界にもセミはいたらしく、現世と同じく毎年のごとく、そしてここは特に木が多いから尚更うるさかった。
昼間の暑さもだいぶマシになってきたのは最近の話である。
ゆづきがここに帰ってきてからもう4ヶ月程になるだろうか。
どうにも記憶に穴が空いていて、聞けばゆづきは一度家出をしていたらしい。
それも〈イデア〉という組織に誘われるように、ということだ。
家出をしていたのには心当たりがある。
記憶の穴の繋ぎ目の部分、ゆづきが
突然わけの分からない状況に放り出されて、その末にゆづきは味方であったはずの〈イデア〉に一度殺されている。
この肉体が上下二つに斬り裂かれ死んだのだ。
なせ自分が生きているのかは誰に訊いてもうやむやにされる。
実は一命を取り留めていたなんていう考えは自分で肯定する気にはならない。
あの時、金髪の子に斬られ、あっという間に意識が断絶する僅かな時間の感覚。
あるはずのものが無い喪失感、みるみる流れる血液に体はすぐに凍えきった。
手先が痺れ、脳が思考をやめて、濁っていく視界を眺めることだけしか出来ず、正常な呼吸が出来ていたのかすら分からず、何もかもが遠のくように死んだ。はずだった。
もし、死んでいなかったとしても。上半身と下半身はどうやってくっつけたのだ。
こんな生々しい嫌な記憶と感覚が残っているのに、あれで実はまだ生きていましたなんて到底思えない。
ゆづきの中に住む不幸の星神シグニアですらこの件については詳しく知らないようだ。
シグニアの今の体はゆづきの耳飾りであり、たとえ宿主が朽ちようとシグニアの意識は独立しているから普通なら宿主の意識が無くても大体は見れているらしい。
しかし今回は相手が悪かったようだ。
例の金髪の子、かつて
「なあシグニア」
『なんだい』
「おかしくないか」
この不自然な蘇生。
事の顛末を教えてくれないみんな。
ゆづきの知らないところで何か大きな力が動いていて、ひとりだけ取り残された気分だ。
『おかしいね』
それはそうと。
ライスにハチミツはおかしいはずだ。
テーブルに置かれた茶碗から立ち込める湯気、一粒一粒艶やかなお米。
の、横に添えられた意味不明な瓶。中身は金色の美味そうなハチミツ。
これを用意した者が遠ざかったタイミングでシグニアに聞いてみたらこれだ。
『僕が知る限り、人間族と似た食性の他の種族でもこれはありえないと思う』
だろうな。
「お姉ちゃんお待たせ!食べよ」
このハチミツだけではない。
たった今置かれた皿に盛られているパンケーキもそうだ。
「……あぁ、ありがと?」
この子、ついこの前まで正常な食感覚をしていたはずだ。
昨日まで少しの間ゆづきが料理当番をしている間に一体何があったと言うのだ。
「あの……はづき」
「うん?なに?」
こくりと曲げた首の先にとんでもなく可愛い顔があり、不思議そうな表情を作っている。
子供ながら一般的な家事を人並みにこなせるよく出来た誇れる妹だ。
「これは……なに」
はづきの事だから何か考えがあるのだろう。
そうだ、今置かれたパンケーキにはこのハチミツを流すとして、この米はどうなのだ。
塩っぽいものがあれば疑問など無かったのだが、これ以上卓に並ぶ様子もない。
「え、おかず」
「え、おかず。じゃなくてさ!えええ!?」
そうこう言ってる間にはづきの茶碗に金色の液体がドロリと降り注ぐ。
甘い匂いが湯気に乗ってゆづきの鼻腔に届く。
パクリ、はづきの口にハチミツライスが運ばれ、何もかも手遅れになってしまった。
「お、美味しいか?」
「うんおいし」
突然エネルギーが切れたロボットのように、はづきは沈黙し固まってしまった。
「くない!!!なにこれ!ぺっ、ぺっ!」
「自分で用意したんじゃないか……」
「えぇ?私が、あれ、美味しそうと思ったんだけど……ご飯にハチミツって、あれ?」
一方ゆづきは初めからパンケーキにハチミツをかけて食べていた。
まあ想像通りの反応ではあったが、まさか本気で合うと思っていたのか。
どうにもはづきの様子が変だ。
「熱でもあるんじゃないか?」
ゆづきは席を立ち、引き出しから体温計を取り出した。
「ほれ」
ピッ、と電源を付けてはづきに手渡す。
それを腋に挟ませて1分。ピピピと音が鳴り、液晶を見る。
「平熱か。体調はいつも通りか?」
「うん」
ならばゆづきにはどうすることも出来ない。
まさか変なものを拾い食い……なんてはづきは間違ってもしない。
「変なはづき」
自らの行動に困惑するはづきを横目に甘ったるいパンケーキを頬張った。
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