黒宮ゆづきの死後

 世界とは平和ではない。

 なぜならば、いつ死ぬか分からないからだ。

 ならば、世界が平和でなくなれば偶然の死は無くなるのではないかと少女は考えた。


 ◇◆◇


「おいおい、こりゃまた酷いね」


 全身を赤の外套に包む男はそう言う。


「おい、お前は目立つんだからもっと身を隠せ。こんな大事な任務にそんな格好で来やがって」


「まあそう怒りなさんな。見てみろよ、真っ二つだ」


「ああそうだな。かわいそうな死に方だ」


 それに応えるは目を閉じる眼鏡の男。

 盲目故、杖が無ければ歩行もままならない。


「あれがシス様が言ってた神器使いねぇ……案外大したことなかったな。俺らが手を下すまでもなかったようだし」


「それもそうだな。少なくともその様子では“勇者”のお眼鏡にはかなわなかったんだろう」


「その言葉を俺にかけるあたり、“賢者”の眼鏡にもかなわなかったようだな」


 あの連中をずっと見ていた。

 いつから。というのはおおよそ帝都を発ったあたりからだ。

 目的は噂の神器使いの戦力調査。

 願い事が叶う力は大したものであり、同時に極めて脅威になりうる危険な能力だと判断した。

 その後使用を始めた万物破壊の力も侮れない。

 しかし力の強い王の魔力を打破出来なかったところを見る限り、願いほどの脅威ではない。


「どうする。あの金髪を殺して神器使いを持って帰るか?」


 勇者は腰に差している鞘に手をかけた。


「早まるな。あの少女の様子を観察するべきだ」


「ふむ……」


 気配を完全に殺す。

 じっと獲物を見据える冷静な獣のように、あの金髪の少女の次の行動を伺う。

 ふらふらと足取りがおぼついていない。

 魔力も無いのだろう。よろめき、少し先まで歩き地に倒れ伏した。


「早かったな」


「ああ、頃合いだろう」


 勇者と賢者は緑地に姿を現す。

 周囲に気配は無い。

 しかし急いだほうが良いはずだ。


「油断はするな。手負いとは言え〈イデア〉だからな」


 その忠告を聞き入れ、勇者は今度こそ剣を引き抜いた。

 先に金髪の様子を見に行ったようなので賢者は2つに分かれた少女の残骸の前に立つ。


「ほお?よく見ればこいつ、黒き魔女のお気に入りじゃねえか」


 勇者が声を上げる。

 もしそれが悪戯心からの虚言でなければ、間も無く奴が来る。


「おい本当だろうな。くだらん嘘だったらお前が無事で済むと思うなよ」


「ふざけて黒き魔女の名を出すか大馬鹿が。お前の方はどうなんだ」


 言われて足元の少女を見る。

 死体とはいえ、死後しばらくは何か感じ取れるものがある。

 冷めきった顔に手をかざす。


「……こいつ本当に〈イデア〉か?」


「どういう意味だ」


 賢者が読み取った情報によれば、少なくともこの少女は強くない。

 体の鍛え方なら魔法専門の者で同様に華奢な者も少なくない。

 それだけならまだしも、魔力の伸ばし方、それに加えて王の力すら未熟を極めている。

 これなら畑仕事をしている農民の方がちょっとマシなレベルだ。


「弱すぎる」


「そんなの好き勝手願いを叶えてどうにかしてたんだろ」


「奇遇だな。ちょうど俺もその結論に至った」


「おい俺が先だ、真似をするな」


「黙れ。それよりもそいつをなんとかしろ」


「へいへい、都合の良い賢者だな」


 勇者は剣先を金髪の少女の喉元に降ろす。

 そこで狙いを定め、腕を上げた。

 一瞬の間を空けて剣が降ろされた。


「……ま、なんとなく予想はしてたさ」


 剣が黒い霧の中に飲み込まれている。

 本来ならこの少女の喉を突き破り地面に達し止まっていたであろうそれは、喉の直前に現れた底無しの闇の中へすり抜けただけだった。

 勇者は虚空の手応えだけを感じて剣を引き戻す。


「行動が遅いんだよ馬鹿」


 空に裂け目が出来ている。

 もう奴が来た。

 天候は一転、雲とも似つかぬ闇が空を覆い、雷鳴と大雨を呼び寄せた。

 これはそう、世界そのものの怒りだ。


「これはこれは。〈エデン〉の者がうちの大事な娘に何か用かな」


 穏やかな口調とは裏腹に、どこからか取り出した大鎌を手に黒き魔女は勇者に斬りかかった。

 黄金の魔力が互いの剣身に宿る。


「はっ!こいつが娘だと!?妄言も大概にしておけよ!」


 落雷と共に剣と大鎌が衝突する。

 空間を震わす波動に勇者の赤い外套と魔女の黒いコートが荒れ狂う。


「娘だとも。かけがえのない可愛らしい子さ」


「お前さん、本当の娘はどうしたんだかな」


「あぁ……そのことは君たち“英傑”から下っ端まで知っているんだね……趣味が悪いと思わないのかい」


「シス様が自分からそう言いふらしているんだ。俺らにしてみれば敵の再認識になって良い刺激になってるがな」


「うちの家庭事情に世界を巻き込んでいるなんて、これはまた考えものだね」


 黒き魔女は大鎌を振り切り勇者を牽制する。

 その残撃にすら魔力が込められていて迂闊には近づけない。


「深追いはよせ、ルト」


 退いてきた勇者の前に賢者が立ちはだかる。


「賢い判断だ。こちらも今ここでり合うつもりは無いものでね。この子と、そっちで死んでるのも持って帰らせてもらうよ」


 まずは金髪の少女を黒い霧の中に飲み込ませた。恐らくあの中は別の空間に繋がっているのだろう。


「通せ!ケイ!あいつは一分一秒とも生かしておいてはならない存在だぞ!」


「そうカッカするな。お前も腕に自信があるのは分かるが相手が相手だ。英傑と言えど2人では犬死するだけだ。今は抑えろ、勇者」


 黒き魔女シイナが次に向かうのは2つに分かれた少女の亡骸。


「ゆづき……どうしてこんなことに……」


 グッと歯を食いしばりシイナは手を伸ばす。


「ちょっと待ってもらおうか?シイナ」


 声が響く。

 曇天の空が裂け白陽が差し込み、荒れた天候は彼方に消えた。


 ――第三の勢力が現れた。


 ◇◆◇


 これは長いようで短い旅路の終末。

 そして、彼の者の果てしなく長い旅路の終末でもある。


 ◇◆◇


 美しい大翼を羽ばたかせ、2人の天使と1人の妖精が降臨した。


「君は……まさかリァサか!」


「行くよリンデル!」


 魔女に疑問を抱く余裕すら与えさせる気のない大剣の一振りが襲いかかった。

 しかしシイナは蜃気楼のように姿を消した。


「どうして全員こうも血の気が多いのかな」


「あーそれはすまない。おいやめろ、少しは話をさせろよな」


 妖精が大剣を携える少女を制する。


「見たところ、そこのお前らが〈エデン〉ってやつだな。んでシイナ、お前は〈イデア〉」


 妖精は左右、両組織を見やる。


「どういうことだリァサ。なぜ私のもとから姿を消した。そして今まで何をしていた」


「聖域を巡ってたって言いや全部の問いへの答えになるな」


「聖域だと!?嘘はやめるんだ。どの座標もまだその時では」


「さっきの見ても同じこと言うか?」


 魔女の目線は先程の大剣へ。


「……くっ、何が目的だ」


「そこの奴を返してもらおうと思ってな」


 天使が地に降りる。

 黙し、座った瞳で魔女と勇者と賢者を見つめる。


「そうか。今分かったよ」


 魔女は大鎌を黒い霧の中に手放した。

 どうやらこれ以上は争う気は無い様子だ。


「君たちが私の目的の終着点なんだね」


「白々しいんだよ。知らないふりしないで本音を言えよ本音を」


 魔女は両腕を上に挙げ、降参したかのようなポーズを取る。


「はは、鋭いね。流石リァサだ」


 自身の肩幅よりも大きなとんがり帽子と、息をゆっくり整えた。

 魔女の目の色が変わる。


「予定よりも早いのは結構。しかし私はまだこのシイナ・ヴァレオの全てを誰かに譲る気は無い」


「勝手な事を……自分が何を言ってんのか」


「分かっているとも。でも理解してくれ」


「てめぇ個人の問題の為にこの問題を先延ばししろってのか!」


 すっかり頭に血が上った妖精は魔女に掴みかかる。


「……そうだ。それが終われば、私も終わろう」


「偉そうに……!」


「まあよせ妖精の小娘。今争っても何も意味が無いのは確かだろう」


 妖精と魔女の中間に賢者が割って入る。


「ここでの力量は均等ではない。恐らくだが、例え俺らとお前らの力を合わせようとこの魔女には手も足も出せないはずだ」


「何が言いてえんだ」


「つまり争うだけ無駄だということだ」


「そういうこと」


 魔女は指を振る。

 空間に魔力が満ちた。


「私がいつまでも優しいと思ったら大間違いだ。優秀な鷹は獲物を仕留めたその瞬間ですら爪を隠しきる」


 空に半透明の膜がいくつも浮遊している。

 海に揺蕩う海月クラゲのようだ。


「なに、殺しはしないよ。ただ少し大人しくしていてもらうだけだ」


 膜から数本の触手が伸びる。

 が、跳躍した勇者の一振りで一陣の風と共に触手が吹き飛んだ。


「お前の言う通り、これは無駄な戦いになりそうだ」


「〈エデン〉はここで退かせてもらおう。だが忘れるな〈イデア〉の愚者よ。裁きの時は近い」


 着地、そして音もなく勇者と賢者はこの場から去った。


「さて、君たちがどういう選択をするのか、私は少し興味がある。七瀬たまき、七瀬なぎさ、そしてリァサ」


 初対面の人物に名前を言い当てられて天使の肩が僅かに震える。


「……ゆづきちゃんを返してもらいます」


「それでどうする。何が出来る」


「日常を取り戻します」


「君にとっての日常とはなんだ。僅かな年月を共にした者とのおままごとの続きかい」


 その天使は身ひとつで魔女の前に出る。

 もう片方はじっと、妖精も内心不安になりながら今は大人しく後方で控えている。


「おままごとなんかじゃない。僕たちの人生です」


「その行く末に何がある」


「未来です」


「…………不毛だ」


 魔女は踵を返した。

 空へ向けて手刀を振り、異空間への入り口を切り開いた。


「だがこれだけは言っておこう。〈イデア〉は君たちと敵対する気は無い。助けが欲しければ協力はしよう」


 そうして魔女は姿を消した。


「けっ、自分の組織の統率も適当で、そいつらがたまきの大事な奴を殺しておきながらどの口が言ってんだあの野郎」


「……いいよ。今はどうにもできない」


 怒りに震える妖精をなだめ、天使は己の非力を呪いながら亡骸を拾い上げた。

 さあ、彼女と帰ろう。

 これで元通りだ。

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