希望に禍う不幸の星―6

 自分の体の存在を思い出した。

 それを意識した途端、息苦しさに身悶え喘ぎ、虚空で窒息しそうになる。


『安らかに』


 声が聞こえた。

 黒姫のものではないが、同様に子供の身体から発せられる音に近い性質の声だった。

 虚空に溺れる体に安らぎが巡った。


『これがサニシアの力……』


 サニシアの能力に感心している様子だ。

 つまり黒姫ではないのが確定した。

 目を開く。

 夢から覚めたような、ついさっきまでその中にいたのに目覚めたら冷たい現実があるように、今ゆづきは地べたに寝転がって空を見上げていた。


「……黒姫?」


 聖剣サニシアが手元に落ちている。

 いつもならそれからは僅かながら魔力を感じるのだが、どういうわけか今は魔力はおろか黒姫の意識すら感じられない。


「おいどうしたんだよ」


 胸に語りかける。

 しかし期待する反応は一切返ってこない。


『死んだよ』


 代わりに先程の声が答えを示した。

 いきなり無情な現実を突きつけられゆづきは動揺する。


「だ、誰だ」


『シグニアだよ、不幸の』


 どういう事だ。

 なぜ本来黒姫がいなければならない場所にシグニアがいるのだ。


『サニシア……いや、黒姫と呼んだ方が良いかな。黒姫はそこの奴にやられて死んだんだよ』


 側に血が流れている。

 ゆづきのも多少は含まれているだろうが、その大半は木々の下敷きになっている“彼女”のものだった。

 無惨に傷ついた体、圧迫により皮膚が裂けたのか細長い何かが地面に散っている。

 金色になびいていた髪も血と泥に塗れボロボロになっていた。


「シグニア……がやったのか」


『そう。でも黒姫を助けられなかった』


「戦いはどうなった?」


『まだ終わってない……』


 ならば黒姫を失った事への感情からはまだ目を背けよう。

 きっと、心が折れてしまったら黒姫に怒られるだろうから。


『黒姫は僕にサニシアの力を貸してくれた。半日に1度、これまでと同じように願いの能力を使うことができる』


 黒姫のものではない、シグニアの魔力が指輪に巡った。


『でもそれはさっき僕が君を治癒するのに使った。だからもうこの戦いでサニシアの力は使うことができない』


 今度は耳。

 ……耳?

 手を置くと何か身に覚えのない物がそこにあった。


「……えっ何これは」


 頭を動かすと同時にぷらぷらと揺れ動く耳飾り。実にうっとおしい。


『君と僕が契約を交わした証だよ。まあ契約をしたのは黒姫の意思だったけど』


「そ……そっかぁ」


『んでそれが僕の神器』


 耳飾りと魔力的に共鳴する手元の短剣。

 黒い剣身と幾何学模様。


『破壊の聖剣シグニア、この世の全てを否定する一振りさ』


 星神シグニアと同じ名を冠する神器。

 それはシグニアが黒姫をサニシアと呼んでいたような、つまり神器と星神は同じ名前であるという意味になる。


 ――時に黒姫は自身が星神サニシアであったとゆづきには伝えていなかった。

 それでもゆづきが黒姫を星神だと知ったのは、それは当然のようにこの世界を俯瞰するような物言いだったり、シグニアとの会話だったりで十分過ぎるほどの材料があったのだ。

 いや、もしかしたらそれ以外に、ゆづき自身が昔から知っていたのかもしれない。

 なんにせよ、それを再認識させられて驚くことは無かった。


『僕は君と世界を壊す決意をした。だから一緒に戦おう、黒宮ゆづき』


「あたし名前教えてないよね」


『黒姫の記憶が教えてくれる』


 ふーんと相槌を打ち、シグニアの願いで癒えた体を立ち上がらせた。

 地面や服に染み込んだ血の量こそ酷いものの、傷や痛みは一切感じない。

 ただひとつ、左手首を除いてなら正常である。


「ならサニシアと同じように使わせてもらう。良いねシグニア」


『元よりそのつもりさ』


 この両腕には奇妙な装飾がされている。

 レース編みというか、今着ている服の袖を上書きして何か衣服の袖を中途半端に通しているような感じだ。

 ゆづきが黒姫に体を渡す前は無かったから、その戦いの最中に彼女が何かをしたのだろう。


 ズゴゴゴ……と大地が揺れる。

 頭上から降り注ぐ砂。そちらを見れば砂の巨人がこちらを見ていた。


「うわ!なんだあれ!」


 目視で推定5、6階建ての建物と同等の大きさだろうか。

 圧倒的な重圧と威圧、自身の何倍も巨大なそれにゆづきは驚愕した。

 驚愕はしたが畏怖はしていなかった。


『空に飛べばあいつが叩き落としてくるから空中戦はおすすめできないね』


「そうかい」


 そもそも先程のように翼が出てこようとしない。

 周囲に散らばる黒い羽が関係あるのだろうか。


「なら」


『願いの力は使えないって』


 身体能力を上げようと思ったのだが、言われて思いとどまった。

 もしかしたら自分はサニシアに頼らなければ無力なのかもしれない。


『良い方法を教えてあげる。それも君の望みに沿う形の』


 サニシアに頼らずに身体能力を上げる方法なんてのがシグニアでどうするのだろうか。


『破壊するんだよ。肉体のリミッターをね』


「なるほどその手があったか」


 理屈は分かる。

 分かるがサニシアと比べてかなり手荒な方法であるのは確かだ。


「でもそれしかない。やろう」


 やらなければやられる。当然の摂理だ。

 だからゆづきには初めからそれしか手段がなかった。


『僕が補助するから君は魔力を注ぐだけで良い』


 言われてシグニアに魔力を注いだ。

 耳飾りがほのかに温かい光を帯びる。

 同時に剣身の幾何学模様の一筋ずつにも光が通り始めた。


「――うっ!?」


 強すぎる。サニシアとは比べものにならないほど体の底から力が湧いてくる。

 そうか、サニシアが身体能力の限界にまで引き上げていたのだとしたら、シグニアはその限界を超えた先へすらも到達させることができるというのか。


『そうだ、早めに決着をつけないと負荷に耐えきれなくて体が破裂して死ぬよ』


「先に言えぇぇぇ!!!」


 踏み出した足でグンと急加速。

 疲労は無い。しかし全身に血が抜けるような感覚がじわじわと蝕み始めている。


「いた」


 セリが命令を下す。

 それに従い空にいた羽虫の大群は森まで下降し、ゆづきを追い始めた。


「こんなに相手できねえって!」


『落ち着いて、全部は創った人を叩けば消えるはず』


 ならそいつを探すしかない。

 しかし居場所なんてそう簡単に見つけられるものでも無いだろう。

 でも時間が無い。

 地面を蹴って空に跳び上がる。

 水を纏い、風を纏い、木々を愛でていたそれぞれの精霊達と目があった。


「やっべ!」


 それに加えて両肩から先の無い砂の巨人。

 下からは虫が追いかけてくる。

 轟音と共に岩石が飛来してきた。


「なんじゃそれぇぇぇ!!!」


 あまりの情報量の多さに叫ぶことしか出来なかった。

 シグニアが勝手に動き、前へ剣先を向けた。

 それが岩石に突き刺さる。途端に砂屑が飛散した。

 散った屑は殺傷性こそ無いものの、勢いを落とすことなくゆづきの顔面に接近してくる。

 それらが触れる瞬間、さらに砕けて粒子になり風に乗って消え去った。


『障害はなんとかする。だから君は魔力源をなんとかしてくれ』


「助かる」


 意識の集中に目を細める。

 周囲からありとあらゆる猛攻が押し寄せる。

 しかしシグニアがそれらを全て破壊し、ゆづきには傷ひとつ付かせない。

 岩も砂もいかなる魔力すらも無力。


 ◇◆◇


「なんで当たらないの」


 嫌な汗がセリの頬を伝う。

 3体の精霊に大量のゴーレムの創造。

 いくら準神器スフィラレイの能力が“命を吹き込み使役する”ものだとしても、セリの魔力が底を尽きればそれまでだ。


 そばの木に背を預けているマーシャも魔力が切れ、ただでさえ意識を保つので精一杯だというのにここで自分が倒れればどうなってしまうのか。

 想像は簡単だ。


「セリ」


「なに」


「もしもの時は自分を置いて逃げるっすよ。魔力が無くても時間稼ぎくらいは」


「縁起でもないこと言わないで」


 先程モエがゆづきと共に森の中に落ち、それでもゆづきは這い上がりこちらに向かっている。

 となるとモエは負けたのだ。

 ゆづきは、願いの聖剣サニシアとはそれほどまでに強かったのか。

 これがつい数週間前まで戦いというものに全くの無関係だった者なのだろうか。

 信じられない。


「モエに止められなかったなら私達にももう勝てるかどうか分からない。私達の想像以上にゆづきが持つ力が強すぎたから」


 よくもこの短期間でここまでの力を得たと思う。

 願いの聖剣サニシアを手にして、先日ファニルに初めて魔法を教わったはずなのにもう使いこなせている。

 あまりにも不自然すぎるし、現実的に不可能だ。


「……はは、情けないっすね。セリとずっと一緒にいて、自分がセリを守るんだって決めてたのに」


「なら、死ぬ時も一緒にいればいい」


 スフィラレイを握りしめる。

 膝を曲げ、マーシャと視線を絡ませる。

 マーシャの頬が紅潮した。


「わ、分かったから。やるなら早くやるっすよ。ほら」


 セリとマーシャの唇が重なった。


「んむ……!」


 マーシャの身体が微かに震える。


「……はぁっ……」


 唇と唇が離れる。


「託したっすよ、セリ……!」


 そう言いマーシャの意識は途切れた。

 セリが受け取ったマーシャの思い、それは気持ちだけではない。

 ゆづきの野望を阻止してほしいという願いの他に、マーシャとその準神器フレイシカルの力を一時的に譲り受けた。


「やろうマーシャ。世界を守ろう」


 セリに七色の光が満ちる。


 ◇◆◇


 シグニアを突き立て砂の巨人に刺した。

 間も無くその身が爆散、同時に飛翔していた虫の大群も砂に還り朽ちた。

 地上の砲台は恐るるに足らない。


「はっ……はぁ……」


 喉が焼ける。

 吐息に血の味が混じっている。

 時間が無い。


「シグニア、願いの力はまだか!」


『まだまだだよ!なんでもサニシアに頼ろうとするのやめたらどう!?』


 言い返せない。

 確かにゆづきはなんでもサニシアの力でどうにかしてきたし、実際それでどうにでもなってきた。

 万能の力は究極であるがそれを失った時、持ち主は酷く弱体化する。

 ゆづきは今そういう立場にあるのだ。


「って、色々考えるのは後だ」


 森に紛れ込み精霊の目から逃げる。

 早く魔力の根源を見つけないとジリ貧ばかりで押し負ける。

 魔力探知は周囲の魔力を探るが、その為に自身の魔力を同範囲に放出する。

 手っ取り早い方法はこれだ。

 しかしそうすればゆづきの居場所は精霊を含め全員にバレる。

 精霊よりも早く動き根源に辿り着けたとして、その人物がゆづきを迎え撃つか逃げるかでまた別の問題になってくる。

 しかし闇雲に探すよりはマシだ。

 身体リミッター破壊の制限時間もある以上手段は選んでいられない。


 ――魔力を探る。


「そっちか!」


 駆け出した。

 上空から魔法が降り注ぐ。

 土埃が舞う、足元が崩壊する。

 それらがゆづきの障害になる前に駆け抜けた。


 白い髪、あの子だ。

 木々の隙間を縫いシグニアを構え狙いを定める。

 ギラリと黒の刃が光る。

 ゆづきに追いつき絡まる植物を引き千切り、木々の側面を蹴っては地面をスライディングして接近する。


「らああぁぁぁ!!!」


 シグニアが空気を斬り裂く。

 セリがいたはずの空間には何もいない。


「やっ!」


 死角からスフィラレイを振り掲げたセリがゆづきに襲いかかる。

 身を捻りそれを回避した。

 スフィラレイが地面に触れ、風圧と衝撃がその場で弾ける。


「化け物か」


 あの一振り自体に魔力を感じなかった。

 それが意味するのは、セリは単純な力量であれほどの威力の攻撃を繰り出せるということ。

 考えられる可能性としては身体能力の強化をしているのだろうか。

 それならば内側に魔力が巡るだけでさほど外へ魔力が漏れ出すことも無いから、今の攻撃にも納得がいく。


「マーシャ、これで終わらせよう」


 ゆづきの懐にセリが潜り込んだ。

 それを視認した時には腹部に拳がめり込んでいた。


「ぐぁッ……!!!」


 視界が反転しむちゃくちゃにぶっ飛ぶ。

 背中で何本も木々をへし折り、やがて石畳の道へ転がり込んだ。

 獣の臭い、ゆづきの頭上でどよめきが沸いた。


 この街の住人である数多くの獣人達がこちらを見ていた。

 明け方から一連の戦いを見物する為に徐々に集まり始めていたのだろう。

 これだけ大きな騒ぎになっていればそう無理もない話ではある。


 ――森の中からセリが飛び出し、スフィラレイを振りかざした。


 それを躱すとズガンと石畳が砕ける。

 跳び退き、ゆづきが民衆の中へ着地すると途端に悲鳴が場を制して誰も彼もが逃げ惑い始めた。

 現在の戦いの中心はこいつらで、それが自分達の下へ訪れたら先ほどまで向けていた好奇の眼差しは混乱へと変わる。などと、ゆづきはそれが許せないのだ。


「無関係の人を巻き込むなんて卑怯」


 その訴えを無視して神樹グリーシャへと駆ける。

 なぜ自分がその行動をしているのか、ゆづき自身にも分からない。

 強いて言うならばそれは本能だった。


 グリーシャから放たれている神聖な魔力が肌に触れるたびヒリヒリと痛む。

 腕の黒い装飾が共鳴する。

 ピリリと袖が肩へ伸びてくる。

 違う、伸びているのではなく元々のゆづきの衣服を侵食しているのだ。

 だがゆづきにはそんなことを気にかけている余裕は無い。


『グリーシャが力を貸している……?』


 唯一シグニアはこの変異に気づいていた。

 黒宮ゆづきが、何者かに蝕まれているその現象に。

 そして神樹グリーシャがその何者かに力を与えていることにも。


『……ちょっと因果を背負いすぎじゃないかな、君って人間は』


 シグニアも知らない何者か。

 しかしそれが新たな力の可能性であるということだけはハッキリと分かった。

 これが吉と出るか凶と出るかはまだ分からない。


「何言ってるか分かんねえけど、良いことなんだな」


『たぶんね、僕の理解の範疇を超えてるよこれは』


 グリーシャに背を向け飛び立った。

 即座に精霊がゆづきを追い詰める。


『なにしてるの!バカなの!?』


 自ら姿を晒すまでもなくいずれこうなっていたはずだ。


「決着は早めに着けてたほうが良いよな……」


 ――決着を着けるのが使命なら。


 いつしか装飾がゆづきを覆っていた。

 元々着ていた服は消え、代わりに新たな衣装が与えられた。

 純黒のドレス、それはゆづきの新たな内包せしもの。


『……まったく、呆れたものだよ。僕と黒姫に謝ってほしいものだね』


 ――暗黒の巨腕が3つ、精霊を握り潰した。


 それは虚無から生まれた。

 それはゆづきが生んだ。

 それはこの世に在ってはならないものだった。


『まあ、世界を壊すのが目的ならそういうのはあっても困らないか』


 煌めく粒子、かつて精霊を象っていた魔力が空に散った。


『となると、グリーシャは世界崩壊をご所望のようだね』


「許さない」


 セリの目つきが殺意に満ちて鋭く変貌した。


「ゆづきは狂ってる。世界に背いておきながら世界の力を借りるなんて認められない!」


『それはグリーシャが認めたから正義なんだよね』


 シグニアが顕現した。

 ゆづきとセリの中間に位置し、腕を組んで見下した笑みを浮かべている。


『分かる?彼女は神器を扱える。その意味が』


「……ッ!だったら世界を壊すのも許容しろと」


『そうだよ』


「ふざけるな!」


 憧れの星神族グレヴィラントを前にしても尚自己の意思を貫くセリは明らかに冷静さを欠いている。

 しかしそれは逆だ。

 星神族グレヴィラントを前にして冷静さを失えば躊躇いの無い攻撃が繰り出される。

 事実、誰にも余裕なんてものはありはしないはずなのだ。


『じゃね、ばいばーい』


 スフィラレイの魔力の込められた打撃が触れる直前、シグニアはありったけの挑発をしてゆづきの中へ帰っていった。


「待て」


 動き出そうとしたセリの頭上から巨腕が伸びた。

 紙くずのように地面に落とされるセリ、しかし七色の光と共に立ち上がる。

 セリはスフィラレイを構えた。


 ゆづきは確信した。

 次の一撃で勝敗が決する。

 これ以上は肉体がもたない。

 だから。


 ――殺すのが使命なら。


 再び黒翼が背から出現した。

 右手でシグニアを、左手でサニシアを強く握る。

 黒姫、お前を忘れないよ。


「終われ」


「壊せ」


 スフィラレイから光が迸った。

 セリの魔力、それは最後にして最大級の獣を創造した。


「巨獣進撃」


 果たしてそれは単なる獣などと形容出来なかった。

 一目だけならば獣と言い切れよう。ライオンの頭部、山羊の胴体、毒蛇の尾。

 ゆづきの記憶にはこの姿はキマイラと呼ばれる神話の生物であるとされている。


「破壊の聖剣シグニア」


 巨躯に対して小振りの短剣。

 相手は実体が無いとはいえ象に蟻が挑むようなものだ。


 進撃を始めるキマイラ。

 その禍々しく醜い外見にはそぐわぬ七色の輝きが溢れ出る。

 キマイラの鋭爪、衝突するシグニア。

 一瞬のせめぎ合いの後にシグニアが爪を斬り落とした。


 とはいえそれは単なる魔力の集まりに過ぎない。

 シグニアを振るったゆづきにはその手応えが全く感じられなかった。

 しかしシグニアの能力が有効というのが判明しただけでも十分だ。


 魔力を散らばらせて空間把握をする。

 それと同時にキマイラを分析、どうやら基本的な生物としての動きは頭部と同じくライオンに近い。

 例外は尻尾の毒蛇、あれは単独で意思を持っているようで動きが読めない。


 魔力網を張った地帯の至るところに巨腕が出現できるように魔法陣を展開した。

 これならば不足の事態にも即座に対応できよう。


 キマイラが空を踏む。

 その巨大な牙がこちらを向いた。

 ゆづきもただ攻撃を躱したり受け止めたりするだけではない。

 あらかじめ想定しているプランがあればもちろんその通りに物事は進める。


 だからキマイラが大口を開いた瞬間、既に開ききっていた口を更に何本もの巨腕でかっぴらいたのだ。

 口の動きが封じられ、それと同時に身動きがほとんど取れなくなったキマイラはのたうち暴れる。

 毒蛇も巨腕で掴み、その身からあっさりと引きちぎる。


 ふわりと暗黒の掌に着地する。

 幾千もの掌の道、そんなおぞましい光景がキマイラの胸元にまで達している。

 ひとつひとつ踏みしめて、じっくりとシグニアに魔力を込める。


「消えろ」


 キマイラの胸元でそう呟き、シグニアを突き刺した。

 何度も何度も突き刺した。

 血は出ない。代わりに魔力が漏れ出した。


 壊れていく。

 セリの最大最後の攻撃。

 実に脆く儚く、そして何より呆気なく。


 ゆづきも限界だ。

 シグニアで体のリミッターを壊していたのが終わる。これ以上はどんな状況だろうと使えない。

 グリーシャからの力はまだ供給できている。

 相手が更なる奥の手を隠していない限りはもう安心しても良いと言えるだろう。


 ◇◆◇


 朝、いつもと違う日常。

 過ぎ去った戦火の余韻にグリシニアの街はしんと静まりかえっている。

 人々の目は神樹へ、正確には神樹の目の前で戦いの最後を迎えたその2人に。


 ゆづきはこの戦いに勝った。

 しかし勝ったからどうという話なのである。

 先程戦った子達を殺すべきかはすぐ判断できない。

 世界を壊すと言ってもそれもすぐには実行できない。

 はづき達に黙ってこの計画を進めるわけにはいかないから。

 つまりゆづきがこの戦いに参入したのは、黒姫がシグニアを助けて欲しいとゆづきに頼んできたからであって、その目的は果たされたわけであり、それより先は意地の戦いだったのだろう。


「それじゃあ、帰ろうか」


 戦いの終結。

 それを自覚した途端、ゆづきのドレスが融解して元の服がその下から現れた。


「……追いかけてくるなよ」


 セリは俯いたまま。

 敗北がそんなにも悔しいのか、空に浮かんだ状態からピタリとも動かない。

 不気味に思いつつゆづきはグリシニアを去ろうと背を向けた。


「――集うは王。瞳に世界。光の眼」


 気付いた時には手遅れだった。

 ゆづきは黄金色の魔法陣のドームに囲われ囚われてしまっていた。


「たとえその身を解体しようと、ゆづきが生きていれば私は……私は!くふふ」


 ここに来て最悪の展開だ。

 狂っている。

 明らかに正気ではない。


「ねーえ、さっきは殺そうとしてごめんね。マーシャを傷つけられてつい頭に血が上ったの……」


 魔法陣に手を当てて、その中のゆづきを撫でるかのような動きをしている。


「そういえば私とゆづきは約束をしていたよね……今度ゆづきをじっくり観察して実験しても良いって。ねぇ?しよ」


 黄金に光る不気味な眼。

 先程口にしていたのが影響しているのか。


「シグニア!」


 どこかを動かすだけで全身が酷く痛む。

 軋み感覚があまり残されていない腕を力で動かしシグニアを構えた。

 微量の魔力を注ぎ込み黄金の魔法陣を斬りつける。


『薄々分かってたけどむりだよこれ』


 バチバチと魔力の火花を散らしてシグニアが弾き返された。


「そんな……!」


『ようやく分かった……やっぱり普通じゃないよ〈イデア〉って組織は……これで世界を救う?はっ!既にその力で世界を壊しているってのにおかしな話じゃないか!そのご自慢の“王の魔法”で!』


「なに言ってるか分からないけどシグニアの力でも破れないんだな」


『そうだよ。万物を破壊するこの力でさえも王には逆らえない。そういう概念なんだ』


「ねえひとりで何ぶつぶつ言ってるの?私とお話ししようよ」


 どんと魔法陣に張り付くセリ。

 その視線はゆづきを捉えて離さない。


「早くみんなで帰ろう……パルが待ってるから……」


「他所の事情にあたしを巻き込むな!」


「……なんでそんなこと言うの」


 情緒が安定していない。

 異常すぎる。


「わがままはめっ、だよ?やっぱりゆづきには黙っててもらおうかな」


 黄金の魔法陣がパズルのように分解される。

 逃げられるという思考が来る前にゆづきは自身の体が動かないことに気が付いた。


「大丈夫、最初にモエがやろうとしてたみたいに最低限生きるのに必要なところだけは残してあげるから」


 意味が分からない。

 もうどうすれば良いのだ。

 勝った気になって慢心していたのは確かだ。

 セリにまだ手があるのではと疑ってはいたし、実際目の前でそれを許してしまい見抜けなかったのは自分のミスだ。


「く……そぉ!」


「うわああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!セリさぁぁぁん!!!なにやってるんですかぁぁぁぁーーー!!!!!」


 死ぬほどの苦痛も地獄のような重苦しい空気もその闖入者ちんにゅうしゃのせいでぶち壊れた。


「え?」


 ゆづきはその時初めて聞いたことのない音を聞いた。

 セリの頭とどこかから飛んできたその子の頭がぶつかった。


「ゆづきさん無事ですか!?それとセリさん達も!」


 セリなら今お前が殺しかけただろうと言ってやりたくなった。

 そのセリは白目を剥いて気絶し、空から落ちようとして――たところにもうひとり現れてセリを受け止めた。


「危なっかしいですね。かの〈イデア〉は同士にもこんな戦い方をするのですか」


「あー、そうだね!危なっかしいですよゆづきさん!」


 セリを抱えているのはキュデアだ。

 もう片方、勢いよく現れた方はゆづきが草原で治癒してあげた傷だらけだった女の子だ。

 すっかり元気になったようで有り余る元気をばら撒いている。


「…………あの」


「はい!?」


 キュデアの目が挙動不審に空を泳ぐミシュを追う。


「……やっと会えましたね、姉さん」


 ピタリとミシュの動きが止まった。


「……あ、やっぱりキュデアなんだね。私の妹の」


「そう、あの、会えて嬉しい。です」


 何やら姉妹の感動の再会のようだが、ミシュが姉でキュデアが妹……?

 なんというか、逆だろう。

 雰囲気とか見た目とか、どう見ても落ち着きのあるキュデアが年上であり、子供のようにはしゃいでいたミシュの方が年下の妹にしか見えない。

 それに身長もキュデアが高くてミシュは小さいし。


「……あたし、帰ってもいい?」


 もうここにいる意味は無い。

 セリが気絶したことでこの戦いは本当の終結を迎えたのだろう。

 ならば後は彼女達の問題だ。

 部外者の踏み入って良いとこではない。


「えーっと、色々と恩人とは言え無理やりこの場に縛るわけにもいかない……ですよね」


「当人の意思を尊重すべきですよ。姉さん」


「うう……分かったよ」


 ミシュもゆづきが多少の説得で考えを変えるとは最初から思っていなかったのだろう。

 何もせず簡単に諦めてしまった。


「でもゆづきさん、いつかまたこの地に来てくださいね。その時はゆっくりお話でもしましょう」


「あのさ、あたしって何もしてないよね。むしろこの街に迷惑をかけたというか、少なくとも恩人として扱われるような事はしてないと思うんだけど」


 それどころかこの世界を破壊する意志すら抱え込んだ。

 つまり今のゆづきは世界の敵だ。

 誰からも歓迎されるべき存在ではない。


「そう言われると困るんですけど、とにかく私をたくさん助けてくれたって理由ではダメですか……」


 個人的な恩というわけか。

 全く、以前のゆづきはどれほどの善人だったと言うのだ。

 いや違う、目覚めてすぐに傷だらけのこの子を治癒したのだからこうなれば性根の問題か。


「……優しさなんて捨てなきゃ」


「え?なんて言いました?」


「いつかまた来るよ」


 ――全てを破壊しに。


 それを聞いてミシュの顔が一気に明るくなった。隣でキュデアも、姉の喜びに当てられて微笑んでいる。


「さよなら」


「ありがとうございましたー!約束!約束ですからねー!!!」


 約束……か。

 ゆづきにはその約束よりも、過去に誓った約束の方が大事に思えた。


 ◇◆◇


 グリシニアの街を去りつつ思い返す。


「世界はいつだって平和じゃないんだ」


 今はまだ、この世界の緩やかな時間にいるゆづき。

 必ず革命を起こし平穏たる日常を奪う。

 そして誰もが危機感を覚え、新たな常識の中で新たな平穏が生まれる。

 それがゆづきの望む世界。


『本当にそれで良いの?』


「何が」


『そうすれば君の大事な家族と友人を巻き込むことになるけど、それでも良いのかってこと』


「みんなはあたしが守る」


『それはご苦労なことで』


 シグニアはそれ以上語ろうとしなかったし、ゆづきも特に深追いしようとは思わなかった。

 先の事はすぐには分からない、でもゆづきには確かな決意がある。

 それをひっくるめて出た言葉がみんなを守るというものであり、これは揺るがない。


 ――緩やかな丘が続く緑地に出た。


 ゆづきも決して余力があるわけではない。

 いつ尽き果てるか分からない中でゆっくりと飛行して消費する魔力を抑えているだけに過ぎない。

 血の味も慣れたものだ。

 体の痛みはずっとある。

 もしここで誰かに襲われようものなら、それが最期になる可能性だって十分にある。


「っと、考えていればってやつか……」


 見た限り相手も相当な満身創痍。

 ゆづきと差し違える覚悟でここに来たに違いはないだろう。


「しつこいね、あんた」


 その髪は血で固まり傷んでいる。

 四肢が力なくぶら下がり、かろうじて右手で得物を掴んでいた。


「あたしよりも深手だよね。どうやって戦うつもり?」


「こうやってよ」


 俯いたまま彼女は言う。


「はぁ?――」


 ゆづきの背後に黄金の十字架がある。

 パズルのように組み上げられたそれは先程セリが分解したものに酷似している。


『まずい!』


 シグニアが気付いたところでもう遅い。


「ぐあッ!?!?」


 十字架から放たれた魔力によりゆづきの身体の自由は奪われ、磔に捕らわれた。


「言葉はいらない。これで最後よ」


 モエがぎりぎりと右腕を持ち上げる。

 大鎌がギラリと光る。


 音が消えた。

 時が止まってしまったかのような。

 それでも風は吹きすさぶ。

 一瞬の寒気が走った。


 十字架が消滅した。

 大鎌は左から右へ振られている。

 身体が異様に軽い。

 それは――ゆづきの下半分が、地上に落ちていったから。


「……ぁ…………ぁあ……」


 何が起きたか理解が追いつかない。

 だが自分の下半分が無くなったことだけは分かる。

 虚なうめき声、死にゆく肉体。

 ザアザアと耳鳴りがうるさい。


 この時、ゆづきは自分が既に地上に落ちていることに気がつかなかった。

 暗い視界、寒い身体。


 あぁ、これが、死ぬってことか。


 こんな、死に方、なんて……

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