希望に禍う不幸の星―5

 淫魔族ユリュナの諍いはきっともう解決しているだろう。

 キュデアの願い通り王族派と友好派の隔てが消え、そこから互いに手を取り合い歩める関係になるにはもう少しだけ時間を要するだろうが。


 それとは別に新たな課題が生まれた。

 ここからは淫魔族は関係ない。

〈イデア〉としての役割を果たす時だ。


「……僕がいない間に何が……いや、まずそんな存在があって良いはずがない……」


「これで分かったかしら。あんたが私に絶対に勝てない理由が」


 絶望が伝わる。

 これが本当の星神なのか。

 あっけなく、そして弱い。

 もっと達観している種族だと思っていたのだが、存外ヒトと変わらないのだな。


「おい、その人から離れてもらおうか」


 振り向く。黒髪が朝焼けに照らされ輝きなびいている。

 黒宮ゆづき。

 既にその手にはサニシアが構えられている。


「これは〈イデア〉の問題よ。記憶の無いあんたに何の目的があるわけ」


「シグニアはあたしが救う。そしてあたしはこの世界を壊す」


 モエの顔が憤怒に歪んだ。

 すぐに殺意がゆづきを突き刺した。


「あくまでこちらの理想を否定するわけね。言っておくけどまだあんたは〈イデア〉の一員よ。記憶が無いなら教えてあげるわ。あんたは〈イデア〉で世界を救う為に戦うことを決心してたのよ」


「ならごめん。辞めるよそこ」


「簡単に言うんじゃないわよ!シイナの苦労も知らない奴が思い上がるなっ!!!」


 シグニアから離れ、モエはゆづきに向き直った。

 ――殺される。

 と感じるが意外にもゆづきは冷静だった。


「黒姫、頼むよ」


『任せて。頑張るから』


 今この場で信頼できるのは黒姫だけだ。

 王族派など生易しい。この子にはふたりで力を合わせなければ勝機は無い。


「あんたの神器の力は私には届かないわ!今からそこにいる神にでも祈って後悔してなさい!」


 モエは手を伸ばし、虚空から大鎌を取り出した。

 自身よりも大きいそれを軽々と持ち上げ、攻撃のタイミングを窺っている。


 鋼の肉体、尽きぬ体力。

 ひとまずこれで彼女を探ろう。

 ゆづきもサニシアを向ける。


 ――来る。


「ちょっとストップ!ストップ!何やってるんすか2人とも!」


 モエが攻撃を仕掛けようとした瞬間、マーシャが2人の間に割り込んだ。


「邪魔よマーシャ。ゆづきは〈イデア〉の意志に反するから然るべき対処をし」


「然るべき対処ってなんすか」


 まだ言い終わらない内に食いつく。

 あからさまにモエが不機嫌になっていく。


「記憶が無いとはいえゆづきを〈イデア〉に戻したいならなんでそんなに殺気を立てるんすか」


「ゆづきが世界を壊す気だからよ」


 マーシャは押し黙ってしまった。

 一縷の望みをかけてゆづきを見るが、ゆづきからしても間違った事を言われていないので特に否定しない。


「だからゆづきは私達を殺す気よ。自分の理想を押し通す為には〈イデア〉は邪魔だものね」


「世界を壊すって……だってゆづきはあの時〈エデン〉と戦って……」


「そんなの憶えてるわけないじゃない。いい?今そこにいるのは私達の知るゆづきじゃない。本性のゆづきよ」


 これはもしかするととても不利な状況に陥るかもしれない。

 こちらは黒姫がいるとはいえ肉体はひとつしかない。

 対して向こうは3人、普通に考えれば勝ち目は無い。


「それに殺しはしないわ。最低限生きられる形には留めるつもりよ」


「モエ!良い加減に」


 ――光がマーシャの左肩を貫いた。


「ぅくっ……!」


「しつこいわよ」


 穴から血が噴き出す。

 痛みを堪え屈しないマーシャにセリが寄り添う。


「マーシャやめよう。きっと何を言っても無駄」


「でもゆづきを見捨てるわけには……」


 なぜだ。なぜこのマーシャという者はゆづきを庇う。

 以前知っていたであろう自分はきっとその組織に染まり、何かしらから世界を救うという同じ意志を持っていたのだろう。

 だが今のゆづきは違う。それは知っているはずだ。


「しつこい」


 ゾクリと嫌な寒気と汗が噴き出した。

 親身になってくれる相手を突き放すのは辛い。

 しかしこうでもしなければゆづきの決意は消える。


「え……ゆづき……」


 嘘だと言って欲しい。そんな顔を向けられる。


「あたしは君を知らない。それにあたしの目的は世界を壊すこと。だから世界を脅威から救いたい君達とはもう敵だよ」


 マーシャの瞳から光が消える。

 口を開けたままにして、魂が抜けてしまったかのようだ。


「…………仲良く、なれそうだったのに」


 ――風が吹いた。


 背後!

 マーシャが拳を振り下ろす。

 ゆづきの頬にめり込む。


「ぐあぁっ!?!?」


 バカな!サニシアの力でこの身体は鋼の硬度になっているはず。

 どれだけの怪力があればゆづきをここまで軽々しくぶん殴れるのだ。

 頭から地面に急接近する。

 あまりの風圧に身体が動かず、そのまま巨大な穴を作って落下した。

 地上に這い上がり、口の中の土を吐き出した。


『もういいよ、本気で行こう』


「その気だ」


 漆黒の翼を発現させる。

 魔力がみなぎる。身体が軽い。

 今度はやられない。


「セリ抑えてるっすよ!」


「なに!」


 気付けば足が光に拘束されている。

 それはセリという者の杖から繋がれているようだ。

 ならば。


「断ち斬れサニシア!」


 身を捻らせ地面ごと光を斬り裂いた。

 そのまま前方に走って上空からの拳を避けた。


 だがマーシャは着地の衝撃を跳躍に変換した。

 背面へ向けて大きく宙返りをしてゆづきを飛び越して先の地点へ降りた。

 そこから地面を抉るほどの脚力で駆けた。


「うおらぁ!!!」


 ゆづきの腹に正面からの蹴りがめり込んだ。


「かはっ…………」


 鋼が破れた。

 重く、それでいて突き刺す痛みが全身へ駆け巡る。

 骨と臓器がいくつか潰れた。

 何度も咳き込んで血と固形の何かを吐き出した。


「今回ばかりは最初からモエに従うべきだったっすね」


 ――生きろ。


 サニシアが輝く。

 まだ、戦える。


 ゆづきは地面を踏んだ。

 地動、土の波がマーシャに押し寄せる。

 次に空へ向けてサニシアを構えた。

 ゆづきの魔力で無数の細長い水滴を辺りに創り出した。

 そこへサニシアの魔力で一帯の気温を氷点下にまで下げた。

 それらを空へ打ち上げた。

 セリの服が破れる。

 モエの頬を掠めた。


「小賢しいわね!」


 モエは障壁を築いた。

 セリはこの空域から離脱し、旋回して地上に降下を始めた。


「ゴーレム」


 セリはマーシャを襲う土の波へ魔力を注いだ。

 それはゆづきの魔力を上書きし、即座に無骨な巨人の形へと変貌した。


「壊せ!」


 サニシアで空気を斬り裂き、その斬撃が光となりそれをバラバラに解体した。


「けほ…………」


 地面に膝をつき、乾いた咳と共に吐血する。

 サニシアで不死になっているのは、あくまで生命活動を停止させないようにしているだけだ。

 現状身体へのダメージまでは支えきれていない。


「まだやる気っすか」


 輝くフレイシカル。怒れるマーシャ。

 余力は充分にあるようだ。

 それに加えてセリ、モエも相手にしなければいけない。

 それが終われば最後にシグニアを相手取る。


 自分が果たそうとしたものはこんなに途方もない道だったのか。

 単に数の問題でもない。確かな実力の差がここには存在する。


「……あはは……」


 頭がどうにかなってしまいそうだ。

 幼少期は孤独と戦い、成長しても病みと戦い、今度は本当の命をかけた戦いをしている。

 こんなの世界が壊れる前にゆづきが壊れてしまう。


 今なら自分が馬鹿だと高笑いできる。

 命をかける?命なんてサニシアの力を使っていなければ既に何百も失っているはずだ。

 血反吐に塗れ、無数の傷を刻み、地獄のような苦しみの先に叶えたいものが世界崩壊とは、本当に。


「馬鹿だよ、あたしは……」


 その途端、思考が蒸発した。

 三日月のように曲がった口、冷静さを欠いた目、身体が言うことを聞かなくなってきた。

 それは獣のように、ゆづきは闘争の中でひとつの答えに辿り着いた。


 ――黒姫ゆづきは、初めから壊れていた。


 黒翼を地面に叩きつける。

 強力な推進力を得てマーシャへ迫る。


「んなっ!?」


 歯止めの効かない人形のようにサニシアを振り回す。

 無数の斬撃がマーシャに浅い傷を刻む。


「……ゆづき!」


 静かな怒りを露わにセリがスフィラレイを振るい魔力を散らす。

 ゆづきとマーシャの間に風が生まれ、ふたりはそれぞれの後方に吹き飛ばされた。


「大丈夫マーシャ?」


「んあぁ……なんとか、流石に魔力がもう無いっすけど」


「ここからはわたしに任せて」


 セリはマーシャを障壁で包み込んだ。

 こうなったということはまずは第一の壁は越えられたのか。


「次はお前……」


 脳みそが炎に当てられているように熱い。

 サニシアの魔力で身体ダメージは今のところ無視していられるが、内面の方がいつまで持つか分からない。


「ゆづきはここで止める」


 スフィラレイの魔力が迸る。

 周囲一帯にそれが拡散され、ゆづきを惑わす。


「やらせるかよっ!!!」


 黒翼を羽ばたかせセリの魔力地帯を抜け出す。

 草木と、風と、小川が共鳴する。

 それぞれがそれぞれの魔力に結びつき、それらから形成された魔力はやがて大きな人型になる。


「地と風と水の精霊達、力を貸して」


 現れた3つの精霊はセリを取り巻く。

 強い力を感じる。


『精霊は時に神すらも上回る力を使うかもしれない。気をつけて』


 黒姫の声を胸に、ゆづきはまず水の精霊へ狙いを定めた。

 向こうもゆづきの敵意を受けて同じ敵意を返した。

 視線が衝突する。空気が変わった。

 妙なじめりけを肌に感じ、飛翔してくる水の精霊と対峙する。

 一斉に来られないのはゆづきにとって都合が良く、これならば決着は早々につけられる気さえしてくる。


「凍れ」


 サニシアを起点に凍える魔力がゆづきを包み込む。

 大気の水と反応して微小の結晶が宙を舞い始めた。

 一方水の精霊はただ静かに、自身に水流を纏っている。


 先手はゆづきから。

 周囲の氷気を凝縮して水の精霊に放つ。

 水流の衣がそれを受け止め、しかし氷気に当てられて衣は凍てつく。


「――――」


「なにを……」


 歌っている。

 精霊のその身が氷に閉ざされようとしているその間際、目を閉じてなぜ歌うのか。

 ゆづきの耳に届くのは声ではない歌声。

 精霊は口を動かし音を紡いでいるが、それはきっともっと大きな意味を持つ何かの為のような。


「まさか!」


 少し考えれば、いや、今考えずとも先程その思考に至っていたはずだ。

 敵を殲滅するのに戦力を勿体ぶるのは相手より力が上であるという自覚のある者だけだ。

 ゆづきが水の精霊をここに引き連れてきたわけではない。

 精霊達がゆづきをそこへ動かしたのだ。


 ――セリと共に精霊は歌う。


 世界の祝福を受けたような、大いなる神聖な魔力が水の精霊に宿る。

 光と闇、生と死、相反の概念の全てが無意味。


『ゆづき負けないで!わたしがついてるから!』


 サニシアから勇気が分けられた気がした。

 目の前の存在に立ち向かうのだと。


「黒姫、これに勝つにはどうすればいい」


 サニシアが輝きゆづきの両腕をその光で覆った。


『そんなの簡単だよ。わたしと力を合わせるだけ』


 黒姫がゆづきの横にいる。

 温かい。戦いっぱなしで色々なもので汚れきったこの腕に黒姫の手が重なる。

 そして目を閉じ、サニシアを胸の前で構えた。


『歌おう』


「ああ」


 だけどもそれは歌ではなく。


「我、願いしは」


 この戦いに終末をもたらす言葉。


『この世界の破滅』


 そう、自分の願いは。


「星の神々と共にあれ」


『星の神々が祝福する』


 精霊との互いの歌が終わる。

 ゆづきはゆっくりと目を開けた。


「目覚め解放せよ」


『我の名はサニシア』


 混ざり合うふたり。

 体と心が溶け合わさる。

 ゆづきの身体、黒姫の意識。

 その両手には黒炎が絡みつき、変幻し、腕を覆う装飾と化した。


「『王の救済を願え、楽園を再誕させよ』」


 ゆづきの意識は深い水に沈んだようだった。

 外界の景色を朧げに眺める。

 あの水の精霊の姿がずっと遠くに思えた。


「選手交代だよ」


 ゆづきは今、黒姫に全てを委ねた。

 黒姫ならばこの戦いを終わらせられる。

 そう信じてその身を捧げたのだ。


「あれは、ゆづきなの?」


 セリもモエも同じことを口にした。

 外見上は変わらないが気配が明らかに大きく変わった。


「いいや、これはさっきのあの女と同じね」


 キュデアはその身を別人に乗っ取られた。

 今あのゆづきにも同じ事が起きている。


「――サニシア……なぜそこまで」


 混乱の中で気配を殺し、街中に身を隠したシグニアは空のサニシアを見て呟く。

 自身の胸中に渦巻く想いを抑え込み、静かに結論に至った。


「エーデルエルを再誕させる為に世界を壊すことを選んだんだね」


 もしかしたら初めからそうだったのかもしれない。

 あの器がシグニアと同じ目的を持っていて、その上で協力を仰いでいたのならば。


「分かったよサニシア。僕の使命が何なのか」


 精霊が集う。

 溢れる神聖気が3つ、まるで手加減する気の無いオーラだ。


「よかったねゆづき。わたしにすら精霊達が敵意を向けたってことは、わたし達は完全に危険因子として世界から認められたってことだよ」


 他はどうか知らないが、この精霊達は間違いなくゆづきを殺すつもりだ。

 最低限、これらをなんとかしなければならない。


「行くよ精霊、どっちが上か分からせてあげる」


 ゆづきは挑発的な笑みを浮かべた。

 サニシアがその昂りに呼応する。

 あまりの負荷に心臓が破裂しそうな痛みを覚える。


「……けほっ」


 口の中に血の味が染み渡る。

 不死身にしたところで、その願いの代償によって肉体が朽ちるのは時間の問題のようだ。


「持って10分、それまではわたしが」


 そもそも黒姫がゆづきの意識の外側にいられるのには制限時間があった。

 それが10分。

 特例は無く今回の場合でも同じというわけだ。


「頑張って世界を壊すね」


 時間なんて関係ない。

 先程ゆづきと共に詠唱した呪文の力があればどれだけ無謀な事だってやって退けられる。


「そうはいくかしら」


 モエが大鎌を携えて現れた。


「さっきのには逃げられたけど今はどうでもいいわ。あんたを殺すのが最優先よ」


「そうはいくかな?」


 余裕の笑みで挑発する。

 制限時間がある以上、順番に相手をするよりこの方が理想的だ。


「死にたがりが。望み通りにしてやるわ」


 モエの瞳の奥で何かが揺らいだ。

 それと同時に精霊達の攻撃が始まった。

 豪風がゆづきを煽る。

 しかしその風はすぐにゆづきの体を避けた。


 脚が掴まれた。

 見れば木の枝が地上からここまで伸びてきていてゆづきの両脚に絡み付いている。

 そして地上に引きずり落とされる。

 風を切って地表に接近する。

 が、途端に脚に絡みついていた枝は枯れ、灰になり風に乗って消えた。


 異音と共に水飛沫が顔にかかる。

 頬から血が流れた。

 どうやらそれは単なる水飛沫ではなく、超高圧力の放水であった。

 光線のように細いそれは水の精霊の指から放たれ、網目状にゆづきを追いかける。

 流石にこれに当たれば部位の切断は免れないだろう。それに簡単に防げるものでもない。


 ギシッ


 地の精霊の身体からつたが生えている。

 それの伸びる先はもちろんゆづき。

 かなりの速さで動き回っていたのだが、それを上手く誘い込まれていたようだ。

 四肢が掴まれる。

 モエの大鎌が正面から迫り、左右から水が襲いかかる。


 燃えろ。

 ゆづきの体が発火した。

 火力は一瞬で轟々と増し、モエを退かせ水を蒸発させ、四肢の蔦を消し炭にした。

 そこへ竜巻が発生した。

 風だけならば火が乗り、周辺の森は地獄の光景に早変わりしていただろう。

 しかしそこには水が混じっていた。

 相乗する属性にゆづきの火はあっけなく消え去る。


 間も無くモエが雷撃を放つ。

 障壁を展開してそれを防いだ。

 直撃すれば感電では済まなかっただろう。


「あわよくばあんたもシイナのところに連れて行こうかと思ってたのだけど、それは叶わない望みだったのね」


「さあ、ゆづきが忘れた事もわたしなら覚えてるけど、そのシイナって人が何を考えてるか分からないからどの道わたしは嫌だって答えてるよ」


「でしょうね。だから力づくでとも思ったけど、シイナの目的を完全に否定する存在に成り下がった以上、この世界にあんた達を許容できるものはいなくなったわ」


「それはそっちも同じじゃないの?歪んだ存在さん」


「あら、知ってたのね」


 モエという生命体は歪んでいる。

 身体や性格ではなく、存在そのものの話である。

 黒姫は森でゆづきとモエが交えた一戦でそれを悟った。


「歪みについてはわたしも詳しくは知らないんだ。でもそれがかつて星神族グレヴィラントを脅かしたものだっていうのは分かるよ」


「それを知っていれば十分よ。そして察しの通り私は人間じゃないわ」


 ヒトの姿をしたそれの目はゆづきのその奥底。

 黒姫という存在を見つめていた。


「無駄話が過ぎたわね。そういう事であんたのようなのは絶対に私に勝てないのよ」


 歪みというのはこの世の概念を否定する。

 時にそれはこの世の神たる星神族グレヴィラントでさえも抗えないほどに強い力を持つ。


 ここは神樹グリーシャに近い。

 神聖気が満ちるこの場ならこの歪みの権化の力も相当弱まるとは思うし、実際あの時森で暴走したのは相反する力が体の中で混じり合っていたからであろう。

 ならば活路はある。


「理を否定する存在なのに世界を救う考えを持ってるっていうのはどんな気持ち?」


「あんたと話すことはもう無いわ」


 サニシアと大鎌がぶつかる。

 火花を散らして金切音を立てる。


 歌が聞こえた。

 また精霊達が力を高める為に音を紡いでいるのだ。

 精霊とは星神と同じく不死身。その身を消し去りたいと願うのならば狙うのは根本の魔力の供給源。


 ゆづきは頭上に魔法陣を展開し、身を翻してそれを蹴った。

 狙うは精霊を召喚したセリ。

 彼女をどうにかしなければ精霊は自然の力と同調してどんどん力をつけてしまう。

 それにグリーシャの神聖気もその糧になるだろう。

 精霊がその身を維持していられる根幹であるセリの魔力を絶つのが今の最優先事項だ。


「逃げるな!」


 モエがゆづきを追従する。

 それに加えて精霊達の攻撃も再び始まる。


「くぅ!」


 あらゆる方向からの猛攻。

 地上のセリでさえもただ構えているだけでなく、迫り来るゆづきに対して様々な対策をしてくる。


「対空戦ゴーレム、迎撃砲台ゴーレム……」


 スフィラレイから濁流のごとく魔力が溢れる。

 大地に染み込み、大小の土人形を創造した。


 土の巨人が現れた。

 周囲に小型の飛翔物を従え、その巨大な掌でゆづきを上から叩き落とそうとする。


「――ぅああぁ!!!」


 指の隙間を縫って避けた。


「危ないわねセリ!」


 一方モエはその手首に衝撃波を放ち破壊した。

 砂塵が舞う。


「撃て」


 砲台から岩石が撃ち出される。

 特殊な動きをせず、ひたすら真っ直ぐに進んでくるそれらを避けるのは容易だった。


「突撃」


 だがひとつ警戒が足りなかった。

 その背に小型の虫の大群が一斉にぶつかってきた。

 キリキリと背中が喰い破られ、翼が焼き切れる。


「きゃあぁぁぁぁあ!!!」


 ゆづきはセリに到達するずっと前に、勢いを失って墜落を始めた。

 破れた黒翼が空に散る。


「ごめ……ん……ゆづき……」


 まもなく訪れる制限時間に、黒姫はゆづきに誇れる何かをしただろうか。

 否、皆無である。

 願いの聖剣を所持しながら非力だった自分。


「ただでは……転ばないもん」


 ――願う


 "可能な限り世界を壊せ“


 サニシアへ魔力を注いだ。


「死ね」


 モエの手がゆづきの胸に重なる。

 赤黒い魔力が撃ち込まれ、視界が明滅と反転を繰り返す。


 地面に身体を打ちつけた。

 この短い間で何度骨と臓物を傷付ければ良いのだろうか。

 意識が混濁し痙攣をするこの肉体ではもうサニシアに願うことも叶わない。

 陸に打ち上げられた魚、水に沈められた鳥。


 息ができない。

 苦しい。溺れる。

 寒い。痛い。


「大いなる歴史を辿るなら、それは今と同じだった。神は死に、新たなる世界が幕を開ける」


 微かな意識を向ける。


「さような――」


「サニシアァァァ!!!!!」


「次から次へと!」


 新たな魔力が場に流れた。

 モエの足元が瓦解した。

 跳び退こうとしたモエに周囲の木々が根本からドミノのように倒れる。


「ぐっ…………ああぁ!」


 そびえ立ち、閉じ込められたモエは押し潰される。

 土煙と共に木々が積み重なる。

 頭と右腕(その腕も妙な方向に曲がっている)それ以外は全て下敷きになり血の海を作り出した。


「サニシア!大丈夫……」


「シグニア……あんたはほんと……身勝手が過ぎるよ……」


 結局、世界を壊すと決意した者達の目論見は全て不発。

 シグニアはいつの間にか姿を消し、それが今になって現れて。というのはあまりにも都合が良すぎる。

 初めから共闘していたわけではないから薄情だとは言えない。

 だが、これだけは言っておかないと気が済まない。


「……自分で決めた使命から……逃げるな。バカ」


 ゆづきはキュデアの胸をほんの僅かな力で叩いた。

 その手を取ってキュデアは涙を流した。


「君が僕の側にいようとしてくれた事、絶対に忘れない」


 シグニアは激しく後悔した。

 サニシアは初めから自分を見捨ててはいなかったのだと、それに気付いたのがあまりにも遅かった故に。

 勝手な妄想で卑屈になり、感情に任せてどうにかしようとしていた。

 対峙する世界の守護者の事など何も考えていなかった。

 これではまるで子供、いやそれ以下だ。


 ――頭上に影がかかる。遥かな威圧感が押し寄せてくる。


「失せろ」


 頭上で大規模な爆発が起きた。

 砂が降り注ぐ。

 巨大な掌が側の森に落下した。


「ゆづきに……力を貸して。そしてわたしの代わりに……」


 そう言いゆづきは腰に差していたもう一本の短剣をキュデアに押し付けた。


「今のシグニアならゆづきと通じ合える……お願い……」


 キュデアはゆづきの手からそれをもぎ取った。


「あんたはもう……独りじゃない」


 安心した顔を見せると黒姫の意識は途絶えた。


「この体、意外と馴染みやすかったのに」


 元は眠りを妨げられ、その目覚めの途中で吸収されたのだった。

 世界が虚無に還り、真に終わりを迎えるその日まで封印の中に閉じこもっているつもりだった。

 それなのに自分がこの世界でこうしているのは運命か、はたまた単なる不幸なのか。


「笑えるよね、リンデル。君がいれば全て明確だったのに」


 キュデアは短剣で自身の腕に浅く傷をつけた。


「さよなら……ごめん」


 流れる血を指で掬い、そして短剣に擦り付けた。

 キュデアの中から光を纏いシグニアが地に足をつく。

 抜け殻となり転がるキュデアはその内目覚めるだろう。

 シグニアはキュデアの手から短剣を拾う。

 その途端剣身は黒くなり、血の染みは変容し幾何学模様を剣身に刻み込んだ。


「僕はもう、独りじゃない」


 シグニアはゆづきを認めた。

 互いの耳に同じ装飾品が現れた。

 この耳飾りはゆづきの右手中指にあるサニシアの指輪と同じ要領の物だ。

 紅の光を仄かに放つ耳飾り。シグニアはその中に入って行った。

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