希望に禍う不幸の星―4

 淫魔族ユリュナとは狩りの種族である。

 それは対象の生物から特定の気を吸収しなければ生き続けられないからという宿命のせいであり、これまで誰一人としてその宿命に背こうとしなかった。

 なぜならばそれが運命だからと受け入れているから。

 そしてその概念を変えられるのはそれを創り上げた星神族グレヴィラントのみというのを知っていたからでもある。


 これまでどれだけの数が吸精不足という問題で倒れてきただろうか。

 本来なら淫魔族ユリュナの繁殖力は人間族と同等であり、少なくとも他の人間派生の種族よりは数が多いはずなのだ。


 だがどうだろうか。

 現在この地に住む淫魔族ユリュナは友好派と王族派を合わせた人数しかいない。

 下手をすればグリシニアにいる他種族よりも少ない数だ。


 翼と尻尾、そんなのは魔法や魔術を使う人間からすればもはや飾りでしかない。

 魔法があれば翼が無くとも飛翔でき、魔術では催淫のフェロモンなんて簡単に再現できる。


 人間族と淫魔族ユリュナの絶対であるはずの差は埋まり、そこに残ったのは吸精しなければ死ぬという課題だけだった。


 やがて時が流れ、一際能力の高い個体が淫魔族ユリュナに現れた。

 それは王だった。

 幼いながらも、苦難の日々を過ごしていた淫魔族をまとめ上げ、その落ちぶれた種族を率いて他種族へ襲いかからせた。

 なぜ話し合いではなく戦闘を選んだのか、無論積年の恨みを晴らすためである。

 それは人間族だけのものではなく、様々な種族から向けられていた嘲笑の全てへ対してだ。


 その頃から淫魔族こそ種族の頂点の可能性を持っていると考える王族派、平和に事を納めようと考える友好派に別れた。

 当然ながら王族派には戦闘力が高い者達が集った。

 それ故に、本当に秘められていた王族の才を発現させる者も少なからず存在し、非戦闘的な友好派は王族派から虐げられることとなった。


 劣等種、落ちこぼれの腰抜け集団。

 最初の王は冷酷だった。

 徹底的に王族派という淫魔族の集団の強さを世界に知らしめ、数年前とは打って変わって今度は淫魔族とは誰も彼も恐ろしい者しかいないという認識になった。


 時が流れ現在、王族派に受け継がれてきた矜持は打ち砕かれた。

 たったひとり、王族の才を有する歴代最強の女淫種サキュバスによって。

 王族派のほとんどが死を以って一新された。

 彼女はこれから王族派も友好派も、隔ての無い一つの淫魔族ユリュナとしての王であり、遠い昔に離れ離れになった姉との日々を取り戻すという強い意志があった。


 その秘めた悲願が遂に叶おうとした矢先、彼女は自らの力の足しとして吸収した神にその身を乗っ取られた。


 それがたった今。


 ◇◆◇


 モエは全身が炎に巻かれたかのような名状し難い感情に身を焦がしていた。

 この気配はグリーシャの纏うような生温い神聖気などではない。

 肌がひりつくほど濃厚で重苦しい。

 これが本当の神。

 紛い者とはまるっきり違うが、どこか似通った風を感じる。


 空に浮かぶ1人の女性。

 先程まで自分達が戦っていた相手組織のリーダーではあるはずの者だ。

 そんなのがどうしてというのは後回しだ。

 こうなればモエがやるべき事はただひとつ。


「約束は果たすわ」


 この地での巡り合わせはきっと偶然ではない。

 運命が神樹に導かれ、終結へ向けての歩みが加速しているのだろう。


「エーデルエルと違うとは言え相変わらず吐き気のする空気だ」


 キュデアの瞳が妖しく光る。

 悪寒と殺気が場を支配した。


「……誰すか、あんた」


「セリ、マーシャ下がりなさい。これは私の使命だわ」


 今ここにはシイナがいない。

 モエだけで果たしてまともな攻防は成立するのだろうか。


「忌々しい……人間が!最も僕を忌み嫌ったクズの集まりが!」


 キュデアではない。

 怒りに我を忘れた神格が体を乗っ取っているんだ。


「人間……ね」


 キュデアは雷をモエに放った。

 神聖気のみで構成された通常ではあり得ない力を持つ魔法だった。

 もはや因子の力の及ぶ領域を超えている。


 バチッ!!!


 雷はモエに触れる寸前に弾けて消えた。

 何事も無かったかのようにモエはキュデアを見据える。

 その目を見てキュデアは震えた。


「……!人間が!バカにしやがって!!!」


 キュデアが手をかざす。

 モエの四方八方に魔法陣が現れた。

 魔法陣の中心から鋭利な物体が頭を出す。

 光の槍が飛び交った。


 その中で僅かに身を動かして回避、身体に触れたものは全て霧散。

 キュデアの攻撃は何もかもモエに効いていない。


 ため息を吐いてモエはキュデアに接近する。

 その間に何度も攻撃を受けたが、それによってモエがダメージを負うことはなかった。

 そして目と鼻の先にまで近づいた。


「生憎、人間じゃないのよ」


「なにぃ!?」


「あんたをある人の所に連れて行くわ。そうすれば彼女の目的が達成に近づくはずだから」


 もちろん用があるのはキュデアではない。

 その内側に潜む者だ。


「ふざけるな!お前が人間じゃなかろうと僕はこの世界を許さない!」


 そう叫びキュデアは腕にありったけの神聖気を宿した。

 なるほど。世界を滅ぼす気なのかこれは。


「無駄よ」


 モエはその腕を掴んだ。

 途端に神聖気は蒸発し、腕には単なる魔力だけが残った。


「神聖気を消した!?なぜだ」


「簡単よ。私が――」


 ◇◆◇


 風に髪がなびいている。

 背中に誰かの支えを感じる。

 自分は今仰向けに寝ているのか。

 目を開く。

 黄昏時の朝空がそこにはあった。


「ゆづき」


 この人は、友好派の。

 それと白髪の子もそこにいる。


「えっと……ありがとう」


 浮遊魔法をかけて赤毛の子の腕の中から抜ける。


「ゆづき、本当に何も覚えてないんすか」


「まだ聞く?あたしはあんたらを知らないって言ってるじゃんか」


「……そう、っすよね」


 ゆづきが悪いのか?

 ありもしない事を吹き込まれているのではなく、ゆづきの記憶が無いのが悪いのだろうか。

 分からない。


「あっ、どこ行くんすか!」


 その声が聞こえる頃にはもうゆづきは進み出していた。

 そしてその声には応えなかった。


 少し向こうの空域で、今は密着して動く様子が無いが恐らく戦っているであろうキュデアと金髪の子の下へ。

 いや、あれはキュデアではない。

 不幸の星神シグニアだ。


『これが最後の戦いになるはず。シグニアを止めることが出来なければ……』


「分かってる。あたしが救う」


 シグニアは孤独で満たされた過去を持つ者。

 幼くして両親に先立たれたゆづきにははづき達がいた。

 境遇や生い立ちが違えど、その孤独をゆづきは知っている。


「黒姫の願い、シグニアの理想。全部ひっくるめてあたしのものにする」


 ゆづきはもう迷わない。

 世界を混沌に陥れると決めた過去の自分に誓って。

 平和という盾を壊し、世界中の人々に教えるのだ。


 脅威とは、死とは。

 予兆もなく訪れ当たり前の日常をいつだって奪い去る事ができる、と。


 単に世界を滅ぼしたい、掌握したいなどのひとりよがりのくだらない混沌などゆづきが許さない。

 漠然とした目的で世界を救いたいと思うのならゆづきが潰す。

 確固たる決意で相対する者がいたのなら、譲れない信念の為に戦おう。


 全ては願いを叶える為に。

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