希望に禍う不幸の星―3

『君は、分かる。確か王に仕えていた』


 ほら、思い出した?


『僕は不幸のシグニア。覚えてるかな』


 ――ゆづき、起きて。


 心臓が跳ねた。

 真っ白な果てしない空間、水の中にいるような違和感。

 目を開くとそばに黒姫がいた。

 その視線の向こう、ぼんやりとした姿の男の子が立っていた。

 地面に着くまでの灰の長髪、質素な布を身に纏い気の弱そうなその顔をこちらに向けている。


『久しぶりだねサニシア、なんでまだ生きているんだい?』


『それはこっちの台詞なんだけど。なんで生きてるのシグニア』


 これが黒姫が言っていた星神族グレヴィラント

 想像よりも案外普通の人間の子供に見える。


『なんでって、君達が僕を必要としないから自分から世界を去ったんだよ。まあそれもついさっきまでで終わったんだけどさ』


 シグニアは黒姫に歩み寄る。


『今がいつなのかは知らないけど、どうやら色々と状況が変わってるみたいだね』


『来ないで』


 そう黒姫は言い放った。


「おいそんな言い方……」


 この2人の関係は何も知らないが、とにかく知り合いだったのならばそう邪険にする必要もないだろう。


『……その態度だけは変わらないんだね。やっぱり僕はいつだってこの世界にいてはいけない存在なんだ』


 踏み出した足を引き、シグニアは哀しげな笑みを浮かべた。


『まだ君らはマシだった。でも他の人にとって僕は邪魔者。だって不幸を呼び寄せるから』


 黒姫がシグニアを拒絶した理由がなんとなく分かった気がする。

 存在するだけで嫌われる者、常にどこにいても白い目を向けられる。

 そんなの酷すぎる。


『そうだ、さっきグリーシャの枝が落ちてきたでしょ?あれは僕がやったんだ』


 光の消えた目、どこか何かを諦めているような、そんな感情が見て取れる。


『わざとじゃないんでしょ。それに戦いも終わったから気にすることないよ』


『わざととか、間違うとかそんなんじゃないことくらい知ってるでしょ?僕は不幸という概念そのもの。例え平和であっても世界に混沌の火種をもたらすんだよ』


 だから生きていてはいけないんだ。とシグニアは続けた。


星神族グレヴィラントは不死身の種族。だけどいつの間にか僕以外みんないなくなってた。ならば死ぬ方法があったんだよね?ねえ!?』


 最後の星神はその目に涙を浮かべた。

 嗚咽を抑え、我慢してゆづきと黒姫を交互に見た。


『殺してよ!僕がいなければ世界から不幸は無くなる。ずっと平和な世界、エーデルエルのような楽園の日々が永遠に続くんだよ!』


『逃げるなよバカっ!』


 黒姫がシグニアに殴りかかった。

 もつれ、倒れ込み、それでも黒姫は馬乗りになってシグニアを叩き続けた。


『確かにあんたは理不尽に嫌われてた。でもそれを受け入れてみんなの思い通りに自分の在り方を見失ったのは紛れもなく自分でしょ!もう世界に残された最後の1人だって知って、開き直って都合良く死のうとするな!』


 黒姫とシグニア。

 かつてこの世界に在った星神族グレヴィラントという伝説の種族の一切をゆづきは知らない。

 亀裂も、因縁も、それぞれが馳せる想いの何もかもの次元が違う。


『黙れよ!こんなの願いが何でも叶う君には理解できない苦しみさ』


『分かるよ。全部失って、世界への絶望と嫌悪にその身を堕とした人がいるから』


 そう言って黒姫はゆづきに視線を流した。

 まさか今言ってたのって自分か?

 それならば最悪の紹介だ。否定はしないが。


『ねえシグニア、この世界は滅びるべきだと思う?』


 黒姫はシグニアから降りた。


『……分からない。星神族グレヴィラントが誰もいないこの世界はきっともう壊れかけだから』


『そう。あのね、少しだけゆづきの話を聞いてほしいの。平和を壊して世界を作り直すって誓ったその想いを』


「黒姫……」


 ゆづきは異世界に来てから普遍的な生活を送っていた。

 かつて心に根差した闇も衝動も、ほんの少しの憧れた生活により全て忘れていた。


 ――本当に忘れていたのか?


 現世ならあの誓いは変わらずずっと抱いていたのか?

 違う。ゆづきは目を逸らしている。


「うっ……」


 激しい頭痛がした。

 覚えているか、あの頃の記憶を。

 思い出せるか、その時の想いを。


 来るな。


 ゆづきからではない。

 過去が勝手に脳内を侵してくる。


『穢れてるんだね、その人の過去』


『な……なんで!?こんなのおかしいよ!』


 ハッと何かに気付いたかのように黒姫はシグニアを見た。


『……やっぱり僕を疑うんだね』


『ちがっ……そんな気は』


『サニシア。君は違うと思ってたよ。でも結局は悪い出来事が起これば僕に疑いの目を向ける』


 亀裂が深まり、超えられず埋まることのない溝が生じた。


『察しの通り、その人がおかしいのは僕の不幸の能力が働いたから。黒姫の気持ちに反して作用したみたいだね』


 クククッ……と気味の悪い笑いでシグニアは手で顔を覆った。


『ああそうだよ。なんでこうしなかったんだろう。あの時も、初めから混沌に堕としていれば……!』


『何考えてるのシグニア!いいからゆづきを元に戻して!』


「うぅ……」


 ゆづきは座り込み完全に戦意を無くしている。

 ただ苦しそうに頭を抱えているだけだ。


『戻す?不幸が呼び寄せたのはきっかけだけ。それに押し負けそうになってるのはその人じゃないか』


『じゃあゆづきはまだ過去から立ち直れてないって言うの……!?』


『知らないよそんなの。それはともかくさ、決めたよ黒姫』


 白い空間がひび割れる。

 悪意が滲み、真っ黒な穢れが場を埋め尽くしていく。


 シグニアは笑う。

 狂い、歪み、理不尽に、最高にして最後の星神として。


 ――今、星神シグニアは復活した。


 溢れる神聖な魔力。

 それとは別にこの場にはシグニアから生まれた穢れが存在している。

 もはや正気の沙汰ではない。

 今のこの世界に本物の星神が降臨すれば何がどう崩れるか分からない。

 それにシグニアが司るのは『不幸』だ。

 それを打ち消すことが出来るのは幸福か、あるいは……


『逃げるよゆづき!』


 黒姫はその手にサニシアを召喚し、空間に裂け目を開いた。

 ここはシグニアの意識の中。

 黒姫だってこのまま居座れば命を落としかねない。

 黒姫はゆづきの手を引き、無理やり立ち上がらせた。


『サニシア、まずはお前からだ……』


 悪魔のような呻きだった。

 黒姫は心臓を掴まれるような苦しさに襲われながらも、息を切らして必死にゆづきと外へ脱出した。


 ◇◆◇


 目覚めよ。

 生ける伝説をその身に宿す者よ。

 時は来た。

 今こそ世界を混沌に堕とすのだ。


 ――キュデア・トアル


 この者もまた、暗く辛い過去を背負う。

 その人生を一言で例えるなら正しく不幸。


「ちょっと、大丈夫すか。おーいゆづきー」


 目を開けば見知らぬ少女達に取り囲まれていた。

 だがその目的は自分ではなく、その隣の共闘者。

 どうやら意識が無いようだ。


「そっちの人……あ、起きてる」


 この子の仲間か。

 ならば共闘の関係はここでおしまいだ。

 自分は早く友好派に話をつけてこの諍いを止めなければならない。


 ――ダメだよ。君は僕の器になってもらうんだからさ。


 ドクリ、時が停止して思考も心臓も同時に止まったかのような感覚に陥った。

 強烈な目眩、視界が歪み意識が混濁する。


「誰……ですか」


 本当はそんなこと訊かなくても分かっている。

 奪われそうな意識を繋ぎ止める。キュデアがキュデアでいられる為に、今は抗うことしかできない。


「そうですか、あなたの望みはそんな事でしたか」


 この体の中にいるそいつが何を考えているかは宿主のキュデアにも伝わってきた。


「確かに私はあなたの力を求めました。ですがそれはあなたの望みを叶える為ではないのですよ」


 例え相手が神であろうと屈するわけにはいかない。

 自分はまだ本懐の姉との再会すら果たしていない。

 ようやく争いが収まり、これからゆっくり話し合いで解決へと向かうのだと思った矢先にこんな事になってしまっては頭が痛い。


 この衝動に呑まれてしまえば自身はおろかこの世界ですら危ういだろう。

 いや危ういなど可愛い表現かもしれない。

 もし未来が消え去り全てが死滅するのならば、その運命の時は今なのかもしれない。

 あらかじめ定められているはずの道を歪め、その強制力で終焉をもたらす力がこの神にはある。


「幸せになるために不幸という犠牲はあるべきものです。ですがあなたが導くのは一方的で理不尽な不幸」


『お前に何が分かる』


「ようやく口を聞いてくれましたね。まあ私からあなたを取り込んでおいて言うのもなんですが、特にあなたについては知りません。私は力が欲しかっただけなので」


 あの組織のリーダーは言っていた。

 始まりに在り、終極を迎えるのは神も人も同じだと。

 元来キュデアに備わるこの特別な力はかつて星神が有していたものであり、もしこの不幸の星神を討伐するのなら、それはこの力を持つ者にしか成しえないだろう。


「少しの間でしたが助かりましたよ。でももうあなたは用済みです。すみませんね」


 自己中心的な思考。

 しかし食わねば食われる。

 力とはそういうものだ。


『用済み……?僕が?お前から僕を求めておいてそれが答えなのか……』


 まあそう来るだろうな。というのが正直な感想だ。

 王族派のみならず神すらも私欲の為に利用すればその報いは必然的に巨大なものとなる。


「はい。なのでどうか出て行ってください。私のこの力は全て差し上げますから」


『知らない、知らないよ!僕はもう嫌だ!独りにはなりたくない!』


 脳が重くなった。

 景色から色が消え、目から血が滲んだ。


『僕を必要としない世界なんて……』


 ああ、なぜ不幸とは誰からも求められないのだろうか。

 答えは単純明快。

 それが辛い出来事だからだ。

 好き好んで辛い境遇になる者はいない。

 それこそが、それだけでこの問いの答えになるだろう。


『――みんな死ねばいい』


 嵐のようだ。

 心の中で様々な感情や思考がぐちゃぐちゃに混ざり、それらを押し殺すことに慣れたキュデアでさえ押し込めるのが不可能だった。


「ぐっ……!」


 あまり使いたくないのだが、特別な力とやらを熾してこの嵐に抵抗する。


『ここはグリーシャの影響がある。それに加えて王の魔力を熾すとは愚かにも程度があるよ。本当に抗う気はあるの?』


 なるほど。この力は神樹グリーシャと同じものなのか。

 そしてその魔力をこの神は原動力にする。

 僅かな絶望を覚えた。

 自分は判断を誤ったのだ。


『さよなら、愚かなお前。これからは僕の器だ』


 巨人がその手で羽虫を地に叩き落とすような、そんな完膚なきまでの圧倒的な暴力。

 例え淫魔族ユリュナの中で最強であっても、この神の次元では足元にも及ばないのだ。


「姉……さん」


 会いたかった。

 でもこの世界の未来にはもう、何もかも残されてはいない。

 破滅も混沌も不幸も等しく降り注ぎ、そして血と悲鳴が飛び交う恐ろしい世界が訪れるのだろう。


 キュデアの意識は不幸の神に呑まれた。

 彼女が持っていた力の全てはシグニアに奪われ、シグニアは手にした力で唯一であり絶対的な星神族グレヴィラントとして顕現を果たした。

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