始まる災厄

「では、始めます」


 地下深くにある祭殿。

 その卵は限界まで膨張し、今にもその闇の殻を破り中からおぞましき怪異が出てきそうな雰囲気である。


「アザルア様。前へ」


「うむ」


 王族派のリーダー、アザルアは深い呼吸を何度もした。

 肌にさえ伝わってくる異質な魔力。

 それを眼前にして流石に緊張しているのだろう。


「最初で最後、この俺が魔力を与えることによってこいつは孵化する」


「重要なのはそこからです。アザルア様自らその孵化した者を取り込んでその身に宿していただく。ここまでやって儀式は成功と言えます」


 アザルアは手をかざした。

 皆まで言われずとも段取りは心得ている。

 手っ取り早くこれをモノにするつもりだ。


「万が一の時は頼んだぞ」


 キュデアは静かに頷いた。

 そしてアザルアから離れ、群衆へ混じった。


「さあ、目覚めよ。俺の世界はお前を必要としている」


 無。

 目を閉じ、心を空っぽにして魔力を帯びる。

 それを求めるように卵から触手が伸びてくる。

 背後がざわめく。触手がアザルアを覆ったからだ。


「大丈夫なのか……」


 そんな声が聞こえてくる。

 一方ざわめきに紛れるキュデアはアザルア、ではなく卵を凝視していた。

 その横でアザルアが今、完全に触手で形成された被膜に包まれた。


 ――今だ。


 キュデアは群衆から飛び出して卵の下へ駆けた。

 そしてアザルアへ伸びる太い管へ手を刺した。


「キュデア!何をしているんだ!」


 幹部のひとりが声を荒げた。


「このままではアザルア様は過剰な魔力を注がれて死にます。その対処です」


 その言葉により群衆のざわめきは激化した。

 自分達が最も信じ崇めてきた人物に対して死ぬと言われた事への反発、キュデアへの暴言が飛び交い始めた。


「静まれ!キュデア、それは本当なんだな」


「ええ」


「対処とは何だ」


「現在アザルア様に注がれている魔力を一時的に私にも共有しています。後にアザルア様が新しい力に馴染んだらお返しするつもりです」


 いつしかキュデアは幹部全員に囲まれていた。

 総じて疑念の眼差しである。


「ならば俺達にもやらせろ」


「残念ですがもう余分な魔力が無いので助力は不要です」


「いくらお前でもそれは通らない。この意味が分かるか?」


「さあ」


 チッ……とあからさまに嫌味な舌打ち。


「残念だキュデア。こんなところでお前を失う事になるとはな」


 その幹部は殺意と魔力を宿した。

 ゆっくりとキュデアとの距離を詰める。


「以前からお前に反逆の意志があるのは分かっていた。それを放っておいたアザルア様も多少問題だが、今はまず反逆者の始末が優先だ」


「なるほど……」


 キュデアは片手だけを幹部へ向けた。

 もう片方は管へ刺しているままである。


「舐めるなぁっ!!!」


 急発進の攻撃。

 頭に血が上っているから初めは単純な拳のみだった。

 しかしその表面には薄く魔力が込められていた。

 これを食らえば間違いなく頭部の形が歪むか、当たりどころが悪ければ死ぬ。


「舐める?どの口が言ってるんですか」


 拳がキュデアの鼻頭に触れようとした刹那、幹部の腕が千切れた。

 その途端、群衆が口々に何かを叫び出した。

 キュデアを殺せ、負けるな。など幹部の味方しかいないようだった。


 その幹部は肩から滝のような血を流している。

 だがそこは王族淫魔、苦痛に顔を歪めながらも次の一手を講じている。


「やりますね」


 傷口を火の魔力で焼いて止血する幹部。

 睨んだ瞳に鈍く仄暗い輝きが見える。

 あれは淫魔族ユリュナ以外にもそれなりの種族が主に戦闘時に使用する、いわゆる特別な力を発現させる眼力だ。

 その効果の大半は。


「らぁっ!!!」


「学びませんね」


 身体能力の向上。

 残る拳で突進してきた幹部のその腕がまた弾けた。


「私を殺そうとしたからにはあなたもそれなりの覚悟は出来ているのでしょうね」


 キュデアの瞳が同じく鈍く輝く。


「終わりですよ。こっちもね」


 管に刺していた腕を引き抜いた。

 これによってキュデアの本懐がひとつ成された。


「くくく……あっははははは!」


 体が軽い。魔力が満ち満ちる。

 これが星神族グレヴィラントの魔力なのか。

 なるほど、確かにこれは〈エデン〉のリーダーが言っていた通り王族派の誰の手にも余る代物だ。

 そうただひとりキュデアを除いて。


「弱小なる者共よ、私に従いなさい」


 ぞくり、場の空気が凍てついた。

 燃え盛る反感の意思は未だ誰しもの胸にある。しかしこの眼前の恐怖に対して膝が笑うのだ。


 両腕を失った幹部は倒れたまま起きない。

 ならばこちらの最強の味方はどうなのだ。とその場の全員が思った。


「聞こえませんでしたかね?」


 キュデアはアザルアを覆っていた被膜を蹴った。

 薄い殻がひび割れ、中の様子が明らかになった。


 ――アザルアがミイラになっていた。


「どの道この魔力に耐えられなくて死んでましたよ。ま、耐えたところで私が魔力と生気を吸収して殺してましたが」


 そう、先程管に腕を刺していたのはこのためだったのだ。

 万が一アザルアが生きていた時の予防線。

 放っておいても死んでいただろうが、それだとアザルアから魔力を回収するという手間が発生してしまうので、このタイミングでしか力を奪えなかったのだ。


 魔力と生気を奪い尽くされ抜け殻と成り果てたアザルアの醜悪な姿を見て誰もが畏怖した。

 それはキュデア、王族派の計画の全てを狂わせた女へ向けられた。


「私はキュデア・トアル。神の魔力をこの身に宿した、王族派の新たなる主たる者」


 キュデアは思った。

 これでようやく果たせると。

 虚空に誓ったあの日の願いを、今ようやく現実にしようとしている。


「いいですか。今この時を持って王族派はその全ての武力を凍結させます。異論は無いですね」


 沈黙。無理もない。

 突然組織の頭が変わり、さらには武力を捨てると言い放ったのだから。


「何が目的なんだ」


 恐る恐る開かれた口からキュデアに問われる。


「目的?まあそれは人助け。あるいは私達の過去を取り返すため。ですかね」


「私達って……お前の他に誰がいるんだ」


「――姉、ですよ」


 その瞳の奥は妖しい光が揺らめいて、かつて過ごした姉との緩やかな日々が映し出されていた。

 子供の頃、アザルアの先代の王族派リーダーにより散り散りになってしまった家族。

 両親は殺され、姉は淫魔族ユリュナの才能が無いとその場で見極められ谷底に棄てられた。

 唯一残された妹のキュデアには王族派に従う他選択肢は無かった。


 それも昔の出来事だ。

 その時からキュデアは王族派への憎しみを絶やしたことはない。

 目の前で殺された両親、谷底に棄てられた姉への想い。

 いつか大きくなり力がついたら復讐するのだと、その野心はアザルアにも、その先代にも見抜かれてはいたのだろう。

 それでもキュデアを生かしておいたのには復讐という巨大なリスクよりも大きな価値があったからであろう。


 それはつまり淫魔族ユリュナとしての素質、才能などと言った単純なものである。

 幼少ながらも王族派の上位に君臨し、人間族や友好派との諍いに巻き込まれた。

 いつだっただろうか、死んだとばかり思っていた姉が友好派にいたのを知ったのは。


「私は過去を取り返す。そして王族派も友好派も終わらせる」


 沈黙を破り群衆はどよめいた。

 王族派も友好派も終わらせる?どういう事だ。最悪のエゴだ。アザルア様がいれば。

 色々と聞こえてくる。


「怖がらなくても良いですよ。他種族をゴミのように見下す王族派も、問題を先延ばしにしてのうのうとしている友好派も、全部私が変えますから」


 生まれる憎しみ。

 消える希望、潰える光。

 世界はここで一旦混沌に堕ちるのだ。

 そう、不幸は願いの通過点。

 つまりその先には楽園が待っているはずだから。


「だから告げます。私は淫魔族ユリュナの王であり、秩序であり混沌であると。我々の争いの火種は全て消し、殺戮の愉悦にではなく共に歩む未来に笑える。新たな世界にしましょう」


 その復讐者は怪しい笑みを浮かべた。

 先程までの澱み穢れきった空気を吹き飛ばし、聴く人々の心に僅かに安寧を求めさせた。


「そ、そんな事出来るはずがない!王族派と友好派がどれだけ恨み合っているか、知らないとは言わせないぞ!」


「そういうのが見下してるって言っているのですよ。先程述べた私の理想、聴いてなかったとは言わせませんよ」


 どこからか飛び出たその罵声も、キュデアの一言に御されてしまった。


「私は鬼でも悪魔でもありませんが、自分の目的のために王族派を利用してさらには積み上げてきた全てを捨てさせようとしている。だからこの場の全員に恨まれていてもおかしくはありません」


 そうしてキュデアは干からびたアザルアに立ち寄った。


「でもこの意思は変える気はない。全ては必要な犠牲であり、それ以外の無駄な犠牲はなるべく出したくないんですよ。分かります?」


 静寂。

 異論を言えないだけか、キュデアの意向に従うと決めたか。


「これから友好派の拠点へ全員で向かいます。これまで見下してきてごめんなさいこれから仲良くしましょうと、頭を下げるのです。今どき子供でも出来ますよ」


 ねぇ?と幹部達へ目をやった。

 口をひん曲げ、不服の態度でそれは無視された。


「さて、和平を望む賢い人はついて来てください。それ以外の人は戻り次第、反逆者として捕えますので覚悟しておいてください」


 そう言い残しキュデアは祭殿を出ようとした。


「そうそう、言い忘れてたというか、もはや言わなくても分かりますよね?私は歴代のリーダーの中で最も強いですよ」


 最後に脅す目的で激烈な殺気を放った。

 そして踵を返して今度こそ祭殿を出た。

 ツカツカと背後にいくつもの足音と気配がする。

 大半の者はすぐについて来た。

 残りは、それからかなり遅れて重い足取りでついて来た。


 なるほど。全員が従うと決めたか。

 これならばわざわざ不幸の神を宿したのも、いや、この力があるから決心をつけさせられたのか。

 下劣な生き方をしていても自分が死ぬのだけは誰しも嫌なのだな。


「……ふっ、最低ですね」


 誰にも聞こえないような声でそう囁いた。


 ◇◆◇


 ドクリ、ドクリ、ドクリ、心臓が高鳴る。

 幾千万年の時の停止は終わりを迎えた。

 誰かが自分を求め、求められたから自分は目覚めた。

 ひどく億劫な気持ちである。


 またロクでもない事になりそうだ。

 自分の周りではいつも不幸しか起こらない。

 そこから冠した名は『不幸の星神』。


 ――これは、誰かの意識に繋がれているのだろうか。


 暗い陰気な石造りの部屋、翼と尻尾の生えた種族が大勢いる。

 嫌だなぁ……

 戦うことも、生きていることも自分の使命ではないから、こうして殺気の飛び交うところは好きではないのだが。


 不幸だ。


 人の腕が弾け飛び、さらには干からびた死体。

 血の臭いが鼻につく。


 ああ、またか。


 また誰かが死に、そこに自分が関与するのだ。

 何の為に自ら姿を消したのか。

 果てしない深海へ沈み、孤独の闇と共に封印を施したのは無駄だったのだろうか。


 消えたい。

 不幸という概念そのものであり、神として世界に縛られている以上死は選べない。


 まだ目覚めたばかりで独立するための力が不十分だ。

 何か、都合の良い魔力が補充出来ればこんな肉体も抜け出してまたひっそりとどこかへ消え行くつもりなのだが。


 もし他の星神に見つかったら面倒だな。


 なんとなく今が封印から永い時間が過ぎているのは分かる。

 だが今見ているこの種族は知らない。

 きっと外も昔よりはだいぶ変わっているのだろう。


 はぁ……


 無い口でため息をついた。

 不幸の星神はぼんやりと意識を沈めた。

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