ふたりの望み。消える今。―3

「な……なっ!」


 ミシュが絶句している。

 無理もない、目の前で親しみを持っていた人が死んだのだから。


「モエ!勝手な事を……!」


 マーシャは睨み殺すような鋭い眼でモエの胸ぐらを掴んだ。


「やらなければやられてた。そうでしょう?それにここは他所の領地よ。あれを見逃せばこれよりも惨事になって大問題になってたわ」


「だからって簡単に仲間を殺すなんて!」


「仲間の間違いを正すのが仲間の役割よ」


 モエの主張は何も間違っていない。

 確かにあのままゆづきの魔法を発動させていたら今頃どうなっていたか。

 その予想もつかないほどの強大な力を感じた。


「くそ!」


 マーシャは乱暴にモエを突き放した。

 行き場の無い憤怒をテーブルを殴ってぶつけた。

 準神器フレイシカルの加護によりテーブルにひびが入るもマーシャは無傷だった。


「もっと他になかったんすか……」


 血溜まりの中に沈むゆづき。

 サニシアはそのそばで弱々しい光を明滅させていた。


「無かったわね。声が出ないように喉を傷つけたところで致命傷、それ以前に魔力を全て注がれかけてた時点でアウトだったわよ」


 シイナに関わると早死にする。

 いつかどこかで聞いた話だ。

 その意味の多くは戦死。

〈イデア〉として世界を救い守るためにその身を賭して戦い散る可能性が何よりも高いからいつからかそう囁かれている。


 それは今回とて例外ではない。

 ゆづきがしようとしていた事は明らかな反逆、世界を救うための力を逆の目的で使おうとしていた。

 そして仲間内での戦闘に敗れ、その命を落としてしまっただけの話だ。


「ならどうするのが正しかったんすか!」


 ただ行き場の無い感情を撒き散らす。


「いつまでも煩いわね!そんなに反逆者の肩を持とうと言うのならマーシャ、あんたにも同じ処分を下すわよ」


「そうやって自分を正当化して……モエはもっとマシな考え方をしていると思ってたっすよ」


「なら今から考えを改めなさい。私は温情や人情で手を緩めるような甘えた考え方は持っていないと」


 シイナの言うことが全て。

 忠誠を誓い、彼女の目的の為にモエは生きているようなものだ。

 シイナの苦悩は誰よりもずっとそばで見てきたモエにしか理解できない。

 そしてその苦悩から解放される日はすぐそこまで来ている。

 あと一歩、それだけなのに永遠に終わらないような気さえしてしまう。


「私はシイナを救わなければならないのよ……」


 この場において最も強いであろう存在はそうぽつりとこぼした。

 先程の戦闘、激しい魔力とそれぞれの思惑が交錯した結果、仲間を殺める決断をしたモエ。

 何も殺したくて殺したわけではない。

 友好派との関係、そして何よりも神樹グリーシャを守るために仕方なくやったことなのだ。


「面倒を起こしたのは謝罪するわ。ひとまずその死体を放置しておくわけにはいかないでしょうし、早めに片付けをしましょう」


 ひたひたと血溜まりを歩く。

 立ち込める血の臭い、赤茶色に染まる足下。

 モエは自身の責任としてゆづきの死体を担ごうとしゃがみ、その腕を取った。


「――うそっ!?」


 心臓が飛び跳ね、反射的に後ろに退いた。


「……まだ生きてる」


 ――ゆづきのすぐそば、サニシアは願いの輝きを失ってはいなかった。

 煌々と輝き、光の果てにその願いを叶え続けていたのだった。


 ◇◆◇


 ……行かないで!


 わたしを独りにしないでよ!


 その叫びは誰の耳にも届かない。

 間接的に貫かれ、死ぬほど苦しい胸をギュッと握って必死に願った。


『ゆづきはわたしが死なせないから!』


 あの時、自分がゆづきの中から出るのが少しでも遅かったらどちらも死んでいただろう。

 10分、恐らくそれが黒姫の活動限界。


『今はわたしがゆづきになるから』


 起きないゆづきの意識。

 抜け殻と化したこの肉体を少しだけ借りさせてもらおう。


 ◇◆◇


 骸が床に腕をついて立ち上がった。

 ボタボタとこぼれ落ちる血液。

 その手にはサニシアが握られている。


「そう、死なないように願ってたのね」


 モエは全てを理解して不敵な笑みを浮かべた。


「ゆづきはわたしが守る」


 サニシアが輝いた。


「来たれ、混沌よ」


 その光は黒く、妖しく。

 モエは肌が粟立つ感覚に襲われた。


「な、なに」


「外が!」


 ミシュは窓を開け、そこから身を乗り出した。

 その先には地獄のような紫空が広がり、まるで時が止まってしまったかのような静寂が訪れていた。

 月は歪み、紫空に浮かぶ星々は散り散りに降り注ぐ。


「まさか……穢れが」


 直後、ゆづきの背中から翼が生えた。

 輪郭の無い漆黒の翼は周辺の光を喰らおうとその闇を伸ばしては散る。


「うええぇぇええ!?!?!?ゆづきさん人間族じゃなかったんですか!?!?!?」


「バカ!ふざけてる場合じゃないわ!」


 あまりの事態の急変さに誰もがついていけない。

 暴走を始める異次元の混沌。

 この瞬間、モエすらも死を覚悟していた。


「わたしは世界を壊す。平和なんてどこにもないんだ」


 その身は錆びついた機械のように動く。

 血の涙を流し、穢れ高まる混沌の意思と過去己に誓った決意のみを孔の空いた胸に抱き。


 ――サニシアを掲げた。


「力を貸して、グリーシャ」


 可視化できるほどまでに集結する神聖な魔力の奔流。

 セリが、マーシャが、モエが、ミシュもニトも察した。


 ここまでグリーシャの力を利用できる者は間違いない。

 いやしかしそれはありえない。

 なぜならそれは遥か古に絶滅しているはずだから。


「な、なななな何事じゃこれは!」


 その時、勢いよく扉が開かれた。

 そこには背の低い初老の男性の姿が。


星精族グレヴィール!?」


 その男性だけではない。

 背後から続々と友好派の淫魔族ユリュナが部屋に押しかけてきた。


「ひょえー!?何やら凄まじい悪意を感じたと思ったらこれはなんだ!」


 その星精族グレヴィールは目玉が飛び出しそうな顔をしている。

 この場でただ1人緊張感の無い様子であった。


「まだ1匹しかおらんじゃないか!」


「……は?」


「何を言って……」


「お爺さん!1匹ってどういうことなの!」


「気付いておらんのか!王族派じゃ!」


 気が動転して勘違いをしているのではないのだろうか。

 確かに今のゆづきは明確な敵性存在ではあるが王族派ではない。


「何を言ってるんすか!ゆづきは王族派なんかじゃ」


「たわけ!いつものような小隊がそこらを浮浪しているのとは訳が違う。何か邪悪な存在と共に全勢力でこっちに向かって来ておるんじゃぞ!まさか伏兵まで仕込んでいたとは予想外だったが……」


「な、何を言ってるんすか!」


「何度も言わすな!目の前のこいつとは別に!今!王族派の全勢力がこちらに向かってきていると言ってるんじゃぁぁぁ!!!あ」


 顔を真っ赤に染め上げ頭上に湯気を立ち込めさせていた星精族の男性は興奮のあまり気絶した。


「王族派!?こっちは今それどころじゃないですよ!ゆづきさん!目を覚ましてください!」


「ミシュ!やめなさい!」


 ミシュは着実に魔力を蓄えていくゆづきにしがみ付いた。


「ほら、これで落ち着いてくださいよ!」


 そしてその尻尾をゆづきの口の中に押し込んだ。

 淫魔族ユリュナの特性、その尻尾から催淫のフェロモンを流し込み気を逸らさせる。

 もはや今のミシュに出来ることはこれしか残されていなかった。


「…………ギリッ」


「いっ!!!」


 薄々分かってはいたが効果が無い。

 咥えさせた尻尾は噛み付けられ、そして敏感な部位から伝わる痛みは激痛と名称できないほどの痛みだった。

 しかしそれでも頑張る。


「ミシュ!何をやってるの!」


 ニトが叫ぶ。


「ニトさん、ごめん。私はここまでのようです」


「ミシュまで何を言い出すの!?」


「最後に、あの子に会ったらよろしく言っておいてくださいね。お願いしますよ」


 ミシュはその手に雷撃を宿した。


「〈イデア〉の皆さん、短い間でしたがお世話になりました。最後にお願いです。ゆづきさんは私がなんとかしますからどうかここを王族派から守ってください」


 返答を待たず、ペコリと一礼をしてゆづきへ向いた。

 ミシュへの様々な叫びが背後を飛び交う。

 だがそれを聞いている暇は無さそうだ。


「さようなら」


 最大まで魔力で高めた雷撃をゆづきの身体へ押し当てた。


「――がああぁぁぁあああ!!!!!」


 効いている。

 チャンスは今しかない。

 ミシュはゆづきへ抱きつき、翼を広げて窓の外へ飛び立った。


 ◇◆◇


 紫空の真下。

 歪む月と降り注ぐ星々。

 ミシュは再び魔力を高め始めた。


「いつもなら死ぬ直前で意識を取り戻して独りで回復していたんですよ。でもああやって誰かに救われたのは初めてだったんです」


 腕の中で暴れ狂うゆづきは憎しみに染まった目をしている。


「知ってますか?最近は行き倒れてる淫魔族ユリュナには石を投げる風潮があるんですよ。罠かどうか見極められるためにね」


 ミシュの目から涙が散った。


「いつも辛かったんです。痛かった。怖かった。でも私はいつも死にかけだったから何も出来なかった」


 ――世界への憎しみが姿を薄めた。

 漆黒の翼もやがてその姿を消していた。


「えへへ……適応って怖いですよね。だって私は本当は痛いのなんて嫌だったのにいつの間にか慣れっ子になってたんですから」


 ――目を開くと目の前で女の子が笑顔で泣いていた。


『やっと起きたね……』


 この声は黒姫か?

 自分はこんなところで何を……


「そうしてたら私は壊れちゃってたんです。自分から使い捨ての駒になって瀕死になって、その度に道行く人から石を投げられて。そしたらゆづきさん達が来たんですよ」


 この子は自分を知っている。

 しかし自分はこの子を知らない。

 一体こんな空の上で何の話をしているのだ。


「石を投げるでもなく、ただ壊れて狂った私に付き合ってくれた。だからゆづきさんは私の命の恩人なんです」


 また涙が散った。

 心のどこかで温かな感情が芽生えた。

 誰かを救った。

 覚えてはいないがそれはとても、この子に手を差し伸べて良かったと思えた。


「だから今度は私がゆづきさんを救います!」


 女の子が発光した。

 すぐさま灼熱に覆われ、ゆづきは即座に身の危険を察知した。


「な、何!?サニシア!」


 とっさに叫んだその声は紫空に響き、その中心では大規模な爆発が起きた。

 悪い夢だったかと思わせるように世界を覆っていた紫空はその爆心地を中心に晴れ始めた。


 割れる雲。

 響く振動。


 黒宮ゆづきが引き起こした短時間の大動乱はそれを合図に幕を下ろした。


 ――しかし混沌が終止符を迎えたわけではない。


 不幸の凶星は遠い空の上で煌めいた。

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