ふたりの望み。消える今。―2
木製のマグカップにスープが入っている。
それがこの場に6つ、とても香ばしく腹の虫を鳴かせられそうなところを必死に我慢する。
なぜなら場の空気がそれを断じて許さなかったから。
「ともかく無事に帰ってこられて良かったですよ!ね!」
重苦しい空気に耐えかねてミシュが声を上げた。
しかしほぼ部外者のニトの反応が薄いのはともかく、モエもセリもマーシャもとても快い表情ではなかった。
「確かに無事だったのは喜ばしい事っすよ。でも」
「サニシアを持っていたなんて知らなかった」
ゆづきは気まずそうにスープを少し飲んだ。
「さて、まずはどうやってシイナの封印を破ったか聞こうかしら?それからなぜ言いつけを守らなかったのか、それと」
「うわぁっ!!!モエさん!やめましょうよそういうの!」
「なによ、今は〈イデア〉の話をしてるのよ。部外者は引っ込んでなさい、あとあんたも」
そう言ってモエはミシュとニトに指を指した。
その発言はどこも間違っていなく、むしろよく考えればなぜこの場に友好派の者がいるのかという問いになる。
「まあまあ、第三者の意見も必要かなと思いまして」
ニトは落ち着いた様子で笑ってみせる。
ミシュもそれに乗じて思い切り頷いている。
「はぁ……調子狂うわね。まあいいわ、まずはさっきの質問に答えてもらうわよ」
そうしてゆづきは全ての視線を集めた。
やはり気まずく、緊張で味の感じないスープを口に含んで生唾と共に飲み込んだ。
だがゆづきには黒姫がいる。
そしてモエなら黒姫の言葉を聞けるはず。
それを知っているから今は緊張だけで済んでいる。
「その前に少しいいかな」
ゆづきは一言断り、指輪に意識を傾けた。
そして自身の中にいる黒姫を呼んだ。
「………………あれ?」
しかし反応が無い。
「何してるのよ」
「いや、サニシアから証人を呼ぼうかと思って」
「言っておくけど、この空間での神器および準神器系は全て機能しないようにしているわ。私達の記憶を塗り変えるように願われないようにね」
「そんなことしないよ!」
非常にまずい状況になった。
神器が機能しないようにしている仕組みは不明だが、そうなればサニシアを介しての黒姫召喚が不可能になる。
それにまさかとは思うが、この統合されている意識下においてゆづきは起きていて黒姫は寝ているなんてことはあるまい。
二重人格ではなく別々の意識だからそれは無いとは思うが。
「念のためよ。まずは自分の口で語りなさい。必要と判断すればサニシアも使わせてあげるわ」
緊張なんてものは迫ってくる焦燥感により消え失せた。
どうすればこの場を乗り越えられる?
どうすれば全員が納得する説明ができる?
鼓動が早まり目眩がしてきた。
「あたしがモエちゃんと森で戦った時に誰かの声を聞いたよね」
そう言ってモエを見る。
黒姫が初めて現れたあの時、モエを退かせたのは黒姫だった。
「ええ」
「あの声の子がどこからかサニシアを持ってきたんだよ」
「その例の精神体が現れたのはあの時よね。サニシアを封印していた場所との距離を無視して、遠隔で封印を解除するなんて私でも無理よ」
「それをやったんだって」
「いくら因子の強い精神体だったとしてもシイナの封印を遠隔で破るのは不可能だわ」
「因子ってなにさ」
因子という言葉は以前どこかで聞いたことがあるような気がする。
「因子ってのはシイナさん曰く、特別な力の尺度らしいっすよ」
「因子が多ければ多いほど強い。でもその分因果が重くなる」
なら黒姫はその因子がモエも強いと認めるほど強力なのか。
ということはその黒姫と同じ意識であるゆづきも同等の因子を持っているのではないのだろうか?
――思い出した。
ゆづきが帝都にやってきた日、セリがシイナに向けて放った拘束魔法。
確かあれを“特別製”とか”大事な能力”とか言っていたはずだ。
あれは因子の能力を使った魔法ということなのか。
「で、その因子が今の話にどう関係してくるの?」
「因子を持つ個体ってのは世界でも限られててその保有する量も様々。今のところシイナさんを超える因子は確認されていなく、つまりそのシイナさんが施す特別な封印を破れるのはそれを超える因子保有者のみとされてるっす」
「勘違いしないでほしいのは、その精神体が本当に存在してシイナさんを超える因子を持っていたとして、遠隔であの封印を解除するのは理論的に不可能という事」
どうやら遠隔というのに強い疑念があるみたいだ。
もちろんゆづきはシイナがサニシアをどこに封印していたのか知らないし、ゆづきが知らないということは黒姫も知る由もないはずだ。
だがただ一つ可能性があるとしたら、黒姫にはサニシアの在り処が感知出来るということだ。
しかしモエもセリも言っている通り遠隔での封印解除はまず不可能らしい。
ならば黒姫は本当にどうやってサニシアを手にしたのだろうか。
「いや、あたしには全然分からない……」
「もういいわ。初めからこうすれば良かったよの。セリ、マーシャ」
呆れ、苛立った様子でモエが声を上げた。
セリとマーシャはその呼び声に応えるようにして席を立った。
「本当はやりたくないんすけどね」
「私達はこの事を知らなければならない。だから許して」
マーシャの両手には色とりどりの宝石が嵌め込まれたグローブ、セリはいつも使っている杖を。
それぞれがゆづきへ向けて構えた。
「準神器・フレイシカル」
「準神器・スフィラレイ」
双方の準神器に幾何学模様が浮き出た。
どっと汗が噴き出した。
この場で準神器、まさか武力行使をしてくるとは予想外だった。
――何かがおかしい、何か見落としている。
そうだ、この空間では神器も準神器も使えないのではなかったのではないのか。
思えば先ほどよりも魔力的な力が満ちてきている気がする。
「くっ!」
ゆづきはテーブルの上に置いていたサニシアを手に取った。
「ゆづきを傷つける事は絶対にしないから安心して欲しいっす」
準神器を2つも向けられて警戒しない方が無理だろう。
「この場での神器や準神器は使えないんじゃなかったの?」
「今はその制限を解除しただけよ。いいからサニシアを置きなさい、危害を加えるつもりは無いわ」
ならば先にそちらが武器を収めるべきだろう。
「じれったい」
モエがマーシャの手を掴んだ。
「何してるんすか!」
「こうでもしなきゃ大人しくならないでしょ」
モエの魔力がマーシャの準神器に注がれ、その宝石のひとつが光を帯びた。
ゆづきはそれを直視しないよう視界を腕で覆った。
――閃光が弾けた。
カランと金属音が鳴った。
それはゆづきの足元、サニシアが手からすり抜けて落下した音だった。
「え……」
力が入らない。
「なんですかこれぇふにゃぁ〜ってします」
「あらら、大丈夫ミシュちゃん?」
この影響をミシュも受けてしまったようだがニトがそれを支えた。
体の内側で何かが弾け続けている奇妙な感覚に襲われる。
立っていられなくなりゆづきは椅子に落ちた。
「範囲の対象を麻痺させる能力よ。口だけは動かせるように加減はしたけど」
「モエ、勝手にフレイシカルに触らないでもらっていいすか」
「悪かったわ。でもどの道同じ事をしていたでしょう?」
こちらの不意を突くことが目的だったということか。
加減したとは言えやはりモエに甘さなど存在しないのだろう。
「……だからってもう少し穏やかにやるべきなんじゃないすかね。セリはそこんとこ弁えるっすよ」
「ん」
セリは頷いた。
そして準神器スフィラレイを再びゆづきへ向けた。
「記憶を共有する」
その言葉に胸がざわついた。
記憶を共有する?それはつまりゆづきのこれまでの全てをセリに覗かれてしまうということなのか?
――スフィラレイから光が伸びてきた。
幼少の頃、封じたはずの闇の記憶。
今は抑えられているがそれが他人に暴かれた時、ゆづきは今までのゆづきでいられなくなる。
左腕が疼いた。
◇◆◇
まだ夏の盛りだった。
縁側でぼーっとしていると風鈴とセミの音、線香の臭いが漂ってくる。
いつもと同じ、この家の奥では使用人が慌ただしく働いている。
それを尻目にゆづきはいつも縁側にいる。
「だーれだ」
突然背後から視界を塞がれた。
「しのねぇ」
「せーかい」
視界に光が戻り一瞬目が眩んだ。
振り向けばそこには部屋着のしのがいた。
中間テストが近いから勉強するとか言っていたが、休憩中なのだろうか。
「正解した子にはご褒美だな。ほれ」
そう言ってしのは足元からお菓子の箱を手に取ってゆづきへ差し出した。
中はビスケットだった。
「ありがとう」
「おう、いっぱい食いな」
そう言いしのも中身をつまんだ。
ゆづきの横に腰掛け、遠くの空を見上げている。
「はづきは保育園、家の人で唯一構ってやれるあたしもなかなか相手になれなくてごめんな、ゆづき」
その謝罪にゆづきは首を横に振った。
「ううんいいよ。わたしにはパパとママがいるから」
しのは背後の仏壇に振り向いた。
線香の臭いが漂ってきたらまた空を見上げた。
「……そっか、なら良いんだがな。寂しくなったら我慢しないであたしのとこに来いよ」
「うん分かった」
「じゃ、戻るわ」
しのは最後にゆづきの頭を何度か撫でてから立ち去った。
ビスケットの箱はその場に置かれている。
残りはゆづきにくれるつもりなのだろう。
――行かないで
その言葉は階段を上り始めたしのには届かず、けたたましいセミの鳴き声にかき消された。
砂を噛んだように口の中には小麦の塊が残っている。
それを強く感じ、再び独りになってしまったのを実感した。
「……すん」
目が熱くなった。
ビスケットを3つ取って立ち上がり、仏壇まで歩く。
「一緒に食べようよ」
そう語りかけてビスケットを両親の写真の前に置いた。
「おいしいよ」
零れそうになった涙を腕に押し付けた。
空虚な感情に呑み込まれる。
「パパ、ママ……」
呟き、味のしないビスケットを咥えた。
◇◆◇
「やめろっ!!!」
ゆづきが叫ぶとスフィラレイの光が霧散した。
それと同時に手を前に差し出した。
「そんな、麻痺はまだ続いているはずよ」
目の前でモエが焦っているが、そんなのは関係ない。
「来い」
ゆづきが言うとサニシアが床から浮かび上がり、その手中に自ら収まった。
「落ち着いてゆづき、私達に戦う意思は無い」
「黙れ!あたしの中に入ってくるなぁ!」
「セリ、マーシャ!抑えるわよ!」
「やむを得ないすか」
「仕方ない」
ゆづきがサニシアを構え、セリとマーシャも再び準神器を構えた。
モエも手をこちらに向けている。
「仮にも友好派の拠点、破壊は最小限にするわ」
「ええ!?破壊する前提ですか!?」
「それはちょっと困るかなぁ……」
「修理費はいくらでも出すわよシイナが。それよりもここでゆづきを止めないと何しでかすか分からないわよ」
なぜ自分が悪者として扱われているのだ。
シイナの封印を黒姫が破った。それだけの事がそんなに重要なのか?
そして理想の答えが得られなければ手荒になっても構わないだと?
そんなの……
「そんなやり方、あたしは認めない!」
道を間違えた仲間への尋問は空想の話でもよくあったことだ。
いや、現実でも多く存在したから空想にも現れるようになったのか。
あれは観ている側では何も感じなかったが、こうして実際に責められる身となって初めて理解できるものがあった。
――願う、いかなる魔力的な干渉を受けないようにしろ。と
サニシアに幾何学模様が浮かび上がった。
それを見て先にセリが仕掛けてきた。
スフィラレイから樹皮のような縄をいくつも張り巡らせ射出する。
それがゆづきを包み込む瞬間、縄は光として消え去った。
「なに」
「無駄だ!」
一撃で終わらせる。
『終わらせよう、こんな世界』
サニシアに輝きを宿した。
精神を統一し、目を閉じてサニシアを両手で持つ。
『一緒に。それがゆづきの使命だから』
「……我、願いしは」
感情の昂りが頂点に達した。
今更どうなっても構わない、王族淫魔でではなく、この場で直接自分の強さを見せつけるんだ。
ゆづきを中心に爆発的な魔力が巻き起こり始めた。
そのあまりの異質さに誰もが顔を歪めた。
「な、なんすかこれ!」
「くっ……!手遅れになる前にゆづきを止めるのよ!急いで!」
「数多の星を束ねし神の降臨」
黒姫?そこにいるのか?
手を取って、今は同じこの衝動に心をひとつにしよう。
「絶界の地を刮目せよ」
空間がうねり始めた。
セリも、マーシャも、モエもゆづきへ向けて攻撃を仕掛けている。
しかし魔力を伴うそれらは全てサニシアの前では無力。
愚かにも魔力攻撃が無駄だということにはまだ気付いていないようだ。
「悠久の時が節目を迎えた」
この魔法は確か以前、影食マルクを打ち消す際に使ったものだ。
圧倒的なまでの途方もない影、深淵の底から這い出る呪いのような怪異を前に、ゆづきとアリスは立ち向かったのだ。
「故に求む。我が望みし力を」
『いいよ』
黒姫がゆづきに寄り添っていた。
これまでの血生臭い憎しみと疑いの瞳は、今この時をもって愛おしい感情へと置き換わった。
「限界よ。殺すわ」
「ちょっ!?モエ!」
モエがテーブルを乗り越えてゆづきへ飛びかかった。
前へ突き出した左手からは淡い光、そして右手には赤黒くおぞましい気配の槍が握られていた。
「消えなさいイレギュラー」
モエの左手がゆづきに触れたその時、ゆづきは唐突な力の衰退を感じた。
しかし残っている魔力を総動員して踏ん張る。
もう少しだけ耐えるんだ。
――胸が熱い。
視界には目を丸くしたセリとマーシャ。
ミシュとニトは部屋の隅でこの光景に震えていた。
「………………!」
声が出ない。
胸に手を置く。
何かがそこにあった。
魔力を伴う攻撃はまだ遮断されているはずだ。
それはゆづきの意思で解いたわけではない。
モエの意思で解かれたのだった。
この胸に赤黒い槍が深々と突き刺さっている。
それを知った途端、急激に意識が遠のいた。
『行かないで!ゆづき!』
去ろうとする者へ叫ぶ黒姫のその姿は、なぜかかつての自分が重なって見えた。
ごめん黒姫。
反逆者は大量の血と共に倒れた。
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