ふたりの望み。消える今。―1

「これは……」


 モエは足元に転がるそれに驚きを隠せないでいた。

 シイナが封じたはずの聖剣サニシア、その禁忌とも判断されたものがなぜこんなところにある。

 いつの間にか封印を解きゆづきが隠し持っていたとしか考えられない。

 しかしそれならば王都を出る前にシイナが分かっていたはずだ。

 全く持って理解不能の状況である。


「起きなさい」


 とりあえず今この場で問いただすのはやめよう。

 友好派の拠点での尋問のほうがリスクが少ないだろう。

 そう判断してゆづきの頭上で水を生成し、そのまま落下させた。

 周囲に飛沫が散った、モエは障壁を築いて立ち退くことなくそれらを防いだ。


「……ふげっ!?ふおぉ!?」


 どこからそんな声を出しているのだ。


「けほっ、あれモエちゃん?」


 森から抜け出し、こんな野原で倒れていたのはある意味幸運だったかもしれない。

 魔力を検知して探せるとは言え、森の中では朝までかかっていたかもしれないから。


「マーシャに言われて迎えに来たわ。グリシニアに帰るわよ」


「え?あ、うん?」


「なによ」


「いや、モエちゃんがあたしを探しに来てくれたなんて意外だなって」


「だからマーシャに言われたからよ。他意は無いわ」


「そっか、それは残念」


 ゆづきはゆっくりと起き上がった。

 その際に指先に何かが触れる感覚があった。


「あ」


 隠れる気の無いサニシア、隠せるはずのない状況。

 モエは無言で腕を組んでゆづきを見ている。


「言いたいことは分かるわよね」


 封印されていたサニシアがここにある。

 それだけで大問題だ。

 これはゆづきがやったわけではないのだが……


「えっとこれには事情があって」


「それを素直に信じてもらえるとでも?」


「信じてもらえなくても身の潔白を証明する為には言うしかないでしょ」


 恐らく黒姫はゆづき以外には見えない。

 それに仮に見えたとしても、あんな小さな子供に罪をなすりつけたところでゆづきが悪者にされるのは不可避だろう。


「まあ良いわ。それについてはセリとマーシャに任せるから。だから大人しくついてきなさい」


 今のゆづきなら逃走を図れる。

 サニシアのその可能性をモエが見逃すとは思えないのだが、これは意図的な行動なのだろうか。


 モエは飛び立った。

 ゆづきもその背を追い飛んだ。


 その間ずっと考えていた。

 黒姫が話していたこと、そして何より黒姫が間接的に与えてきたダメージが今はもう何も感じないこと。


 意識が朦朧とし始めた辺りだったと思う。

 確か〈イデア〉には世界を救えないとか言っていた気がする。

 まずゆづきにはその言葉を聞き入れる理由が無い。

〈イデア〉に対しての不満はこの数週間で無いわけではないが、やはり黒姫の素性と目的が完全に理解できないうちは信用するべきではないだろう。


 ゆづきの欠片、それが形を得て黒姫となったと本人は言っていた。

 ならば黒姫は今どこにいるのだろう。

 夜闇の中から突然現れたようにどこかに潜んでいるのか、それとも精神体だから今はゆづきの意識と統合されているのか。


 思い返してみれば夕方に一悶着あった際には、動けるはずのない状態で目の前で突然姿を消したことからこれは後者である可能性が高い。

 ならばこの意識はゆづきのものであり黒姫のものでもあるということなのだろうか。


 途端に自分の存在が揺らいだ気がした。

 本来ひとつであるはずの精神が中で分裂しているということは、ゆづきはいつ黒姫に全てを奪われてもおかしくはないということだ。


 本来望んだ形ではないサニシアの帰還。

 そして黒姫はゆづきに何を望んでいるのか。

 きっと世界救済は同じ、しかしそのやり方に思うところがあったように感じられる。


 ――黒い指輪が妖しい光を帯びた。


『難しいこと考えてるみたいだねー』


 空の上、周囲には誰もいないのにその言葉は耳元で言われたように感じた。

 姿を現さなくとも意識を起こしていられるというわけか。


『ゆづきはただ運命に従っていれば良いんだよ?そうすれば道は見えるからさ』


「その言い方だとまるで今が運命に背いてるみたいな感じだけど?」


『うーんそれは少し違うかなぁ……だってゆづきは運命の筋書きを知らないわけでしょ?』


 これは星精族グレヴィールの未来視に繋がる話なのだろう。

 きっと未来視以外にも運命を知る方法は存在するのだろうが、現状ゆづきは方法を知らなければ実行もしていない。

 となると今はまだ運命の道の上ということになるのか。


『知って良い未来とダメな未来、この違いは分かる?』


「そもそも未来視とかで運命を知るだけなら問題ないんじゃなかったの?」


『はー!?そんなわけないじゃん!馬鹿なの!?』


 あまりの過剰な騒ぎ声に少し腹が立ってしまった。

 ゆづきの記憶が間違いでなければ、運命を知ることだけなら問題はないが、それを知りながら運命を変えてしまうと禁忌に触れてしまう。という内容だったはず。


『未来視っていうのは単なる予測。何通りもある通り道の最も可能性の高い道を予言してるだけなんだよ?』


「……え?じゃあ未来視に確実性は無いってこと?」


『精度は高いけど確実ではないよ。それに加えて禁忌に触れてわざわざ破滅するなんて、ほんと呆れちゃうよね〜」


 黒姫の言うことを鵜呑みにする気はない。

 しかし話を聞く限り、ゆづきが知っていた情報にいくつかの追加点がある。

 未来視の仕組み、運命の筋書き。


 嫌な性格をしているにも関わらず、嘘を吐いているように聞こえないのが不思議だ。

 どちらを信じても特に矛盾するところはなく、結果的に詳細な情報を得たのは収穫だ。


 ということは、もし黒姫の言葉が全て正しいのなら友好派やみんなよりも知識があるということになる。

 本当に一体何者なのだ黒姫とは。

 仮にゆづきの一部だったとしても、そもそもゆづき自身が知らないことも知っている。


『わたしのことが気になるの?』


 思ったことは筒抜けらしい。

 やはりそこは今、ゆづきと黒姫の意識が中で繋がっているからということか。


「気になるよ。黒姫がどういう存在なのかとか、さっきは色々と聞けなかったけど今度はきちんと言ってもらいたい」


『あーごめん、その話は無しで』


「は?」


 まるで話が違う。

 さっきは黒姫から言おうとして勝手に消えて今度は説明拒否。


『怒らないで、これはすごく大事な問題なの』


「大事な問題ってなんだよ」


『まずそれを言っちゃダメなの!わがまま言わないでよー!』


 その騒ぎ方では黒姫がわがままを言ってる側にしか聞こえない気がする。


「なら何なら話せるのさ」


『んーと、今わたしが何を食べたいかとか』


「ふざけんな」


 頭の血管が切れそうになった。

 ここはふざける場面では無いし、真剣に訊いているのになぜそう空気を壊すようなことをするのか。

 ちなみにゆづきは今揚げ物が食べたい。


『ねね、唐揚げとかどう?それともとんかつ?』


「この世界に無いだろそんなもの」


『自分で作れば?』


「そこまでして食いたくねえしなんで他人事なんだよ、黒姫も食べたいんだろ?」


『わたし実体が無いから料理できないもーん』


「そもそも実体が無いなら食事も必要無いんじゃ……」


『うるさいなー、ゆづきがそういう気分だとわたしもそれに影響されるの』


 腐っても統合された意識下というわけか。

 こちらの思考だけでなく気分まで読まれるというのはなんだか気持ちが悪いものだ。


「そうだ、黒姫に訊いておきたいことがあるんだった」


『ん?なに』


「黒姫は何が出来るの?」


 突然失礼な物言いではあるが、これから共存する相手の手の内は理解しておく必要がある。

 とりあえずサニシアを使役できるというのは知っている。


『何って、まあ魔法かサニシアかな』


 案外普通だった。

 考えればあの子供の姿で剣術というのは無理があるように思える。

 魔力に頼る戦い方、サニシアはその能力の為だけに使うのだろう。


「普通なんだね、意外」


『普通ってなに!?そんな事言うくらいならゆづきはもっと凄いんだよね』


 少なくとも魔法もサニシアも使えれば短剣術もそれなりに会得している。


「まあサニシアの使い方はまだ怪しいんだけどさ」


 願いが実現する能力。

 その代償として左手首に傷が刻まれる。

 さらに使えば使うほどゆづきの精神を蝕む。

 影食マルクとの決戦時にはこれに苦しめられた。


「すごく助けられた。サニシアが無かったらあたしはもうとっくに死んでたからさ」


 影の結界で目を覚ましてすぐに鉄塊に潰され、激しい出血の中で初めて武器としてのサニシアを手にしたのだ。

 本来ならその場で死んでいたのを強制的に生きながらえた。

 それからも幾度となく死の機会に襲われたが全てサニシアの能力で回避している。

 こう考えるとやはり神器というのは掟破りのチート能力なんだなと思う。


『ふーん、普通だね』


「そりゃあその時最も望んでたのを叶えてたわけだし、それ以上の使い方なんて思いつかないよ」


『確かにサニシアはそんな使い方しか思いつかないよね、分かる』


 まるで自分が使い込んでいるかのような物言いだった。

 確かに森の中では黒姫はサニシアの能力を使っていたし、記憶も共有しているならゆづきの経験に自分だったらどうするかと考えることも出来る。


『わたしがこうなってるってことは、他の神器にも……』


「なに、なんの話?」


 突然呟くように喋り出した黒姫に問いかける。

 よくよく考えれば黒姫はゆづきの思考を読めるのにその逆が出来ないのはなぜなのだろうか。

 これも後で訊かなければならない。


『ゆづきはサニシア以外の神器は分かる?』


 サニシア以外の神器?

 前にセリやシイナが何か言っていたが、全くといって良いほどゆづきは分からない。


「さあ」


『そう、ならいいや』


「黒姫は知ってるの?」


 その問いから少し間が空いた。


『知ってる』


「それも言えない問題だったりする?」


『……多分大丈夫』


 多分というのが不安ではあるがここは黒姫に任せよう。


『神器の中でもより強い力を持つ神器、それを極位神器って言うの。それは全部で5つあって、その内のひとつがサニシアなの』


 神器と準神器、そこへさらに極位神器という単語が新たに出現した。


『うーん……これ以上は言えない!』


 それ以上の情報は得られなかった。

 しかし極位神器、これは神器を1番知っているであろうシイナの口からも発せられなかった言葉だ。


 神器の中でもより強い力の神器。

 確かに願いが叶う能力となればそう呼ばれるのも頷ける。

 全部で5つ、残りはサニシアのようにシイナが持っているのだろうか。


「極位神器……願いを叶えるサニシアの他にどんな能力のやつがあるの?」


『えー!?だから言えないってば!』


「どうしても?」


『分からないけど今はダメ!』


 ならば仕方がない。

 願いを叶える力と同等の能力、そんなのは簡単には思いつかない。

 流石に想像だけで済むようなものではない気がする。


「――ずっと1人でぶつぶつ何言ってるのよ」


「え!?あー神器って不思議だなーって……」


「気楽なものね。今から尋問を受けると言うのに」


「尋問!?」


「ここにあるはずのないサニシアをなぜ持っているのか、それを問いただすのよ」


「はあ……」


 正直そこまで危機感は無かった。

 なぜならゆづきには黒姫という大義名分があるから。

 とはいえ責任の火の粉は全てゆづきに降りかかってくるに違いない。


 もし、事の大きさによっては取り返しがつかなくなるかもしれないというのに。

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