イレギュラー
茜色に染まる空も次第に夜闇に溶けようとしていた。
星々が薄く煌き、昇り始めた月に照らされた森にはひとつの影とふたつの人がいた。
ゆづきは体の細かい部分までは治癒しなかったものの、それなりに激しく動いても平気なくらいまでにはモエの手により回復させられていた。
モエがゆづきを殺す気だったのかは知る由もないが、突如現れたこの女の子によって救われたのはどの道間違いないだろう。
「えっと……ありがとう?」
モエが去った直後、ゆづきは隣に立って空を眺めている女の子へ声をかけた。
『ううん当然だよ。だってゆづきが死んじゃったらわたしまで死んじゃうもん』
自分が死ねばこの子も死んでしまう。
そういえばさっきモエが気になることを言っていた。
確か姿が見えないとか……
しかし現にゆづきの目には黒髪の小さな女の子が確かに視認出来ている。
試しに手に触れてみるが、やはりそこに在る。
『なぁに?』
「あぁいや、君が誰なのか分からなくてさ」
確かこの子も変なことを言っていた。
モエに“剥がされた”とか異質だなんてのを聞いた気がする。
『気になる〜?』
いたずらな仕草と喋り方。
少し面倒なタイプの子供のようだ。
「……気になる」
それに乗るのは躊躇われたが、変な意地を張っても話が進行しないので大人しく付き合うことにした。
すると女の子は嬉しそうに純粋な笑みを浮かべ、ゆづきの前まで来た。
『ふふん、そんなに気になるなら教えてあげる。わたしはゆづきで、ゆづきはわたしなんだよ』
……やはり最近どこかで聞いたことがある。
確かこんなに元気な時じゃなかったし、今よりもっと苦しい思いをしていた最中だったと思う。
「……まさか」
暗い昏い闇の中、サニシアの願いにより決死の抵抗をしていたゆづきの前に現れた何人もの女の子。
そう、あれは影食マルクの結界でのことだ。
「あたし」
この子はその時の、幼い頃のゆづきの姿をした正体不明の者だ。
「でもなんで……君はマルクの攻撃の産物なんじゃなかったの」
『マルク?ってのは誰か分からないけどさ、わたしがハッキリと意識を持てたのはついさっきだよ』
と本人は言うが、ゆづきの記憶ではマルクの結界内でゆづきに対して色々してきた全く同じ姿のこの子には自我があった。
あれはまた別の存在なのだろうか。
「でも君は全員アリスにやられたはずじゃ」
『でもでもって、わたしの知らない別の人をわたしに重ねないでくれる?』
となるとマルクの結界内でのこの子は別人物ということらしい。
姿だけが同じで中身は違っていたと、今のこの子は少し不満そうに訴える。
「ごめん、でも姿とか言ってることが同じだったから」
とは言えあの時はゆづきを破滅へと追いやったり、かなり嫌味な人格だったのに対して、子供らしい話し方は変わらないがこの子は随分と大人しい。
『だーかーらー!知らないってそんな人!わたしはわたしなの!』
ただし子供らしい騒々しさは備えていた。
どうも本当に別人物らしい。
「……それで君は何なの」
女の子は顔を引きつらせた。
今ゆづきが訊いたのは、自身が何者であるかという意味だったのだがどうやら上手く伝わっていないみたいだ。
「えっとあたしから剥がれた?とか言ってた意味」
そこまで言って伝わったようで、女の子は引きつった顔から小難しい表情へと変わった。
『うーん……ゆづきが持っていた大事な部分かな』
大事な部分?
それは心の欠片だとか、あるいは複数ある人格の内のひとつである(当然のように言っているが普通人格はひとつしかない)とか、そういうものだろうか。
まさかどこかの臓器が意思を持ってこうしてヒトの形を獲得したなんてことはあるまい。
「精神体なの?」
『そうだよー』
「じゃああたしの心の欠片?」
『欠片っていうか、ゆづきの自覚してなかったもうひとつのゆづき。みたいな』
やはりもうひとつの人格で合っていたようだ。
自覚していなかった人格がこんな子供?
それは何というか、複雑な気分だ。
ここまで来るともはや多重人格についてはそこまで不思議には思えない。
「自覚してない自分。でもそれが子供っておかしくない?」
『さあ?頭ではそう思っても心では違うことがあるかもだし、なんなら子供の頃の自分に何か大きな影響を及ぼされているとかかもだしね』
子供の頃の自分に影響を及ぼされているとは、あまりピンと来ない言い方だった。
子供の頃はただただ精神を病んでいただけだ。
今となっては大して問題でも無いし、あまり関連性が無いように思えるが。
「まあいいや。もう暗くなってきたし、ミシュ達のところに戻ろう。もしかしたらもうグリシニアに帰ってるかもだけど」
考えるのは後にしよう。
今はここの土地勘が無い以上長居は無用だ。
それにどこかに結界ごと置き去りにしてきたミシュ達が心配だ。
時間が経てば自動的に消滅する結界を作ったのだが、そんなの関係無しにみんな怒っているだろうな。
セリとマーシャが気絶したとはいえ独断の単独行動。
それだけに留まらず味方であるモエと交戦。
冷静になれば非常識な行動を積み重ねすぎている。
少なくとも誉められる事は一切していない。
これならまだ暴走しながらも王族淫魔を数人仕留めたモエの方がマシだ。
『落ち込まないでよ!さっきの事が無ければわたしは生まれてなかったんだし、結果オーライなの!そうしていられるとわたしの存在を否定されてるような気分になるんですけどー!』
悲観に歪んだ表情を自覚し咄嗟に直す。
「その、ごめん」
それを聞いて女の子は大きなため息を吐いた。
『呆れた。さっきからビクビクして話して、全く堂々としていない。なんでそんなに自信なさそうなのかな』
「いや自信はあるけど」
『嘘だよね、全部自分で背負おうとしてその結果抱えきれずに潰れてる。そんなんだよ今のゆづき』
間髪入れずに否定の言葉が飛んでくる。
腹の底から得体の知れない気持ち悪い気分が押し寄せて喉からこぼれ落ちそうだ。
「君に何が分かるの」
この言葉にはもちろん怒りの感情が込められている。
小さな子供相手に本気で怒りをぶつけるほどには至らないが、それでもギリギリまでゆづきは追い込まれていた。
『ゆづきの全部。次はわたしの番だね』
適当な返し方をされた。
全部なんて曖昧だし、まずそれが嘘だと見抜くまでも無く嘘だ。
女の子は両手を後ろに隠した。
その直後、そこから気配を感じた。
『覚えておいて』
女の子はゆづきの目の前に一振りの剣を出した。
気配は覚えのあるそれへ向けられた。
「なんで……」
『わたしは特別。だからあんな封印なんて効かないんだよ』
――聖剣サニシア
銀の刃がゆづきを睨んでいる。
ゆづきの手にあるべきものが。それ以前にシイナによって封印されているはずのサニシアが今、この女の子の手中にある。
女の子はサニシアを見つめた。
『お願いサニシア、ゆづきに分らせてあげて』
その言葉に呼応するようにサニシアは輝いた。
『使命に囚われる、あるべき姿のゆづきを』
「何をする気!?」
『何って、思い出してもらうんだよ。じゃないとわたしが困っちゃうし』
冗談ではない。
今この場でそんな事をされれば絶対に無事では済まない。
だからゆづきは逃げ出した。
魔力を身体へ巡らせ、強靭な脚力を得て森の中を疾走した。
『え!ちょっとぉ!』
そんな叫びが背後に遠ざかる。
方角が分からないのが面倒だが、とにかく今は森から脱出する事だけを考える。
あの子を撒いてもサニシアを使われればすぐに居場所なんて割れる。
だからもしあれが本当にサニシアだとしたらゆづきに逃げ場は無い。
使命に囚われるあるべき姿のゆづき。
それは一体どういう意味なのだろうか。
あの子はゆづきが知らないもう1人のゆづきであり、自我があり、場合によっては敵対する。
『難しい顔してどーしたのー?』
疾走するゆづきを追い抜いて女の子が現れた。
「うぇああぁあ!!!!!」
『逃げてもむだむだ。サニシアにゆづきをここに呼び戻してってお願いすればすぐに……』
全力で逃げた。
『ってこらー!逃げるなー!』
女の子も同じくついてくる。
その手に握る剣は光を帯びていた。
やはり本物のサニシアなのか?
特に大きな魔力を使っている様子は無いが、この見た目の純粋な身体能力でここまで出来るはずがない。
『あーもー面倒くさいなー!』
すぐそばから聞こえてくるが振り向きはしない。
早急にセリ達に合流する必要があるが、果たしてそれでこの状況が好転するのかは微妙だ。
『えい』
「えっ……」
脚から感覚が消え失せた。
ふっと宙に浮く感覚と共に地面に倒れ伏した。
直後、激しい熱が足に襲いかかる。
見ればかかとに衣類ごと斬り裂かれた痕が残されていた。
そしてもちろんズボンや靴下だけではなく、アキレス腱までしっかりと切断されていたわけであり、つまりゆづきは歩くという機能を奪われてしまったわけである。
「ぐぅっ……!ああぁぁあああ!!!」
『ちょっと静かにしてよー』
ドサリとゆづきのそばに小さな体が落ちた。
『あちゃー、わたしまで歩けなくなっちゃった。アハハハ!』
飛びそうな意識を繋ぎとめながら女の子の脚を見る。
ゆづきのものと同じ、深々とした斬り傷がアキレス腱を切断していてその痕から明瞭な赤々とした血がこんこんと湧き……出ていなかった。
傷口はパックリと開いているがただそれだけ、血液なんて無い、まるで人形のよう。
「クッ……!おい」
『ふぎゃっ』
ゆづきは血眼で女の子の頭を鷲掴みにした。
不思議な事に自分の頭まで圧迫されている気がする。
「何をした」
『乱暴は厳禁だよ?』
「答えろ」
『顔が怖いよ』
一度、女の子の顔を地面に打ち付けた。
直後鋭い痛みが額に走った。
目の前が赤く染まっていく。
血だった、ゆづきの額から血が流れ出している。
『だから言ったのにー!なんでわたしの話を聞かないの!』
けろっとした様子で声を張る女の子。
ゆづきはそれを見て心が折れてしまった。
「ふざけんな……」
手を緩めて女の子を解放した。
本当なら今すぐにでもどうにかしてやりたい。
しかし女の子を傷つけては自分にまでダメージが来てしまうのが分かった。
こんなの卑怯だ。
『ふざけてなんてないよーだ。初めからゆづきがわたしの話を聞いてればこんな事にはならなかったもんね』
なぜこの子はサニシアを使おうとしない?
何かの効力でゆづきとダメージをリンクさせている事への余裕なのか。
『今なら聞いてくれるよね』
「……ふん、好きにしろ」
『うんうん、それじゃあ結論から言うけど、ゆづきは昔――』
……………………
消えた。
人が話を聞いてやろうとしたその瞬間に女の子は跡形もなく姿を眩ませた。
特に予兆も無く、本当に唐突である。
ゆづきはただ困惑することしか出来なかった。
この身動きの取れない状況を唯一打開出来る可能性だったのに、何も無かったかのようにいなくなられてはどうする事も出来ない。
「あ……」
だが希望はあった。
女の子がいた跡にぼんやりと光と熱を帯びるサニシアが転がっていた。
そしてそれへ手を伸ばすことは叶った。
これに触れるのは影の戦い以来だ。
願いを乱用し、強制的に生き延びていたゆづきに封印した過去を掘り返させたものだ。
幸いにも当時から左手の手首に包帯を巻くのは習慣になっていて、その下の消えない傷痕を隠すためにそれが今でも続いている。
「選んでる場合じゃないよな」
とにかく今は動かなければ。
こんな何が出てくるか分からない森の中で夜を迎えてしまうのはあまりにも恐ろしい。
「傷を癒せ」
魔力を巡らせる。
サニシアは輝き、ゆづきと鼓動を同調させる。
打ち付けた身体、切断された腱。生傷の全てがみるみる癒えていく。
尽きかけていた力さえも少しずつ湧いてきた。
「本物だ……」
薄々信じてはいたが、これは正真正銘の神器。聖剣サニシアである。
――なぜなら左手首から血が滲み出て包帯に浮き出ているから。
しかしそんなことは今はどうだっていい。
どうやってかあの女の子はシイナの封印を破ってサニシアをこの場に持ち出してきた。
本来これがゆづきの手に帰ってくるのは、しっかりと今回の依頼で確かな成果をあげてからのはずだった。
あの女の子さえ出て来なければ事態はどう進んでいただろうか。
ゆづきはモエと戦闘を続け、どちらかの力が尽きるまで。いや、最悪ゆづきが殺されていたかもしれない。
これに対し、ゆづきはどういった感情でいれば良いのか分からなくなってしまった。
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