ゆづきVSモエ

 異常事態、特殊事例、緊急措置。

 集まる毒気。許容を超えて溢れ出た。

 この身にはグリーシャから放たれる神聖なエネルギーは毒だった。


 星神族グレヴィラントにより創られたこの世界は神樹や聖域という、世界に必要な概念を司る遺物が多数存在する。

 自分はそれらに関わらなければならなく、しかし深く手を出すと滅びの力に自我を崩壊しかねない。

 それはなぜか。


 ――モエがそう創られているから。


 機械や人形ではない。

 きちんとした生命体である。


 自分の素性はその刻が来るまで誰にも明かしてはいけないとシイナに言われている。

 だからまだ普通であるべき女の子。

 溢れそうな時は自我が無くなる前に心残りの全てを捨てて孤独となる。


 何年も前からそうしていたはずなのに。

 自分はシイナとの約束を守れなかった。

 理を超越し、また世界へ絶大な負荷をかけてしまった。


 その度に自分は、シイナは……


 ◇◆◇


「けほっ……」


 ぐったりと地べたで眠る少女が息を吹き返した。

 肺から咳き込む、ゆづきはその胸に重ねていた手を下ろした。


「モエちゃん、モエちゃん!」


 急いでその小さな体を抱き抱えた。

 きっとまだ意識が混濁しているのだろう。

 虚ろな目で虚空を眺め、半開きの口からは浅い呼吸のみが出入りしている。


 胸骨圧迫、人工呼吸、治癒魔法。

 今のゆづきに出来るありったけを注ぎ込んだ。

 そしてモエは意識を取り戻しつつある。

 ここからは治癒魔法をかけ続けよう。

 もう少し、頑張れモエ。


「こふっ……いい……わ」


 掠れた弱々しい声はゆづきを静止させた。


「大丈夫?」


 何度もまばたきと深呼吸をして、ようやくモエはまともに意識を取り戻した。

 そしてゆづきの腕から抜け出し、不安定な足場によろめきながら立ち上がった。


「大丈夫よ。少し迷惑をかけたようね」


 クレーターの中心、モエは周囲の惨状をじっくりと確認した。


「微かに残留する淫魔族ユリュナの魔力にそれを塗り潰すような滅びの魔力。ここは未来視にあった場所ね」


 どうやら記憶が無いようだ。

 少なくともグリシニアで未来を知ったところまでは覚えているみたいだ。


「そうだね。猟師が攫われるはずだったけど、そこにモエちゃんが現れて王族派を皆殺しにした。未来視の結果を変えたんだよ」


 事実をありのままに伝える。

 禁忌を犯したことも、モエが察するよりも早く知らせた。


「つまりゆづき達がする予定だった事を台無しにしてしまったのね」


 モエは俯きぎみに小声で言う。

 この後には謝罪の言葉がその口から――


「見ていたのなら分かったでしょう。今回は私の方が強かったけれど、もし私が居ない時にあんなのと戦ったらどうなるか」


 出て来なかった。

 果たしてモエには反省する気はあるのだろうか。

 とはいえゆづきにはモエが暴走していた理由が分からない。

 だから咎めようにも咎められないのだ。


「私は依頼を遂行するだけ。試験だか何かは知らないけれど、もっと本気になりなさい。さもなければ待つのは死よ」


 モエらしい理不尽な物言いだ。

 つい先程計画を破綻させた者が言うには常識外れも良いところだ。


「……でもモエちゃん、なんで計画を無視したの。本当だったら猟師の人が攫われるはずだったのに、未来視の結果を変えてまであの王族派を殺さなきゃなかったの?」


 ゆづきも全てを許せるほどの心は持っていない。

 多少周囲に流されやすい気質ではあるが、それでも自分の意思はきちんと持っている。


「昨日からのモエちゃんは何かおかしくて、それで暴走してこっちに迷惑をかけた。なんでそうなる前に相談しなかったの」


 少し緩い気がするが叱る。

 まずはこれで反応を伺う。


「相談したところで誰にもどうにも出来なかったわよ」


「それは聞いて、やってみないと分からないでしょ」


 モエは無表情で淡々と言い訳をするが、今回はゆづきも簡単に逃すわけにはいかない。


「なら世界の事をもっと知りなさいよ。私のためを思って言ってるのだとしたら無責任なのよ」


「無責任って……あたしは心配して言ってるんだよ」


「余計なお世話よ。サニシアが無ければ何も出来ないくせに」


 ああ言えばこう言う。

 挙げ句の果てにはゆづきの心配を無碍むげにし、躊躇うことなく無力だと言い放った。

 だがゆづきはまだ折れない。


「そのサニシアを取り戻すためにあたしは王族淫魔と戦おうとした。なのにそれを妨げたのは誰?」


「さっきも言った通り、私は依頼をこなすだけ。あんたの個人的な都合に付き合う筋合いは無いわ」


「前から散々あたしに対して強くなれとか言ってたのにそれは矛盾してない?」


「なら勝手にサニシアでも何でも取り戻せば良いじゃない。シイナの言いつけにばかり従って、自分で世界を切り開くことが出来ないで他人に依存ばかりして!」


 モエが感情をあらわにして叫んだ。


「だからシイナが全てを背負って戦っているのよ!何度も何度も何度も!世界がシイナを嫌おうとシイナは世界を嫌わなかった。気が遠くなるくらい昔の約束を果たすために今も諦めないでいる!その辛さが分かる!?」


 胸が締め付けられるようだった。

 普段はずっと冷めたような態度のモエがこんなに感情的になるとは予想だにしなかったからだ。


「だから無責任なのよ。あんた達に今は無い。とっとと力を取り戻すしか道はないのよ。それが世界が望む結末、シイナを苦しみから解放する手段なの」


 気が遠くなるくらい昔の約束やシイナの苦しみについて、それがどうゆづきに関係あるのだ。

 それに今シイナが話に出てくる意味も分からない。


「ならあたしがその力を取り戻すのに協力してよ!自分の理想ばかり語って、シイナさんを盾にして逃げるつもりなの!?」


 ゆづきも言われっぱなしではない。

 モエのことは大事にしたいが、それでも譲れない信念がある。


「そんなにシイナさんの苦しみを知っておきながらなんでモエちゃんが救おうとしないの?なんであたし達じゃないとダメなの」


 さっきモエは『あんた達』と言った。

 これはセリやマーシャではなく、はづき達のことを言っているのだろう。

 やはりゆづき達が異世界転移をしたのには何か理由がある。

 それについてはずっと前から考えていて、一時的に世界救済という答えを手に入れたがモエはさらに踏み入った答えを提示してくれそうだ。


「言えないわ」


 しかしモエは語らなかった。


「なんでよ!」


「言えばシイナが積み上げてきたものが崩れてしまうから。前に行ったでしょ、シイナの計画は最終段階に入っているの。だから今それを明かすわけにはいかないわ」


 確かに以前そんなことを言っていた。

 だが理解不能だ。

 ゆづき達に知られてはいけない事情、そんなのを抱えているのに信用出来るはずがない。


「ならその計画を教えて。〈イデア〉はそのためにあるんでしょう」


 世界に仇をなす〈エデン〉を抑止する組織だとか、シイナの約束を果たすために集まったとか。

 ここまで来て、もはやただの冒険者の集いということはありえないだろう。


「計画は約束、それが成就した時世界は真の姿を取り戻す。それだけよ」


「〈イデア〉は何のためにあるの」


「秩序よ」


「なら〈エデン〉って何」


「混沌よ」


 敵対組織なのだ。その答えは至極当然だろう。

 秩序と混沌、対極の概念だ。

 しかし先程のモエの様子からして、あれはもはやそのどちらとも呼べないものだった。

 秩序を否定し混沌すらも霞んでしまうほどの何か。

 世界を滅ぼさんとするあのエネルギーはどう説明するのだ。


「〈エデン〉はシイナが守ってきた世界の全てを否定する邪魔な存在よ。荒廃した世界に新しい神として降臨し、誰も望まない理想郷を創ろうとしているのよ」


 シイナはゆづきへ世界救済と説明した。

〈エデン〉が求めている理想郷を創らせないために、今の世界を守るためにゆづきも立ち上がった。

 それは良いのだ。


「ならシイナさんの計画はこの世界を〈エデン〉から守り切ることなの?それで世界は救われたことになるの?」


 これまでゆづきに目線を合わせまいとしていたモエはいきなり顔を上げ、ゆづきを噛み殺すような視線で睨みつけた。


「ごちゃごちゃ煩いのよ。余計な詮索は身を滅ぼすことくらい分からないのかしら。それとも分からせられたいの」


 温度の無い言葉をぶつけた後、モエは飛び退きゆづきへ向けて手をかざした。


「…………そう」


 何かを諦めたかのように全身から脱力した。

 しかしすぐに元の力を取り戻す。


「あたしにも大事な人がいる。もし誰かのエゴでその人達の平穏が奪われるのだとしたら」


 ゆづきもモエに向けて手をかざした。


「あたしが守る。それが約束だから」


 ――両者の手に光が収束し始める。


「終わりね」


「終わらせない」


「自分の望むもの全てを抱えて世界は守れないわ。なぜならそれこそがエゴだから。あんたにとっての幸せは誰かにとっての不幸なのよ」


 隙のない展開だった。

 言い切ると同時にモエはいくつもの普通の光弾を放った。


「これくらい……!」


 ゆづきは手中の光で自身を覆い壁を創り出した。

 同じ性質の攻撃同士、モエの光はゆづきの光と混ざり溶けた。

 先程暴走していた時の禍々しい魔力は使わないつもりだろうか。


 壁を解除し、全身へ魔力を巡らせたゆづきは土の魔法を一帯へ撒き散らし砂塵を爆発させ上空へ跳ね上がった。

 砂塵の中のモエがいた地点のへ檻のような拘束魔法を投下した。


 しかしモエは空へ向けて豪風を扇いだ。

 そのひとつの魔法で砂塵を全てゆづきにはね返し、拘束魔法の落下地点をずらした。


 砂が空に舞い、景色が黄色く染まる。

 ゆづきは木の上に着地し、次にモエの足元へ洪水を起こした。

 どこからともなく足元から湧いて出た水とクレーターという地形が利になり、モエは足を滑らせて水流に呑まれた。


「やり過ぎた……!?」


 渦潮のように、そして湿地帯の近くであることも相まって水はなかなか引かない。

 それどころかクレーター外の土壌を崩しているため、岩や木が渦の中に入り込むのも時間の問題だ。

 ゆづきはモエを殺したいわけではない。

 一度きちんとした話が出来ればそれで良い。

 だからもう手荒になってでも手段は選んでいられないのだ。


 ――閃光が迸る。


 渦の流れが乱れ、水が分断された。

 クレーターの底に立つモエは名状しがたきオーラを纏い、こちらを睨んでいる。


 妙な魔力を察知し、ゆづきは即座に木から大きく飛び退いた。

 直後、光の槍が上空から降り注いだ。

 着地先には猛火の柱が立ち上がり、あらゆる方向から氷塊が飛び込んでくる。

 その中のひとつを蹴り、すんでのところで火柱を回避した。


「甘いのよ」


 地面に足が着くと思ったその瞬間、背後より静かな鈴の声が鳴った。

 穏やかでいて恐ろしい、殺意に満ちている。

 ミシミシと周囲から異音が鳴り響き、空間に圧がかかった。


「くぅ……!」


 木々が悲鳴をあげる。

 その重圧に潰されないようゆづきは片足だけで離脱する。

 その後ろではモエの周囲の木々と地面がひとりでに崩壊していた。


 姿勢が崩れていたゆづきは咄嗟に手のひらを地面へ向けて風の魔力を撃った。

 紙のように空へ舞い上がったゆづきはそのまま浮遊魔法で離脱しモエを探した。


 この森の中、先程空間ごと崩壊した地帯は人がいれる状況にない。

 魔力を探知しようにもどこからも何も感じない。

 恐らく気配と共に魔力も潜ませているのだろう。


 ――背後!


 振り向いた途端、光弾が頬を掠めた。


「っ……!」


 まだ森の中に隠れている。

 背後から攻撃されたのは確かだが、もしかしたら既に移動を始めているかもしれない。

 そうなれば空にいるのは不利だ。

 ここは一旦、砂嵐か何かを撒き散らしモエの目を欺く必要がある。


 が、魔力が体に巡らない。

 まさか魔力が底を尽きた?

 ならば。


 ゆづきには服に縫い付けて隠していた奥の手のエレメンタルクリスタルがある。

 物を選んでいる場合ではない。

 1つを適当に引きちぎり、それへ意識を集中させた。

 ファニルとの特訓中にも何度かエレメンタルクリスタルを使った事があるから要領は分かっている。


「……あれ」


 それなのに魔力が復活しない。

 不審に思って手中を見るが、それは至って普通の火のエレメンタルクリスタルだった。

 方法は間違っていなく、物も確か。

 なぜ反応しないのだ。


 と思った直後、突然浮遊魔法の効果が消えた。

 つまり空に浮くことが不可能になった。

 そして今ゆづきは魔力に異常が起きている。

 これでは木の上にではあるが、かなりの高度から防御魔法も無しに落下してしまうことになる。


 急降下するその風圧に恐怖を煽られながらも必死に魔力を熾そうとする。

 しかし意識を集中させられない。

 それもそのはず、こんなトラブルが発生して刻一刻と地表が迫っているのに、どう集中すれば良いというのだ。


 そうこうしている内に木々へと落ちた。

 大した防御も出来ず、体の至る所を枝葉で切った。

 さらに勢いは止まらず大きな枝に腹から落ち、意識が飛びかけて地面に体を打ち付けた。


 視界が回り口から血の塊を吐き出す。

 衝撃で至るところの骨や臓器が潰れ、激痛で全く体が動かない。

 何度も痙攣し言う事を聞かない肉体、全身から滲み出る血に熱を感じる。


「突然魔法が使えなくなって可哀想ね」


 ゆづきの血をひたひたと踏みながらモエが歩み寄ってきた。


「醜い、それに愚か」


 見下ろされている。

 分かってはいた事だが、ゆづきを助ける気は無いようだ。


「どれだけの魔力であろうと私の前には無力だわ。それが例え――」


『やめておきなよ。殺しちゃうよ?』


 なんだ……?

 モエの他に誰かいる。


「誰かしら」


『あなたに“剥がされた”者だよ』


「声だけ。ゆづきの意識は今ギリギリで肉体に繋ぎ止められている。それなのに精神体として出てくるのはおかしいわ」


『おかしいね』


「ひとつの体にふたつの精神が入るのは珍しい事じゃ無いわ。でもあなたは異質ね」


『異質な理由は分かるんでしょ?分からないフリしてないで言ってみたら?』


 まるで子供のような喋り方だ。

 それに最近どこかで聞いたことがあるような気がする。


「隠し事は無駄なようね」


『さて、どうするの?』


「引かせてもらうわ。あなたが生じてしまったのはゆづきの身に危険が迫ったからか、私の魔力のせいか分からないもの」


『ふふっ、わたしを脅威として認めてくれるんだね』


「ええ、姿の見えない相手に無茶な戦い方はしたくないし、それに気になったわ。だから生きなさい」


 モエが治癒魔法をゆづきへかけている。

 通常のものとは質の違う、莫大な魔力が体に注ぎ込まれてきているのを感じる。

 傷口は塞がり、骨や内臓は元通りに、ゆづきは何事も無かったかのように起き上がれた。


「先にグリシニアに帰るわ」


「大丈夫なの?」


「もう平気よ。また暴走することは無いわ」


 そう言いモエは空へ飛び立った。


『ばいばーい』


 それを見ていたゆづきの横で、黒髪の女の子が空へ手を振っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る