超えるべき王たる淫魔―2
青空の下、一台の馬車が道を行く。
「やっぱりバカだったのね」
しかめっ面の金髪少女がゆづきを睨む。
「少しは自分の立場を理解しなさい。剣も魔法もまともに使えないあんたがどうやって王族淫魔と戦うっていうのよ」
「し、失礼な。剣も持ってるし魔法も少しは使えるようになったよ」
「だから!少しだけって分かってるならなんで……」
「おーい喋ってると舌を噛むぞー」
でこぼこ道に差し掛かった時、馬の手綱を握る男がこちらに声をかけた。
ガタゴトと車体が音を立てて上下に揺れる。
帝都を経ってもう1時間は経過しただろうか。
まるで観覧車のような狭い座席に4人を詰め込み、案内の男2人は馬車の前方へと座っていた。
――車体が跳ねた。
「ぅお!?」
「きゃっ!?」
一瞬全員の尻が席から浮き上がり、衝撃と共に落下した。
不意の出来事だったので冷や汗が噴き出した。
「あ……」
正面に座っていたモエがゆづきに抱きつくような形になっている。
やはり急な事でびっくりしたのかその手はゆづきの服をしっかりと掴んでいた。
「……離れなさいよ!」
とか言いながらモエは自分から離れていく。
直前までゆづきに毒を吐いていたから接近するのは気まずいものがあるのだろう。
嫌われていないぞ。となんとか自分に言い聞かせながらその毒の傷を癒す。
「まあそんなにカッカしなくても良いじゃないすか。なんだかんだで認めてるんすよね?モエは」
「何がよ」
「この前言ってたじゃないすか。ゆづきの決意の固さは人並み以上だって」
「褒めたわけじゃないわよ。事実として受け止めただけ」
「そうすか。まあゆづきもそんなに重く受け止めないで大丈夫っすよ。これがモエなりの愛情表現なんで」
つまり自分は嫌われていない。
その嬉しさにほっと息をついた。
「ほんと緊張感無いわね。今からピクニックに行くわけじゃないのよ」
「2割までの王族淫魔の討伐許可。確かに気をつけないと二度と戻って来れなくなる」
彼方を見つめていたセリが視線はそのままで声を出す。
その様子にゆづきとマーシャは自分達の気分を振り返り、現実へ向き直した。
「セリは分かっているようね。王族淫魔がいかに強力な存在か」
「王族淫魔とは種の中で特に強力な力を有する上位の個体。確かな腕がなければ太刀打ちできないのは事実。でもゆづきはそれを承知で選んだ」
セリはゆづきを見た。
その瞳の中にはいつもゆづきを見ていた時の好奇心は無かった。
曇った未来、そして僅かな期待と希望だけが垣間見えていた。
「だからゆづきにはこの依頼を達成させる義務がある」
「報酬や人情で動かなかった。つまり私欲に塗れた選択というわけよ。自分のしたことの重さはこれから知ると良いわ」
そう釘を刺される。
痛いほど言われたが、何もゆづきも自信があるわけではない。
サニシアがあるなら話は早かったが、これはそれを取り戻すためのゆづきの我儘だ。
もちろん世界救済も含めて全て計画の内だ。
要求と想定、これらを超えるべき考えが必要である。
今のゆづきは自他共に認める無力、それをこの場で覆さなければ今後の影響は火を見るより明らかだ。
――それからおよそ1時間ほどが経過した。
景色は帝都近郊の青々とした平原から一転、肌寒いそよ風が吹き抜け山々に囲まれた荒道へと変わった。
「ここら辺から
とは言え生物の気配が感じられない。
こんな山の上下が激しい場所に住めるのはやはり種族的な強さがあるからなのだろうか。
「ん?なんだ、人が倒れてるぞ」
「止まれ、俺が見てこよう」
馬車が停止し、案内男が道の先にいる人のもとへ向かった。
「ん?なんすか」
「人が倒れているんだ。今あいつが様子を見に行った」
「ふーん」
そう言いマーシャは向こうの現場を見た。
「女の子みたいっすね」
「女の子?子供ってこと?」
「んー自分らより少し幼いくらいっすかねぇ」
「へぇー」
なら少女とかのほうがニュアンスとしては分かりやすいのではないだろうか。
別にどうでもいいが。
そんな会話をしてゆづきとマーシャは落ち着いた。
モエが狭い座席で暴れ出した。
「な、なに!?」
「あんたらみんなバカね!こんなところに普通の女の子がいるわけないじゃない!どきなさい!」
少しもがいて乗降口から降りられないと判断したモエは身を縮こめて横の窓から飛び降りた。
「ええ!?そんな……」
事もありえるのだ。
普通に考えればベタな手口だが、道端で弱っているフリをして止まった通行人に襲いかかるというのが。
「降りよう」
セリが扉を開けて降りた。
ゆづきとマーシャは互いを見て焦って駆け降りた。
「ちょっ、どうしたんだ!」
「案内さんはそこで待ってるっすよ!」
馬の横を走り抜ける際にマーシャが叫んだ。
そして全力疾走。
既に案内男は少女と接触している。
一番先に降りたモエが到着するまでまだ少しあるが、既に自身の周囲に色とりどりの光を漂わせている。
それを見てゆづきも短剣を引き抜いた。
「あれ、あの子」
翼と尻尾がある。
「馬車からは見えなかったっすね。あれは
このシチュエーションで案内男がひとりで
この揃った条件から想定できる事なんてひとつしかない。
――モエの動きが止まった。
続いて到着したセリも何かをする様子は無い。
「どうしたの」
ようやく到着したゆづきも息を切らしながらセリに状況を訊く。
「この人、王族派じゃない」
「でも油断は出来ないわ。嘘を吐いているかもしれない」
一度は動きを止めたがモエは再び
「待ってくれ、この子の話を聞いてあげてくれないか」
地面にへたり座る少女を庇うように案内男は言う。
「自分で説明出来るか?」
その問いに少女は頷いてよろめき立ち上がった。
隠す気の無い翼と尻尾、薄汚れた桃色の髪と瞳。
見ていて可哀想になる。
「私はミシュ、友好派の者です」
「どうだか」
「黙ってるっすモエ」
ミシュは頭を下げた。
「こんなの初対面の方にお願いする事ではないというのは分かっています」
この後に続く言葉をゆづきは知っている。
きっと『友好派を救ってください』とか、これまたベタな展開になるのだろう。
とりあえずここまではテンプレだ。
「私にエッチなことをしてください」
「ん?」
耳を疑った。
今この少女はなんと言った。
「えっと……」
「分かってます。
ミシュはなぜかゆづきの手を取った。
「私はいじめられる方が興奮する……特に女性からの施しは一味違って良いですよ」
あ、あれ?
なんかこの子元気になっていないか?
「私には分かります。あなたは人並み以上に女性に興味があると、女性の身でありながら女性に興奮する変態だと」
先ほどまでミシュを可哀想だと思っていた自分を思い切りぶん殴りたい。
そして今全力でここから逃げ出したい。
「へ……」
「へ?」
「変態だあぁぁぁぁ!!!!!」
間違いない、ミシュは関わってはいけない人種だった。
◇◆◇
「
先程の
「性欲に関する情報を読み取るって……」
「まあ私が敏感なだけかもなんですけど、誰かを見てるとそれはもうフェロがモンモンなわけでして」
つまりフェロモンを感じ取る能力らしい。
ミシュはゆづきから滲み出るフェロモンを分析して人間性まで見抜いた。
本人はさぞ当然のようにやっていたが、これによって相手への対応に先手を打つことが出来るようになっているのはかなり優位なものだと思った。
「そ……そう」
案内男達は気を遣ってかこちらの会話には混じろうとしないで距離を置いてくれている。
いくら距離を置かれているからと言ってもデリカシーの無いミシュの話が男性に聞かれるのは、しかも自分の事なので尚更やめていただきたい。
「それで、私をいじめてくれませんか?旅人および救世主さん?」
うるうると瞳を輝かせ、あざとく指を咥えながらミシュが接近してくる。
なぜゆづきはこうも女性に密着されるのか、セリしかりパルしかり。
しかしこれで嫌な気分にならないのがミシュの言葉の全てを受け入れているようで悔しい。
確かにゆづきは男性が苦手だ。
だから思春期の恋愛という感情の全てを向ける先は必然的に女性になる。
だがその感情を性欲と言われるのは不服でならなかった。
だからゆづきはミシュを押し返した。
「拒否。なんであたしがドMの世話をしなくちゃならないわけ」
柄にもなくそんなことを言ってしまった。
やはりゆづきの中でミシュへの警戒が強いから他人、もしくはそれ以下の対応になってしまうのだろう。
「言葉責め……?あんまり好みじゃないですけどまあ効きますね」
「違うから!なんでそうポジティブに捉える!?」
鈍感というよりは馬鹿なタイプだった。
素直で真っ直ぐなマンナカちゃんと似たような感じだが、違うのは話が通じるか否かだ。
仮にも向こうはギルドの受付をしているわけだから対人スキルは高いだろうが、ミシュのこれはもはや論外だろう。
「あのさ、初対面でお互いを全く知らないのにあんなお願いをするのはどうかと思うよ」
「でも私が元気に生きていくにはそれしか無いんです」
生粋のマゾだった。
性的ないじめを受けて発情するという恐ろしい女が今眼前で今か今かとゆづきの鞭を待っている。
「いっ……」
引き気味にセリとマーシャとモエを見る。
当たり前だがその3人もミシュにドン引きしていた。
初めてゆづきを見て息を荒げて迫ってきたセリでさえもだ。
「ちょっと」
ここでモエが割り込んできた。
これで助かる。
「外はやめなさい。不衛生よ」
違う!ミシュの奇行になんとか言ってもらいたかった!
まるで他人事だ。
「あ、それじゃあ私の家に来ます?いつ誰が来ても良いように道具は揃ってるんで!」
嬉々として伝えるミシュ。
それを聞いてさらにドン引きする一行。
「ど、道具ってなんすか」
「えーとシンプルに鞭とか針をいくつも並べて痛覚を分散させる気持ち良いやつとか蝋燭とかあと」
「もういいっす」
マーシャが秒で頭を抑えた。
「これまではどうやってエネルギーを供給してたの?」
今度はセリが問う。
「まあ仕方なく他種族の行き場の無い性欲を吸収してましたね。でも私的にはあんまりそういうのは受け付けなくて」
今だけは真面目に見えたが、ゆづきが瞬きをした瞬間にその顔は変貌していた。
「やっぱり私は受け身になって女性からあんなことやこんなことをされるのが1番なわけでして」
鼻の下が伸びている。
そしてまたゆづきに迫ってきている。
「どうです?そろそろムラムラしてきました?」
「するかバカ」
何というか疲れる。
このノリが子供ならまだ許せたがミシュのような年頃では同じ事でも鬱陶しい。
というかいちいち訊かなくても能力で分かるのではなかったのか。
「むむぅ……意外とお堅いですね。やっぱり私のような特殊な個体は受け入れられ難いのでしょうか……」
そう言ってミシュはしょんぼりとそこら辺に落ちてた木の小枝で地面の砂をいじり始めた。
「特殊な個体?」
今のミシュの発言で引っかかった。
ゆづきがそれを拾うとミシュは人が変わったように真剣な眼差しになった。
「はい、結構前にも言ったと思うんですけど私は基本的に吸精はしないんです。
元来脆弱とは、吸精をしないとそこまで弱い種族なのだろうか
「この世界の、私達のような姿の種族は人間族が原点となって派生した種族だと言われていますよね」
ゆづき以外の全員が頷いた。
つまり彼らは広い捉え方で言えば亜人なのだろう。
翼も尻尾も無い人間族が何かしらで姿を変えたのが
この事をゆづきは知らなかった。まず想像すらつかなかった。
「
「獲得した種族的な能力への代償。それは全ての生命に等しく降りかかるわ。ただひたすらに強いだけの種族なんてこの世界には存在しないのよ」
話が複雑化してきたようだ。
ゆづきの浅はかな知識では徐々に理解が及ばなくなってきた。
「だから
だからミシュは自らに刺激を与えようとしていたのか。
きっとなりたくてマゾヒストになったわけではない、生きる為にはこれしかなかったという重く暗い事情があったのだろう。
なんだか馬鹿だとか思った事に罪悪感を感じた。
「ま、私が痛みに快感を覚えるようになったのは幸運でしたけどね!」
前言撤回。
やはり生粋のマゾだ。
「この不幸で不安定な土台の上でそう生まれてきたのは、きっと
だがどこまでも前向きだった。
底抜けの馬鹿に見えるけど実は自分や他人のことをよく見ていて、置かれた境遇にも従っている。
堅実に長生きをするタイプだなと思った。
「……はぁ……疲れました」
ミシュは固く苦笑をしてみせる。
額には大粒の汗をかいていた。
そういえばさっき『
あまりにすらすらと話が進むものだから見落としていたが、今もさっきもミシュは死にかけだったのではないのか。
そうだとしたら自分が出来ること……それは。
「ミシュ」
「ん……ってぇぇぇぇ!?!?」
バチン、と辺りに音が響いた。
ゆづきの両手がミシュの両頬を包んでいた。
「……どう?」
果たしてこれでミシュの吸精が完了するのか分からない。
その不安でしかない心でおそるおそる訊いてみた。
「痛いですけど。え?なんですか」
もしかしたらこれはただいきなり頬を叩いただけの人になっている?
「えーと、私の吸精は双方どちらかの性欲が伴わないとあんまり意味が無いと言うか、はい。今のはちょっと……すいません」
こっちがすいませんだ。
なんかこんな微妙な空気にしてしまって本当に申し訳ない。
「あー、精気いる?」
「本当ですか!じゃあ発情してください!さっくりみっちりこってりと絞り取ってあげますよ!」
種としての本能なのだろうか、やはり死活問題の吸精行為の事となるとミシュの目の色が一気に変わる。
どうにかして助けてあげたい気はあるのだが、その条件がまた小難しいものだからゆづきもすぐにはどうにも出来ないのが現実だ。
「いや、ちょっと無理」
「なんでですか!自分から誘っておいて!」
ぷりぷりと怒るミシュ。
翼も尻尾もピンと伸ばして必死に怒りを表現している。
「はぁ……じゃあいいですよ。あんまりこの手は使いたくないんですけどね……」
何やら不吉な事を言いながらミシュは尻尾を手に持ってゆづきへ差し出した。
「先端辺りで深呼吸してください」
「え?」
「
そう言い半ば押し付けられるようにゆづきの鼻に尻尾が当てられた。
そして呼吸。
「……なんともない」
――心臓が脈打った。
「え」
視界が歪む。
ミシュがこちらに尻を突き出し、モエ達は仰天している。
「はーい、じゃあここ、思い切り叩いちゃってください」
まともに思考が働かない。
あるのはなんだか湧き上がってくる謎の衝動、それと悶々とした熱気だ。
四つん這いになったミシュの尻が挑発的に左右に振られている。
思い切り叩く?
そんな事出来るわけ……でもやりたい。
手のひらに嫌な汗が滲む。
脈拍が加速する。
生唾を飲み込む。
目の前の状況を脳が処理しきれずに混乱する。
「ほーら、まだ刺激が足りないですか?」
ミシュはスカートをめくり、下着を白日の下に晒した。
赤。
「くぅっ……!」
頭がおかしくなりそうだ。
既にパンクしかけているというのにこれ以上は耐えられない。
「くっそぉぉぉぉぉん!!!!」
バチィン!と、とんでもない音を立ててゆづきの平手打ちがミシュの尻に炸裂する。
「あひぃぃぃん!!!」
「くそ!くそ!くそ!」
「あっ!あひぃっ!あぁ!」
左右満遍なく尻を叩く。
平手が当たる瞬間の柔らかな感触も楽しみながら今はこの尻におしおきをすることに集中する。
「ゆづき……」
「ん……」
「最低ね」
3人は戸惑った。
ミシュの奥の手によるゆづきの変貌ぶり。
恐らく催眠の類だと思われるが、これが戦闘で使われたらどんな実害が出てしまうのか。
それとは別に一心不乱にミシュの尻を叩きまくるゆづきをどうしようか、今後変態として扱うかどうかを考え始めていた。
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