超えるべき王たる淫魔―1

 あれから2週間、ゆづきはファニルに魔法を教わった。

 時折シイナはそれを観察することはあっても干渉はしてこなかった。

 きっとファニルの指導方法の確認と監視が目的だったのだろう。


 主に以前シイナやコートックから聞いたことをファニルにも教わった。

 イメージを魔法として出力する。

 その他には細かい魔法の名称と役割についてみっちりと叩き込まれた。

 これでまだ終わったわけではなく、今回は魔法だけだったが魔術などもまだまだある。


「さて、君らの努力の成果を見せてもらおう」


 ――帝都第4区画、ギルド


 ゆづきは掲示板の依頼を眺めていた。

 人間族が人口の大半を占める第1区画とは違い、この第4区画にあるギルドには様々な種族が訪れる。

 最近はずっと魔法の特訓で屋敷から出ることが無かったので、異種族を見るのは初めてここに来た時以来でなんだか新鮮だ。


 異種族がいるということは依頼も変わったものがちらほらと見られる。

『食用鉱物の採取』

『住処に湧いたノミの退治』

『淫夢を見たい人募集』

 最後のは見なかったことにしておこう。


 まず一通り見て過酷そうなものは無かった。

 依頼書には星が描かれていて、それが難易度の指標になるのだがどれも少ない。

 シイナからは最低でも5つ星の依頼、それでもってモンスター討伐が関わるものという指定がされている。


「……おっ」


『原種ゴブリンに占領された村の解放および殱滅』


 原種ゴブリンというのはよく分からないが星が5つ、これならお手頃そうだ。

 依頼書を掲示板から引き剥がしてテーブルで待つシイナ達のもとへ向かう。


「これどうですか?」


 シイナ、そしてセリとマーシャが依頼書に目を通す。

 ファニルは人前に出たくないとか言って来ていない。


「ふむ、ノマル平原か。割と近場だね」


「原種ゴブリンなら数に気を付ければ簡単に倒せる」


「問題はシンプルに規模っすよね」


 知見のある者同士で意見を交換し合う。

 ゴブリンくらいなら。と考えていたゆづきだったが、ゴブリン相手でもここまで対策を講じなければならないとは、やはりゲーム感覚ではいけないなと改めて認識させられた。


「ただこの依頼は村の状態を出来る限り維持して完了しなければならない。君らはそんな控えめな戦い方は出来ないだろう?」


 シイナは主にセリとマーシャに対してそう言っているようだった。


「あー……ちょっと自信無いっすね」


「むぅ……」


 マーシャはあからさまに目線を逸らし、セリは目を閉じて沈黙した。

 戦闘慣れしているとはいえ得意不得意があるのは仕方のないことだ。

 つまりこの依頼では細かい立ち回りが要求されていて、セリとマーシャはそれが得意ではないというわけだ。


「……じゃあもう一回見てくるよ」


 今回の戦いにシイナは参加しない。

 これはあくまでゆづきの成長を見るものであり、その補佐役兼監査役としてセリとマーシャがいる。

 本来だったらゆづきの選択を優先しなければならないのだろうが、条件次第では多少は目を瞑るということなのだろう。


 依頼書を持ち再び掲示板へ向かった。

 今度はあのふたりのことを考慮して、爆発的な戦い方をしても問題なさそうなものを見つけよう。

 だから一旦星の数は無視することにする。


『原種ドラゴンの捕獲』

『地下遺跡街の点検(※要特殊ライセンス)』

『王族淫魔に囚われた人々の解放』

 最後の依頼書だけ妙に劣化している。

 これはつまり、古くから多くの人が挑んで失敗してきた難題ということなのだろう。


「そういえばこの前王族淫魔のとこに行ったチームまだ帰ってきてないよな」


「どーせ淫魔族ユリュナに頭下げて、イイ夢見させにもらいに行ったんだろ」


「下心だけで淫魔族ユリュナに関わるとか馬鹿だなあいつら」


「ああ、夢の中に囚われて死ぬまでありとあらゆるモノを搾り取られ続けるんだよな」


 背後から物騒な話が聞こえてきた。

 この依頼書だけが妙に古臭くて高い難易度に設定されている理由が分かった気がする。


「相手は王族、ただでさえ手強いのにこうして何年も餌が自分から歩いてくる状況なのはこっちとしては少し怖いな」


「いいや違うだろ。餌が自分から歩いてき続けたから王族になれたんだろ」


 どうやらゆづきはまた予想だけで物事を決めつけてしまっていたらしい。


「あの」


 ゆづきは思い切って背後の人に話しかけた。


「ん?どうした嬢ちゃん」


「今話してた王族淫魔について、詳しく聞かせてもらってもいいですか」


 ――そもそも淫魔族ユリュナとは生まれつき他種族に友好的な派閥と独立して種の保存と強化を目的とする派閥に分かれるらしい。

 前者達は友好派、後者達は王族派と呼ばれている。


 一括りに淫魔と言ってもきちんと性別はあり、男性は『男淫種インキュバス』女性は『女淫種サキュバス』となっている。

 能力は言わずもがな、対象に淫夢を見させている途中に生命力となる精気を吸収するというものだ。


 王族淫魔というのは淫魔族ユリュナの中でも特に優れた能力を有している者の名称であり、本来だったら王の血筋のみにしか与えられないはずのもののはずだったが、最近では能力が高ければ後天的にその名を得られるそうだ。

 これはどちらの派閥にも存在するらしい。


 そうして力を増した王族派が数年前から旅人や騎士団を誘惑して襲い始めたのがこの依頼の始まりだった。

 どんな腕利きの冒険者だろうと王族淫魔の前には歯が立たない。

 それどころか戦いにすらならないそうだ。


 ギルドの一部の人の間ではこの件を深刻に受け止め、緊急対応をするべきだと言う声もちらほらと挙がってきているらしい。

 詳細は依頼通り王族淫魔に囚われた人々の解放。

 それに追加で約6割〜8割ほどの王族淫魔の討伐が検討されている。


 もしこれがギルドに採用されれば大規模な討伐隊が編成されることになり、いの一番にトップチームに声がかかるらしい。


「ありがとうございます。助かりました」


 ゆづきは話をしてくれた2人の冒険者に頭を下げ、例の依頼書を持って行った。


「今の子……淫魔族ユリュナのこと知ってどうするんだろうな」


「さあ、依頼書持ってったしやるんじゃないか」


「あんな盛んそうな年頃の女の子がか?むりむり、男淫種インキュバスにやられちまうよ」


「……かもな」


 2人の男は互いを見合わせた。

 それはあの依頼の難しさを知っていたから。

 そしてその目線の追う先には現状公開されている中でトップクラスに難関の依頼を持ち去って行った少女が。


 本気でやる気なのだろうか。

 どれだけ強い者が挑んでも敵わなかったあの強大な種族に。

 無理だと分かっている戦いに向かう少女を止めるのがこの恐ろしさを知っている者の役目ではないのだろうか。


 2人の男は己の内にわだかまる得体の知れぬ感情に困惑した。


 ◇◆◇


 まずシイナの顔が引きつった。

 次にマーシャが卒倒した。

 最後にセリが逃げ出そうとした……ところをマーシャがなんとか捕まえた。


「よりにもよってそんなものを見つけて来るなんて……」


「久々にギルドに来たけどまだあったんすねこれ……」


「んーんんー!」


 暴れるセリを関節締めで大人しくさせるマーシャ。

 そんなに嫌がることもないだろうに。


「これなら暴れても大丈夫みたいだし、ふたりとも丁度良いんじゃないかなと思ったんだけど……」


「相手が悪いっすよこれは」


「人手も足りない」


 完全に戦意が無い。

 これには流石のシイナもあまり良くない顔色だ。


「仕方ない。私が見繕ってくるよ」


 シイナはゆづきの手から依頼書を取ろうと手を伸ばしてきた。

 だがゆづきはすんでのところでそれを避けた。


「待ってください。なんでそんな弱気なんですか」


「ゆづき?」


「あたし達〈イデア〉ですよね?この国で最も力のあるチームですよね。それなのに個人の意思で誰かが困ってるのから逃げて良いんですか!?」


 我ながら矛盾しているなと思う。

 世界は平和であるとうつつを抜かす者共達の目を覚まさせる為に自らが混沌になると誓った。

 しかし今自分がしているのは世界救済の為の、真に平和な世界を手に入れる為の行動だ。

 平和で良い。しかしそれは最終的に自分が世界にとっての脅威になった後でだ。


 結局混沌を呼ぶのだったらこの依頼は無視しても良いはずだ。

 だがそれはゆづきの信念が許さない。

 例えレベルが段違いだとしても、王族淫魔とやらを超えないとゆづきはさらなる高みへ行けない。


「それは……ゆづきの言う通りだ」


〈イデア〉のリーダーであるシイナがこんな反応をしてはいけないだろう。

 そして世界救済を目的としているのに今までこの依頼から目を逸らしていたとは酷い話だ。


「なら受けましょうよ。〈エデン〉の対処も大事だとは思いますけど、1番難しいものは1番強い人達でやらないと負の連鎖が続くだけです」


 その言葉にセリとマーシャも自らの考えに思い至ったようだ。


「この依頼……本当にこれだけなんすか」


「多分。最近、王族淫魔の数を何割も削るべきだって考えが広がってるみたいだから、受付で何も言われなければ」


「ならまずは現状を訊きに行って、こっちにこの人数で行く分の見返りがあるか確認するっす」


 見返り。ゆづきが言いたかったのはそういうことでは無いのだが。


「ゆづきが言いたいことも分かる。でも依頼とは危険に見合うだけの価値ある見返りが無ければならない」


 セリがゆづきの心情を読んでマーシャの言い分の補足をする。

 理屈は分かっているのだ。

 ただゆづきは世界の危機に対して物や金で動くのに納得したくないだけだ。


「それが困り事を他人に解決してもらう側の義務、そしてそれを受け入れて代行するのが私達冒険者の役割」


「なら見返りを用意出来ない人は問題に直面したまま途方に暮れるっての!?」


 強い口調のゆづきのその問いにセリは首を振った。


「何の見返りも無くて良い人情で依頼を受ける人もいる。でも命に関わる内容だとそうもいかないのが現実」


「そしてこの依頼の厄介なところは相手が淫魔族ユリュナだってことっす」


 ゆづきの屁理屈じみた反論を挟ませないようにマーシャがすかさずセリに続いた。


「世の中には色んな事情で淫魔族ユリュナのもとに行く人がいるっす。例えば快楽目的、あるいは安楽死。そういうのが積りに積もって生まれたのがこの依頼」


 快楽目的は当たり前に理解できる。

 しかし安楽死とは一体なんだ。


「あくまで友好派の世話になるんだったら大丈夫だとしてもこれらは全て王族派。きっと量も質も長い年月をかけて潤沢になっているはず。だからこれを自分らだけで受けるのは、実は見返り云々以前に反対なんす」


 マーシャの言い分は知識の浅いゆづきには否定出来ない。

 だが人数差については何も考えていないわけではなかった。


「そこは」


「ゆづき、君は目先の事に囚われていないかい」


 沈黙を保っていたシイナが口を挟んできた。


「世界の安寧を望む君の心意気は素晴らしい。しかし今君がここに何をしに来ているのか忘れてはいないだろうね」


 言われて思い返す。

 目的はまずゆづきの成長を見るということ。

 その為にセリとマーシャが一緒に来てくれて、そこで受ける依頼は……


「私はモンスター討伐と指定したはずだ。さっき君が私に言った言葉、それをそのまま君に返させてもらうよ」


 ゆづきがシイナに言ったのは『個人の意思で誰かが困ってるのから逃げて良いのか』だった。


「君の強い正義感によってセリとマーシャが困っている。なのにそれを無視して自らの考えを貫こうとするのは道理が通らないと思わないかい?」


 ゆづきは世界へ対して、名前も知らない無数の人々を救う一心で考えていた。

 それは必ずしもゆづきが救わなければならないわけではない。

 力ある者が人々から望まれる範囲でそれをこなせばそれだけで救済になりうると言うのに、自らを過信して力の及ばない難題に立ち向かうのは勇ましいように見える愚行だ。


 そしてシイナの指摘は正しい。

 今ここにいる中で当初の目的を見失っているのはゆづきだけであり、御門違いの無理難題を押し付けるにはあまりにも不利だ。


「残念ながら今の君にはサニシアを持つ資格が無い。だから強くなるんだ。そうすれば君の願いは再び形になる」


 もはや反論の余地も無い。

 自分はこのままシイナの言いなり通りに力をつけるしか道は無いのだろう。

 そう思い一連の話を全て諦めようとした。


「あーちょっと良いですか」


 ゆづき達が座る席へと誰かが来て声をかけた。

 よく見ると先程話を聞いた2人組の男ではないか。


「えっとそこの嬢ちゃん」


 男の片割れがゆづきを指さした。


「今ギルド側に確認を取ったら依頼内容に変更が出たらしい」


 いきなり主語が無いので分かりにくいが、どうやらわざわざゆづきの為に色々としてくれたようだ。


「王族淫魔に囚われた人々の解放に追加して、現状2割までの討伐が許可された」


「討伐が許可されたと言っても最優先は解放だからな。この後に検討されている大規模な討伐作戦をちょっとだけ有利に進める為に頭数を減らすだけだ」


「まだ依頼を受けてないみたいだが、もし不安なら俺達を雇わないか?」


 討伐が許可された。

 数なんてのはどうだって良い。


「とは言え道案内くらいしか出来ることが無いからな、1人あたり報酬の1割でどうだ?」


「ちょっと待つっすよ!いきなり現れて誰なんすかあんた達は」


 マーシャだけではない、セリもシイナも突然やって来たこの2人組に警戒している。


「俺達は名も無き案内人。このギルドで困ってるやつがいれば有償で助けてやる。時と場合によっては無償でも」


「ありがたいけど臭いし寒いんでもういいっす」


 自己紹介がてら謎のポーズを決める男達にマーシャが毒を吐く。


「この際君達が何者なのかはどうでも良い。それよりも依頼内容が変わった?今の今まで放置されていたこの依頼が?」


「今の今まで放置されてきたから内容が変わるんだ」


「緊急対応の一歩手前、次にこの依頼が失敗された場合はそれが実行される。しかし達成されれば継続して王族淫魔の数を減らす作戦になる」


 それのどちらが良いのかはまだ分からない。

 きっとそれを見極めるために、そしてゆづきがこれを受ける気というのを見越しての変更なのだろう。

 なんともハイリスクな考えだ。


「シイナさん、内容に討伐が含まれました」


 少し見返せた。

 そんな感情がこもって勝ち誇ったような言い方になってしまった。


「……約束は約束だ。私も大人として自身の発言に責任は持つ」


 覚悟したように目を閉じ、シイナは少し唸った。そしてまた目を開けた。


「だがひとつだけ条件がある。モエを連れて行くんだ。やはり王族淫魔となると戦力が不安だ」


「シイナさんは来ないんですか?」


「悪いけど今日はこの後外せない用事がある。だからこれは君達でこなすんだ」


 ならば仕方がない。

 セリもマーシャも依然として乗り気では無さそうだがもう心を決めたようだ。


「ゆづき、これは君が始めた事だ。例えこれで自らの非力を嘆くことになろうと誰も呪ってはいけないよ。いいね」


「分かってます」


 サニシアが無いことによる文句は許さないということだ。

 そんなの無理も承知でゆづきは王族淫魔に立ち向かおうとしているのだから命を燃やす他あるまい。


「決まりだな。受付が終わってもう1人の仲間が来たら出発しよう」


 ――こうして王族淫魔の討伐に向けてゆづき達は動き出した。

 何の為に戦うか、それは世界の平和の為。

 しかし平和なんてものはこの手でぶち壊してやる。


 これは語り継がれるべき物語。

 あるいは許されざる復讐劇なのだ。

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