呼び声―2
応接間付近、雨音だけが窓の外から聞こえてくる静かな廊下をセリと歩く。
「……で…………ね?」
普通の部屋とは違う立派な木扉。
その奥から会話の断片が聞こえる。
「つ…………な」
「なら………………よ」
当然だがこのままでは盗聴だ。
かと言って例の知り合いを目前にしてこの場を去るわけにはいかない。
その時、扉が開き中からメイドが丸盆を持って出てきた。
こちらに気付くとお辞儀をしてゆづき達と反対側に去ろうとする。
「待って」
「はい?」
セリがメイドを引き止めた。
「ファニルさんに用事があるのだけど、暇そうだった?」
暇そうだったかとはどんな質問だ。
何か必要な用事があるから来ているのではないのか。
「そうですね……私を呼ぶくらいなので恐らく重要な話はされていないかと」
「そう。ありがとう」
「失礼します」
再びお辞儀をして今度こそメイドは去った。
「今の人って何か特別なの?」
「普通の人」
「そうなんだ?」
私を呼ぶくらい。と言っていたから偉い人なのかと思ってしまった。
いや違うな、逆説的に普通の立場の者に聞かれても問題が無い会話をしているということになるのか。
それを初めから分かっていたセリはいつの間にか応接間の扉をノックしていた。
「シイナさん入って良いですか」
遠慮なくそう聞く姿は少し無礼なのではと思いつつも逞しく見えた。
そんなセリには怖いもの知らずという言葉がお似合いだろう。
などと考えていると向こうから扉が開かれた。
「セリか、どうしたんだい?」
「ゆづきをファニルさんに会わせたくて」
そうしてシイナはゆづきに気付き部屋から出てきた。
「ゆづきをファニルに?どうしてだい?」
「今のゆづきは弱い。だから戦う術を教えてもらいたい」
「それをセリ自身や私やモエでなんとかしようとは思わなかったのかな」
シイナの意見はもっともだ。
身近に戦闘に長けた人がいるのだから、その人達から教われば手間がかからないのではないだろうか。
「ゆづきは神器を使える特別な存在。ファニルさんなら神器の扱い方を適切に教えられると思った」
「サニシアは手元に無いのに?」
「神器だけじゃなくて準神器や魔法も、私達は得意な戦い方がそれぞれ違うから何人にも教わらなければいけない。でもファニルさんならひとりで全部出来る。そしてゆづきなら全部会得出来る」
シイナは少し困った様子だ。
ゆづきはこの会話に介入しない。
セリの提案、シイナの判断に任せるしか今この場での状況は好転しないと考えたからだ。
「うーむ、それは確かに間違いはないんだが……」
「そうじゃなかったら学園に行かせるべき」
「それは!」
学園という単語に反応して思わず大声を出してしまった。
一瞬で冷静になり、ふたりの目線を浴びて小さくなった。
「ごめんなさい……」
「謝ることはないさ」
学園、学校といった言葉には小さなトラウマがあるのだ。
遡れば単なる不登校が原因ではある。
『もはやそんなものに無関係になった今となっては……』なんて思っていたのだがこれは予想外だった。
そういえばゆづきが帝都に来たあの日、第4区画のギルドからこの屋敷に向かう途中でそんなのをシイナから聞いていた気がする。
あの時はここでの生活が楽しみすぎて気にならなかったのだろうが、それも落ち着いてきた今となっては余計なものでしかない。
「……学園は忘れて。とにかく、一旦ファニルさんにも話を聞きたい」
仕切り直してセリがそう提案した。
その直後、シイナの背を押すように扉が少し開かれた。
「なあ、さっきから俺の名前がちょくちょく聞こえるんだが何を話しているんだ?」
ゆづきの位置からだと姿が見えない。
だがその人がファニルという人なのだろう。
男性の声で少し緊張してしまう。
「あぁファニル、どうやらセリが君に会わせたい人がいるって」
「俺に?どんな奴だ」
「神器の適合者」
「なるほど、さっきお前が言っていた奴のことか。連れてきてくれ」
シイナとセリはゆづきへ視線を向けた。
こちらへ来いという意味だろう。
「し、失礼します」
緊張の足取りで開かれた扉の前に立つ。
初対面の男性と会話をするのはかなりこわ…………
誰もいない。
「…………?」
動きを止めたゆづきを見てシイナは頭を抱えてため息を吐いた。
「ゆづき、視線を少し下に向けるんだ」
下?
ゆづきのへそ辺りに本が浮いている。
「お前が黒宮ゆづきか」
革張りのいかにも重要そうな分厚い書物というか、この本の角で頭を叩かれたら気絶しそうだなというか……
本が喋った!?!?!?
「あ、確かお前のとこの文化じゃ本が話すのは普通じゃないんだっけか」
「いやファニル、どの世界でもそんなことは普通じゃないよ」
「俺がズレてるのか」
愕然とするゆづき。
セリが言っていた本とはこのことだったのか。
意味は違うが確かに本を体現している。
じゃなくて!
本が喋っている!
どうやって、というかなんだ。
本なのに生きている、どうやって生まれたのだこの生命体は。
この世界では絶滅寸前の謎に満ちた本族とかいうふざけた種族でもあるのか。
というかこれはもう生物ではなく物質ではないのか。
このファニルって人?の体にはしっかりページが刻まれているし。
「おい先に言っておくが俺は人間だ」
その姿のどこにそんな説得力があるというのだ。
まさかセリとシイナが裏で手を組んでゆづきをからかっているだけなのか。
困惑している様子を見て楽しんでいるだけなのか?
「ははは、セリってば騙したな。さすがに口も無い本が喋るってのは無理があるよ」
そう言ってセリの肩にポンと手を置いた。
「えっ」
「シイナさんもなんのドッキリですか?剣も魔法も無い世界から来たあたしにそんなのが通用するはずがないじゃないですか」
「んん?」
そしてゆづきは本を掴んだ。
「おいやめろ!何をする!」
一応何が書いてあるのかだけは気になり適当にページを開いた。
だがそこには異世界文字がビッシリと書かれていて一瞬で読む気を失せさせた。
「ちょっとゆづき、離してやってくれ」
言われた通り、持っていても意味が無いので手放す。
すると本は再び独りでに浮かんだ。
「お前……怖いもの知らずだな……」
さっきセリに思っていたことを今度は自分に言われてしまった。
「……え?」
「目の前の出来事が信じられないかい?大丈夫、これは現実。ファニルは歴とした人間だ」
「え、えぇ?」
「今は訳があって本に憑依しているがね」
シイナの説明の横でファニルが無い首を縦に振っているのが見えた。
まさか本当に?これはドッキリではない?
「まあ良いさ。この姿でいて勘違いされない方が不自然なほどだからな」
「すまないね」
「だから良いっての。お前もあんま気にするなよ。お前もな」
ゆづきのところへ飛んできて軽く肩を叩く。
正直反応に困った。
「その……すみません」
きちんと謝るにも釈然としなく、口籠った言葉だけが口からこぼれ出た。
「それで用件はなんだ」
「ゆづきを強くしてほしい」
「強くする?具体的にどんな風に」
――セリはシイナに説明したことと同じ内容をファニルにも伝えた。
「なるほど、だが悪いな。俺も神器の扱いに関してはそこまで自信は無い」
「でも詳しい。世界でいちばん」
「俺がいちばんか……だってよシイナ。お前信用されてないんだな」
クスクスと笑いたてるファニル。
どうやらシイナを馬鹿にしているようだが。
「信用の問題ではないだろう。現に私は必要以上に神器についての話はしない。だから必然的に君の方が賢く見えるだけだよ」
「黒宮ゆづきにも話してないのか?」
「そこまで語った覚えは無いかな」
「お前なぁ……職務放棄だからなそれ、もっときちんとやってくれよ」
「君にそれを言われるとはね。君こそ大図書館に籠ってないでもっと外に出たらどうなんだい」
「俺はそれが仕事だから良いんだよ!力を持て余してのんびりしてるお前にあーだこーだ言われたくないわ!」
「言ってくれるじゃないか……」
シイナとファニルは言い合いを始めてしまった。
「えっと……」
セリもこれには関わりたくないようで、巻き込まれないようにかなりの距離を取っている。
言い争うシイナとファニル、傍観しているセリ。
そして取り残されたゆづきもこれが収束するまで大人しく距離を取ることにした。
◇◆◇
かれこれ1時間は言い争っていただろう。
どちらも譲る気の無い論争は初めは互いの短所を指摘するようなものだったが、話が進むにつれて内容が小難しくなってしまいゆづきには理解の及ばないものになってしまった。
「つまり俺は黒宮ゆづきの戦闘力を上げれば良いんだな」
セリが頷いた。
「それは良いんだが、肝心の神器が手元に無いとなると魔法メインになってしまう。シイナ的にはどうしたいんだ」
シイナは応接間の豪華なテーブル、その上に置かれていたティーカップを手に取り一口飲む。
「どうしたいって、この件は私の提案ではない。ゆづきが強くなるのは大歓迎だが君が指導役となるのはいまいち信用が置けない」
「なぜだ」
「君が〈イデア〉にも〈エデン〉にも属していない中立だからだ。今はこちらに良くしてくれているが、状況が変わればいつ寝首をかかれるか分からない」
そんな事を言ってしまって良いのだろうか。
中立だろうと今は〈イデア〉を贔屓してくれているのにシイナのその発言はあまりにも自殺的に聞こえる。
「まあお前の尺度で言えば俺達はまだ付き合いは長くないから完全に信用出来ないのも理解できる。だが安心しろ。今のところ俺が〈エデン〉に着く理由は無い」
「なら〈イデア〉に着かないのにも理由があるわけだよね」
ファニルは〈エデン〉に味方しない。
協力はするが〈イデア〉にも属しはしない。
あくまで中立を保つのはゆづきには知り得ない事情があるのだろう。
だがそれをシイナも知らないとなると話は複雑になってくる。
「君が頑なに私にも教えないその理由、ここで今一度問おう。ファニル・ドラグシア」
だんだん本題が遠のいていく。
まだそんなに話していないのに大事そうな話をこのタイミングで蒸し返さないでもらいたい。
「そんなの簡単だ。語るまでも無い」
きっとこんなやりとりが幾度となく繰り返されてきたのだろう。
昔からの知り合いのシイナにでさえも語らない理由をこの場で明かすわけが無く、きっとシイナも最初からまともな返答が返ってくるとは思っていなかったはずだ。
「理解出来ないか?昔から誰よりも世界の存続に対して敏感なお前のことだ、俺の考えが分からないわけが無いだろう」
世界救済を目標としているシイナ。
その気があればファニルの真意が分かると言うのにシイナは分かっていない。
どういうことなのだ。
「君は因子保有者の中でも数少ない特例だ。私でも手のつけられない厳重な結界で精神を保護しているのは誰だい」
「精神干渉でしか他人の情報を得られないんだったら俺を〈イデア〉に引き込もうとするのは諦めるんだな」
因子、特例、精神干渉といった単語がふたりの間をピリつかせる。
何度でも思うが、どうしてこの場でこんな空気を作るのだ。
そういう話は少し前に終わらせていてもらいたかった。
そしてその上で普通の立場のメイドを呼んでいて欲しかった。
「何も俺は関係を壊したいわけじゃない。ただお前に現状で満足しているのかどうか、それを知りたいんだ」
シイナの顔に陰りが見える。
この会話の雰囲気も怪しげな方向に曲がってきている。
「お前の目的は何だ?まず神器の適合者を探す事だろ。そしてそのサポートをする。違うか?」
ファニルのその意見はゆづきには大いに関係のある事だ。
優遇すると言われてついてきたらそれほど大したこともなく、挙げ句の果てには肝心の神器を取り上げる始末だ。
「だが」
「適合者の反逆が怖いか。そのためにギリギリまで力をつけさせないつもりか?」
「違う、君も知っているはずだが神器は準神器とは違う。中途半端な肉体で使えば精神を蝕まれる」
ゆづきはそれに心当たりがある。
マルクの結界内でゆづきが遭遇した『過去のゆづき』の姿をした女の子だ。
あれはマルクの攻撃のひとつである可能性が高いのだが、そこでなぜマルクは過去のゆづきの姿を知っているのかという話になる。
単純にその攻撃の性質が対象の記憶を写すものだとしたら納得はいくがそうではなかった場合。
サニシアによって精神が蝕まれていた状態に漬け込まれていたらどうだろうか。
先程のシイナの発言からしてあり得なくはない可能性だ。
「だからそのサポートをするんだろ」
「出来るんだったらとっくにやってる。だがゆづきも君と同じ特例、いやこれはもはや必然だ。私はゆづきに深く干渉出来ない」
「そうか……」
大人しく事情を説明するシイナの様子にファニルも熱が冷めたようだ。
「無理言って悪かったな」
「構わないよ。先に言っておかなかった私も悪かった」
成立した大人の仲直り。
そもそもこれを喧嘩と言っても良いのか怪しいが、言い争いが収まったのならなんだって良い。
怖くてこの場にいるのがいたたまれなかったゆづきとセリもようやく肩の力を抜くことが出来る。
「話が逸れたな」
逸れたとか言うレベルでは無いとは思うが口にするのはよそう。
「黒宮ゆづきの戦闘力を上げる件、俺は了解した。後はシイナ次第だ」
「ひとまず私も様子を見たい。だからファニル、君にゆづきの戦闘サポートをまずは2週間だけ任せる。だがこれだけは覚えていてくれ」
シイナはファニルを見て殺気を放った。
窓が揺れ、その直後に外で雨風が勢いよく吹いた。
「変な事をしたら殺す。それが君でもね」
それに対抗するようにファニルは覇気を纏った。
どれだけ譲りたくないのだこのふたりは。
「ふっ、その時は全力で抗わせてもらうぜ。
先程大人だなと感心した気持ちを返してもらいたい。
互いに競い合う良い仲だとは思うが、ヒートアップすると譲り合わなくなる子供のようだ。
ゆづきはこれからファニルの指導によって戦闘経験を積む事になる。
どれだけ厳しいものになろうとこれもはづき達を護るためだ。
強くなろう。
再びサニシアを手にするため、ゆづきはそう思うのだった。
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