覆う影を祓う願い―1

 広大な帝国の街並みを眼下に夕暮れの空を飛翔する。

 体のバランスをイメージで上手いこと制御しながら、先導するモエと共に外れの平野へ向かう。


 果たして手ぶらで来て良かったのだろうか、出せるか分からない聖剣なんてのを信頼するのなら剣のひとつでも携えて来れば良かったのかもしれない。


 なんて考えていると彼方の森から狼煙が上がる。

 木々がなぎ倒れ、地平を揺るがす轟音と共に空気が脈打つ。


「んなっ!?」


 戦場はそこで間違いないだろう。

 今のところ人の姿もモンスターも見当たらないが、前方でモエが滞空しているのでそう思われる。


「モエちゃん!」


 ただならぬ不穏な空気を肌で感じ、手足が小刻みに震える。


「……〈エデン〉だわ」


「えっ」


 モエには気配などで分かるのだろう。

 だがゆづきにはその術は無い。


「姿が見えない。多分結界の中にいるのだろうけど、押さえきれてなくて破壊の衝撃が外まで来てるわね」


 姿が見えないのはそのせいだったらしい。


「結界って、そこまで行けばシイナさんがいるの?」


「ええ、敵と一緒にね」


 モエは降下を始める。

 ゆづきもそれを追うように森へ降り立つ。


 ――これは、影なのだろうか。

 夕陽を浴びた木々が生み出す細長い影。

 本来であれば薄っすらとその存在を夜闇と共に染めていくものが、目の前のそれは暗黒と形容するのが正しいだろう。


 踏んだら引きずりこまれるとさえ感じられるほど禍々しい黒、時折そこから伸び出す小さな影は激しくうねると消え去っていく。


 モエは何の気なしにその上に乗っかっている。

 勇気を振り絞り、ゆづきも触れてみるが土の感触以外に何も感じなかった。


「結界の穴を探すわよ」


「穴?」


「結界を作る時に入り口にした部分よ。仮に塞がれてたとしてもそこを壊せば良いだけだわ」


 そうこうしている間にも周囲の木々は理由も無く倒れていく。

 鳥がざわめき動物が逃げ出す。


「時間が無い。強行突破するわよ」


 モエはゆづきのすぐそばに近寄ると、振り上げた手を地面に叩きつけた。

 直後、静寂が訪れた。

 視界では木が蠢いているのにも関わらず、まるで二人のいるこの場が切り取られたかのようだ。


「……?どういう……」


 足場が崩れた。


「えっ」


 姿勢が崩れ、尻餅をついた。

 だがその接地面すらも脆くひび割れる。


「ちょ!ちょっと待ってやばい!」


 地面が瓦解する。

 地割れにしては破片らしく、破片にしては鋭くない不思議な結晶ごと先の見えない奈落へ落ちていく。


「大丈夫よ」


 モエは当然のように奈落へ飛び込んだ。

 その姿が延々と闇に覆われた先へ、そして見えなくなるまでモエは落下して行った。


「嘘だ……」


 とてもではないが行けない。

 命綱も無い。ただ先の見えない暗闇にバンジージャンプをするような分かりやすい自殺だ。


 こういうのには石を投げ込んで音の反響で深さを測る方法が有効だが、今さっき飛び込んでいったモエに当たったらどうしようか。


 小石なら大丈夫と信じ、ゆづきは一旦立ち上がる。が、その瞬間足場ごと奈落へずり落ちた。


「あ」


 刹那にして心臓が跳ね暴れる。

 背中から闇へ落ち行き、無意味に伸ばした手の先の光はみるみる遠くなっていく。


「いやぁああぁあぁああ!!!」


 涙が溢れて目尻から飛散する。

 恐怖のあまり気が遠くなり、底に行き着く前にゆづきの意識はシャットダウンされた。


 ◇◆◇


「――――!」


「――――」


「――――!」


 遠くに、声が、聞こえる。


「――ねよぉ!」


「――だよ」


 目を開く。

 ぼやける視界に入ってきたのは夕陽の茜色。

 どこからか響いてくる、金属の破壊音。


 とりあえず生きているようだ。

 身体に異常らしい異常も感じられない。

 あの奈落に落ちて無傷とは、モエの言う通り本当に大丈夫だったらしい。


「いい加減死ねよ!」


「だから無駄だよ」


 少し遠い地で耳をつんざく叫び声が放たれた。

 そして余裕を持ったような落ち着いた声。


「あれは……」


 声の方を見ると半壊してはいるが、ある建築物が目に入った。


「えっ……なんで。なんであんなものがこんな所に……」


 その光景に目を疑った。

 異世界にこんなものはまずありえないし、あったとしても文明がそこまで発達しているとは到底思えない。


 上へ伸びる銀色の煙突。

 その下に構えるのは広く、そして太く曲がりくねる錆びた配管。

 蔦に侵食され廃れた建物。

 露出する鉄骨は戦いのせいかいつくか折れて、乱雑に散らばっている。


 ゆづきは知っている。

 これは現世で何度か見た事があるし、何なら小学生の時に校外学習で見学をした事すらある。


 だがこれが何をしていたものなのかは見ただけでは知り得ない。

 どんな物を生み出し、どのように社会へ進出していたのかはこの場の誰も関心は無いだろう。

 だがしかし、これがそこに在るだけで今までの心情が揺らぐ人がいる。


「工場……だよな」


 ありえない。

 異世界であるこの世界において機能どころか、用途を考えても正しい結論へ行き着く人間がいるとは思えないし、まずもって何故この場に工場があるのだ。


 木や石を用いた建築が主流というこの文明において紛れもなく異形かつ異質な存在。


 間違いない。

 今、この場にはどういうわけか現世との繋がりがある。

 こんなもの一体誰がもたらしたというのだ。


 ――三日月形の銀白の輝きが空を飛び交う。

 工場の煙突を斬り崩し、縦横無尽に暴れまわる。


 煙突が軋む。鈍く重い音を立ててその身を傾かせる。そしてその先にはゆづきがいる。


 あっけに取られていたゆづきは反応が遅れた。

 気づけば煙突はすぐそこまで迫ってきていて、とても今から逃げたようでは負傷は免れないだろう。


「やっば……」


 間に合わない。

 早く足を動かさなければ下敷きになる。

 つまり、死ぬ。

 こんな適当な場面で、何も達成せず、はづき達の信用を失ったまま。


 鉄塊が鼻先まで迫る。

 その前に死にもの狂いで右へ横跳びを開始する。が、このままでは半身が無事では済まない。


「届けぇえええ!!!」


 左脚に重みがかかり、耳を掠める轟々と衝撃が鼓膜を貫く。

 考えるよりも早く、これまでの人生において感じた事の無かった圧倒的な力による理不尽な暴力に全身に稲妻のごとく痛覚が迸りのたうちまわる。

 それが例え不可抗力だったとしても、今ゆづきが煙突に押し潰された事実は変わらない。


「ぁあぁああああああああぁああああっ!!!!!」


 左脚の骨が砕け、皮膚が圧迫により裂けた。

 目を向けると湧き水のごとく流れ出る血が早速溜まりを形成していた。

 感覚が死に、何も感じないくせに一丁前に痛みは憎らしい程込み上げてくる。

 いや、込み上げてくるなど可愛らしい表現だ。


 何も動かせない。冷たく、凍え切った巨大な鉄塊が落ちたその下で、左脚は破裂と粉砕によってただ死を生み出す循環器と化してしまったのだ。


 流血による血溜まりが服に染み込み、やがてその生温い浸食が頭部にまで及ぶ。

 つい今しがた頭の先にあった血が体内を巡る事はなく、だけれど頭の先に戻ってくるとは実に良く出来たシステムだ。

 だがそんなに血を流しては出血多量だとかで既に瀕死だと思うが。


 小さな鼓動に耳を傾ける。

 心臓の音と指輪の音。

 いつの間に発動していたのか、そしてどのような願いが込められたのか。

 それは恐らく『死にたくない』と、ずっと無意識に思っていたためだろう。


 信じられないほど震える右手を顔の前に持ってくる。案の定指輪は黒紫色の輝きを放っていた。

 力なく手を戻すと、ベチャリとしぶきを上げて自分自身に返り血をする。


 寒いし、気を失いそうだ。

 だけどそうならないのは神器が生かしてくれているからだ。

 ならば行動を起こす事が出来る。

 だが一歩も動けないこの状況からどうやって?

 この円柱の影で、助けが来るまで待つというのか。


 冗談ではない。

 なぜ自分がここに来たのか、それはこんな煙突なんかに押し潰されるためではない。

 工場だとか、解明したい謎が出て来たけれどそれは後回しだ。

 今、自分は神器を振るい、そしてその力を誰にでもいいから知らしめないといけないのだ。


「だから……」


 ――もはや失血により感覚なんてものは全身から消え失せた。

 人形だ。血の抜けた、臓物だけを蓄えるこの身体はやがて腐るその時まで願いにより生き、自己の理念により動く。


 その瞬間、ゆづきの中の“なにか”が目覚めた。


「生きる……目的……」


 無限に湧いてくる血の海の中心で、不確かな輪郭を持つ『柄』を握った。

 いつからそんなものがそこにあったのか、そしてなぜその存在を感知でき、疑問も抱かず掴んだのか。


 冷静に考えれば後から出てくる疑問は数あれど、それもすぐに“なにか”に呑み込まれてしまい、考えもなしに手を動かす。


 身体を捻り、足元の煙突へ狙いを定める。


「失せろ」


 柄を振るった。

 朧げな、短剣を象る光の輪郭が現れ、煙突をすり抜けた。


 一拍おいて金属を叩きつける音が響く。

 側面が凹み、ゆづきがそれを認知した瞬間には既に煙突は彼方へ弾き飛んでいた。


 それが工場に直撃し、半壊状態だったものをさらに破壊しながら突き刺さる。


 左脚を確認する。

 皮膚が裂けた隙間から骨が剥き出し、つま先まで真っ平らに潰れきってしまい、肉が散らばっていた。


「…………」


 その必要があっただけだ。

 かき集める事もせず、縫ったり貼ったりしたわけでもない。

 ゆづきが戻したいと思ったそれだけで左脚は歪み、原型を取り戻した。


 空気を感じる。感覚もある。

 指を動かす事が出来る。

 爪も生えている。


 これで元どおりだ。


「聖剣サニシア……」


 これが本当の姿だろう。

 ゆづきが握る柄の先には、手のひらから肘ほどの長さの刃が備わっていた。

 その姿は短剣と言えば正しいだろう。

 重みは感じず、不思議と手に馴染む。

 振りも軽い。まるでつい最近まで手にしていたかのようだ。


 ――ゆづきは工場へ歩みだす。

 右手に聖剣サニシアを携えて、霞む自意識を“なにか”に奪われないように、確かな目的を果たすために。


 ◇◆◇


 この時ゆづきの意識は混濁し、自分を繋ぎ止めるのに必死だったがために気付いていなかった。


 既にその左手首はぐずぐずに傷つき、新たな死の循環器として血を垂れ流していた事に。


 だがゆづきは願いによって生きていられる。

 今は失血に頭を抱える事もなく、ただその力を振るう事に全てを注げる。


 無償で叶う都合の良い願いなど、どの世にも無いという事にはまだ気付かない。

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