新たな生活―2
また、この廊下を歩いている。
レッドカーペットを踏むのも早々に慣れと飽きが来た。
まるでホテルのような並びの扉をいくつも通り過ぎ、突き当たる会堂の扉を先導するモエが開いた。
しんと静まり返る冷たい空気の会堂。
多くの人がいた数十分前はもう少し明るかった気がするのだが、単に雰囲気による思い込みだろう。
扉を開いてすぐ正面の壇上にて黒ずくめの女性が光の縄に簀巻きにされて力無く倒れていた。
「……シイナ」
「……くかっ!?あれモエ?」
この状況で寝ていたのか。
先程セリの魔法をくらい特に抵抗する事なく大人しくしていた時以来だが、泣く前に助けるどころか心配すらいらなかったようだ。
「ったく何してんのよ」
「いやあ、まさかセリがあそこまでお熱になるなんて予想もしてなくてさ」
「そうじゃなくて、なんでこんな魔法にいつまでも囚われてるのよって言ってるの。いくら力が込められてるからってこれくらいならどうにでも出来たでしょうが」
セリはこう言っていた。
『それは特別製。いくらシイナさんでも解除には時間がかかる』と。
そう言われ、確かにすぐどうにかしようとはしていなかったがそれは“どうにも出来なかった”からなのではなく、まさか“どうにかする気が無かった”からという事なのか。
「んー、私としてはあのままセリを見守ってあげたい気があってだね。もちろんゆづきがピンチになったら抜け出す気だったんだけどどうにか切り抜けていたようだったし。間の悪いことに眠くなって来てたし」
シイナはずっとここにいたはずなのに、一体どうやってゆづきのピンチを察する気だったのだろうか。
そして、やはりこの拘束は解こうと思えばいつでも解けていたらしい。
まったくもって意地の悪い事をしてくれたものだ。
「でも勘違いはしないでもらいたいな。これはセリが手を抜いたから余裕が出来ていたのであって、全力を注がれていたらひとたまりもなかっただろうさ」
「いずれにしろ同じ事でしょうが。それだとちょっとこの人が酷よ」
この人呼ばわりか。
シイナやセリの事は名前で呼ぶのに、ゆづきの事は頑なに名前で呼んでくれない。
『あんた』とか『この人』と呼ばれるのはあまり気持ちの良いものでは無い。
「ふ〜ん……屋敷の外での態度とはまるで違うじゃんか。何か心変わりでもあったのかい?」
それについてはゆづきも同じ事を思っていた。
あれほど軍隊のような事を言っていたモエが、いきなりゆづきを気にかけるような事を口にするなんて不自然だ。
「詳しくは言えないけどちょっとあったのよ。だから、少しだけ認めてあげても良いかなって思って……なににやにやしてんのよ!」
いじけた顔で口を尖らすモエの顔が一瞬にして赤く染め上がった。
ゆづきを認めたと言うのがそんなにも恥ずかしかったのだろうか。
「いやぁ、モエも可愛いところがあるんだなあと思って」
「何言ってんのよバカ!」
モエはシイナに手をかざす。
光が収束し、一筋の光が放たれてシイナにまとわりつく。
「ちょっとモエ?なんでセリと同じ魔法を重ねがけするんだい?本当に解除が難しくなるからやめてくれ」
「シイナのそういうところ大っ嫌い!」
「ええっ!?なんで!まさか反抗期⁉︎」
「もうずっとそこで寝てれば良いのよ!」
モエが出力する光が勢いを増す。
初めはちょっとくらいだったシイナの光もやがて重なり過ぎてまん丸くなってきている。
「モエ!あーっ!」
もはやゆづきにはどうする事も出来なかった。というよりこの状況にどう手を出したら良いのかさっぱり分からなかった。
なので、意地悪をしたシイナに仕返しの意も込めてあえて口も手も出さない事にした。
◇◆◇
足元にミイラが転がっている。
「……大丈夫なの?」
「死んでも生きてるわよ。どうせ後でけろっとして抜け出してるわ」
意味分からないし矛盾している。
何だかんだ言って生きていると受け取っても良いのだろうか。
「ていうかあたし、シイナさんに屋敷の案内をしてもらう予定だったんだけど」
この状況ではそんな予定は成り立たない。
ゆづきは困ってモエを見つめる。
「……私に責任を取れって?」
「ええ?うーん……ああ」
「なによハッキリしないわね」
別にそんな事を思って見ていたわけでは無いのだが……
「いいわよ。特別に案内してあげる」
「いいの?」
「ただしあんたに必要な場所だけにしておくわ。メイドの給仕場なんて紹介されてもうんざりだろうから」
そう言うとモエは部屋を見渡すように振り向いた。
「ここは会堂。主に集会で使うわ」
それはシイナに言われていたのである程度は分かるし予想ができる。
ついさっきまでのがまさしくそうだったのだろう。
「うんうん」
「……やっぱやめるわ。口で言うよりも体で覚えた方が早いし」
いきなり職務を放棄された。
「玄関の正面をずっと真っ直ぐに進みなさい。〈イデア〉で自分が何をすべきか、自分で決めるのよ」
「モエちゃんは?」
「後ろについていてあげるから、分かったらさっさと行きなさい」
「えぇ……」
ゆづきは渋々と歩き始めた。
会堂の扉を開け、長い廊下を進む。
玄関ホールの対階段を下り、屋敷の中心に延びるこれまた長い廊下を歩いて行く。
この先には何が待ち構えているのだろうか。
モエの言い方からして、何やらゆづきにとってとても重要なものがあるような感じがするのだが。
カチン、ジャキッ……
遠くで金属音が響いている。
突き当たりの解放された扉の外は明るく、緑色の芝が見えた。
「ハッ、フッ!」
こんな立派な豪邸にはピッタリなだだっ広い中庭にて、麗らかな気風の地とは全く正反対の事をしている人が二人。
「勢いを落とすな、得物に意識を向けすぎるな。そら、足が開きすぎだっ!」
光を浴びて銀色を返す両刃の剣を握る少年と青年。
その駆け引きの中で少年はしきりに剣を振り、青年は襲い来る太刀筋を全て捌き斬る。
そして少年の一瞬の隙をついて足を蹴り体勢を崩壊させる。
「うわっ!」
少年は草を舞わせて背中から盛大にすっ転んだ。見るからに痛そうな転び方で思わず心配をしてしまう。
「ってて……」
後頭部をさすって、握る剣を地面に突き立てて少年は立ち上がる。
「大丈夫かシャルム」
「ええはい、怪我はありません」
「怪我もそうだが新入りの前だというのを気にしすぎて空回りしたんじゃないか?途中からブレてたぞ」
シャルムがゆづきを一瞥する。
視線に気づきゆづきもシャルムをチラリと見る。
一瞬目が合った。シャルムがビクッとして目をそらした。
その素行を疑問に思っていると、帯剣した青年が緩んだ顔で近づいてきた。
「えっと、君はさっき紹介されてたゆづきだね。聖剣使いの」
そういう言い方をされると、まるで自分が初めからとんでもない力を持っている奴だと思われかねない。
しかも聖剣とは言うが、ゆづきが認知しているのは右手にはまっている黒い指輪の事である。何が剣なのだ。
「俺はサノーレ・ガレンタ。んで、あそこの少年が……おーい!こっち来いよ!」
サノーレはシャルムを呼び寄せる。
「えぇなんですか」
「えぇ。じゃあないんだよ。名前くらい教えてやれよ」
「あぁすいません。俺はシャルム・ソーで、この人はサノーレさん」
サノーレはげんこつをシャルムへ落とす。
「んえ!なんですか!」
「俺の紹介はとっくに済ませたし、それ以前に『サノーレさん』ってなんだ。人に誰かを紹介するときはフルネームで呼ばなきゃだめだろう」
「す、すいません」
サノーレはゆづきに向き直す。
「こんな感じでシャルムはどこか抜けてる部分があるから容赦してくれ」
「はあ分かりました」
適当な返事をしておく。
シャルムとやらは見た目はすごく真面目そうなのだが、そこまでひどいものなのだろうか。
「それじゃあシャルム。ギャラリーも増えた事だし今一度、手合わせをしようか」
「はいそうですね、そうしましょう」
「良いところを見せつけるチャンスだぞ。上手いことやってみせるんだ」
サノーレとシャルムはゆづき達から距離を取ると、さらに互いの間に数歩置いた。
「それで、俺はどっちを使えば良い?」
サノーレが携える剣は一本だけだ。
それなのにどっちというのはどういうことだろうか。
「さっきみたいに普通のが良いかな?」
「いえ、本気で来てください」
「へえ」
二人は剣を抜く。
シャルムは余裕を見せない眼差しで、反面サノーレは力を抜くように。
「ゆづき、サノーレの剣をよく見てなさい」
背後よりモエが言う。
ゆづきはそれに従い、サノーレの握るただの剣を注視した。
サノーレを中心に柔らかな風が吹き抜ける。
波紋のごとく芝生を撫で流し、場の空気を一転させた。
銀色の剣に、無骨に輝く刀身に模様が浮かび上がる。それはゆづきのはめている指輪に通ずる美しさがあった。
「準神器パラケリオ。シャルム、意識を強く保つんだぞ」
あれがセリの言っていた準神器か。
元から剣の形で特に大きな変化は無かったが、もしかしてゆづきの指輪の『聖剣サニシア』はまた違った変化を遂げるのだろうか。
というか指輪から剣とは質量的に無理があると思うのだが。
「分かってます!」
サノーレが軽く前傾姿勢に倒れかけると急発進、芝生を土ごと蹴り上げ瞬時にシャルムへ距離を詰める。
ガキンッ!
サノーレの一閃をシャルムは受け止める。
「おぉすごい!」
生まれて初めて剣戟というのを見て興奮気味のゆづき。
二次元が好きだとか関係なしにしても、これは誰しもが熱狂することに間違いなしだろう。
「これからよ」
モエの言葉の後にパラケリオの刀身が鈍く輝く。
「……ぐぅ!」
その直後、シャルムが姿勢を崩しふらつき始める。
「隙だらけだぞ」
「うっ、あぁ!」
辛そうな表情だ。
片手で目元を抑え、剣を薙いでサノーレを牽制する。
「闇雲に攻撃を繰り出すな。筋を読まれるぞ」
「それのせい……考えきれない」
見るからに手を抜いた攻撃のサノーレに必死の防戦一方のシャルム。
「モエちゃん、何が起こってるの?」
準神器というだけあって普通の剣とは何かしら違うのは大方予想がつくが、シャルムの様子からしてすでになにかが起きているのは明らかだ。
「パラケリオは相手の思考をかき乱すことの出来る剣よ。間接的な接触、つまりさっきみたいに刀身同士の接触でもその効果を発揮するわ。もちろん直接でも出来るけど」
「思考をかき乱す……か」
「シャルムが今剣に集中をしようとしても、例えば食欲だとか娯楽に思考を奪われるわ。そのせいであんなに必死なのよね」
「へー」
関心してパラケリオを見る。
よく考えたら、見た目はあんなに綺麗なのにする事が意外と汚い。
「あがっ……がぁ」
「……やはりまだ早かったようだな」
サノーレは瞳を閉じ、剣を収める。
スイッチが切れたように、その瞬間シャルムの異常も止まった。
「見栄、張ったな」
「……っ」
絶句するシャルム。
「まあ気を落とすなよ。普通の剣と準神器では対等に渡り合えないんだから」
その言い方では、準神器と神器では単純に神器の方が強力だという事になる。
その理屈だとシャルムよりサノーレ、サノーレよりゆづきの方が強いという力関係が出来上がってしまってもおかしくはない。
「俺も準神器を手にすればサノーレさんみたく強い人になれるのでしょうか」
「ま、そりゃ当然だ。俺は気持ちが強ければ何でも乗り越えられるなんてのはむしろ何も出来ないやつの言い訳だと思ってるから、お前もその言葉は信じるなよ」
「……はい」
「じゃあ何が強さかと言えばそれは基本的に技術の問題だ。ただの剣を振るうにはそれだけで良いが、準神器となると機能の理解も必要になる。今のお前に必要なのは何か?それは自分で理解はしているかな」
「技術……準神器……?」
「まあ言ってしまえばどちらもだが、順番的には技術から準神器だな。間違っても神器なんてのには手を出すなよ」
ゆづきの脳裏に悪寒が走る。
間違っても神器には手を出してはいけないとは一体どういう事だろうか。
今まさに自分が手にしているというのに、そんな事を言われたらものすごく不安になってしまう。
「コートックの奴が言うには推測の域を出ないらしいんだが、神器そのものに見合う因果を背負わなければただ身を滅ぼすだけだと。一般人はもちろんのこと〈イデア〉にもそんな奴はいなかった」
サノーレは固い瞳でゆづきを見る。
その中にはどこかありえないものを見る感情が含まれている気がする。
「さっきまではな」
畏怖?尊敬?
この青年はゆづきに何を思っている。
「ゆづき。もし良かったら神器。いや、聖剣サニシアを見せてくれないか」
「聖剣って言われてもこれしか……」
これで良いのかと思いつつ右手を見せる。
「これ以上は無い……のか」
「多分」
多分も何も、これ以上もこれ以下も知らない。
指輪のくせに神器とか聖剣とか、それに加えて準神器なんて単語が出てきても理解が追いつかない。
「神器に選ばれたということは、少なからず準神器を従える立場の俺達よりも因果の格が段違いなはずだ。……いや、これはもう俺の範疇ではない。これより詳しいことはコートックに訊いてくれ」
「それはどこに行けば良いんですか」
「……モエ、任せる」
サノーレは面倒そうにこの場から立ち去ろうとする。
「どこに行くのよ」
「第2区画にお呼ばれされてるんだ。坊ちゃん嬢ちゃんに剣術を教えろってさ」
「そう。ならいいわ」
モエがそう言うとサノーレは片手を軽く振り上げて玄関ホールへと消えていった。
「さて、次に行く所が決まったようね」
コートックという人のいる場所だ。
「まず別館まで行くべきね。この庭を周って屋敷の東側にあるわ」
「別館なんてあるんだ」
「……まあ色々あってね」
その言葉は不穏な含みを持っている上、それを言うモエの顔も嫌なものを思い出したかのように暗い顔を浮かべていた。
「と、とりあえず行こっか」
今は遠慮をして怠けている場合ではない。
例え自分が食客の扱いであろうと、得られる力と知識は持っていて損は無いのだから。
それを国一番と名高いチームから教授されるとなれば、置物(食客)として必要とされるより多少は自分で行動を起こしやすくなるかもしれない。
「一応言っておくけど耳にタコができるわよ。ありえないくらい語られるの」
「でも強くなるにはしょうがない。でしょ」
モエがゆづきに強くなれと言ったのだ。
そこが無駄だとしても、今のゆづきはそこを通らなければ気が済まない。
「……そうね」
とりあえず庭を真っ直ぐに進む。
「シャルム……君?またね」
その途中で何やら物思いにふけっていた様子のシャルムに一声かけた。
『君』を付けるべきかどうでも良いと思う事にするべきか少し悩んで結局君付けで呼んだ。
大体男の友人なんてたまきしかいないし、そもそもたまきも呼び捨てだったしで、そうなるとシャルムは別に友人というわけでは無いが今後も顔を合わせる事もあると思ってなんとなくでそうしたに過ぎなかった。
「……あっ、はい、また」
とっさの反応で拙い声音だったが、そんな事ゆづきにとっては気にすることも無いどうでも良いものだった。
にわかにたじろぐシャルムを視界から外し、神器や聖剣といった単語について思考しながらゆづきは歩みを進めた。
◇◆◇
広大な中庭を屋敷の東側に沿って進んだ。
端の景観を抜けると、この巨大な屋敷をそのまま小さくしたかのような、それでもまだ十分に大きな建物がそこにはあった。
内装は外からは確認出来ないほど室内が暗く、もはや入り口すらも仄暗い別館の放つ雰囲気ははっきり言って場違いだ。
「ここで良いんだよね?」
「そうよ」
白く重い玄関扉をノックしてしばらく待った。返事がない。
だからゆづきは恐る恐る扉を開いた。
「ごめんくださーい」
実に古典的であると言ってから気がついた。
「……あ、ちょっと用事を思い出したわ。残念だけど私もここまでね」
こっちもこっちで実に古典的であった。
モエの言葉を疑うつもりではないが、あまりありきたりな言葉選びをされてしまうとついそう思ってしまう。
「本当に?」
「……ええ」
一体それは何の間だと言うのだ。
「それじゃあまた後で」
わざとらしい妙な笑顔を見せるなり、モエはどこかへ飛び去って行ってしまった。
「そんなに嫌なのか……」
一体コートックという人物にどれほどのトラウマがあるのだろうか、モエはセリにも似たような反応を示していたがまさか似た者同士とかいう展開は無い事を願いたい。
いや、百歩譲って研究狂というのは良いとしよう。
だがその途中でいきなり発情し始めたりするような人だったら速攻で逃げよう。うん。それが良い。
単に日陰によるものか、魔法的な変な何かによるものか。そんな普通でも考えないような事を考え不自然に暗い別館へ立ち入る。
案の定待ち構えている玄関ホールは無骨というか殺風景というか。
何人たりとももてなす気は無いと言いたげに、まるで何も無かった。
……やはり引き返そうか。
常にその思考が頭の中を巡るほどほど不気味だった。
暗闇の中を歩くかのように、慎重に慎重を重ねて一歩。また一歩とじりじり進んでいく。
基本的な造りは本館と似ており、左右に部屋がいくつか並び、玄関の正面には対の階段がそびえ立っている。だけ。
「ありえん……」
つい本音が漏れ出てしまった。
重い足取りで階段を上り、その先の扉を開く。
「……あ゛?」
また暗闇。
さすがにここまで陰鬱な景色が続くと訳もなくイラッとしてしまう。
「チッ、何で明かりのひとつも点けてないんだよここ。まさか誰もいないからなんて事はやめろよほんとに……」
先の見えない寒い廊下。
様子からして、この別館は恐らく居住用にはあつらえられていないのだろう。
人の気配どころか空間の把握すらままならない。
気を張ってゆっくり進んでいたが、どうせ行き止まりまで行くのならさっさと行ってコートックとやらを探すべきだ。
こんなおばけ屋敷のような場所からはとっとと去りたい。
「くっそ……とんだナメクジ野郎……」
さすがにこれは悪口が過ぎると思い、誰も聞いている人がいないというのは分かりつつも自制する。
「これはとんだナメクジで悪かったですねお嬢さん」
背後。
心臓を掴まれる感覚に襲われ、振り向きながら声と距離を取る。
「そんなに警戒しなくても怒っておりませんよええ、怒っておりませんとも」
太い声だけが暗闇から伸びてくる。
その先を注視していると、白衣に身を包んだ中年らしき小太りの男が姿を現した。
「私はコートック・サイレンテス。歓迎しますよゆづき嬢」
物腰柔らかにコートックは頭を下げる。
「……?」
こんな人集会の時に居たか覚えていない。
この体型は見たら多少なりとも記憶に残っているはずだが、やはり見覚えはない。
という事は彼は集会には来ておらず、ゆづきの名を知る事も無かったはず。
それなのに名を知っているという事はどこかて聞いたという事になるが。
「話はセリ嬢から伺っていますよ」
情報源はセリだったか。
あの時マーシャに連行された後でコートックと接触でもしたのだろう。
「なんでも神器を手にしているとか。しかもそれが願いの聖剣サニシアであると」
「……らしいですね」
当の本人であるゆづきすらそのサニシアとやらの姿を知らないのだ。
指輪の状態が例の聖剣のあるべき姿というのなら、まず何から受け入れなければならないのやら。
「立ち話もなんです、続きは私の研究室でどうですかな?」
と、聞いておいてコートックは返事を待たずして踵を返した。
「え?……え?」
いきなり置き去りにされそうになり戸惑うゆづき。無思考で白衣の広い背中を追いかけた。
◇◆◇
コートックに通された部屋はきちんと明るく、すっかり暗闇に慣れてしまった目にはむしろ眩しいくらいだった。
白い部屋、棚に並べられた薬品らしき小瓶や本の数々。
ゆづきの想像しうる限りの研究室という名に恥じなさそうな研究室だった。
「適当なところにでも掛けると良いですよ」
とは言われるものの、玄関ホール同様来客に対応する気の無いこの部屋の中で腰を掛ける物など、コートックが使い倒しているであろう古こけた大きな椅子だけだ。
「ふぅ、よっこいしょ」
その唯一の腰掛けにはたった今目の前で座されたわけだが。
「おっとこれは失敬」
コートックは白衣のポケットから黄金に輝く小さな石を取り出し、立ち尽くすゆづきの足元へ放り投げて指を鳴らした。
それに反応するかのように金は肥大と変形を重ね、やがてそれは椅子の形へと姿を変えた。
と思ったら次は表面の金色が徐々に薄れ始め、やがて完成したのは質素な木製の椅子だった。
「魔法とは既にご存知ですかな?」
ゆづきは目の前で起きた現象に驚愕し、今しがた石ころだった木製の椅子に慎重に座る。
「知ってますけど」
「では魔術は?」
「言葉だけなら」
というのも大体アニメやゲームの知識だ。
実際この異世界では今初めて聞いたし、ある事も知らなかった。
「ふむ。せっかくですから基礎の基礎からお話しましょうか。ゆづき嬢は魔法に重要なものは何だと思いますかな」
魔力は基本として、その次にあるのは属性とかエレメントと言われるものだったりする。
ここら辺の扱いはあったり無かったりとだいぶあやふやだ。
だがこの場合ゆづきは、
「魔力と属性?」
と答えた。
「半分、いやそのまた半分程正解です」
つまり4分の1は合っているということらしい。
「魔法の発動には条件があるのです。っと、話を進める前に、パラメータカードは手元にありますかな」
「パラメータカード?」
「恐らくゆづき嬢はここに来る以前、第4区のギルドにて何やらカードを発行されているはずです。それを見てもらいたいのですが」
あれは冒険者カードという認識が濃いが、よくよく考えたら体力値だとかが表記されていたからパラメータカードという呼び方でもあながち間違いでは無いのか。
そしてそれは財布の中に仕舞い、その財布は今本館のどこかにあるのだが。
「……まあ良いです。思い出せる限りで想像してください」
察されてしまった。
「では魔法発動の心得その1、精神安定値が個人差の一定値を下回らないこと」
そういえばそんな項目があったような。
「その2、各部門ごとのエレメンタルクリスタルを限りなく身体に近づけておくこと。ただしごく稀に例外はあり」
コートックは机上の箱の中へ手を突っ込み、大きさや彩色は多少異なれどいくつもの輝石をゆづきへ差し出した。
言葉では分からなかったがこれには見覚えと少しだけ苦い思い出がある。
それはシマン村で生活をするのに大工から譲り受けた輝石に酷似しており、ゆづきが幾度となく独学で魔法を会得しようと試行錯誤していた際に必死になって握っていた物それだった。
「その3、穢れ値。これは精神安定と反対に、個人差の一定値を上回らないようにすること」
「上回るとどうなるんですか?」
「精神を蝕まれ記憶を失い、全て失くした頃に怪物へとその身を変えます」
多少異なるがどこかで聞いたことのある現象だ。
「まさか魔法少女……じゃなくて、魔法を使うとそうなるんですか?」
「ええまあ、魔法にこだわらなくとも身近なストレスで溜まるものですからねえ。この世界の生命体皆平等の課題なのですよこれが」
つまりヒトはもちろんのこと、大げさに言えば動物からミジンコまでもが怪物に変身してしまう可能性があるという事なのか。
「しかしですね、相当溜め込まなければ怪物になんてならないわけですから魔法を使う上では特に気にする必要も無い要素なのですよ」
要はストレスを上手く発散しなさいよという事だ。
人が気負いすぎて心の病気になるように、穢れも簡単に溜まっていくから抱え込みすぎないようにとも言える。
「ふむ、基礎の基礎はここらで良いでしょう。次は基本のきですからね」
今度は机の引き出しの中から巻物を取り出し、ゆづきに押し付けた。
「開いてください」
「これは……」
美術の時間に見たことがある、色の三原色だ。これさえあれば何でもござれという。
「重ならない外の三つ、これが魔法です。上が『
これが恐らく各部門とやらなのだろう。
「そして二つずつ重なり合っている部分があります。ここが魔術」
「種類の違う魔法同士を合わせるんですか?」
この図からして、そういうことで間違いは無いだろう。
ただ、魔法と魔法を掛け合わせて魔術になるのだけは理解が及ばないが。
「そうです。左上は現界と妖精で『
コートックの顔色が変わる。
「
死霊術といえばゲームなんかではお化けやゾンビを使役したり死人に魂を吹き込んだりするものだが、この世界ではそれが許されていないのか。
「ちなみになんで禁忌なんですか」
「それが理由までは分からないのですよ。一説では世界のどこかにいる、神の代行者がそう定めていると言われていますが真実かは誰も知りません」
神の代行者とはなんだろうか。
そもそも神とは現世においては迷信的な存在であったが、やはり異世界という地では存在が白黒はっきりしているものだったりするのだろうか。
現世には現世の歴史、異世界には異世界の歴史があるように、この世界ではそれが認識として当たり前となっているものなのかもしれない。
「……神って本当にいるんですか」
「もちろんですとも。とはいえ先程申した通り今は神が不在でして、代行者なる者がその務めを果たしている。という部分だけは噂の域を出ませんが」
つまり神は確かに存在するが今はいなくて、代行者というのがいるがそっちは本当かどうか分からないと。こういう事だろう。
だが神の存在が明白なのに対して、不在が知られているのはこの世界の住人にとっては大丈夫そうに思えない。
その上、代行者とかいう不確かな存在を容認しているとは信仰心が強いのか弱いのか分かったものではない。
きっと世界を支える役割だとか、かなりの大役をしていたのによくこの世界は滅びなかったなと内心思う。
「あ、そういえばまほ……」
何気なくコートックへ話しかけたその瞬間だった。
突き破らんとする勢いで背後の扉が開かれた。
「コートック!緊急事態だ」
衝撃と驚きで大きく身を跳ねさせ、声の主へ振り向く。
「シイナさん!?」
あの状態から抜け出せたのか。さすがリーダー。
「こんな所に、しかも私に用事とはよほどの事があったのでしょうね」
「ああ、モエもいたら良かったけど見当たらないから後回しだ」
コートックは軋む古こけた椅子から立ち上がる。
「ひとまずお開きにしましょう。ゆづき嬢は自室へでも帰ると良いのです」
コートックがそんな事を言ってくるが、あいにく自室なんてまだ場所も分からない。
メイドか誰かに聞けば良いだけというのは分かっているが。
「うん、ゆづきはついてきたらだめだ。絶対に本館のどこかにいてくれ」
という事はシイナ達はこの屋敷から出て、その緊急事態の地へ向かうのだろう。
「危ないですか?」
「当然」
「血が流れますか?」
「絶対」
「ついて行って良いですか?」
「許可しない」
シイナの目は冷たく本気だ。
ここは意地でもゆづきの食客という立場を揺るがせたくないのだろう。
「私はゆづきに危険な目に遭って欲しくないんだ。だから分かってくれ」
シイナはコートックへ来るように合図した。
二人が部屋を出ると同時に、どうしようもないゆづきもまたそれに続いた。
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