新たな生活―1

 ウェアリクト帝国帝都第1区画。

 そこは帝城直下の城下街で、現世で言うところの東京のような立ち位置の都会中の都会である。


 右を見れば立派な装衣に身を包む騎士が、左を見ればあからさまな貴族が。

 頭のおかしい金額設定の品物が並ぶセレブ御用達の超高級露店。

 人工的な造りに沿って流れる澄んだ川のせせらぎと優雅なティータイムを嗜むエレガントな貴婦人。


 ――第4区画にあるギルドから歩く事数十分。

 途中で第3区画と第2区画を通ってきたが、人や物流や生活の質が段階的に変化するのは見ていて新鮮だった。


 帝城の直下というだけあってか衛兵の姿が多く、ちらほらと凄そうな気風の騎士らしき人が歩いている。あとは分かりやすい貴族。


 その超金持ち街を歩く少女がひとり、辺りの視線を一身に背負っていた。

 それはきっと格好の問題で、ドレスとか華のあるものではなく、何も考えないで選んだ私服を着ているのが原因だ。


 チラチラと向けられる視線に嫌な熱を感じながら黒フードの女性の影を歩く。


「……ゆづき、近いよ」


「いや離れないでください。ちょっと視線が痛いので」


 同じく華の無い格好のシイナも視線の対象だが、どちらかといえばこの場に馴染みのないゆづきの方が酷い気がする。

 きっとシイナは色々と有名な自覚があるからこうして堂々としていられるのだろう。


「大丈夫だよ。ここには悪人なんて出ないから」


「そうじゃなくて、あたしがこの場にいていいものなのかって思って。だってみんな貴族とかお金持ちそうな人ばかりだし……」


「それはいらない心配だよ。だって君は国一番のギルドチーム〈イデア〉に所属したんだもの。むしろ胸を張って歩いたほうが良いくらいだよ」


 それは初耳だった。

 シイナのチームが高名というのはギルドの場の反応で分かったが、まさか国で一番とは予想だにしていなかった。


「そういえばシイナさんはなんであの時お爺さんの記憶を消したんですか?〈イデア〉がそんなに有名ならシイナさんの顔くらい誰でも知ってると思うんですけど」


 あの時シイナに記憶を消された老人はシイナの肖像画を描いていた。

 仮にシイナが自らを写した記録媒体を全面的に許していないのなら、そもそも民衆に姿を見せるべきでは無いと思うのだが。


「……別にあの人の記憶は消さなくても良かったんだよ」


「え、それじゃあなんで」


「私はそこまで大きな人間では無いからさ。人間という大きな盤上で比較したら物凄いのかもしれないけどそういう格じゃないんだ私」


 今、その例えにふと何かを感じた。というより何かを思い出しそうになった。

 単なる思い過ごしだと信じ、続くシイナの言葉に耳を貸す。


「昔はただの村娘をしてただけの人間がたまたま生まれ持った……って、すまない話しすぎた。今の聞かなかったことにしてもらえると有難いな」


 全然話していないと思うが、あまり触れたく無い内容だったのだろう。


「あ、あぁ分かりました」


 シイナを気遣い、一応今のは全て気にしない事にした。


 ――内側に大きな屋敷を構える白く高い柵を通り過ぎ、川にかかる小橋を渡る。

 馬車が駆ける大通りを帝城に向かって歩き、ありえないほど巨大な豪邸が等間隔に並ぶ、超大富豪の居住区らしき場所まで来た。


「……ここまで来ます?」


 今更だがなぜゆづきがここを歩いているのかというと〈イデア〉の本拠点がこの第1区画にあるというので、シイナに導かれてなるままについて来た次第だ。


 ここらにはもう普通の屋敷は無いわけだが、まさかこの内のひとつがそれだというわけではないだろうな。


「ここまで来るんだよ。もうすぐで……あ、ほらあそこ」


 もはや最奥にして唯一ともいえる屋敷だった。照りつける日を跳ね返し金色に輝く鉄柵が眩しい。

 その柵の前に日傘を差して立つ、同じく金色の髪がひとり。


 先程の民衆と似たり寄ったりだが、リボンやフリルの多いドレス……ゴスロリというものだ。

 退屈そうに地面を蹴るその姿はとても子供らしかった。

 その人は昨晩月明かりを浴びて夜空を駆け、恐ろしいドラゴンを討伐せしめた少女、モエだった。


 初対面でめちゃくちゃに言われた身としてはあまり良い印象が無いのだが、彼女の可愛さに免じてなんとなく許してあげちゃうというのが本音だ。

 ただちょっと気まずいような……

 もし壁を感じたらどうしようか。


「おーいモエー」


 シイナの声に反応し、口を尖らせたモエは不機嫌そうにシイナに詰め寄る。


「遅い!待ちくたびれたじゃないの!」


「えーちょっとくらい良いじゃんかぁ」


 モエはシイナの耳をつまみ上げ……ようとしたのだが身長が足りなくて引っ張り上げられなかった。

 仕方なさそうにつまんだ耳を下に引っ張るが、特にこれといってシイナが痛がる様子はない。


「……なに?」


「……うっさいバカッ!」


 モエは日傘を折りたたみシイナに叩きつける。


「あ?え、へっ?」


 シイナに振るわれる意味の分からない暴力は彼女の重そうなコートによってほぼ無力化されていた。


 ――ひとしきりぶん殴った後、モエは再び日傘を差した。


「それで、結局あんたは来ちゃったわけね」


 モエはゆづきに背を向けて言う。


「自分を信じて大切なもの見捨てて、今更後悔があるなんて言わないわよね」


 やはりそう来たか。

 やたらゆづきに風当たりの強いモエの思惑は理解しえないが、それならそれでゆづきにも考えがあるのだ。


「モエちゃん、あたしは後悔なんてしてないよ。そしてみんなを見捨てたとは思っていない」


 モエは半身振り返る。

 薄らに信じぬその瞳だけをこちらに向けて。


「あんたには溺愛する妹がいることは知ってるわよ。まさかその子すらも残して来ておいて綺麗事でも言うつもりなの?」


「……そう綺麗事。本当はあたしは自己満足のためにみんなを置いて来た。その上で言わせてもらうとね、あたしはここで強くなってみんなを護りたい」


「本当に護りたいと思ってるのならそんな言葉は出てこないはずよ。ねえ、あんたの本当の目的はなに?」


「ちがっ、本当にそう思ってる!」


 モエはゆづきに振り返り胸ぐらを掴んだ。

 獲物を仕留める目で、殺気を放ちゆづきを威圧する。


「だったら切り捨てなさい。〈イデア〉に来た以上は多少恵まれた立ち位置の自分のこれまでの運命に感謝し力を求めなさい。未熟なエゴで本当に他人を護れると思っているのなら大間違いよ」


「こ……これじゃまるで……」


 軍隊だ。


「本当に護りたいものがあるのなら強くなる他無いわ。この世で自分よりも強力な不安要素を蹴落とし、最強に到達して初めて安寧は手に入れられるのよ」


「そっちの方が綺麗事に聞こえるけど」


「ならそう思いなさい。自分を盲信する愚か者……」


「モエ、そこら辺にしておくんだ。ゆづきは今日から仲間なんだからもっと仲良くしないと先輩として嫌われるぞ」


「ふん!好きになさい」


 シイナがたしなめるとモエはゆづきから手を離し、ずかずかと金柵の屋敷に戻っていった。


「その、あれはモエなりの気遣いなんだ。手加減を知らないから一度ああなると人を傷つけやすくなるんだ。昨日もそうだけど、影で反省はしているんだよ。だから気を悪くしないでくれ」


 あれを気遣いとは、一体どの観点から見ればそうなるのやら。

 あれは罵倒以外の何ものでもない。

 でも。


「根は、優しいんですね……多分」


 ゆづきなりにモエの言葉を理解するとしたら『お前は弱い。護る者になるには甘えを捨ててただひたすらに最強を目指せ』と、そんなニュアンスを含んでいたのだろう。


「ひとまず中に入ろう。みんなにゆづきを紹介するからさ」


 ゆづきはシイナに背を押される。

 まるで慰めるかのように優しく叩かれた。


「あ、そういうのいいです」


 ゆづきは特に傷心などしていなかった。

 むしろ、モエの言葉に心の奥底のなにかを奮い立たされた気さえ感じるのだ。


 一方、好意をゆづきに跳ね返されたシイナはちょっと傷ついたのだった。


 ◇◆◇


 通された屋敷は庶民にはめまいのするような理解の追いつかない広さだった。

 巨大なシャンデリアが吊り下がり、いかにもな芸術的絵画がちらほらと壁に見受けられた。


「おかえりなさいませシイナ様」


 圧倒されていると、正面からメイド姿の女性が近づいて来た。


「そちらがゆづき様ですね」


「ああ、千年の眠りから目覚めた的なアレだよ」


「そうですか」


 シイナのボケが全く相手にされていない。

 多分吸血鬼的なニュアンスだったのだろうが、正直ゆづきからしてもどこが面白いのか全く分からなかった。

 メイドの様子からするに、こういうわけの分からないたわ言は日常茶飯事なのだろう。


「……まあいいや。いろんな案内は後でするとして、もうみんなは集まっているかい?」


「はい。皆様会堂にてお待ちしております。ゆづき様の荷物はひとまずこちらにてお預かりしますのでそれから案内致します」


 とのことだったので、ゆづきは背にしているバッグをメイドに預けた。

 そしてそのバッグは別のメイドの手に渡り、どこかへ持ち去られた。


 ――〈イデア〉には一体どんな人がいるのだろうか。

 今のところシイナとモエは知っているわけだが、もしかして女性だけのチームだったりして。

 はたまたモエを始めとした毒舌の集まりか。


 メイドが先導し、ゆづきとシイナはその背中を追う。


 ――正面の対の階段を上がり大扉を開けたその先、レッドカーペットが左右にも延びる長廊下を正面に歩く。

 絨毯を踏む音だけが聞こえ、流れ行く扉の数々はまるでホテルのような光景だ。


「ここが会堂。この廊下の一番奥だから分かりやすいね」


 行き止まりの扉にあたりシイナの説明が加わる。

 一番奥が会堂、なるほどこれは確かに覚えやすい。


 メイドの手により扉が開かれる。

 この廊下より明るく白い光が溢れ出し、眩しさに思わず目を塞ぐ。

 同時にざわめきも漏れ出してきて、ゆづきの緊張を一気に底上げする。

 全身から力が抜けるような感覚を覚え、その先へ歩を進める。


 中は教会のような、しかして食堂のような。

 木製の長テーブルとイスに20人ほどの子供と少年少女に合わせ数名の大人が座っていたがその中にモエの姿は無かった。


「皆様、シイナ様のご到着です」


 壇上に上がり一望する。

 子供達の好奇の視線が、大人達の感情の読めない視線がゆづきに絡みつく。


「すでにモエから聞いているだろうけど、今日から新しく仲間が加わる事になる」


 なんだかこういうのは過去に転校した際の記憶が色濃く思い出される。

 どの場であろうとこの展開ではとりあえず名前を言っておけば間違いはないだろう。


「えっと、きゅろ……」


 噛んだ。


「……黒宮ゆづきです」


 この場の全てから視線を逸らした。

 恥ずかしさがこみ上げてきて、じんわりと顔が紅潮していくのが分かる。


「という事で、ゆづきは仲間という事になるけれど大事な食客として扱うように」


「え?……あっ」


 ギルドやら冒険者といった出来事ですっかり忘れていたが、そういえばゆづきはシイナ達に守護されると言われていたのだった。

 ただそれには危険な立場になってしまうとの事だったが。


「……まさか戦うつもりだった?」


「…………まあ」


 忘れてしまう原因の主張が激しかったのだから、こればかりはしょうがないだろう。

 というかそんな事は外でモエと話している時に言って欲しかった。

 まさかとは思うがシイナも忘れかけていたなんて事はないだろうな。


「これはどうしたものかなぁ……守護を約束した私がゆづきの戦闘を許可するわけにはいかないし」


 そこをなんとか。

 と言いたいところだが、この反応では思い通りにいかない可能性が高そうだ。


「はいはーい」


 その時、机に頬杖をついていた赤毛の少女が高らかに手を伸ばす。


「なんだいマーシャ?」


「どういう巡り合わせでゆづキチはこんなところに?」


 ゆづキチとは……?

 まだ一言も交わしていないのにあだ名とは、どうやらマーシャという娘はとんでもないコミュ力を有しているらしい。


「ふむ、後で言おうとしたんだが前倒しになるようだ。ゆづき、右手のそれをみんなに見せてくれ」


 右手のそれとは?

 今ゆづきは手ぶらで何も持ってはいないのだが。

 ……いや持ってはいない。しかし装着はしている。


 ワンテンポ遅れて右手の黒光る指輪を見えるように差し出す。

 小さな子供達はそれが何なのか分からなくて首を傾げているが、マーシャ達年長組や大人は目を見開いて驚愕しどよめき始めた。


「そ、それは!?」


 身を乗り出してマーシャが叫ぶ。


「神器」


 その横に座る、ほわほわした雰囲気の白髪の少女が静かに口にする。


「セリの言う通り。これは神器だ」


 白髪の子がセリか。覚えておこう。

 じゃなくて!

 神器とはゆづきも初耳の事だ。

 この反応からするにこれはとんでもない代物なのだろうが、一体神器というのにどれほどの価値があるのだろうか。


 ゲームなんかでは唯一にして最強と位置付けられていたりするが、アニメや漫画なんかではひとつ出てくるとその後もほいほい出てくるみたいなものもある。

 後者の場合は神器の価値はそこまで高く上がらない印象ではあるのだが……


 だとしてもそんな大層なものをあの時はづきによって、しかも何の気なしに装備させられていたとはそろそろ自分の事を主人公体質と本気で思い込んでも良いのではないだろうか。


「聖剣サニシア。願いの剣だ」


「――神器とは固有の形を得た奇跡。人の強力な思念により生まれたのが準神器というのなら、古き伝説の種族、星神族グレヴィラントの手により芽吹いたそれはまさに……」


 セリの早口が止まらない。

 静かな口調に興奮が抑えきれておらず、その内自分の世界に入り込んでボソボソ喋り出した。


「それで、その神器とあたしが出会ったのはあの時で……シイナさんこんな大事な物を売りに出してませんでした?」


 間違いない。この指輪はアクセサリー屋の品物として並んでいたものだ。

 伝説とか奇跡とか言われているのに誰でも手に取れる場所にあったとはなんとも無警戒なのだろうか。

 というか村でサレナは何やら買っていたと思うのだがそれは良いのだろうか。


「いやあそれはだね……」


「神器および準神器は普通の人間には装備出来ない。少なからず世界そのものによってなんらかの理由で選ばれた者にしか扱えないようになっていてそれを生み出す事も同義」


「セリの言う通りで、まず普通の人間が神器を扱おうにも触れる直前に弾かれるんだ。私が売ってたのはほとんどただのアクセサリーだったしこれまでで弾かれた人はごく少数だった。これは神器の一つに運命を歪める力が備わっているものがあってだね」


「シイナさん話長い」


 セリはイスを後方に倒して立ち上がった。

 揺らめく視線をゆづきから逸らさずに一歩、また一歩と近づくとゆづきの肩を掴んだ。


「ゆづキチのそれが準神器なら納得はいった。しかしそれは星神族グレヴィラントにより創造された正規の神器。並みの因果律ではきっと出会うことすら叶わなかったはず」


 セリまでゆづキチ呼びか。ほわほわした雰囲気とは裏腹に意外と積極的だ。

 さらに詰め寄られる。つま先と腹が触れ合い、息がかかるほどに顔が近い。


「あなたは一体……なに?」


 興味津々で得体の知れないものを見る目のセリ。その中は澄んでいるような血走っているような。


「はいはいそこまで。ちょっとは落ち着くっすよ」


 マーシャがセリの首根っこを掴んで席へ連れ戻す。


「ゆ、ゆづキチ。実に興味深い」


「自己紹介は後でさせるからちょっと黙ってるっす」


 マーシャは自分の膝の上にセリを乗せると、背後から手を伸ばして身動きと同時に口を塞いだ。


「んむー!?んー!」


 あの様子ではセリはしばらく言葉を発せないだろう。

 マーシャの膝上でジタバタしているが、どれも無力化されている。


「まあ神器とかの話は後で詳しい人に訊いてくれ。とりあえず今はゆづきを紹介したかっただけだからそろそろ締めよう」


 シイナは壇上の中央に立ち数回手を鳴らすと、即座に全員がシイナに注目した。


「これにて集会は終了する。ゆづきとの個人交流は落ち着いてからほどほどにしてくれよ。では解散!」


 シイナの声が会堂に響くと、いくらかの人々は退室していった。その直後だった。


「にゃぁーーー!!!」


 子供の群れから元気いっぱいに銀髪の女の子が飛び出してきた。

 外見からして幼稚園児ほどだろうか、ゆづきの背丈の半分も届いていない。


「ぐへっ!?」


 そんな事を思っていると腹に強烈な衝撃。その子とともに後方へ倒れこむ。


「あぁこら!何してるんすかパル!」


 マーシャがセリを滑り落として立ち上がる。


「いて」


 セリのささやかな痛みの訴えなんて無視し、マーシャはパルと呼ばれた幼女をゆづきの上から抱え上げる。


「ゆづきち!」


 パルがゆづきを呼ぶ。

 というかもうここでのゆづきは『ゆづキチ』で決定なのだろうか。

 訴えかければ別の呼び方にしてくれるのだろうか。


「何考えてるんすか!いきなり突っ込んだらゆづキチがびっくりするでしょうに!」


 マーシャの怒りにしょぼんとし、パルは口を尖らせた。


「ごめんなさい……ママに似てたから」


 言われずともきちんと謝るとは、なんて偉い子なのだろう。

 その健気な姿に免じて全てを許してしまう。


「へーあんたの母親ってゆづキチに似てるんすか。ちなみにどこらへん?顔とか?」


「似てないよ?」


「はぁ?何言ってるんすか?似てるって言ったじゃないすか」


「ううん。似てるのは見えないの」


 これはなぞなぞだろうか。

 パルの年齢的にボキャブラリーが豊かではないのは明らかだが、いくらなんでも難解すぎる。

 分かるのは、似ていると言ったのはどうやら外見の事ではないらしいという事と同時にそれは目に見えないという事。


「もしかしてオーラって言いたいの?」


「おーら!」


 単語そのものは分かっていなさそうだが、意味は理解しているようだ。


「なるほど。そう言われると自分もなんとなーく何かを感じる気がしないでもないような……」


「同意。もとよりわたしは母なるオーラを感じ取っていたが」


 ふらりと現れたセリすらもそんな事を言い出す。


「んじゃあ、ゆづキチはみんなのお母さんってわけっすね」


「いやおかしいでしょ!?」


 さすがに冗談混じりとはいえ、ここまで歳の近そうなふたりからも母親扱いされるのはたまったものではない。

 バリバリのヤングママだったら、外見的にこんな娘がいてもおかしくはないのだろうが。


「もういいかな?そろそろゆづきに屋敷の案内をしたいのだけれど」


 解散の掛け声の後、今まで後方で目立たなかったシイナが割って入る。


「はーい。んじゃあ自分らはいつも通りに戻りますかね。行くっすよセリ、パルも」


「ん」


「あい!またねゆづきち!」


 パルはマーシャに手を引かれる。去り際に振り向くと大きく手を振った。


「うんまたね」


 ゆづきは微笑み、小さく手を振り返す。


「あ、ちょっと待って!」


 だが心中にわだかまっていたある思いが咄嗟にマーシャを呼び止めた。


「んお、なんすか」


「あのさ、あたしの事はあだ名とかじゃなくて普通に呼び捨てとかで呼んでくれないかな。あんまりそういうのは馴れてなくて」


 あんまり馴れていないのではなく、今までそういった経験が無かったから抵抗があるだけであるのだが、この事は言うまでも無いだろう。


「えー愛称いらないすか?」


「いらない」


 マーシャは少しがっかりと肩を落とした。


「分かったっす。みんなにはゆづきを名前で呼ぶように言っとくっす」


 おお。思わず感嘆の声を漏らすところだった。

 早速ゆづきの要望に応えてくれるマーシャは好印象だ。


「うん、ありがとう」


「礼には及ばないっすよ。それじゃあ今度こそ自分らはこれで」


 マーシャはパルの手を引き部屋を出ていった。


「……行かなくていいの?」


 セリがゆづきの目の前でもじもじしていた。

 先程マーシャはセリも連れて行こうとしていははずなのに、どうしてここに置いていったのだろうか。


「ゆづきに最初に自己紹介したくて」


「そ、そうなの?」


 セリはうんうんと無言で頷く。


「わたしはセリ・ラーヴュ」


 抑揚の感じられない灰色の目と声。

 だがその中から微かに見え隠れする好奇の感情は抑えきれていないようだ。


「歳は17、女、スリーサイズはひ・み・つ。好きな食べ物は甘いもので苦手なのは辛いもの。趣味は主に文献漁りで、ためになる情報ならなんでも大好き」


「いや聞いてない聞いてない」


 同い年というのは知っていると気が楽になる情報だが、それ以降は特に必要ない気がする。


「ちなみに今はシイナさんの鋭い視線に密かに怯えてる」


 はっ、として忘れかけていたシイナを見る。

 引きつった笑顔の怖い彼女が立ち尽くしていたが、途端にため息を吐き腰に手を当てた。


「はぁまったく、セリはどこまでも探求心に忠実だなあ。誰もいないから特別だからね」


「おお、珍しくシイナさんが寛大」


「個人交流は落ち着いてからって言った手前、こんなに静かな会堂で君を叱るのは無粋だろう?」


 落ち着いてからというのは心情を指していたのではなく物理的に静かになるという事を言っていたのか、もしくはどちらでも良かったのだろうか。


「そういう事ならここにいればいつまでもゆづきを観察できるという事になる」


「えぇ?」


 セリはゆづきに接近するとまず匂いを嗅いだ。

 胸元辺りから上昇し、首筋までその鼻が這い寄ってくる。


「ひぇ……近い」


 首元がこそばゆくなり、仰け反り数歩後ずさるとセリも追従してくる。


「研究に恥は持ち込むべからず」


「これ研究なの……?」


 暴論だし、生体研究をこんな場所で始めるなんておかしいとしか言えない。


「……だー!今度じっくり見ていいから今は無理!死ぬ!」


 研究に恥がなんとやらではなく、根本的に間違っている。

 これは今やらなくても良い事だろうし。


「今度、じっくり、隅々と?」


 隅々とまでは言っていないのだが。


「うんそれで良いから離れて……」


 仰け反ったこの体勢ではなかなかに呼吸がしづらい。これはなんというか、この息苦しさは良い意味も悪い意味も含んでいる。


「ハァハァ……分かった。約束」


 心なしか先程よりセリの息遣いが荒くなっているし顔も赤くなっている気がする。

 ゆづきの見解では、どうやらセリの研究魂に火をつけてしまったようだとでも思い込むことにしておく。

 仮にもゆづきの匂いで発情させてしまった。という事ではないことを願いたいが。


「んへへ……何から調べようかな。まずは人体の構造を比較してその次に各部位への刺激の反応の検査、採血したら成分を解析してそれから……」


 セリは遠い目で独り言を呟き始めた。

 よだれを垂れ流し、それに気づかないほど妄想に熱中している様は実に不気味だった。


「シイナさん」


「なんだい?」


「もしかしてセリって変態?」


「もしかしなくても最大限に自分の興味を惹きつけられるものには変態的な執着を見せるよ彼女」


 まだ続く独り言に耳を立ててみれば、いかがわしさや下心を感じ、果てには身の危険を感じた。

 悪寒が背筋を撫で、一刻も早くここを離れなければと脊椎反射で足が出口へ向かう。


「おめでとう。見事にセリの興味を一身に受けたね」


 少しおちょくるような口調でシイナが言う。


「それ絶対おめでたくないでしょう!?」


 ゆづきが叫ぶとセリの眼光がこちらを捉えた。


「ヒィ!?」


「へヘァ……ゆづき……」


 当初のクールで物静かな雰囲気はどこへ消えたのやら、今はもうただの変態にしか見えない。


 捕まったら身ぐるみ剥がされてヤバいことされる。


 そんな考えたくもない状況が脳裏に迸る。


「お、美味しくないぞ」


「経験は蜜の味」


 即答で恐ろしく意味深な言葉が返ってきた。

 ゆづきは扉へ後ずさる。セリはゆづきに歩調を合わせてにじり寄る。


「ちょっ!シイナさん助けて!」


「うん、まあそこら辺にしておきなよセリ。あんまり度がすぎると」


「他人の好奇心を妨げることは誰であろうと許されない」


 セリは右手をシイナに伸ばす。

 一瞬だけ淡い光が手のひらに収束し、筋となって放たれる。


「あっ!?こら!セリ!」


 シイナが光の縄のようなもので簀巻きにされてしまった。

 壇上でばたりと倒れ伏し、身動きが取れないでいる。


「それは特別製。いくらシイナさんでも解除には時間がかかる」


「くっそぉ、日に何度も使えない大事な能力をこんなどうでも良いところで使うなんて。まったく末恐ろしい娘だよ」


「あれ、やばくね?」


 唯一の頼み綱だったシイナが封じられてしまった。

 自己防衛をしようにも魔法を使う相手にどう出たら良いのか分からないし、肉弾勝負を持ちかけたら間違いなく身ぐるみを剥がされる。


「じゅるり……やっと二人きり」


 わざとらしく舌なめずりをし、いやらしい目を向けられる。


「いやあ!犯されるっ!」


 ゆづきは真後ろの扉を開き逃げた。


 ◇◆◇


 手に汗握り、レッドカーペットをけたたましく駆けて行く。

 突き当たりの扉を体当たり気味に叩き開き、対階段を段飛ばしで駆け下りる。

 足を踏み外さないようにと下を向いていたのだったが、突如視界に金色が入り込んだ。


「……っ!?」


 慌ててブレーキをかけようにも足が止まらなく、避けようにももう間に合わない。


「え?危なっ……!?」


 金色の警告虚しく、ゆづきと金色は派手に衝突した。

 派手に階段を転げ落ち、派手に視界と脳が震えた。

 その中でゆづきが出来た精一杯の事と言えば、咄嗟にぶつかった人を抱え込んだという事だ。


「いてて……」


「ちょっと何なのよ……」


 胸中で黒いゴスロリがうめき声をあげている。


「あれ!?モエちゃん!」


 セリはセリで大変ヤバイ何かを感じたが、この金髪少女は別のヤバさがある。

 こんな事をしでかしたら流血沙汰にされてもなんら不思議ではない。気がする。


「……まさかあんたに不意打ちをされるなんてね。さっきボロカスに言われた腹いせかしら」


 モエはゆづきの上で怪訝な表情を浮かべる。


「いいいや違うんだよ!今セリに追われてて」


「はあ?なんでまた?」


「なんか知らないけどセリの興味を引いたとかなんとかで」


「あぁ、目をつけられたってわけね」


 モエのこの反応、どういうことか具体的な状況を知っているらしい。

 助けを求めれば手を差し伸べてくれるのだろうか、それともゆづきを侮蔑して見放すのか。


 モエがゆづきの上から降りようとしないため暫しこの状態が続いたがそれどころでは無い。


 階段の上から扉を開く音が聞こえてきた。


「うわ、もうそこまで来てる」


「えっ、ちょっとそれは勘弁ね」


 モエは焦った様子で立ち上がると服の埃を払い、その場から一歩も動かずに姿を消した。

 徐々に輪郭がぼやけ、霧のようにおぼろげになっていった様子からして透明化だとかいう魔法を使ったのだろう。


「ちょ!服も消えるのズルくない!?」


 こういうのを見ると常々疑問に思うのだが、透明になるのは術者だけなのになぜ衣服も同時に消えるのだろうかと。

 それは考えたらいけない領域のものなのだろうか。


 ゆづきは手探りでモエを探す。

 だがその手は全て虚空を切った。


「誰かいたの?」


 抑揚の無い声が背後より発せられた。


「う、ここまでか」


「なんでこれから死ぬ人みたいな顔してるの」


 それはあんたのせいだよ!と叫んでやりたい気持ちである。


「約束。忘れないで」


「……へ?」


 まさかそれを言いたいだけだったのか?

 そういえばついさっきまでの興奮はもう冷めているようだし、襲いかかってくる素振りも見せない。


「それじゃあわたしはこれで」


 意外や意外。ここまで来て手を引くなんて熱しやすく冷めやすい性格としか思えない。

 踵を返すセリだが、その背後にいた人物にぶつかり尻餅をついてしまう。


「んやっ……痛い」


「セ〜リ〜こんな所にいたんすね!いつの間に抜け駆けしてたんすか!」


 そこにはマーシャが仁王立ちで立ち構えていた。

 困ったとでも言いたげな、地味に怒っている様子の伝わってくる表情でセリを見下していた。


「んー?なんで黙ってるすか?」


「……マーシャ怒ってる」


「当たり前でしょう。これからたっぷりお説教してあげるから大人しくこっち来るっすよ」


 そんな優しい言い方で説教宣言したって子供でもついて行かないだろう。


「……マーシャ後ろ」


 突然セリがマーシャの背後を指差す。


「え、なんすか?」


 それにつられてマーシャは後ろを振り向くが、当然そこには何も無い。

 ゆづきの視界の端でマーシャが首をかしげる一方、セリはそろりと立ち上がり忍び足で階段裏の死角に逃げ伏せようとしていた。


「何も無い……ってこらぁ!?そんな引っ掛け方今時子供でもしないっすよ!」


 それにまんまと乗っかったのは一体誰だと言うのだ。


「むにっ!?」


 マーシャは大股でセリに接近し羽交い締めした。


「もう逃がさないっすよ。さあ、大人しく来るっす」


「やっ、やぁー」


 特に嫌がっていないような声でセリは叫ぶ。

 流石に羽交い締めのままだと歩きづらいのかマーシャはセリの腕と自分の腕を絡ませ、指も余すことなく組ませて固定した。


「マーシャ熱い」


「セリの体温が低いだけっすよ」


 ……なぜだろうか。この構図は心の底からハラハラしたものを感じる。

 悪い意味のハラハラではなく、こう、言葉では言い表せないなにかなのだ。


「ゆづき、会堂に置いてきたシイナさんが泣き出さないうちに助けてあげて。ありがとう」


「まだ何も言ってないんだけど」


 マイペースなセリの言葉遣いには今後も困らされそうだ。

 そして自分でやったシイナの後始末を人に任せるとは、これはいつか怒られても仕方がないだろう。


「まあいいよ。早く行っておいで」


 そう言ってゆづきはセリとマーシャを送り出した。

 本当にこれから説教するのか信じられなくなるほど仲の良さそうなふたりの背を眺めて、一方で自分の心にどこか寂しさを感じて。


「なーに辛気臭い顔してるのよ」


 蜃気楼のようにモエが姿を現した。


「いや、あのふたり仲良いなって」


「そりゃそうよ。私が知る限りでは彼女達が喧嘩したりするところなんて見た事が無かったもの」


 それなのに説教だなんだとか、マーシャのセリに対する態度とかはまるで……


「恋人。みたいだね」


 こんな場面、しのが見たら鼻血を滝のように出して卒倒してしまう事間違いないだろう。


「さあ、誰が誰を好きであろうと恋愛なんて生存をかけて戦う者には必要の無い要素だわ。あのふたり、いつか痛い目を見るわね」


 こういう年頃そうな感じのするモエでも、流石に戦いを絡ませれば厳しい考え方をするか。


「でもそれは一方的な考えだと思う」


「どういう事よ」


「なにも全てにおいて戦闘を意識しなくても良いって事。あんまり深い事は言えないけどさ、人にとっての幸せはその価値観ごとに違ってくる。だからモエちゃんが戦えて幸せならそれでいいけど、あのふたりにとってはそうとは限らない。一緒にいるだけで幸せ、いないと寂しい、そんな事をお互いに思い合ってるのかもしれない」


 そう考えると、ゆづきがセリとベタベタしているのはマーシャにとって良くない事なのではないだろうか。

 もしかして自分は知らぬ間に大変な事をしでかしてはいないだろうかと不安がよぎる。


「……私、そういう話してないんだけど」


「うぐ、その返しは恥ずかしい」


 せっかく語った事が的を得てない事ほど恥ずかしい事は無い。


「でもまあ、言いたい事は伝わったわよ。ひとつの考え方として一応覚えておいてあげる」


「モエちゃん……!」


 トゲトゲしていてサバサバしているモエのイメージがここで大きく変化した。

 まだちょっとは良いところもあるのだなくらいにしか思えないが、それでも可愛く見えてきてしまう。


「さっきセリが、シイナが会堂で泣くとか言ってたわよね?」


「あ、そうだ。シイナさん簀巻きにされてるんだ」


「はぁまったく何してんだか。助けに行くわよ」


「うんそうだね」


 ゆづきもモエと歩き出した。

 手を繋いだり歩調を合わせたりはしてないが、今は同じ事をしに同じ場所に行こうとしている。

 なんだかこれだけでも心の隙間は埋められた気がして、ほんのちょっとだけ心酔した。

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