そして動き始める物語―2
目を開くと、厳かであるその場に似合う姿の人々がそこにはいた。
右を向けば肉にがっつくいかつい男達が。左を見ればうら若き乙女達が剣や杖といった武具を携えて掲示板の前にて話し合っている。
「こ、ここは……まさか」
アニメなんかでよく見る『ギルド』そのものだった。
イメージ通りで安心したというか、冒険者という職業に多少なりとも好奇心を持っている者なら誰もかれもの憧れのような場所に来れたというのはある種の達成感がある。
足元を見ると数人が入っても余裕そうなサークルがあり、目を凝らすと薄っすらと魔法陣のようなものが描かれていた。
その内で立ち尽くしていると、突然左肩になにものかが追突してきた。
衝撃でよろけ、危うく転びそうになるのをシイナに支えられてなんとか踏ん張った。
「おっと悪りぃ。大丈夫か?」
飄々とした声が後方より発せられた。
そのせいで若干機嫌を損ねかけたが、声の主を見た瞬間その気も失せた。
一言で片付けるのなら『獣人』。
頭部が犬の人型の生物がそこにいた。
衣類をしっかりと身につけていて、身体の横には茶色の毛に覆われた腕と生え揃う五指。
脚もご立派にゆづきより長いときて、靴の形状からして恐らく同じ形だろう。
細かいところを除けば、限りなくヒトに近い容貌であった。
「ん?どした」
流暢な言葉でその犬頭はゆづきを不思議そうに覗き見る。
「すまない、他の種族を知らない子なんだ。初めて
「へぇ、そいつは珍しい。箱入り娘って言うんだよなそういうの」
「箱に入ってたかは知らないが、まあ次に見かけた時には優しくしてくれよ」
「あいあい。そんじゃオレはこれで」
適当な返事を残すと犬頭は片手を軽くあげて去っていった。
その先にいた人間達は、横を過ぎるその獣人に見向きもせず当たり前のように酒を飲んだりしていた。
「大丈夫?」
「はい……でもあれは……?」
「あれは
以前より獣人というものはこういうものだと予想はできていたはずなのだが、いざ目前にすると動物がヒトの姿をしている異質さに言葉を失ってしまった。
周囲の人々があの狼姿族に目もくれなかったのは、それが日常として当たり前のことだからだったのだろう。
周囲を見渡す。
他にどんな獣人がいるのか一周回って見たが、どこも人間しかいなかった。
「獣人が見当たらないんですけど、なにか理由でもあるんですか?」
「ああそれはね、大抵の獣人はここに依頼を持ち込む側だからだよ。動物ってのは種の繁栄や保存を生きる目的としているじゃないか。それにならって姿がヒトだろうと、無意識に保守的な思考を持っているんだよ。自ら危険に飛び込む獣人はレアケースなんだ」
となると、先ほどの狼姿族はここに依頼を持ち込んで来ていたという事になるのか。
「つまり、冒険者とかってのはほとんど人間しかいないって事ですか?」
「そういう事だね」
それはそれで納得した。
ゆづきとて数々のゲームを広く浅くプレイしてきているのだ。
記憶を漁れば、獣人が冒険者サイドにいるのはあまり無かった気がする。
「さて、ここで君にはひとつのことをしてもらうよ」
シイナはポンと手を叩き、ちらりと横を見た。
「冒険者の登録。ですか?」
それは大抵こういった場合のお決まりである。何も理由が無くてこんな場所に連れて来るはずがないのだから。
「察しが良いね。ついてきて」
先を行くシイナの背を追う。
少し歩き、いかにもなカウンターの前で止まる。
そこには横に並んだ三人の女性達が山積みになった紙になにかを記していたり、ハンコ押して紙を処理していた。
「さあ、ここからは自分でやってみるんだ。最後は私が手伝うからそこまで、ね」
シイナは小声でゆづきにそう告げた。
ゆづきはカウンターの真ん中の女の子の前に立つが、一向に気づかれる気配がしなかった。
「……おい、あの子お前んとこに立ってるぞ」
「真ん中よ真ん中。早く対応しなさい!」
左右の女性が真ん中の女性を小突く。
黙々と下を向いて書類とにらめっこしていた真ん中の女の子がハッと顔を上げゆづきと目が合った。
「あっあっ……」
「なにしてんの、挨拶でしょ!」
右の女性が小声(丸聞こえだが)で囁く。
「あっこんにちは。ええと、ご用件は何でしょうか」
握るペンが書面から離れてなく、完全にゆづきに気を取られていて書類にインクが染みてきている。
それはそれとして、用件とは本当に冒険者登録で間違いないのだろうか。
シイナは『察しが良い』としか言っていなかったが。
「冒険者登録ってのをしたいんですけど……」
「冒険者登録……?」
首を傾げられた。
やはり何か違っていたのだろうか。
「あれよあれ、足元の棚の上の引き出し」
「違うそこは退団の段。登録は下」
「違うって下は違反報告書」
「なに言っているの?バカなの?記憶喪失なの?バカ」
「ああぁ!バカって二回も言ったな!おい!やるか!?やるのか!?」
冷静に毒を吐く左と激昂する右。
ふたりのいざこざから弾き出される真ん中とゆづき。
互いを見ては困惑の表情を浮かべ、真ん中は大人しくカウンターの下に潜って書類を探し始めた。
ゆづきはシイナを見るが、無言で肩をすくめられたので左右のふたりに為すすべがなかった。
「……あった!」
真ん中は一枚の紙を高々と持ち上げて、左右にアピールした。
「あんたはいっつも人の言うこと否定してさ、そんなんで良くこの仕事出来てきてたな!」
「あら、そういうあなたもそんなガサツな態度でよく今まで誰にも逃げられなかったものね」
「キッ……なにぃー!」
右は今にも左に飛びかかりそうな形相だ。
「あの……登録書類あったんですけど……」
「ほらそういうところ。怒った
「お……お前って奴は……」
もはや目も当てられない状況だった。
右の女性のこめかみに青筋が浮かび、それなのに煽り倒す左に関係の無いゆづきまでもがヒヤヒヤする。
無視される真ん中は困ったように唸り声をあげてカウンターに突っ伏して、紙で顔を覆ってしまった。肩を震わせ、片手をそろりと上げる。
「……おい、いい加減にしろよ」
可愛らしくもドスの効いた声と、ドスンとあたりに響き渡る音。
真ん中の女の子がカウンターに拳をめり込ませていた。
左右だけでなく、併合している酒場から依頼掲示板らしきものにいた全員が一瞬黙りこちらを見ていた。
そしてすぐに視線を逸らした。
「はっ!あわわわ、す、すいません!ごめんなさい!すいません!」
突然我に帰り、周囲に頭を下げる真ん中。
左右は唖然として、真ん中は持っていた紙をペンと共にゆづきの前に差し出した。
「ようこそ、ウェアリクト帝国冒険者組合。またの名をギルドへ。私達はあなたを歓迎します、新たなる冒険者希望さん。まずはその紙に氏名と所属するチーム名を書いてください。チーム名の上にはリーダーの血印を捺してください。新たにチームを作る場合は氏名だけで結構です」
何事も無かったかのように真ん中は淡々と説明する。
渡されたこの紙には二つの欄があった。
「ゆづき、左の欄に名前を書いて後は私にそれを渡してくれ」
後ろからシイナにそう言われた。
名前を書くだけというのは楽で良いのだが、ゆづきは異世界文字の読み書きが得意ではない。
二ヶ月ほど前にようやく勉強をし始めた程度のものだから、幼児と同レベルの汚さでしか書けないし時間もかかる。
「……これで……こう。はいお願いします」
さっくりと書いてシイナに押し付けた。
それを受け取るとシイナもペンを握りもう一つの欄にサラサラとチーム名を書き記した。
そして流れるように懐から小刀を取り出し、捲った左腕に小さく一筋の線を刻んだ。
――その動作を見た瞬間、脳内に嫌なイメージがフラッシュバックしかけた。
鮮明ではなく薄ぼんやりとして、ゆづきの左手首に巻いた包帯の下を疼かせた。
シイナはそんな事お構い無しにその線より溢れ出る血を右手の親指ですくい上げ、書類に押し当てた。
その跡には綺麗な赤色の血印が残り、真ん中の女の子はそれを受け取った。
「くろみやゆづき。〈イデア〉に入団。……ってイデア!?あ、あわわお、おま、お間違いはないです……よね?」
真ん中がその名を大声で叫ぶと、ざわめきながら再び周囲の視線はこちらを向いた。
「ああ大丈夫だよ」
そう言うシイナの顔は凛としている。
「か、かしこまりました。手続きをしてきますので少しお待ちください」
真ん中の女性は書類を大事そうに後ろに持っていった。
「……まさかあんたが〈イデア〉のリーダーだとはな。正直もっと歳食ってると思ってたよ」
「そうね。噂では、世界で唯一の秘術を会得している古き魔法使いだとか言われていましたけれどそれにしてはお若いですね」
なるほどシイナの名はそれほどに有名なものなのか。
未だざわつく周囲の様子からして、シイナが姿を見せるのは滅多にないのだろう。
――少し離れたテーブルで、希少なものを見る目で老いた男性が必死にノートへ筆を走らせていた。
ゆづきはそれが何をしているのか分からなかったが、シイナは勘付いたらしい。
指を老人へ伸ばし、魔法だろう力でノートを空中へ取り上げる。
それを手元に持ってくると、描かれていたのがシイナの肖像画だとゆづきにも理解できた。
「悪いね。こういうのはお断りなんだ」
一つ指を鳴らすと、滞空していたノートが見る影もなく灰と化して霧散した。
「ああ……なんて事を……」
駆け寄ってきた老人は嘆き、シイナを睨みつける。
不穏な空気が淀み始め、辺りは黙ってしまった。
「その顔、忘れはせんぞ。いくらお前があのシイナでもわしをどうすることもできまい。わしは限られた者にしか備わらぬ超越的な能力を有しているのだからな」
老人は若干説明口調で話し胸を張る。
なぜこの状況で威張るかはゆづきには理解出来なかったが、なにやら自分の持つ能力を自慢したいだけのようにも見えた。
「その自信の持ちようはどうせ記憶操作だろう。ならば他者への記憶の譲渡が出来るはずだよね。抵抗しないで素直に記憶を渡してくれたら手荒な真似はしないよ」
「っ……ふん!誰がこの貴重な情報を手放すか!」
能力を言い当てられ動揺したが、すぐに強気を取り戻す老人。
「はあ、後悔しないでよね」
張り詰める空気、シイナも負けじと老人の瞳を覗き込む。
その時、一瞬シイナの瞳の奥底がほのかに輝いた気がした。
それがあってからだった。
「わしの記憶領域に踏み込もうとでも?無駄よ。仮に侵入できてもお探しのものは絶対にそこには無い」
「へえ、すると記憶を別のカタチに変換して別次元にでも移したのかな?」
「だったらなんだ」
どうやらシイナが言ったことで合っているようだった。
専門用語が多くなってきてもはやゆづきの理解力も限界に達しようとしていたが、必死に脳内でイメージを構築してなんとか理解する。
「ご老体、そんな事では私を巻けないよ」
「……なにぃ?」
どこからかカチコチと、先ほどまでは絶対に聞こえてこなかった、時計が時を刻む音が聞こえてきた。
それは最初はゆっくりだったのだが、途中から加速し始めた。
コチコチコチコチ。
「この音が聞こえるかい?私の前にはご老体の磨いてきた偉大な魔法だろうと、赤子の使う魔法だろうと大差ないのだよ」
「……嘘だ……そんな事が出来るはずがない……!」
バリンッ!
すぐ近くから硝子が破れるような嫌な音が響いた。
空気の質が変わり、それからも卵の殻を握りつぶすような異音が鳴り響く。
ゆづきの視界の上部隅に青白い光が映った。
見ると、シイナの上の空間が罅と共に破れていて、少しずつその罅が大きくなりつつある。
それにつれて空間の放つ光量も増えていく。
「なに……これ」
そのあまりの輝きに視界を遮る。
「この人、時間の流れに記憶を流している。今から未来永劫まで私の事を忘れないつもりだ。この短時間で大したものだよまったく」
「だから無駄だと言っている!所詮は青二才。考えが甘いのぉ」
「………………」
シイナは老人の煽りを無視し、なにやら小声で囁いている。
なにかを呟いているというのは分かるのだが、それ以上は知れなかった。
突如、破れた空間が閉じた。
光が失われ、視界がほぼ暗くなりなにも見えない。
目を凝らすとシイナはその手に正四角形の不思議な結晶を持っていた。
「これがそうだね。いやはや面倒な事をしてくれたものだ」
「くっ……このアマァ!何をした!」
「簡単な事、それは自分が一番分かっているのではないかな?今度はもっと強くなってから私に喧嘩を売る事だね」
シイナは捨て台詞を吐き、手に持った結晶を握りつぶした。
それは見た目に反して意外と脆く、破片は床にたどり着く前に小さくなっていき消え去ってしまった。
「やめっ……!」
老人の思い虚しく、最後の破片が霧散すると同時に、老人は目の光を失い頭から床に倒れた。
「……へ?」
死んだ。
老人はそうとしか思えない倒れっぷりで、死人の顔をしていた。
「殺してないよ。どうせすぐに目を覚ます」
シイナが言い終えると同時に老人はむくりと起き上がった。
目を丸くし、シイナを見ても特に反応もなく辺りを見渡している。
「……わしはこんなところで何をしているんだ」
歳で腰が痛むのだろうかよろけながら立ち上がり、拳で腰を数回打つと老人は何事もなかったかのようにギルドを出て行った。
ゆづきには何も分からなかった。
ついさっきまで鋭い目つきでシイナを睨みつけていたあのおっかない老人が、シイナの魔法らしきものひとつでさっきの事を全て忘れていた。
ただのもの忘れと言おうにも、シイナの魔法を見ていたらそんな考えは浮かんでこない。
「あれがうわさの〈イデア〉の力なのか」
「さあ、私にはただの魔法にしか見えなかったけども」
「〈イデア〉にはあんなのがごろごろいるのかよ。どこからそんな天才を集めてくるのだか」
観衆はひそひそと、各々の思う事を辺りの人と言い合っていた。
大抵こういうのは悪口の類なのが定石なのだが、こういったことをシイナが言われていると、なんだか言われていない自分まで誇らしくなってしまう。
「ところで、どんな魔法を使ったんですか?やっぱりあの人の記憶を消したり……」
シイナは人差し指で頬をかき、露骨に照れの様子を見せた。
「厳密には魔法ではないんだけれど……まあ魔法っていう認識でも良いかな。うん、そう、あの人の最近の記憶を少しごた混ぜにしただけさ。命に関わったりしないから大丈夫だよ」
「魔法ではない魔法……?」
ゆづきからしてみれば、起き上がってさまよい始めた老人の行く末よりも、シイナが見せる異能力のほうによっぽど興味があった。
「まあここではちょっとアレだから。質問には後で答えるよ」
シイナがそう言い目配せをすると、周囲の人たちはバツが悪そうに散っていった。
おそらくはゆづきの疑問に対するシイナの答えを拾い聞きしたかったのだろうが、そう都合よく事は動かなかったようだ。
それでも何かを期待してか、少数はゆづき達の近場の席に居座った。
◇◆◇
「――さてゆづき。忘れてはいないだろうけど申請が完了したようだ」
あれから十分ほど。
シイナはカウンターを見る。ゆづきもそれを追う。
そこではゆづきの冒険者の申請のために裏へ行っていた真ん中の女性がまっすぐな瞳でゆづきを見ていた。
「あっ、終わりましたよ。完了です」
多分この子は、今ここで巻き起こっていた一悶着を知らない。
純粋な子供がするようなその顔でゆづきの反応を待っている。
「これが俗に言う冒険者カードなるものです。正式名称は『ウェアリクト帝国公認冒険者身分証明書兼個人能力表記書』で……す。ご査証くだ、さい……」
正式名称のせいで息切れた真ん中はカウンター上に、よく見る形のカードを置いた。
それは異世界文字で名前が記され、おもて面は複数の空欄と無地の円グラフ。裏面は一面に多くの棒グラフがあった。
「それに触れた瞬間からカードにゆづきさん自身が記録されます。体力や魔力などの情報から、リアルタイムの感情についてまで。今この場では語りつくせないほどの冒険者御用達アイテムです」
「へぇ」
一通り納得してカードを手に取る。
すると、見る間に空欄は文字で埋まり、その横には歪ではあるが六角形のグラフが形成された。
裏面では十本の棒グラフが異なる長さに伸びていた。
「簡単な説明をしますね。おもての六角形はそれぞれ体力、魔力、筋力、知性、精神安定、穢れ。を指しています。裏は喜怒哀楽に加え、恐怖、焦り、苦しみ、『決意』と『覚悟』と『信念』の値が随時表示されています」
つらつらと述べられるも、なるほどなとなんとなく理解できる。
六角形は上から時計回りに順に能力が表示されていて、裏のグラフも同じだろう。
それに当てはめるとゆづきは、体力と魔力が同じくらい、筋力はからっきし、知性と精神安定がダントツで伸びていて、穢れが最も低い。というよりほとんど無いように見える。
裏を見る。その瞬間でさえもグラフは伸び縮みしていた。
左から、喜びがやや高め、怒りが無、悲しみはほんの少しだけ伸びていて、楽しみも高い。
恐怖、焦り、苦しみは無し。
決意だけがなぜかどれよりも一番伸びていて、覚悟と信念の二つは動かず、何を心に思おうと大きく変動する事はなかった。
「うわあハイテク」
どのような原理なのかはもはやこの世界そのものが語っているが、一秒たりとも感情の推移を見逃さないシステムについては、感情の数値化というものの実現に近いものに見えた。
「私からしてみれば感情に加えられた三つはあまり必要には感じないんですよね。それを見てどうだっていうわけでもなければ大したステータスにもならないわけで、ですのでその三つはあまり気にしなくても良いと思います。ですが他の情報は大変重要ですから、冒険者カードは肌身離さず持っていてくださいね。ある程度の距離を置くと情報の更新がされなくなってしまいますから」
薄々ゆづきもそれは思っていた。
決意、覚悟、信念とは、喜怒哀楽とはまた違った心理的影響で変動する値だろうが、それを情報化したところで確かにどうするのだろうか。
「はあ分かりました」
ゆづきは生返事ひとつだけをして、鞄から取り出した財布にカードを忘れないように入れた。
真ん中はシイナとゆづきを交互に見た。
「あとはチームリーダーの役割になります。新たなる冒険者ゆづきさん。もし困ったことがあったらいつでも待ってますからね」
決まり言葉のような言い回しだった。
現世ではあまり期待できない言葉ではあったが、この人ならなかなか良い信頼を置くことができそうだ。
「はい、色々ありがとうございました。……ちなみにこれからあなた達の事はなんて呼べばいいですか?『受付嬢』とか実名とか?」
今度はゆづきがカウンター内の三人を順に見た。
全員きょとんとした顔で、目を見合わせた。
「そういや意識してなかったなそんなの」
「まあいちいち気にする事もないですものね」
「うんうんそうですね。ということですので別に好きな呼び方で結構ですよ。ただ、誰に話しかけているのか分かればというのに限りますが」
なら話は早い。
「そっか、じゃあ左から、口調がそれっぽいから『ヒダリ嬢』。実はアホの子そうな『マンナカちゃん』。姉御肌そうな『ミギ姉貴』で」
全員いまいち浮かばない顔だった。
「好きなので良いとは言いましたが……」
「まさか方向を名付けられるなんて……」
「まあなんだ、別にいいじゃんか。あたしらの呼び名なんて思いつくだけで20個くらいあるし」
「それもそうですけど……」
ヒダリもミギも頭を抱えた。
マンナカだけがなんとも言えない顔だったが、突然思いついたように顔を輝かせた。
「いや待ってください!あの〈イデア〉のゆづきさんが付けてくれたんですよ!しかも今日はあのシイナさんまで拝めたわけですし、せっかくなので記念にこの呼び名でもバチは当たらないはずです!いいえ、バチが当たるどころがご利益すらあるかもしれないです!」
よくぞそこまで考えたなと若干引くレベルの説得だった。
ゆづきはただ単純に心の中で思っていた呼び方をほぼそのまま言っただけに過ぎないのに。
「なるほどな。なら少しは良い気分になれそうだ」
「ええまったく同意見ね」
どうやら満場一致になったようだ。
「受け入れてくれて良かったよ」
「――ゆづき、そろそろ行こうか」
名付けが完結すると、シイナは踵を返した。
ゆづきもそれに従いシイナの後につく。
「ゆづきさん頑張ってください!」
マンナカがカウンターから身を乗り出して、踵を返すゆづきに手を振る。
「あぁ、ありがとう」
ゆづきはすでに酒場の席ら辺にいて、周囲には人がいたのであまり大声は出したくなかった。
最後に放った感謝の一言がマンナカに届いたのかが不安になったので手を振り返した。
遠くでマンナカがニコリと笑ったのは言うまでもない。
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