そして動き始める物語―1

 重く暗い山脈の一角にて奴は現れたと言う。

 山のような体躯を引きずらせ、過ぎたる痕跡を文字通り平地にして、その被害がいよいよヒトが看過できない領域に達した事で今回の討伐命令が下されたらしい。

 概要はこうだ。

 世界にとって害悪である怪物モンスターを殺せ。

 単純明快で実に分かりやすい命である。


「そしてそんな討伐にたったひとりだけとは、上はあたしを殺したい願望でもあるのか」


 山のように大きいそいつと、一介の人間である自分がもはや対等に渡り合えるのかと、そんなの聞く前から誰しも分かり切っている事だろう。

 だったら討伐隊を編成するだとか、最悪途中参加で救援に来てくれるとか考えてくれても良かったのに全くそんな声は飛んでこなかった。


『君なら難なくこなせる』の満場一致で単独作戦なんて馬鹿げている。

 こんなものには戦略もへったくれもない。

 一対一の争いとは、確実にどちらかが生き残るようになっていてどちらかが死ぬというシステムになっている。運が悪ければ共倒れになるだけで、結局その場合でも生存は無い。


 いくら自分が伝説の聖剣を携えていて国一番の実力者だとはいえ所詮そんなものは井の中の蛙でしかない。

 ましてヒトとは生物的に根本から違う怪物モンスターの強さをヒトと同じ縮尺で測ってはだめだろう。


 とはいいつつも、その理屈がなんとかまかり通っているのも現実だ。

 ここは腹をくくって任務に取り組むのが善だろう。


「――あれか」


 既に日は落ちていて、夜闇のなかでの索敵はさぞ難航するだろうと思っていた矢先だった。

 ひとつ向こうの険しい山肌で巨影がうごめくのを視界に捉えた。木々をなぎ倒し、尾先で土砂崩れを発生させている様はまさに厄災。


 こんな任務とっとと終わらせて報酬をもらう。そんな願望を抱いて大きく跳躍する。

 こちらの山から向こうの山まで、足に魔力を集中させて木々の上を点々と渡る。


 奴が山を登って行った跡はぐずぐずに崩れ、とても足を置けるような状態ではなかった。

 それでもはるか頭上になびく尾を目指して道なき道を跳び駆ける。


 眼前まで追いつくもこのままでは土砂が直撃するので迂回し、奴の背へとしがみついた。

 ここでそいつの正体を知る。こいつはドラゴンだ。

 話すと長くなるが、世界において圧倒的な強さと歴史を誇る、あるところでは信仰の対象にもなっている御大層な種族だ。


 「でも、お前は悪であると世界に指を差された。その悪を絶つのがあたしの仕事でね」


 腰元から小ぶりの剣を引き抜く。


「来世は得を積むべきだなっ!」


 剣をドラゴンの背へ突き刺した。

 だがこれだけでは何も変わらない。こんなちんけな刺し傷なんてこいつからしたら蚊に刺されと同レベルだろう。

 だから、


「竜を滅せよ」


 そう剣に向かって語りかける。

 僅かに顔を外に出す刀身が輝きを放ち、それと同時にドラゴンの進行は止まった。

 ピシピシと異音を立てながらその背は熱を失い、やがてドラゴンからは生命力を感じなくなった。

 今だ発光する剣を引き抜き、滴る血を振り払って鞘に納めた。


「終わったか」


 もし観客が居ようものなら、誰しもがこんなものかと思うような結果だろう。

 熾烈な戦いがあったわけでもなく、それらしい山場があったわけでもなく。

 ただのひと突きに加え一言で片が付いてしまったのだから、それはそれで面白くないと言われてしまってもしょうがない。


「なんて、こっちはちゃんと命かけて戦ってるっての」


 目的は達成したのでここはもう用済みだ。

 早急に帰還しようと、ドラゴンの背から降りた。

 斜面で停止したそいつは爪を深々と山に刺していて、ここからはずり落ちたりすることはないだろうと思わせるような姿勢だった。


 ピシッ、ピシ……


 「……なんだ?」


 死したはずのドラゴンよりそれは聞こえてきた。

 死体に耳を当てて観察するも、それが何なのか外もく見当がつかない。

 特に気にしない事にして足早に立ち去る事にした。


 ピシッ、パリッ……


 嫌な予感がする。

 長い尾を伝って下へ下へと急ぐ。

 そしてようやく尾の先端に辿りついたその時だった。


 ドラゴンの甲殻の隙間から橙色が漏れ出している。

 そして漂い始める、鼻が歪むような油の臭い。


「嘘っ……」


 咄嗟の判断で死ぬ気で跳躍した。

 眼下で何かが炸裂し、すさまじい熱風が身を焦がし煽る。

 体が空中に投げだされた。

 熱風の出所が一瞬だけ正面に見え、赤々とした紅蓮の炎が恐ろしい速さで迫ってきていた。


 ◇◆◇


「お姉ちゃん、お姉ちゃん」


 紅蓮が間近に迫り身構える。


「お姉ちゃんってば」


「うげぁ!?いたぁ!」


「うっ、いったぁい!」


「あ……夢?」


 夢の中では爆風が直撃し、現実でもはづきの顔面は避けられなかったようだ。

 ゆづきの鼻とはづきの額が衝突し、ゆづきはしばらく激痛に悶えた。


 ――ゆづきは自室のベッドで寝ていた。

 昨晩はお楽しみ……ではなく、想像を絶する体験をしたのだ。

 その印象が強かったせいかそれに関連する夢を見てしまったわけだが。

 リアルの最後の記憶は自分が岩場で倒れ、シイナにおんぶをされたところで終わっている。


「あーうん。やっぱありえないよな」


 夢を振り返り、内容を否定する。

 はづきは首を傾げゆづきの袖を引っ張った。


「……?なんの話?」


 あんな夢を簡単に言葉で説明できるわけがないだろう。

 なので話題を逸らす。


「そういえばはづきがこの部屋に来るの、珍しいな。何かあったか?」


 いつもは相当な困り事が無い限りゆづきの部屋に訪ねて来ることはないのだが、そう考えると今のはづきは何か困り事を抱えている可能性が高い。

 わざわざベッドで寝ているゆづきに跨ってくる程だ。変な気を起こしていなければ何かしら要件があるのだろう。


「うーん、特に何かがあったわけじゃないの。私も夢を見てね、ちょっとさみしくなったから……少しだけ一緒にいたかったの」


 なんとも可愛らしい理由だろうか。

 聞いていてドキッとしてしまった。


「そ、そうなのか。それで、いつから?」


「まだ外が暗かった頃かな。詳しい時間は分からないや」


「……?その時あたしと一緒に寝たって?」


「そうだけど?」


 何かがおかしい。

 ゆづきの記憶では、遅くともこの家に帰れたのは日が昇ってからだった。

 時差とかの説明ではまず無理のあるものだ。


 そもそもシイナはどうやってゆづきをこのベッドに寝かせたのだ?

 家の戸締りは抜かりないはずだが、ゆづきの持ち物から鍵を探し出したのだろうか。

 だとしてもその時間には既にはづきはこの部屋に来ていてゆづきと共に寝ていたはずである。

 どう考えても不可能だ。


 まさか、実は待ち合わせまでに寝落ちしていて、これまでの事は全部夢だったなんて事はないと信じたいが、ゆづきの体験とはづきの証言の矛盾によりこの考えが浮かぶのはある意味必然なのかもしれない。


 だが昨晩のドラゴン討伐は夢にしてはかなりリアルだった。あれを夢と言い張る方がおかしいものだ。

 ここはどちらを取るかはかなり難しい話だが、ゆづきはきちんとシイナ達のドラゴン討伐を見届けたという事にしておく。


「まったく、はづきは甘えん坊だなぁ」


「えへへ」


 はづきがこうして強がらないのはなぜだか違和感を感じてしまう。

 あくまでこの子は姉を頼るべき『妹』なんだなと、ここ最近では薄れていた認識を改めて感じる。

 異世界に来てからというもの、全く頼られないという事は無かったが、はづき自身意識の持ち方を変えたのかゆづきを頼る事が少なくなった。


「それではづきはどんな夢を見てたんだ?」


「私はね、ある日突然お姉ちゃんが旅に出ちゃう夢。みんなで引き止めるんだけどどうしてもって言って独りで行くの」


 それは確かに不安になってしまう内容だ。

 はづきがゆづきをどう思っているのかは知らないが、ゆづきだったら大好きな妹が突然いなくなるなんて考えたくもない事だ。

 この世界で唯一血の繋がった家族である姉がいなくなるのはやはり悲しい事なのだろうか。


 だがその話には多少心当たりがある。

 それは今ゆづきに課せられている使命であり、最悪ひとりでここを離れる事を覚悟しなければならないというものだ。

 はづきの夢に登場したゆづきは何を理由に旅に出たのだろうか。

 それはもしかしたら、ある女性の下で世話になるためなのかもしれない。


「でもあれは夢だからね。現実でのお姉ちゃんがいつも通りでいてくれれば私はそれだけで十分だよ」


 安心したように微笑むはづき。

 正直今はその笑みに笑い返す気が起きない。

 なぜならはづきのその言葉には、遠回しにゆづきを繋ぎ止める意図があったからだ。

 いつもだったら嬉しかった。

 だが今は胸の内の密かな決意を掻き乱されてしまうだけだ。


「それじゃあ私は朝ごはん作ってくるね。出来上がったら呼ぶから待っててね」


 はづきはベッドから降り、そのまま真っ直ぐとゆづきの部屋を出て行ってしまった。

 ゆづきはその背を最後まで見て、しばらく考えてしまう。


 一体どのように話を切り出したら良いのだろうか。

 なんとなく先程の発言からしてはづきはここから離れる事を望んでいない気がする。

 言うだけ言ってみるのも手だが、希望は薄いだろう。


 そもそもシイナがゆづきを勧誘した際に用いた言葉は『世界を救わないか』と『ゆづき達の望むものの実現』それと『身の安全』だった。

 普通なら怪しい宗教だと思われてしまうだろうが、ゆづきは本当に世界を救えるかもしれない力を目の当たりにしているし体験もしている。

 だからこそなのだろうか、今のゆづきにはどちらを優先すべきなのかが良く分からなくなっている。


 世界を救う。なんて漠然として、いかにも抽象的で本当はなにをどうするのかなんて分かっていない。

 唯一と言ってもいい情報は、戦闘に無縁ではないという事だけだ。


 仮にゆづきがシイナの下へ行ったとして、ゆづきが望むものとは一体何なのだろうか。

 異世界生活の安泰?異能力の開花?

 無意識のうちに抱いているかもしれない望みはいずれ強大な危険を招くかもしれない。


 身の安全と言われればそれは確かに重要かもしれない。

 ドラゴンなんて生き物が存在する以上、他にどんなファンタジー生物がこの世界のどこにいるのかなんて知れたものではない。

 もしかしたらこの家の真下、地中深くに異形の怪物が棲んでいるかもしれない。

 だがそう考えたらキリがない事くらい理解しているつもりだ。

 しかしいつどこではづき達に命の危険が迫ってくるか分からない以上、この得体の知れない異世界で匿ってもらうという意味では力のある者を頼るくらい良いのではないだろうか。


「どうしたものか……」


 この件にはづき達は巻き込まない方が良いのだろうか。

 まだ当人の直接の反応を確認したわけではないが、出来るなら安全のために共に来てもらいたい。


 だが、その『安全』とやらも今は漠然としたものでしかないのだが。


 ◇◆◇


 ついさっきまで陽の光が窓から差し込んでいたのに、ほんの数分であっという間に曇ってきてしまった。


 ――朝食は程よい加減に焼かれたパンケーキ、それにバターやジャムを塗って食べた。

 それだけでは物足りないと感じ、間食に昨晩の余りのシチューをつまみ食いしたのははづきには内緒だ。


「なぁはづき」


 食卓の席に座るゆづきは、洗濯物を室内干しにするために用意するはづきへ話を切り出す。


「なあに?」


「……世界の救済に、興味はないか?」


 ブレのない直球な問いかけである。


「救済……?」


 だがあまりにも意味不明な問いであったがために、その意味を受け止められなかったようだ。


「お姉ちゃんまだ寝ぼけてるの?それとも何かのマンガの影響?」


「違う。本気だ」


 ここはいつもより真面目な声音で語るのが有効だと判断する。

 だから、自然と顔から笑みと余裕が失われてしまう。


「お姉ちゃん?」


「あたし、あの行商人に言われたんだ。世界を救わないかって」


 はづきは手に取った下着を洗濯バサミに挟む事なく、そのまま下ろした。

 そして顔をゆづきへと向ける。


「行商人って昨日のアクセサリーのあの人……だよね」


「そう。その人があたし達の身の安全を保障してくれるらしいんだ。ついでに、望みのものを与えてくれるって言ってくれてる。ただ危険な領域ってのに身を置く事になるらしい」


「ちょ、ちょっと待って。ひとつずつ教えて。いきなり全部言われても分からないよ」


 その要望に応え一から説明した。

 シイナやモエの事。昨晩のドラゴン討伐の件。それと、辻褄の合わないはづきの記憶。

 そしてゆづきの考え。

 長く、出来るだけ飲み込みやすいように言葉選びに神経を使った。


「――その、シイナさんに着いていけば私やお姉ちゃん、なぎさちゃん、たまきさんがちょっと危険になるだけで好きな事が出来てなんでも言う事を聞いてもらえるの?」


「そういう事だ」


「でもその危険がどんなものかは分からないんでしょう」


「……」


 はづきは洗濯物から離れ、ゆづきの正面の椅子に腰をかけた。


「あのね、私はやめたほうが良いと思うの」


「な、なんで!」


 今まで冷静に考え、対処しようとしていたはずなのにいともたやすくそれを破ってしまった。

 声を荒げ、目を見開く。


「だって騙されてるかもしれないんだよ。お姉ちゃんはアニメとか観てて魔法っていうのに惹かれてるかもしれないけど、少なくとも私は何も思わない。それを使ってみたいという好奇心すら湧いてこないよ」


 腹の底から熱いものが込み上げてくる。

 いつの間にか固く拳を握っていて、それをテーブルの下で抑え込む。


「でもそれでも良いんだ。ただはづきがいるだけでシイナさんは良いって言っているんだ。もし危険な役が回ってきたらあたしが変わってやる。だから……」


「ねえ、なにがそんなにお姉ちゃんを引き寄せるの?確かに、欲しいものが簡単になんでも手に入るのは良いと思うよ」


「なら何が不満なんだ」


「お姉ちゃんは今の生活じゃ物足りないの?わざわざ正体の分からない危険に踏み込んでまでその望みは叶えたいの?叶えなきゃいけないものなの?」


 はづきも多少食い気味な物言いになる。

 互いに意見を譲らないせいで、どちらも目つきが鋭くなる。

 だがはづきは苛立ちを抑えている。ゆづきも溢れそうになる感情にすんでのところで蓋をする。


「答えになってない」


「答えなら最初に言ったよ。世界を救うなんて言葉で騙して魅力的なもので誘惑しているだけかもしれない。私はそれに惹かれないだけ。今度はお姉ちゃんが答えてよ」


「あたしは今に満足してるよ。ただ、その先があっても良いんじゃないかって思うだけなんだ。今はまだ日常でも、シイナさんに着いていけばきっと良いことがある」


「つまり自己満足だよねそれ」


 切れた。

 抑え込んでいたものが溢れ出て止まらない。

 だけどはづきを傷つけたくない。だからこの激情は死んでも抑えきる。

 頭に血が登るが決して自分を見失ってはならない。

 なんせ全て『自己満足』の一言で片付いてしまう事には既に気付いていたからだ。


「だからなんだよ」


 これは悪い流れだ。

 どれだけ語っても、どれだけ問うてもはづきが納得するような事なんてひとつも無い。

 それは謂れのないシイナへの不信のせいだ。


「私はお姉ちゃんにここにいてもらいたい。朝も言ったと思うけど、お姉ちゃんがいつも通りでいるだけで私は十分なの。この世界に来てからまだちょっとしか経ってないけど、この日常を手放してでもそっちに行きたいの?」


「じゃあはづきは来ないんだな」


 質問に質問で返す不粋な事、それ以前に飛躍した結論を突きつける。


「……もう、止めても無駄なんだね……」


 はづきが夜中に見たという夢の内容を思い出す。

 ある日突然ゆづきが旅に出ると言い、いくら止めてもそれを振り切って独りで旅立ってしまうもの。

 あまりにも類似しすぎている。

 まさかはづきは予知夢を見たとでも言いたいのか、まるで仕組まれていたようにタイミングが良い。


 はづきは静かに泣き出した。

 鼻を赤くし、止まらぬ涙を小さな手で拭う。

 拭いきれなかった雫は頬を伝い、卓上へ落ちてほんの小さな水たまりを作り出した。

 その表情は見ていられないほど悲痛だった。

 目は閉じるが涙は溢れ、小口を開けて軽い酸欠に陥っていた。


 ゆづきははづきの背をさすった。

 心に満ちた怒りは今の一瞬で沈みきり、冷たく歪んだ平常心が今のゆづきを支えていた。


 はづきは呼吸が戻るも泣き止む事はなかった。

 ゆづきは台所からコップに一杯の水を汲むと、テーブルの上に置いた。


「ごめん。はづき」


 ゆづきは去り際にその言葉を残し、確かな罪悪感と共にリビング――はづきのもと――を去った。


 ◇◆◇


 鞄に必要そうな物をありったけ詰め込んで家を飛び出た。

 誰にも止められず、色鮮やかな花畑がゆづきを迎える。だが空はどこを見ても灰色の一色だった。


 決意を固め、隣家へ足を運ぶ。

 庭にはたまきやなぎさの姿が無かったのできっと室内にいるのだろう。

 扉の前に立つ。

 ポケットの中から一枚の紙を取り出し、ドアノブに巻きつけた。


 それだけをして、七瀬家の誰にも言わずにゆづきは独りで林を抜け、村へ向かった。


 ◇◆◇


 見覚えのある顔が目の前にある。

 昨夜ぶり、だろう。

 彼女は俯き、視覚情報を遮断していた。


「シイナさん」


 カウンター越しに声をかける。

 狸寝入りだったと思う。

 即座に反応するシイナは不敵に微笑んでいた。


「決まったようだね」


「はい、結局あたししか来ない事になりましたが」


「それでも構わないさ。0が1になるのだから大した成果だよ……して、なぜそんな顔をしているのだ。黒宮ゆづき」


 どんな顔をしているのかは自分ではよく分からない。

 あいにく鏡なんてものは持っていないのでそれを確認する手段すらない。


「……まあいいや。差し詰め、誰かとの関係がこじれたのだろうな」


 ひとりごとなのに故意的にゆづきに聞こえるように言うシイナは実に意地が悪い。

 ただでさえ今は心が鎮まらないのに波風を立てるような真似をされるのは非常に面倒だ。


「これからどうするんですか」


 しかしこれから世話になる相手にいきなり反抗的な態度を取るのは信頼に関わる。

 ここは苦しいが堪える。


「そうだね、まずこの店を畳んでそれから帝都に向かう。そこで君に色々と知ってもらおう」


 シイナは屋台を出た。

 正面に立ち、指を鳴らす。

 キラキラとした何かをその場に残して、展示しているアクセサリーの数々は姿を消した。

 次に屋台も、音も立てずに綺麗さっぱり跡形もなく消えた。


「……驚かないんだね?」


「まあ」


 やはりゆづきのリアクションを期待していたシイナだったが、指を鳴らして物を出したり消したりするのはありきたりな手段と認識をしているのでさほど驚かなかった。

 というのは半分くらい建前で、今はそういう気分じゃないというのが本心だ。

 内心では少しくらい凄いと思ってはいる。


「それじゃあ、帝都に向かおう。村の人達との別れは……」


「大丈夫です」


「了解」


 シイナは開いた右手に虚空より大振りの杖を顕現させた。

 近くに人がいない事を確認し、ゆづきを自分のすぐ真横に着かせる。

 杖を掲げ、頭上で大きく円を描くと光の軌跡が残留する。

 その光輪より淡い輝きのカーテンがふたりを囲うように降ろされた。


「初めてだと具合が悪くなるかもしれないから目、瞑ってたほうが良いよ」


 大人しくそれに従い、輝く視界を遮断する。

 浮遊感。続いて軽いめまいが訪れる。

 だがその不快感は意識せず、ただひたすらに目を閉じる事に気を遣えば気になるものではなかった。


 ほんの少し、老人達の昼の井戸端会議の声がそよそよ聞こえてきていた程度の音が、広い空間の活発な騒音へと切り替わる。


 人口密度の増加、室内による音の反響と香りの変遷。

 どこからか香ってくるやたら主張の強い香辛料とアルコールの匂いに眉と鼻を歪ませた。

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