非日常たる日常―3

 チリリとスマホのアラームが小さく鳴る。

 画面に表示された時刻は23時45分である。


 ゆづきはゆっくりと布団から這い出て、寝静まるはづきを起こさないように気をつけて家を出た。


 満月が世界を照らし、淡く白い光が花々を包み込む。

 薄暗い林のレンガ道を辿り村へ向かう。

 静まり返る民家、まだ部屋に明かりを灯している家もある。


 村の中央広場にふたつの人影が見えた。

 ひとつはおそらくシイナのものだろうが、それよりも背が低いもうひとつの影が謎だった。


「やあ昼間ぶりだね」


 シイナは重そうな黒コートを着ていた。

 横にいる小さな人は大きな帽子を被っていてどんな容姿なのかが分かりにくいが、シイナと似たような格好をしている。


「えっと、まず確認したいのだけれど、君の記憶はどこから始まっているんだい?」


「記憶?」


「そう、教えてくれないかな」


 ゆづきはほぼ一般的にそうであるように赤子の頃の記憶は忘れている。

 幼少の頃も……思い出せない。

 数年後に宮本しのの長きに渡る人格矯正が施された。

 過去の弱い自分を捨て、強く新しい自分になった。

 そして苦悩も付きまとっていたがそれを乗り越え、なぜか異世界という地に辿り着いてしまった事。

 それらを手間近に話した。


「うん、分かった」


 シイナは手にしていたメモに色々と走り書きを残していく。

 そしてかがみ、横の連れ人に尋ねた。


「どうだい?」


「多分当たりだわ。その指輪の件も含めてね」


 連れ人は声音から女の子だと分かった。

 シイナはゆづきへ向き直り、真剣な眼差しで口を開いた。


「黒宮ゆづき」


「は、はい」


「単刀直入に言おう。私達と世界を救わないか?」


「……は?」


「君だけではない。異世界転移とやらをした君の妹と友人も含むよ」


 これはいよいよマンガっぽい展開になってきた。

 世界を救うというワードに心が踊ったが、冷静さを欠いては甘い言葉に囚われてしまい思わぬ落とし穴に引っかかりかねない。

 展開こそ現実離れしているが、あくまでこれは現実。それを忘れてはいけない。


「それはあたし達がこの世界にとっての異世界から来たから?」


「半分正解だがそれは重要な方ではない」


「じゃあすごく重要なもう半分は?」


「残念ながらそれは明かせない。今の君達にそれを知らせるのはあまりにも危険だから」


 なんだそれ、と言いたくなった。

 自分たちを仲間に取り入れたいのならある程度の情報を開示するべきではないのでは無いだろうか。

 これが異世界のやり方なのか?

 確かに二次元では訴えようもない理不尽な目に遭っている人もいない事は無いが果たしてこれはどうなのだろうか。


「言葉だけ見れば魅力的なものですけど、実際何をするのかとこちらの見返りはどうなんですか」


 そうこれはビジネスなのだ。

 ゆづきが思いつくビジネスとは精々利益についてか、もしくは思い浮かぶそれらしいものだけだ。

 それとブラック企業か否か。

 ……やはりビジネス思考はやめよう。ゆづきの中での考えが追いつかない。


「いい?彼女の目的は果てしない時間の上に成り立つの。その終局に差し掛かっているというのに断るなんて選択肢はハナっからあんた達には存在しないの。むしろ拾ってもらえるだけありがたいと」


「やめろモエ!何のために君をここに連れてきたのかまだ分からないのか!」


 マシンガンのようにゆづきに罵声じみた言葉を浴びせていたモエと呼ばれた女の子はビクリと肩を震わせた。

 シイナがいきなり荒げた怒声をあげるものだから思わずゆづきもビビってしまった。


「すまない、この子の非礼を許してくれ」


 シイナは片膝を地につけ、ゆづきへ頭を下げた。


「ぁいやいいですって、気にしてないですから」


 とは言ったものの、シイナのせいでモエの言葉は理解する前に脳内から吹き飛んでしまったのだから気にするも何も無いのだ。


「それと紹介が遅れてすまない、この子はモエ。世渡りが下手で色々と不器用だけど仲良くしてくれないかな」


 シイナは立ち上がり、モエが深く被る大きな帽子を取り上げた。

 薄闇の中に露わになったのは長く美しい金髪。

 モエと呼ばれるその少女ははづきやなぎさと同年代なのだろうか、あのふたりと同じくまだ幼さが残る顔立ちであった。


「や!なにするのよ!」


「うるさいっ」


 シイナに噛み付こうとしたモエはひとつのゲンコツによってあっけなく沈んでしまった。

 モエは頭を抑えてしゃがみこんだ。


「えっと、君たちへの見返りについてだったよね」


「あ、はい」


 なんだか今のやりとりで重い空気から少し解放された気がした。

 もういっそ面倒は無しにして何から何まで養ってくれるというのなら即決なのだがそれは夢を見過ぎか。


「君たちが望むものの実現……ではだめかな?」


 えらく抽象的な言い方だと思ったが、要はなんでも言う事を聞いてあげますよと言っているようなものだろう。

 しかし一方的な解釈では何か間違いがあった時には遅いので、ここでシイナの言う事の詳細を知らないといけない。


「例えば?」


「そうだな、召使いというわけではないがある程度の優遇はしたいと思っている。言われれば赤子の手を捻り老人の膝を折るさ」


 最後のが良く理解出来なかったが、やはり先程の解釈で大体間違いはないようだ。


「だが危険な領域には足を踏み入れてもらう。絶対安全な命の保障は出来ないが、みんなで君達を護る事を神に誓うよ」


 やはり完全なヒモにはなれないか。

 それもそうだ、永久に養ってくれるなんて美味い話があるはずがないのだ。

 それに危険とはどういう風なものなのか。

 物理的か精神的かもしくはどちらもか。


「危険って……数日で心が折れたりしないレベルですよね……?」


「人によるかなそれは」


 シイナはモエを見る。

 視線を感じたモエはゆっくり立ち上がった。


「まあ、私からしてみれば簡単ね。折った老人の膝の先を赤子に向けるくらい余裕よ」


 再び登場した老人はやはり膝を折られて赤子は膝蹴りを食らわされていた。

 なんとも正気とは思えない言動だろうか。

 もしやこの子は精神的に少しやばいのではないだろうか。


「ん、モエからしたら簡単らしい……そうだ。もし良かったら今から見学するかい?」


「今から!?夜中に働くんですか」


「別に今じゃなくても良いのだけれど、モエがいるからちょうどいいかなと思って」


 ゆづきは考える。

 これは自分ひとりだけで知って良いことなのだろうか。

 まさか今からみんなを呼びに行くわけにもいかないし、かと言ってシイナの言葉から察するにモエは常にこの辺にいるわけではないようだ。


「それじゃあちょっとだけ」


 後から教えれば良いかと思い、とりあえずは職場見学をしようと決めた。


「決まりだね。それじゃあモエ、近場で依頼か何かは無いかな?」


 依頼?となるとこの世界には異世界らしく冒険者やギルドなる組織が存在しているのだろうか。

 たった数ヶ月の生活では知りもしなかった情報だ。


「キャディ森林域に棲むゴブリンの討伐か、フレアガルデン高山に巣食うドラゴンの討伐か。どっちが良い?」


 モエはポケットから二枚の紙を取り出し、ゆづきへ提示する。

 茶色く色付いたその紙には潰れ顔の醜い姿の魔物。

 もう片方には厳つくも高貴な雰囲気を感じさせる恐ろしきドラゴンがそれぞれ描かれていた。


 その上にはまばらに星が描かれており、ゴブリンは2つ。ドラゴンは8つある。

 察するにこれは難易度だろう。

 きっと単純に星の多さが危険の象徴であるのだ。


 ゆづきはふたつを見て悩んだ。

 初心者などの標的にされやすいゴブリンなら手軽で良さそうだが、そもそもドラゴンとは差がありすぎる。

 ドラゴンを選択肢に入れるくらいなのだからゴブリンなどきっと足元にも及ばないくらいシイナやモエは強いのだろう。

 だったら……


「ド……ドラゴン」


「分かったわ」


 若干躊躇い気味に言ったがモエは余裕げに了承した。


「よし、早速行こうか。ゆづきは魔法は使えるのかな?」


 最近では忘れていたがこの世界には魔法という概念がある。

 ゆづきには才能がないのか例の輝石に頼っても大したものは扱えなかったが。


「使えないです」


「そっか、じゃあ私と一緒に行こう」


「それはどういう……」


 その時突然そよ風がゆづきの頬を撫でた。

 シイナを見やると横にいたはずのモエの姿が消えていた。

 シイナは目を丸くするゆづきを見て上を指差す。


 あまり高くは無いが、それでも民家をいくつか縦に並べたほどの高さくらいはあるだろう高度にモエの姿が見えた。


「行くよ」


 それだけ言い、シイナはゆづきへ向かって人差し指と中指だけを仰向けに伸ばし、天へ曲げた。


 その瞬間地から足が離れ、上へと上昇を始める。

 民家の屋根をひとつ超えた辺りで突然体の平衡感覚が失われた。

 上と下が反転し、夜空に足を伸ばし頭の方を見たら地面が待ち構えている。

 このまま落下したらひとたまりもない状況ながら、これが魔法か。と感動せざるを得なかった。


「魔法を制御するコツはイメージする事。今逆さまになっている君が真っ直ぐになるイメージをすれば自ずと出来るよ……というか意外と冷静だね君」


 シイナもゆづきと同じ高度に辿り着き、真横で見守っている。

 ゆづきが魔法初経験というのを知り、どんなリアクションをするのか気になっていたらしい。

 そのゆづきはと言うと、清々しい表情で頭を働かせていた。


「まあ、浮遊魔法は結構基本みたいなところがありますからね」


「ほほお?」


 とは言ったもののその基本すらひとりで出来なかったゆづきが偉ぶる権利など無いのだ。

 今のは思った事をそのまま言ってしまっただけで、もしかしたらかなり失礼な発言だったのかもしれない。


 間も無くゆづきは上体を起こした。

 シイナとモエと同じ姿勢だ。


「うん、うまいうまい。想像力が豊かなんだね」


 確かにそうかもしれない。

 現世では小説やボイスドラマなどの想像力に依存するものをよく嗜んでいたものだから、自然と想像力が鍛えられていたのかもしれない。


「もしかしてそのまま飛行出来たりする?」


 前進するイメージ。

 身体を前に倒して姿勢を保つ。

 モノによっては身体の角度が違ってくるのだが、大体感覚で掴めればなんでも良いだろう。


 しかしゆづきの身体は全く動かない。

 直立のままどうにか空をかき回すがどうにもならない。


「さすがに難しすぎたね。そろそろ行こう」


 シイナは再びゆづきへ指を伸ばし前へ振った。

 すると、直立の姿勢を維持してゆづきの身体は前進を開始した。

 始めはゆっくりだったが、徐々に加速している。


「姿勢を倒して。身体への負担が増してしまうよ」


「それくらいなら……」


 実は苦戦するんだろうなと思っていたらあっさり出来てしまった。

 体勢を変える事なら難なく出来てしまうのだろうか。


「遅いわよ」


 ゆづきへ浮遊魔法をレクチャーするシイナに降下してきたモエがぼやいた。


「ごめんごめん。今行こうとしていたんだ」


「ならいいわ。先に行って待ってるわよ」


 滑らかな体運びで方向転換をし、モエは村から南に位置する高山へ向かっていった。


「私は君に合わせるから、好みのペースを教えてくれ」


「分かりました」


 さらに上昇する。もう村の全体が視界内に収まるほどには辿り着いた。

 前方にいたはずのモエの姿は夜の暗闇に紛れて見えなくなっていた。

 その後を追うようにゆづきとシイナは飛行を開始した。


 遥か彼方に、巨大な翼を広げた何かの影を捕捉して。


 ◇◆◇


 満月の下に岩の灰色が今は白く見える。

 眼下にその白き岩肌をいっぱいに捉えたここはシマン村より南方に位置する『フレアガルデン高山』である。

 家からは普段から良く見える山なのだが、ゆづきが来たのは初めてである。


「遅い」


「妥当さ」


 中腹にて合流したモエの開口一番を説き伏せるシイナ。

 ふわりと地に降り立つと砂埃が弱く舞う。

 ゆづきも少し遅れて着地。

 不思議と浮遊感が残る事はなく、ふらついたり、重力を過剰に感じる事も無かった。

 これも魔法の効果なのだろう。


「ドラゴンは見つかったかい?」


「さっき寝床に戻ってきたところよ……っていうかなにあれ。あんなに大きいとか聞いてないわよ」


「君なら問題ないだろう?」


 恐らくそのドラゴンは先程村を出た際に見た影の正体だ。

 遠目でもかなりの大きさと分かるほどだったのに、それをこんな小さな女の子に狩らせようとするシイナは正気なのか。


「帰ってきて早々寝たらしいけど見てあれ」


 モエは山頂を指差す。

 決して狭くないのであろうそこから垂れ下がるのは、硬そうな質感の黒く長い尻尾。

 時折思い出したかのように揺れ、そこにいる生命の強さをそれだけで感じさせられる。


「うおっ、本当に大きいな……」


「でもマズイとは思って無いでしょう」


「さあ、あれ程の大きさだとあいつの手下の可能性があるから何とも言えないね」


「あいつの手下?」


 ごく自然にシイナから発せられた言葉に疑問を示す。


「あぁなんでもない。気にしないでくれ」


 視線はそのままに声だけで返すシイナが妙に怪しく見えた。

 だが今のゆづきにはなんら関係のない事だと思い込みあまり気に留めないように努める。


「して、ひとりで行けそうかい?モエ」


「一応そのつもりよ。助けは言うまで不要だから」


「了解」


 シイナはゆづきを空が良く見える岩場へと連れてきた。

 巨岩にその身を隠して、モエを見逃さないようにと言い、ひとり山頂へ飛び去って行ったモエを注視する。

 ゆづきもそれに倣い、月光を浴びるモエを見逃さないように見つめる。


 今から始まるドラゴン討伐はどのような展開を見せるのか。

 やはりモエが圧倒してしまうのか、はたまた不安要素の可能性である『あいつの手下』がモエの余裕を上回ってしまうのか。


 嵐の前の静けさとでも言うのだろうか。

 辺りからはほんの物音もせず、静寂が訪れている。

 そのせいかゆづきは胸騒ぎを感じてすらいる。

 まさか負けはしないだろう。

 その思いだけを抱くことしか出来なかった。


 ふと、気になったことがある。


「そういえばなんでドラゴン討伐なんですか?」


「この国の風土はドラゴンが棲むのに適していない土地なんだ。それ故に人や動物が安住していたんだが、いつのまにかこの山にあいつが住み着いていたんだ」


「あぁそれで」


 人に害を成していないのならわざわざ討伐なんてする事は無いと思うのだが、きっと存在があまりにも人間より強いというだけでその対象になってしまうのだろう。

 ドラゴンに知性があるのかは分からないが、共存なんて出来ないのだろうか。

 いや、そんな事が出来ていたらとっくにしているか。


「私からもひとつ気になった事を訊いてもいいかい?」


「なんですか?」


「その左手首、怪我をしてるには随分と動きが良いように見えるんだ。一体何のために包帯を巻いているんだい?」


「それは……」


 ゆづきは左手首の包帯を目立たない位置に隠した。

 それはつまり答えられないというより答えたくない質問だという意思表示であるのだが、果たしてシイナはその真意に気付くのか。


「……いや、なんでもない。始まるよ」


 どうやら伝わったみたいだ。

 だがしかしこれを後々言及されるのは非常に嫌なので何かしら適当な嘘かなにかを考える必要がある。


 とりあえず視線をモエに戻す。

 その時、モエの周囲にほんの小さな光の玉がいくつも浮かんでいるのが見えた。

 それは視力が悪かったら見えないくらいのものだった。


 モエは両腕を絞るように掲げた。

 その動きに呼応するかのように光玉は機械的に配置を変える。

 点と点に線を引くように、夜空より山頂めがけて現れたのは恐ろしく巨大な魔法陣。


「え?ええっ!?」


 突如地響きが鳴り響く。

 カタカタと周囲の小石が踊りだし、一瞬にして騒音と化す。


 身震いが止まらず肩を持つ、なぜ自分はこんなにも畏怖しているのだろうか。

 本能的にあの魔法陣から放たれるであろうものを察知して逃げようとしているのか?


 ――閃光が迸った。

 空間を揺らし、それまで寝静まっていた自然を目覚めさせ、魔法陣より雷に似た極太の光の柱が放たれた。


 ありえない質量のそれはありえない速さでドラゴンに直撃した。

 轟音が響き、山頂には光の残留が電撃のように見え隠れしている。

 辺りにおぞましい量の土塊が降り注ぎ、上を見ていたら顔面に当たってしまった。


 顔を伏せて土を払っていると、声にならない声、すなわち人間ならざる生命体の叫びが響いた。

 あまりの爆音に耳を塞いだが、それでも鼓膜まで深く突き刺さるドラゴンの鳴き声は物理的に山を震わせた。


「あんなの喰らって生きてんのかよ、信じられねえ」


 未だ身体の震えが止まらないゆづきはシイナを見る。

 シイナは表情ひとつ変えずに空の一点を見つめている。

 そこには滞空するモエ、そしてそこに首を伸ばして食らわんと大口を開けるドラゴンの姿があった。


 その大きな頭に細い光線を浴びせるモエ。

 しかしそんなものでは怯みもしないドラゴン。

 動きが素早い分モエはドラゴンの攻撃を受ける事は無いが、いかんせん攻撃が通用していない。

 またあの先手の攻撃を繰り出せれば良いのだろうが、それをやらないという事はきっとクールタイムがあるのだろう。


 炎を放つにもドラゴンから放たれる炎の威力に呑まれ、鋭い氷槍を放つにも分厚い皮膚にの前にもれなく粉々に砕け散る。


「ドラゴンってみんなあんななんですか?」


「いいや、あいつは間違いなく戦闘に特化したタイプのドラゴンだ。機会があれば教えてあげるけど、ドラゴンにも色々いるんだよ」


 へぇ、と相槌を打ちモエを見やる。

 空中にいながら跳躍、回転し接近からのゼロ距離の電撃を浴びせる。

 ドラゴンは一瞬怯んだもののその巨躯でモエを追い払う。


 その直後、ドラゴンがゆっくりと二足で立ち上がった。

 それにより大きくダメージを受けていた山肌がさらに崩れ、麓へ落石していく。


 そのたくましき背に備わった勇猛な翼を一度大きく展開し、強風を纏いて飛翔を開始した。


 ――その時初めてドラゴンの全体像が明らかになった。

 頭からいくつも生えている棘、爬虫類に類似する顔面。腹は白く、それ以外の皮膚は鱗が占めている。

 尾からも棘が生えていて、まさに絵に描いたようなドラゴンであった。


 それを受けてモエは後退、ドラゴンは大翼をはためかせその巨躯からは想像も出来ないくらいの速さで接近。

 そのまま止まる事なくモエに突進。

 しかし捲き上る風の流れを利用してモエは回避し、反撃に雷を放つ。

 返しの電撃をものともしないドラゴンは旋回しながら炎を吐き散らす。

 だがその炎はモエの遥か頭上で踊るだけだった。


 ドラゴンはグルル、と苛立っているのか、ゆづきにまで聞こえるほどの重く響く唸り声を上げ空中で静止した。


「なにしてんだ……?」


 死を覚悟したのか、それとも新しい攻撃でも繰り出すのか。

 しかし静止した状態での攻撃とはいったいどうやるのだろうか。


 ゾクリと鳥肌が立つ。

 何だろうか、身震いは多少マシになったのだが次は悪寒に苛まれる。

 これは、なにか本当に凄惨な事が起きる前兆なのか……


「グルル……ゥゥウアァガァァァ!!!」


 ドラゴンは弾けたように夜空に向かい咆哮をかました。

 その音圧は凄まじく、それがゆづきの身に降りかかった時、張り裂けんとばかりに頭痛が襲いかかってきた。


「あ……ぁぁ……うぅ……!」


 地べたを這い回り、頭を抑えるも頭痛が止む事は無い。

 全身に力が入らず、吸われるように意識が遠のいていく。


「ゆづき!大丈夫かい!?」


 シイナはしゃがみ、半目を開いて痙攣しているゆづきを膝に抱え込む。

 手のひらをかざし、淡い光のドームで周囲を包み込んだ。


「……っ!?……かはっ!げふっ、げふっ」


 遠のいた意識がみるみる戻ってきた。

 少し痺れるが手足に力が入り、口から垂れかけていたよだれを袖で拭き取る。


「この光が見えるよね?ここから出ないで。死ぬよ」


 一切いたずら心のない声音だった。

 未だシイナの膝に世話になっているが、人2人を囲うには少々狭い結界のようなものが張られている。


「あれは周囲の生命を糧として己の身を昇華させる行為だ。ある程度の抵抗力があれば防ぐ事が出来るのだけれど、流石に今の君にはそんな力は無いよね……」


 物々しい破壊音と共に結界外の岩場が黒ずんでいく。

 それだけでは無い。

 麓に見える深緑の森が見るも無残な姿に変貌を遂げていた。


 その元凶であるドラゴンは空中にて身悶えていた。

 周囲の生命を吸い取り、力を増しているのが目に見えてハッキリと分かった。


 空気が波打った。

 波動というのか、そんなものが見えた気がした。


「あれは……」


 ドラゴンの周囲に数多くの虹色の光が舞っている。

 ドラゴン自身も発光し、背から腕から頭から、七色の触角を生やした。

 頭角には光の輪がぼんやりと輪郭を形成し、翼の上には重なるように白き大翼が見えた。

 それはまるで聖なる龍と呼ばれるに相応しい容貌であった。


「あれは神性だ。まさか野良ドラゴンがそんな力を潜在させているなんて」


 シイナの口ぶりからするに、あれは相当レアケースであり強敵なのだと想像させられる。

 神性とは読んで字のごとく神である。

 龍であり神を備えるとしたら、字面からしてまず強いというのは明らかだ。

 果たしてそんなのにモエは勝てるのだろうか。


「案じなくてもモエなら大丈夫だよ。あいつ、そのままドラゴンでいたら良かったものを……。昇華を使う相手を間違えたようだね」


 ――ドラゴンは閃光の如く飛行を再開した。

 大口を開き、闇を塗り潰す光を放つ。

 その先には小さな少女が滞空している。


「あ……」


 ゆづきはこの一瞬で色々な事を考えた。

 なぜ避けようとしないのか。

 当たったら死ぬ。

 シイナは何もしないのか。


 光がモエに直撃する寸前、最初から何も無かったとでも言いたげに光は消え去っていた。


「あ、れ?」


 見間違いだろうか、確かに光がモエに向かって放たれていたはずなのに、身動きひとつしないで光を消した。

 そんな事があり得るのか?


「シイナ」


 たった今上空にいたはずの少女がすぐそこにいた。

 やはりあり得ない。


「助けが必要なんだね」


「ええ、ドラゴンの腹を開いてそれから仰向けにして欲しいの」


「了解。ゆづきはここから出たらだめだからね」


 シイナはそう言い、ゆづきを岩にもたれ掛けさせた。

 上空を見やるとドラゴンは旋回し、シイナとモエはその真下から急速に飛翔している。


 モエだけがそのままさらに上空へ飛び、シイナはどこにそんなのを持っていたのか大鎌を携えていた。

 シイナはドラゴンの首元に忍び寄り、一閃。

 鮮血が噴き出したかと思えば下腹部まで一直線に赤い筋が浮かんでいた。


「すげ、一瞬で……」


 気付いたらゆづきは立ち上がり、拳に汗を握っていた。


 ドラゴンが急襲に気付き、辺り構わず炎やら光を吐き散らしている。

 爪で空を撫で、尾で虚空をかき回す。


 そこから離れた空にシイナはいた。

 先程持っていた大鎌はどうしたのか今度は大ぶりな杖を構えていた。

 シイナの眼前に魔法陣が現れ、ドラゴンへ紫色の輝きを放つ。


 その間に上空よりか細い攻撃がドラゴンの背を打ち付ける。

 するとなぜか、ドラゴンが纏っていた神々しい光が失われた。

 だが分厚い皮膚ではそんな攻撃を感じないのか、自分よりさらに上にいるモエに気付く様子もない。


 紫色の輝きがドラゴンへ衝突した。

 どういうわけか身体の自由を奪われ、抵抗の素振りを見せるもののドラゴンは敢え無くモエへその裂けた腹を無防備に露出した。


 それから最初に見た巨大な魔法陣が展開された。

 モエの光玉が集結し、直視出来ないほどの光量と化す。

 視線を落としドラゴンを見た。

 その瞬間、青白く駆ける稲妻がドラゴンを貫いた。

 貫通した稲妻は遠くの山肌に落ち、盛大な破壊音と共に霧散した。


 声にならない声。

 絞りあげるかのように最期の最後まで咆哮を続けたドラゴンは焦げ、真下の森に力なく落下していった。


 ◇◆◇


 杖を持ったシイナが岩場に降り立った。


「もう大丈夫だね」


 それだけ言い、指を鳴らして結界を消し去った。


「どうだった?フレアガルデンのドラゴン討伐」


「……えっ?えぇ……」


「うんうん。言葉を失うのも無理ない。あそこまで完璧な立ち回りを見せられたら圧倒されちゃうもんね」


 確かにいろんな意味で圧倒だった。

 特に苦戦する様子も無く、最後はあっという間に畳み掛けたりするあたりとか。


「ふう、お疲れ様」


 モエも戻ってきた。


「お疲れさん。イエーイ」


「……いえーい」


 やたらテンションの高いシイナと少し遠慮ぎみなモエのハイタッチ。


「……凄かった」


 ふたりはポツリと声をあげたゆづきを見る。


「魔法とか、ドラゴンとか、あたしが憧れてたものがここにあった。もしあたしがモエちゃんみたいに魔法を使えるようになれるんだったら、仲間に!……なりたいな……」


 ――朝日が昇ってきた。

 茜色の朝焼けが黒く死んだ岩場を照らす。


 シイナはゆづきに歩み寄り肩を掴んだ。

 その目は期待に溢れており、見ているだけで希望を与えられるものだった。


「例え熾烈な戦いに身を投じる事になっても?」


 しかしかける言葉は真に現実的だった。

 よく考えればシイナから勧誘してきたはずなのに、なぜこちらがお願いしている風になっているのだろうか。


「うそうそ、最初に言ったよね。君達の事は私達みんなで護るって。だから安心して」


 だったら最初から言わないでもらいたい。

 とはいえ、決して戦いとは無縁とは言えないのだろう。

 だとしたら今回ドラゴン討伐なんてしなかったはずだ。

 それに、これは予想なのだが、異世界にありがちな『ギルド』とやらにシイナ達は関わっている。

 なら尚のこと避けては通れない可能性もある。


「ただ君が良くても他のみんなが必ずしも共に来たいと言うとは限らないし、君を引き止めるかもしれない。だから、君だけで来る決意と覚悟をしてくるんだ」


「あたしだけの覚悟……」


 それはつまり、愛しい妹を家に独りにさせるという事だ。

 そして親しい友人であるたまきとなぎさに別れを告げるのに近しい事だろう。


「強制はしないけど……出来るね?」


「……はい……」


 強めの口調でそう言う。

 しかし聞く人が聞けば迷いのある返事だと即座に見抜かれてしまいかねない。

 意識して言ったわけではないのだが、後になって少し後悔する。


 シイナは安心したように頷き、ゆづきから一歩下がる。


「ひとまず君を村に送るよ。ここの後処理はこっちで済ませるから、さっき言った事を実行してきてくれ」


「分かりました」


 それを言った瞬間、頭から血の気が引いていく感覚がゆづきを襲った。

 ふらりと何歩か後ずさりをし、へたりと地面に座り込んだ。

 息が切れ、めまいを感じる。


「体力の限界みたいだね。昇華の時に奪われ過ぎたんだ」


 シイナは背を向けてゆづきの前にしゃがみ、モエはゆづきの背後に回った。

 モエに背を押してもらい、シイナの背中に倒れこむ。

 そして腕を引っ張ってもらいシイナに背負われる。


「あり……がと」


「いいから。おやすみ」


 シイナの声に心の底から安心した。

 赤子が母親の子守唄で眠るように、何も考えず無意識の海に沈んでいける。


『決心がついたらまた来店してくれ。待っているよ』


 意識を失う直前、そんな事を囁かれた気がした。

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