涼坂家の冒険

第26話 真夜中のドンドンドンッ

「ただいま~」


 仕事から帰ってきた直樹の顔は、疲れ切って8歳は老け込んでいた。

 それもそのはず。

 日曜の休日出勤とは思えないほどのハードワークだったのだ。

 会社に着くなり、上司から「現在進行中のプロジェクトに問題が発生して白紙に戻った」と言葉をかけられた瞬間にもう諦めは付いていた。

 ただ、それでも家族と一緒に晩ご飯を食べられるような時間に帰ってくることができたのは、他でもない異世界での経験があったからこそであった。

 つまり、白紙に戻ったプロジェクトに代わる企画として、直樹はロフミリアの世界観を元にしたアイデアを提案。

 ランダム生成地下ダンジョン、魔法の杖の魔練リングシステム、レベルアップ隊など、昨日経験したばかりの新鮮なアイデアの種はチームのメンバーに大いに受けて、まんまと採用されることになった。

 そのせいで一気に企画書を書き上げなければならないなど大変だったのだが、精一杯頑張ったおかげで深夜に至るほどの残業は免れることができた。

 

「パパ!! おかえり~!」


 廊下を走っていち早く玄関へと迎えに来たのは優衣だった。

 直樹は、この笑顔を見るためにほぼ定時の範囲内を集中して頑張ったと言っても過言では無い。


「ああ、ただいま~。どうだった? あっちの世界は?」

「すごかったよぉぉぉ! レベル6だよぉぉぉ!」

「……えっ? 優衣が??」

「うん! へへへ!!」

「そ、そりゃ凄いなぁ……ははは……」


 たったの1日でそんなに水をあけあられるとは思わなかった、と小さく肩を落とすレベル1の父親。

 

「でねでね。森で会った男の子に剣を貰ってね──」


 優衣の自慢話……いや冒険譚を聞きながら、直樹はリビングへと向かった。

 小屋だと思っていたのが実は塔で鍵を開けて……といった辺りでリビングの手前にあるキッチンに着いた。

 

「あら、あなたお帰りなさい」

「おう、ただいま。……って、ん? なんだそのやたら豪華な鍋は??」


 直樹は、キッチンの床に置いてあった見慣れぬ存在に気付いてギョッとした。


「錬金釜だよパパ! わたしが預かってきたの!」


 優衣が誇らしげな顔で答えた。

 

「錬金釜……? って、アイテムとか入れると別の何かに変わるってやつ?」

「そうそう! パパよく知ってるね!」

「ああ、ゲームによく出てくるからな……って、結構大きいけど、これを優衣と歩斗の二人で持ってきたの?」

「ううん。わたし一人でだよ! 冒険行ったの、お兄ちゃんとは別々だったし」

「えっ? これを一人で??」


 直樹は改めて錬金釜をじっくり見てみた。

 ヘタしたら優衣自身が中に収まりそうなぐらい大きい上に、鉄だかなんだか分からないが素材からして相当重そうに見える。

 

「とかいって、意外と軽いのか……」


 そう呟きながら、直樹はカバンを床に置いて錬金釜に両手をかけた。


「よいしょ……ぐ……ぐぐぐ……あっ、いてててて!!」


 意外でも何でも無く、錬金釜は見たまんま思わず腰を痛めそうになるぐらいに重かった。


「ははっ、パパ大丈夫ぅ?」

「お、おう、全然平気だよ……ふぅ。ホントにこれ、優衣が一人で持ってきたの?」

「うん! あっ、でも、家の手前までだけどね! 家の中に入ったら急に重くなっちゃったの」

「そうそう。ユイが持ってきた時はびっくりしたわぁ」


 手際よく料理をしていた香織が、おもむろに会話に入って来た。

 どうやら、優衣がこの錬金釜を一人で持ってきたというのは紛れもない事実であったようだ。

 直樹がさらに具体的に話を訊いてみると、どうやらレベル6になったことがその怪力っぷりと関係しているらしい。

 ただし、その力はあくまでも向こうの世界〈ロフミリア〉に限られ、リビングの窓を隔てたこっちの世界では普通の女の子に戻ってしまうようだ。

 それならば、錬金釜は窓際に置かれているはずなのだが、なんでキッチンに置かれているかと言うと……


「お釜の置き場所はやっぱりキッチンよね……ってことで、私が運んだの」


 香織がこともなげに答えた。


「いや、お釜っていっても錬金釜……って、一人で運んだの?」

「うん。私だって良い大人なんだから、お釜の一つや二つぐらい運ぶのなんて朝飯前よ!」


 右手に菜箸、左手にお玉を持った勇者香織は勇ましく答えた。

 

「朝飯前……ははっ、す、すごいねさすが」


 直樹が若干引き気味に笑ったその時。


 グウゥ~


 昼飯もろくにとらず、働きずくめだった直樹のお腹が高らかに鳴き声を上げた。


「ふふっ、もう出来るから。ハンバーグ!」

「おお! 助かる!」

「わーい! ハンバーグハンバーグ!!」


 重さだけじゃ無く錬金釜そのものについてだの、優衣がどうやってレベル6まで上がったのかだの、訊きたいことは山ほどあった。

 しかし、それよりも食欲が勝っていた直樹は一刻も早く食事にありつけるようにと、コップやお箸を持ってダイニングテーブルに運んだ。




「いただきまーす!」


 ようやく宿題を終えた歩斗を加えて、家族4人が食卓に勢揃い。

 話題はもちろん、ロフミリアでの冒険譚。

 歩斗が魔物召喚スキルチョーカーを手に入れたことや弓矢でターゲットを一発で射抜いたことを自慢すれば、優衣も剣でバッタバッタと魔物を倒していったことを臨場感たっぷりに語った。

 直樹は驚き、感心し、そして羨ましく思った。

 仕事を頑張って早く帰宅したのは、こうやって家族で一緒に食卓を囲みたかったのはもちろんだが、ロフミリアへ行きたいという気持ちも少なからずあったのだ。

 それは、その経験が仕事に直結するから……というのもあるが、単に遊びに行きたいという思いも当然あった。

 ただ、いざこうやって帰ってきてみると疲れがどっと吹きだしてきて、これから旅立てる気力は到底残っていない。

 と言うわけで、食事の後にお風呂に入るとやばいぐらいの眠気が襲ってきて、気がついたらベッドの中で深い眠りについていた。



 

 ドンドンドンッ

 ドンドンドンッ


「……な、なんだ!?」


 直樹は、リズミカルな謎の音に急かされたようにパッと瞼を開いた。

 すぐ隣では、妻がスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている。

 それを見て、直樹は苦笑いした。


「ふっ、夢か」


 小さく呟くと、静かに瞼を閉じて眠りに戻ろうとした。

 が、しかし。


 ドンドンドンッ

 ドンドンドンドンドンドンドンッ


 また、音がした。

 まだ眠りに落ちてはいないということは、間違い無く現実の音だと直樹は確信。

 

「なんなんだ一体……」


 眠い目をこすりながら、徐々に頭の回転数を上げつつ、再び音が鳴るのを待った。


 ドンドンドンッ

 ドンドンドンドンッ


 どうやらそれが聞こえてくるのは床の下、つまり1階。

 となると、誰かが玄関のドアでも叩いているのだろうか?

 直樹はヘッドボードに置いてある携帯を手に取って時間を確認した。

 夜中の2時。

 知り合いだろうが知り合いじゃなかろうが、いずれにせよこの時間の訪問はただ事では無い。

 こんなにハッキリと音が鳴り続けているにもかかわらず、スヤスヤと眠り続けている妻を起こそうかどうか迷ったが、気持ちよさそうな寝顔を見るととてもその邪魔をする気にはなれなかった。

 直樹はそっとベッドから出ると、壁に立てかけておいたままだった魔法の杖を手に取り、寝室を後にする。

 2階の廊下に出て子ども部屋の方に目をやったが、ドアはきっちり閉まったままだ。

 

 ドンドンドンッ


 相変わらず、音は鳴り続けている。

 直樹は魔法の杖を両手でギュッと握りしめながら、ゆっくりと階段を降りた。

 1階にたどり着いたところで、耳を澄ましてジッと待つ。


 ドンドンドンッ

 ドンドンドンドンドンッ


 音がしたのは向かって右側。

 つまり、玄関ではなくリビングのほう。

 直樹の背筋に悪寒が走った。

 夜中とは言え、玄関を叩く音であれば何かと理由を見つけ出すことができる。

 しかし、それがリビングとなると話は変わってくる。

 直樹の頭の中にはイヤな予感だけが残されてしまった。

 それでも、一家の主として上で寝ている3人の安眠を守るべく、直樹はゆっくりと廊下を進んでリビングへと向かった。


 ドンドンドンッ


 音がする度に直樹はその身をビクッと強ばらせた。

 どうやらその音は家の中では無く外。

 いや、中と外を隔てる境界線、つまりリビングの窓の辺りから聞こえてきているようだった。

 リビングには誰も居ない。

 と言う事は、音を出している張本人はカーテンが閉まった窓の向こう側に居る……。

 直樹は、魔法の杖に〈炎の魔練リング〉がちゃんとはめてあることを確認した。

 ロフミリア側から音がしているとなると、窓を叩いているのはスライムかそれとも別の魔物か……。

 

 ドンドンドンッ

 ドンドンドンッ


 音の勢いに気圧されないように、直樹はゆっくりとリビングを横切って窓際までやってきた。

 そして、魔法の杖を片手で持ち、もう一方の手でカーテンの端を掴む。


「ふぅ……よし!」


 息を小さく吐き出すと、意を決したようにザッとカーテンをめくった。

 

 ドンドンドンッ!


 ほぼ同時に音が鳴り、直樹は思わず「ヒャッ!」と声を裏返らせた。

 窓の外にはスライム……ではなく、月明かりに照らされた一人の少女の姿があった。


「えっ……?」


 直樹は小さく驚きの声を漏らした。

 そして、見知らぬ少女と目と目が合ったまま、数秒硬直した。

 少女は、なにかとても焦ったような表情をしている。

 

「にゃーん」


 ……えっ?

 この鳴き声ってことは、人間の少女じゃない!?

 そう言えば、よくよく見てみると耳も猫っぽいし、全体的な雰囲気も野性味があるというか……


「わっ!」


 直樹は、足首に何かが触れたような感触が走り、思わず声を出してしまった。

 

「な、なんなんだ……って、ささみか。脅かすなよ!」


 足下に視線を落とすと、愛猫の姿が目に飛び込んできた。

 

「にゃーん」


 窓の外に立つ少女に向かって鳴くささみの様子を見る限り、泥棒なんかの類いでは無さそうに思えた。

 

「でも、それじゃ何者なんだ……」

「ユセリ!!」


 直樹の呟きに答えたようなタイミングで、背後から声がした。

 振り向くとそこには、寝間着を着た歩斗が寝ぼけ眼で立っていた。

 どうやら窓を叩く音で起きてきてしまったようだ。

 いや、それよりも気になるのは……

 

「えっ? 歩斗の知り合いなのか??」

「うん。仲間だよ~」


 歩斗は、明らかにまだ半分寝ぼけているような声で答えた。


「仲間? あっ、そういえばユセリって……」


 直樹は、ハンバーグを食べながら聞いた歩斗の話を思い出していた。

 確かその中で、ユセリという名前が出てきたような……。


「にゃーん!」


 ささみがチラチラと窓の方に顔を向けながら、両前肢で直樹の足をカリカリした。

 窓を開けたげて……と、言っているようだった。

 

「お、おう、そうだな。歩斗の仲間みたいだし……」


 直樹は鍵を外して窓を開ける。

 ロフミリアの生ぬるい風が部屋の中へと吹き込んできた。

 

「にゃーん」


 ユセリを見上げながらささみが鳴く。

 一体どうしたの、と言ってるよう。


「どうしたのユセリ??」


 あくびをしながら窓際までやってきた歩斗が同じく問いかけた。


「アユト、さっきぶり! ネコちゃん、あとオジさん、初めまして!」

「あっ、こちらこそ」


 何が何だか分からないまま直樹は言葉を返す。

 直樹としては、夜中に人の家の窓をドンドン叩くなんて正直ヤバい子なんじゃないかと思っていたのだが、予想外の礼儀正しさにその考えを改めた。

 そして、ユセリの焦りに満ちた表情の原因はすぐに分かった。


「ねえ、聞いて。アユトとバイバイしたあと、わたしが住んでる国ミリゼア……つまり魔物の国に戻ったんだけど──」

「えっ、魔物??」


 直樹はユセリと歩斗の顔を交互に見た。


「パパ! とりあえずユセリの話を聞こうよ!」

「そ、そうだな。ごめん、続けて」

「うん。ミリゼアに戻ったら、なんか騒々しい感じだったから気になって調べてみたら、空を飛んでる偵察ドラゴンがこの森で怪しい人影を見たってことで、調査団を派遣して調査する……って話を聞いちゃったの!」

「えっ!? 調査団だって!?」


 ざっくりとした話だったものの、いかにもヤバそうな内容に焦る直樹。

ささみと歩斗の顔にも不安の影が浸食し始めていた。


「派遣……って、それは一体いつ──」


 直樹が質問しようとした途端。


「大変だ、大変だ!!」


 森の奥から、今度は少年が姿を現した。

 ユセリと同じような焦りに満ちた顔をしている。


「……ロフニス!」


 背後からも別の声。

 直樹が振り向くと、そこには優衣の姿があった。

 リビングと異世界の境界線上に、続々と人が集まってくる。

 

「大変だ! ユイと分かれて僕の国ロフレアに戻ったらなんか騒々しい感じだったから、気になって調べてみたら、この森に調査団を派遣するって! なんか、この辺で怪しい人影を見つけたからとか何とか……」


 ロフニスの口から、どこかで聞いたような言葉が飛び出す。

 調査団と言われてもいまいちぴんと来ない直樹たちであったが、とにかく涼坂家にとってピンチなことだけは間違い無さそうだった……。

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