第14話 地獄コースとぬかに釘

「ほら、ちゃんと着いたでしょ?」


 香織はドヤ顔で直樹の顔を見た。


「お、おう。まあ確かにウチだなこれは」


 直樹は少し悔しそうに答える。

 あの地下ダンジョンの入口からここまではそれほど距離があるわけでは無いのだが、一人で戻ってくることができるのか、と聞かれたら、直樹は即座にうんと頷ける自信が無かった。

 だからこそ、例によってささみに先導して貰おうとしたのだが、


「私、いけると思う!」


 なぜか自信に満ちた香織が代わりに先頭を行く流れになったわけだが、本当に大丈夫かよと訝しがる直樹の心配は良い意味で裏切られ、無事に我が家のリビング前まで戻ってくることができた。


「それじゃ、助けに来てくれる時もすんなり来られたんだ? まあ、あれだな。俺の指示が的確だっ──」

「ううん。スラちゃんが案内してくれたの」

「そ、そう。スラちゃんのおかげだったのか……って、誰?」


 香織は、あのふんわりボブスライムとの出会い、きびだんごならぬフィナンシェでお供になってくれたことなどを説明した。


「へえ、そーなんだ。スライムだからって必ずしも敵とは限らないんだな……」

「そうよ。敵どころかすぐに仲良くなっちゃったんだから……って、そう言えばスラちゃんどこ行っちゃったのかなぁ? 着信音に驚いて逃げちゃって……と言うことは、あなたのせいよ? スラちゃん返して!!」

「えっ!? いや、そんなこと言われても……」

 

 うろたえる直樹の姿を見て香織はフフッと笑った。

 

「にゃにゃっ」


 ついでにささみも笑った。


「なんだよもう……じゃあ、ちょっと探してくるか……」

「フフッ、冗談よ冗談! どうせまたすぐに会えそうな気がするし。ねえ、それよりさぁ、ずっと気になってたんだけど、肩から掛けてるその布の袋みたいなのなに? そんなバッグ持ってたっけ?」

「おお、これね。えっと、まずポブロトっていう陽気な商人と会ったことから話さなきゃ──」


 ピンポーン。

 リビングのガラス越しに我が家のチャイムが鳴る音が聞こえた。


「あっ、誰か来たみたい。ちょっと出てくるね!」

「おう。って、俺もとりあえず中に入るけど」


 二人は窓を開けてリビングに上がり、香織は玄関へ、直樹は二階の寝室へと向かう。

 一緒に戻ってきたささみは、足音を立てずに家のどこかに消えてしまった。

 

「おっと、イテテテテ」


 直樹は、階段を上がっている途中、踏み込んだ左足に痛みが走り、うなり声を上げた。

 天井から落ちてくる紫スライムを避けた時にグネったこと思い出しながら、直樹は文字通り魔法の杖を杖にして階段を進み、何とか寝室にたどり着く。

 そして、布袋を床に置き、魔法の杖を壁に立てかけてベッドに倒れ込んだ。

 下からドタドタと廊下を走る音。

 それに、元気な子供たちの声を聞きながら、直樹は眠りに落ちていった。


 


 テーレーテーレ、レッテッテーン♪

 ……と、RPGで宿屋に泊まった際に鳴る音の代わりに


「パパ起きて~ご飯出来たよ~」


 可愛い娘の声と、体を揺さぶる手によって直樹は目を覚ました。


「……あ、ああ。おはよう優衣」

「なに言ってんのパパぁ。朝じゃないよ~」

「あ、ああ、そうか。昼飯か」

「違うよ。夜ご飯だよぉ」

「ああ、そうか……えっ? 夜!?」


 直樹はガバッとベッドから飛び起きて、窓の外に目を向けた。

 空は暗く、外に居並ぶ家々は窓から明かりをこぼしていた。

 

「うわっ、ホントに夜じゃん!」

「そうだよ! 嘘じゃ無いもん!」


 優衣は小さいほっぺたをプーッと膨らませた。

 

「ああ、ごめんごめん。そう言うことじゃなくて、ちょっとびっくりしちゃってさ。ねえ優衣、先に降りててくれない? パパもすぐに行くから」

「はーい!」


 優衣は元気よく返事すると、タッタッタと足音を立てながら部屋を出て階段を降りていった。

 素直な良い子に育ったもんだ……と、目を細めつつ、直樹はポケットから携帯を取りだして会社に電話をかける。

 香織から聞いた『休日出勤』という名の地獄の使命の件について、本当だったら帰ってきてすぐ連絡しようとしてたつもりだったのだが、ふいに居眠りしてしまってもう夜。

 なるべく早く確認しておきたかったのに……と直樹は呼び出し音を聞きながら、軽く自分を責めた。

 コールが途切れて電話に出たのは、同じ部署の若手の女の子。

 焦りを帯びた彼女の声色を聞くなり、直樹は静かにため息をついた。

 休日出勤には大きく分けて二種類ある。

 ちょっとだけ人手が足りなくて駆り出される『まったり進行パターン』と、緊急事態による『地獄パターン』。

 前者であれば、出勤時間も遅めで仕事内容も単純作業だったりするので、それはそれでわりと楽しめたりしなくもないのだが、後者の場合はまさに地獄。

 月曜まで待てないという時点で緊急性の高さを物語っており、出勤時間も通常通りどころか早朝コースまである始末。

 そして、予想通り今回は後者だった。

 幸い早朝出勤こそ免れたが、日曜なのに時間に縛られて起きなければいけないことは憂鬱以外の何ものでも無い。

 

「うん、分かった。詳しくは明日」


 直樹はテンション駄々下がり丸出しの声で電話を切ると、大きなため息をついた。

 ゾンビのように肩を落としながら、ゆっくりと階段を降りていく。

 微かにだが、ゾンビのようなうなり声すら上げていた……。




「ねえ、パパ! 庭の冒険行ってきたんでしょ!? どーだったどーだった??」


 歩斗は生姜焼きをパクつきながら、キラキラした眼差しを父親に向けた。

 家族4人で囲む食卓。

 どうやら、子ども達は直樹が寝ている間に香織から概要だけ知らされていたようだった。

 もちろん、直樹は異世界での冒険譚を話す気満々。

 空飛ぶドラゴンを見たこと、陽気な商人に会ったこと、地下ダンジョンに入ったことなどなど、生姜焼きを食べ終えてもまだ残ってるほど話のボリュームは豊富にある。

 紫スライムを倒したのがささみでは無く自分だった的な捏造も交えつつ、臨場感豊かに語るつもりであった……あの電話するまでは。

 当たり前だが子ども達に罪は無いし、仕事なんだから仕方が無いというのも承知の上で、それでもやはりテンションダウンは不可避。

 とは言え、何も話さないというのはあまりにも可愛そうってことで、直樹は今日の出来事をかなりざっくりまとめた上で説明した。

 それでも、ドラゴンやダンジョンなど飛び出すワードが刺激的だったおかげで、子ども達はそこそこ良い感じに食いついてくれる。

 いや、


「パパとママとささみだけずるい!! 僕も行きたいよ!」

「ずるいずるい! お兄ちゃんもずるい! わたしも行きたい行きたいぃ!!」


 これも、ロフミリアという名の異世界が持つ力か。

 歩斗と優衣の好奇心スイッチは強く深く押されていた。

 まったく、ただの休日だったら家族4人で一緒に冒険できたのにな……と、直樹は再び大きなため息をつく。

 

「ねえ、結構大変そうな感じなんだ?」


 香織は直樹の様子を心配して声をかけた。


「ああ、何かトラブったみたいなんだよね……」


 まだ売り切れないため息を直樹がついてる間も、子ども達は明日の冒険に思いを馳せてキャッキャキャッキャと騒いでいる。

 直樹はその姿を見て少しだけ癒やされつつ、


「ごちそうさまでした」


 と言って箸を置いた。


「それじゃ明日結構早そうだね。お風呂沸かし直せばすぐ入れるから。今日の疲れを取って、早寝したら?」

「ああ、そうする。明日よろしくな。子どもたち」

「うん! 任せておいて!」


 香織はニコッと笑いながら、右手でポンッと胸を叩いた。

 妻の明るい笑顔は心に染み渡り、薬草よりも多めに直樹の"現実HP"を回復してくれた。

 それから直樹はすぐ風呂に入って歯を磨き、平日用のアラームをセットしてさっさと眠りについた。

 

 そして直樹は夢を見た。

 森の中を歩いてると何かに足を取られてつまずき、地面を見ると木の扉があり、開けて中に入ると階段があり、それを降りた先はレンガ色の壁に囲まれた部屋……では無く、事務デスクが並んだオフィスだったという夢を。




「やべっ、遅れる! それじゃ、行ってくる!」


 翌朝。

 直樹はちゃんとアラームで目を覚ましたのだが、微妙に二度寝してしまいこの有様。

 

「あなた、行ってらっしゃい!」

「パパ行ってらっしゃい!」

「らっしゃい!」


 可愛い妻と二人の子どもに見送られる状況は、決して悪い気はしない。

 それがたとえ、憂鬱な休日出勤であっても……と、直樹は思った。

 

「歩斗、優衣。向こうに行くのは良いけど、無茶だけはするなよ? ウチの近くから離れちゃだめだからな?」


 子どもたちに釘を刺し、親の役目を果たした直樹は駆け足で外に飛び出した。

 しかし、釘を刺された歩斗と優衣の目が明らかに度を超えた好奇心でキラリと輝き、刺された釘を抜いて無茶する気満々であった……。

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