第一話 絶対落涙空間 Bパート

一話 Bパート・チャプター1/カブリオレ・カミング



「なんだよ!」と、再びタカハシ(27)は叫んでいるが、



 相変わらず、返事らしい返事は、皆無である。



 声を聴き付けたらしく、どこかで犬のさびしげな遠ぼえがする。



「なんだよ、」と、三度、タカハシ(27)は居たたまれなくなって吐きだし、目をふせ、半泣きになりながら、おもむろに立ち上がり、



 顔につもっていた雪がばらばら落ちて、くだけるのを見ながら、変にわいた涙でゆがむ視界のなか、アスファルトで擦って痛む手を確認すると、ほのかに血がにじんで、じくじくしているところから察するに、いましがたのことは、どうも、



 すべて。現実らしく。



「くそ、」なんだよ、と、また、内心でつぶやいて、ズボンで手を拭いながら、覇気のかけらも無く肩を落として、足を道路に向け直して。



 ふと。


 たゆたって消える、あかるい音楽のよいんのようなものを、耳にして。



 不意に。 否、 唐突に。



 左方、遠方から、あたり一帯に、軽快な、どうにも、手打ちのドラムでなく、打ち込みらしい、ひどく古臭い、耳にするだけで八十年代を彷彿させる、



 若干ひび割れたパーカッションの轟音が、



 一定のリズムで、繰り返し、長めに鳴り響き始め。



 なんだ?と、けげんに思い、顔を上げて、視線をむければ、

 


 こちらに排気量の大きいエンジン音を交えて、タイヤでアスファルトを噛み、突っ込んでくる、なめらかな、エナメル質の赤い、



 物珍しい、


 

 キャデラックのクラッシクカー・カブリオレの姿が見て取れたのはいいが――――――、

 



 ルーフに、どうみても金閣寺めいた、宮型霊柩車の装飾が、どんと絢爛豪奢けんらんごうしゃにそなえ付けられており、おまけに、おそらく四すみに、右巻きの人たちの街宣車などに見られる、かざり気のない金属製の、大ぶりのらんに似たスピーカーが設置され、音を出して判然と空気を震慄しんりつ・振動させており、


 

 パーカッションの出どころは、どう考えてもソレであり。




 は?と呆気にとられて口を開けはなっていると、パーカッションの中にシンセサイザーの音が混じりだして、和製英語で言うところのテクノ・ポップ調の曲――――――a-haのTake On Meのイントロが流れはじめるが、


 


 タカハシ(27)は、曲名を知らない。

 


 どこかで耳にしたおぼえがあるだけである。



 颯爽さっそう疾走しっそうしてくる、車両本体のあですがたを、自失してながめつづけ。



 目の前にスムーズに停車するまでただ、黙然もくぜんと、眼でおいつづけている。







 ――――――のちに、この瞬間を思いだして、タカハシ(27)は言う。





     あんなカワイそうなアメ車、見たことない、と。






 爆音をき散らすキャデラックの運転席の窓に、そろそろ日が暮れきるにもかかわらず、でかいダサい色つきサングラスをかけた金髪ポニーテールの若い女の端然たんぜんとした横顔があり。




 ばいいいいいいいいいと、音甲高く、パワーウインドウが開き、



 こちらに顔を向け、サングラスをわずかに下げ、


 紺碧こんぺきの瞳を、のぞかせて。




「アナタガ、タカはっしデスかー?!」と、あきらかに片言めいた日本語で、窓枠にシャツの袖をまくった肘をおき、「デース?」と、身をのり出して陽気に、わめいてくる。




「はぁ、」と、うろんな心もちを隠しもせず顔に出してタカハシ(27)は、ゆっくり、「そう、ですけど、」と、緊張から眼をおよがせて首肯しゅこうする。




「オゥ!ヨカタデース!」と、彼女は言い、車内に引っこんで、いえー!などと一人でとびきり嬉しがりながら、陽気にハンドルを叩いている。「マニアいまシたかー?」




「あのお!」と、いいかげんうるさいので耳をふさぎながら、Take On Meに負けじと声をはって、しゅういをちらちら、気にしつつタカハシ(27)。「たぶんこれ!ふつーに近所迷惑だと思うんだけどおー!」




「はーい?」と、また身をのり出してのん気に、サザエさんに出てくるイクラちゃんのような疑問の声を出す、女。




「いや!ハーイじゃなくて!」と叫びながら、まわりに顔をむければ、


 家々から顔をだしたり、なんだったらおもてにでてきていたりする、不信感に満ちた近隣住民のかたがたが、そこかしこにたむろし、野次馬を形成しつつあるので、


「めいわくでしょ!?」と、意をくんで代弁した拍子に、




「アナタヲつれてこい、言われてマース!」と、女が言う。




「はぁ?!」と、タカハシ(27)。




 Take on meは、止まらない。




「さぁタカハっし?のてくだサーい!はぁぅりーぁっぷ!」と、ことさら女が笑って言う。




「はぁあ?!」と、タカハシ(27)。



「イイからとっととノルデース!」ふううううあ!と、なにがそんなに楽しいのか、音楽同様、陽気な女も止まらない。




「イヤ、乗れって!乗りづれえわ!こんなもん!」と、当たり前にほえて訂正する、タカハシ(27)。



 ひそひそしている住民の方々をみやり、キャデラックに眼をもどし、



「無理だろ! どう考えても!」と、続けている。




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