一話 Aパート・チャプター10/長谷川さん



 西武鉄道の新宿線ぞいを、ひた歩き。


 

 ぎょうこうにも変わりばえの無い、


 自宅近辺にある、南大塚駅前に辿り着く。



 どこの地方都市にでもあるような、ターミナルとターミナルをつなぐ、ちいさな駅である。



 そこから更に歩くこと、五分、十分。


 頬に汗のにじみやしたたりを感じはじめたころ。



 暮れなずんだアカガネ色のかげりに満ちる住宅街に足を踏み入れ、目的の、



 自宅のアパートがあったはずの場所にたどりつき。



 タカハシ(27)は木偶でくの棒然と棒立ちで、アゴをだらしなく下げ、眼を見ひらいたまま、たたずんでいる。


 

 



 借りていたアパートが、アパートごと、消えている。


 




 もろもろ全て、こつぜんと、消失しており、

 


 代わりにあるのは、舗装の行きとどいた駐車場のみである。

 



 数分とも数時間とも取れる、間の後で。




「い、いえがねえ、」と、知らずに肩を落として、見てとったありのままの事実を口に出してみるが。


 なにもおこらない。


 当然ながら。




 なにか、望みのものが降って湧くようなこともなく。




 誰もいなければ、目の前のあるのは、繰り返しになるが、


 これまたどこの住宅街にでもあるような、


 ただの駐車場である。

 


 四囲をながめまわして、電柱に記されている番地なども確認するが、間違いなど、まったくなく。

 


 すべて、記憶にあるものと一致しており。




「どうすんだよ!」と、とりあえず叫んでみる、タカハシ(27)。




「あぁ?!」と、独りで続けて、しきちに入って、一階の角部屋があったはずの場所に足をむけ、



 自室のあった場所をムダにうろうろしながら、



「家がねえだろうがよオオオ!」と、声をあらげている。「荷物どうすんだよ!おっっかしいだろこんなもん!うざけてんのかあ!誰だイエ持ってったやつ! あぁあああああああああ?!」と、天にむかって元気よくほえてみたところで、





「うるさいよアンタっ!」と、お隣の長谷川さんのおばちゃんが、窓を開け放っていつになく神経質そうに怒鳴ってくる、姿をみとめて、





「あぁ!」よかった!と、タカハシ(27)は喜んで近づき、


「長谷川さん!」と、声を掛けている。




「は?」と、あからさまな不審者にたいして、不審な眼をむける、長谷川さん。




「長谷川さん!いや、いま帰ったんだけど、家なくてさぁ、」と、駐車場をちらちらふりかえりながら事情を説明する、タカハシ(27)。「なにこれ?おかしくねっすか?ちょっと、」




「いやここ駐車場だし。前から」と、冷たく長谷川さん。「あんただれよ?」




「は?」と、知人に対してけげんな眼をむける、タカハシ(27)。「いやタカハシですよ、今日、あさだってゴミ捨てんときあいさつしたでしょ?」




「知らない」と、眼をすがめて、長谷川さん。「だいたいゴミの日、今日じゃないし」




「えぇ?!」がく然とする、タカハシ(27)。「いや、でも、」




「デモもへったくれもないよあんた!」と、長谷川さんはたけって言い、



 窓枠をつかむ左手を、おもむろに顔の前に持ち上げて、「アやしい」と、はきだして、自宅周辺をうろついていたと思われる謎の男を睨みながら、ぴきぴきと、音を立てて、皮膚の表面に、




 氷を張り始める。


 


 タカハシ(27)は、ありさまにめんくらって、言葉をそうしつしている。




「――――――あんた、ここがメガデス・ノーザンライツ長谷川の家って。わかって来てるでしょ?」と、長谷川さん。軽く眉を動かして、左手をにぎりしめると、空気が音を立てて、割れたように見え、氷の粒が、いくつかほとばしる。「あ?」




「いやいやいやいや、」と、タカハシ(27)は慌てて首を振り手をかざしてあとずさっている。「ちがうし、っつーかなんですかソレ?!」メガデス・ノーザンライト?アホな!と、耳になじまない言葉をあわてふためいて内心で咀嚼そしゃく反芻はんすうしていると、




「このあたし、 ランキング・オブ・サイタマ2万3577位の 能力、 フィラデルフィア・スノー・エポックを、 前に! 五分立ってたやつはいないんだよ」と、静かに、をはなつ長谷川さん。「夕飯時でいそがしいから、だんなが帰ってくるまえに、カタぁつけましょうか?ランカー、」




「ちがうって!」と、たじろぐタカハシ(27)。「ほんとちょっと待ってほんと!」




「あ?」と、長谷川さんは言い、口もとをゆがめて、なめらかに左手をわきわきさせる。動きにれいきして、小さなひょうに似た氷のつぶがぴしぱし、飛びちり、「早いとこ終わらせましょうか。おナベティファールのがんもが、煮え切る前にねえ!」と、エンカウントによろこんで、眼をほそめる。




「ちがうってだから!なんだよもう!」と、必死にタカハシ(27)。




「なに?ヤんに来たんじゃないの?」と、文字通りつめたい、長谷川さん。手のわきわきは、止めない。




「なんでそんな好戦的なんだよ!」と、絶叫系のつっこみを入れる、タカハシ(27)。




「自分の平和ってのはねぇ、ボウヤ。与えられるもんじゃない。いつだって自分で勝ち取るもんなのさ」ふっ、と虚無的に笑われる。「居場所はつくって守る。 それがサイタマの、いいや、南大塚の常識でしょうよ?」




「いや知らねえし!そういうのいいから!」頼むよ!と口早につけくわえ、半笑いでなげくタカハシ(27)。「ここに家、っつか、アパートあったってか、たってたでしょ?!」と、地面を指さしてさけぶ。




「カッ!バカ言うんじゃないよバカ!」と、呆れて長谷川さん。「ここはもうずっと駐車場!ウチが家たてる前は空き地!わかった?!」




「いやでも!」と、食い下がるタカハシ(27)。「だって朝まではあったんだから!」




「変な子だねぇ?」と、長谷川さんは言い、飽きてきたのか、手のわきわきをやめ、窓枠を掴みなおすと、そくざにしゅういが凍てつきはじめる。




「いやだってほら、学生んときから住んでたし!」と、タカハシ(27)は言い、まわりや後ろを眺めまわして、「ここ、ずっと、 八年前のほら!震災ん時だって」




「震災?」と、長谷川さんが耳なれぬようすで小首を傾ぐ。




「いや地震だよ地震!東日本大震災!3・11の――――――!」




「いや、ないでしょ?」なに言っちゃってんのこいつ?と、言いたげな長谷川さん。




「はぁ?!」と、タカハシはキレ気味に言い返している。「いやあったでしょ地震!関東とか、都心とかパニックで、埼玉もけっこうやられて、東北なんかぐっちゃぐちゃで、今だってこ――――――!」




「八年前は地震じゃなくて、クライシス・ヘカーテでしょ?!」と、声をさえぎって、長谷川さんは言う。「コロナの爆発がどうのこうので、あんときひどかったでしょうよ」




 なにを急に横文字つかってんだこいつは、とタカハシ(27)は若干、否、わりと本気で、いきどおっている。反射的に、「いや、震災でしょ?! 東日本、大震災でしょ?!」と、声をあらげて、否定している。「日本の半分くらいは無茶苦茶だっただろ?!あんとき!」




「あのー、ねえ?おにいちゃん、」と、長谷川さんはおちついて、苦笑する。「ちょっとあんたなにいってるかわかんないんだけど、八年前にあったのは、そんな地震がどうこうとかじゃなくて、 あのね?クライシス・ヘカーテ。でしょ?わかる?」




 話しの通じなさにタカハシ(27)は、何も言えず口をぱくぱくわなわな動かすことしかできず、息をのんでいる。




「いまさら説明すんのもバカらしいけど、」と、長谷川さんは懐かしむように言い、ちらと、視線を泳がせて、「たいようの、黒点?の異常がどうとかで、コロナがばくはつしてどうこうで、赤道から北の電気のところが全部やられちゃったの。知ってるでしょ?ひどかったの、」




「あ、 あぁ?」と、タカハシはあいまいな声を出して、目をふせている。




「それでロシアんとこと欧州共同体が戦争になって、爆弾がばんばん落ちて、さんざんニュースになってたでしょ?あっちこっち飛び火して、中国が北に出て行って、PKOがどうのこうので、日本も巻き込まれて、 やあよねー?ほんと、ここだって州軍出てったし、知ってるでしょ? 加藤さんとこなんて軍隊に息子さんとられちゃったんだって、ランキング50位に近かったらしいじゃない?だから目ぇつけられちゃってまぁー大変よねー? まだ帰ってこないって言うじゃないの、生きてんだか死んでんだかわかんないって!北川さんとこのよし君も海兵隊の通信士になったけど結局、任務で壁につれてかれて、」と、止めどなく、いらない話まで口をついて出てくる、長谷川さん。





 この止めどないあたりは、知己ちきである長谷川さんとそん色なく、大差もないため、「え、 あ、」と、タカハシ(27)は、当惑して、顔色をうかがってしまう。




「そういうのを、全部ひっくるめてクライシス・ヘカーテ。こんなの子供でも知ってるでしょうよ」と、長谷川さんがあきれて口を開く。「あんた、今までシェルターにでもこもってたの?」




「い、いえ、」と、タカハシはちからなく笑んで、首をふっている。「いえ。」




「アやしイ、」と、長谷川さんは遠慮なく口をひらく。窓枠を掴んでいた左手を、顔の前までもたげると、「スマイオに言う前に、いったん氷漬けになっといてもらった方がいいかしらねえ?」と、能力をりつどうさせ、空気を先ほどよりもはっきりと、ぱりばりパキパキ、いてつかせ始める。




「いや!違う!ほんとうにオレは!」と、タカハシ(27)は弁明している。「そんなんじゃなくて!」




「そんなんじゃなかったらなんなの!」と、怒鳴る長谷川さん。



「いやだからほんとにここに家が―――!」


「ハァアアアアアア!」と長谷川さんが唐突に叫び、左手から『』っぽい吹雪をほとばしらせ、



「ううううぐふうううう!?」と、タカハシ(27)は顔に直撃を受け、反射的にあたまをまもりながら、勢いに負けてたたらをふんで後ずさりし、耐えきれずもんどりうって尻もちをついて、顔を雪まみれに赤くしながら、驚がくにうちひしがれて、窓を見あげて、



「とっととかえんな!」次ツラ見たらただじゃおかない!と、勝手に怒っている長谷川さんの顔を見て。



 間を置かず。


 凍り付いたサッシをがりがりしながら、ぴしゃん!と、窓が閉め切られ。



 がちゃがちゃガタガタと、忙しなくカギが閉められ、

 曇りガラスの向こうで、人影が揺らめいて。



 離れていき。



 後ろ手に両のてのひらをついて座りこんだままタカハシ(27)は、しばし、ぼうぜんと、呆気にとられること、数十秒。



「なんだよ、」と、やっとのことで吐き出してみるものの。



 閑静な、見知っているはずの、見知っていたはずの、

 住宅街のなかに身をおいている事実だけが浮き彫りになる、ばかりである。






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