一話 Aパート・チャプター9/サイタマ、街あるき


 時刻はすでに夕まぐれであり、ロータリーには少しばかり、せわしなく行きかう人々や、車の往来が目だちはじめて、発着する電車の立てる騒音が、あたりにひびき、街灯をゆらすほどである。


 ヒドイ目にあったけどもう家に帰ろう、明日も早いし、と、タカハシ(27)は、駅舎のほうへと歩きだしてふと、




 遠方、少々立ち並び方の変わったビルのすきまや、向こうに。



 

 黒ずんだ灰色の、見た目にかたいカーテンのようなものを、見てとり。



 

 なんだ、あれ、と、バス停の前で、足をとめている。




 ぼうぜんとして。じっと、見いると。




 ベールの上方、張り出した雲の稜線に被るか、というところで、赤い光の点滅が、いくつも、等間隔にあるらしく、繰り返し、淡く色をはなって、目立っていることに気づく。


 


 壁、と、ついさっき、らりったと判断を下した彼らが言っていた事を思いだし。





「ばかな、」と、人生で初めて、小さくつぶやいている。





 しゅういに眼をむければ、右手のマックの中で、学生らしき子たちがカウンターに座り、はしゃいでいる。



 よくある光景である。



 前から来た主婦らしき人と擦れ違い、スーツを着た男性に追い越される、



 バスがやってきて、人を吐き出し始め、列を成している人たちが、吸い込まれていく、


 これらもよく見る光景であり、



 遠方に眼を戻す。



 


 仄暗い、『壁』のような巨大な建造物が、厳然自若げんぜんじじゃくとして、そびえている。





「うそだろ、」と、つぶやきながら、歩き始め、



 自律的に駅へ向かおうとする足を、



 駅横にある『ぎょうざの満州』の前で方向転換し、線路ぞいの、歩道のない通りにわざわざ向けなおして、



 きつねにほっぺたを引き千切られたような気分で、


 本川越方面に向けて、歩きだしている。




 視界が開けるので、あらためて目線を上げれば、コンクリなのかなんなのか、黒ずんだ灰色のものが、延々と、左右に広がっており、眼をこらせば、何かの設備の隆起りゅうきなども、かすかに、見てとれる。



 あぜんとしながら、歩いていく。



 湿気をはらんだおもい空気が、肌にまつわっている。



 道中、突っ立っている自販機を見つけて、ちらと見やれば、やたらと、


 グァバジュースと変なラべリングの輸入物らしいチェリーコークとココナッツウォーターばかり、

 並んでおり、



「いやいやいや、」ドンキの食品売り場じゃないんだから、と、内心、つっこんで、本格的にみょうな―――、迷路の袋こうじに自分から率先してむかっているような、間のぬけた気分で、一駅ほどを歩くことにし、自宅を、めざしている。



 さらに道中。



 工場の乱立する地帯を抜けるさい、いつもとちがうもの、を、いくつも、眼にする。




 例えば、自動車工場。Hから始まる社名が、菱形三つに変わっていたり。


 例えば、食品製造工場。冷凍食品をあつかう会社Nが、Smith&Wessonなる軍需産業の工場に変わっていたり、




「スミス&ウェッソン?!」と、タカハシ(27)は、足を止め、




 その四角い石灰色の――――――、パッと見、出入り口の無い外観を、あっけにとられて、ながめ見ている。



「うそだろ、」と、知らずにこぼすが、



 当然、へんじはなく。


 夕暮れのオレンジに満ちた閑静な通りに、かなり意識を集中して耳をすまさなければ聴こえないほど静かな、低い工場の稼働音が、ごくごく、わずかに、時おり響いているのみであり。




 もとからありましたよ、と、言わんばかりで。




「ばかな、」と、口に出して周囲を見るが、整然としている道路と、いくつかの街路樹がたたずんでいるのみで、ヒトの気配はない。




 はぁー、と、われしらず、意味不明な息を吐き、はっきりしはじめたむなさわぎと不安にかられて、工場をためつすがめつ、左見右見しながらも、先を急ぐことにする。


 


 どうなってる? さっきのあそこは、あきらかニチレイだっただろ?! 



 なんだよ、 スミス&ウェッソンってなんだよ?!と、



 自問に暮れること、二十数分。

 


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