第10話 追放
「ゴメンな、母さん。きょうで、お別れだ。もしかしたら、今生の別れになるかもしれない」
身支度を終えて、村から出ていくその日……。
「待ちなさい! オルヴィス。今ならまだ間に合う。考え直してはくれないかね?」
母のマヤは、息子をその胸にかき抱いた。母の暖かい温もりと匂いには抗えないものがあったが、その母という存在が娘であるフリーダのことをなんとも思わない者がいることを思い出して、オルヴィスの中で怒りに火が点いた。
「よしなさいマヤ。この子が自分で決めたことだ。兵士になり、戦争へ行くことがすべてではない。この子には、体制や因習に反逆する強い意思がある。木こりとしても優秀だ。どこへ行っても生きていけるだろう」
「そうだ、母さん。オレが今さらあのときに宣言したことを撤回したら、フリーダが一人になる。そんなことはできねぇ」
「フリーダって、あの子かい? 卑賎民の子の…」
「マヤよしなさい。オマエまで」
「オヤジの言う通りだ。いくら母さんでもアイツのことを差別したら許さないからな」
「オルヴィス。行ってこい」
母の身体をそっと押し出すと、オルヴィスは所持金一万ナノと当分の食糧、水のボトルとナイフの入った袋と、商売道具のオノとのこぎりとかんなと小刀一式の入ったザックを背負って、生家を出た。
「行ってくるぜ。次に着いた土地が、オレの生きてゆく場所だ」
村のちょうど辻になる場所で、フリーダは、オルヴィスが来るのを待っていた。荷物は、ナイフと水と、二人で食べても十日間は日持ちする『ボーネン』と『カレ』。それから一千ナノのわずかな所持金。先日タカの剥製を売って手に入れたお金は、すべて母に取られ、今はこれしかなかった。
笠を持ち上げて、空を見上げる。出発するには、最高の晴天だが、村を追放されたのだから、いい日和とはとても言えない。
供物を免れたものの、オルヴィスには悪いことをした。反面、彼と一緒なら、どこへでも行けそう、と感じている。
卑賎民と罵られてきた村である。母も父が逐電してからおかしくなった。出て行くのに、それほど抵抗はない。もちろん一人だったら、無理なことだったが。
「おおーい!」
声がして、振り返るとガードリアスが走ってくる。
「よかった。間に合った」
膝に手をついて息を切らしていた。
「オルヴィスはまだ来てないのかい?」
「もうすぐ来ると思うんだけど」
見送りに来てくれたのだろう。ガードリアスは
「フリーダ、これ。なにかあったら、これを売るといい。熊の胆嚢を元に作った薬なんだけど、高値で取引されているんだ。困ったら、使ってくれ。でも、くれぐれも、足元を見られないように気をつけてくれ。これ一丸で、一千ナノくらいの価値がある。体調を崩したときに飲んでも滋養の効果がある」
大事に受け取り、袋にしまった。
「あ、あの…ところで、ガードリアス」
フリーダには、彼に聞いてみたいことがあった。
「どうしたんだい?」
「今からでも遅くないから、オルヴィスは村に残ってもいいんじゃないかな、って思うんだけど…」
「君一人で出て行くっていうのかい?」
「うん」
「強がりのいい子ちゃんはよせ。オルヴィスは徴兵を拒否したんだ。遅かれ早かれ村にはいられなくなるよ。今回のことは、きっかけにすぎない。それに、キミが供物にならなかったことで、別の子が選ばれた。そのことをよく覚えておいてくれ。キミの代わりに誰が選ばれたかわかるかい?」
「わからないよ。誰なの?」
「コリンの妹だ」
「え? コリンの?」
コリンは村長の息子である。
「どうして? どうしてコリンの?」
「最初から供物に選ばれたのは、コリンの妹だったらしいんだ。供物だけは、平民も卑賎民も関係ないからね」
「じゃあ、どうしてわたしに?」
「コリンとバロックさんだよ。あの人たち、自分の家族が供物に選ばれたものだから、キミを身代わりにしようとコリンが白羽の矢を放ったらしい。君は初めから供物なんかじゃなかった。押しつけられただけだったんだ」
「そ…そうだったんだ」
「でも、喜んじゃいけない。オルヴィスの君に対する親切心は、別の少女の犠牲の上に成り立っているんだから」
「そ、そうだね」
フリーダには、まだしっくりと飲み込めない。ガードリアスの言っていること自体はわかる。だが、そもそも初めからコリンの妹に白羽の矢が立ったのなら、わたしが放免になったからといって、その子が犠牲になったとは言えないのではないか。
被害者は、わたしの方だ。
オルヴィスとガードリアスが助けてくれなければ、火あぶりにされていた。あのとき初めてわかった。…命が惜しい、ということに。
「おおーい!」
大きな手を振ってオルヴィスが現れた。
「ん? ガードも一緒か。なんだ、オマエも一緒にいくのか? 歓迎するぞ」
「すまん。さすがにそれは無理だ」
「わかってるよ! ホンキにすんな」
「キミたちを見送りに来たんだよ」
「そっか。ありがとな。ってか、オマエ、兵士になっても死ぬなよ」
「そっちこそ。野たれ死にするなよ」
「そいつは保証できねー」
「ぼくの方も戦場で死なないとは保証できない」
「ま、そういうこったな」
オルヴィスは、フリーダの肩にぽんと手を乗せた。
「じゃあ、行くぞ」
二人は、ガードリアスに背を向けて歩き始めた。
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