第9話 権力
「オヤジ、すまねぇ。この通りだ。どうかフリーダの生贄の件、なしにしてくれねぇかな?」
オルヴィスは、仕事を終えて帰宅した父シュメルに頭を下げて頼み込んだ。
「ってことは、なんだ。オマエは、フリーダが祭壇の山へ登るため僧侶たちと行進しているときに、いきなり襲撃して、あの子を助けたってワケか?」
「そういうことだ」
「バカタレッ!」
シュメルは息子にげんこつを食らわせた。
「オマエは自分がなにをしたかわかってんのかッ!」
「わかってるよお。わかりすぎるほどわかっているよお。なにをしたかって、アイツを助けたんだよお」
オルヴィスは、口をアヒルのようにして言った。ふざけているわけではない。むしろ、いじけているのである。
「大バカ者! そういうことではない! オマエは、儀式の邪魔をしたってことだ。前例がない。そんなことをした者など…。棒打ちでは済まんぞ! 下手したら、村から追放だ!」
シュメルは頭を抱えた。仕事を終えて帰った早々、バカ息子はなにをやらかしてくれたのか、と。
「だから、頭下げてんじゃん。頼む。オヤジの力でなんとかしてくれ」
「俺の手には負えん」
さじを投げた直後だった。
ドアが、ドンドンと叩かれた。
「シュメルさん。大変だ」
「なんだ? どうした?」
シュメルは念のため素性をたずねてからドアを開けた。肩で息をしているモームの顔があった。この警護団の一人である。
「きょう、邪魔者が入ってオルテウス神の儀式が中断したらしいな。その犯人が、オルヴィスとガードリアスだって」
モームの声が途切れ、彼の目はシュメルの後ろにいるオルヴィスに移った。
「おいオルヴィス。オマエ、本当か?」
「本当さ、おっちゃん。オレがぜんぶやった」
「あいかわらず、バカだなぁ、オマエ」
「バカはねーだろ。フリーダが殺されるのを黙って見てるわけにはいかねえ」
「殺されるんじゃないぞ。捧げられるのだ」
「一緒だ。おっちゃんまでなに言ってやがる。フリーダは祭壇の中に突き飛ばされて焼死させられるんだよ。そもそもおかしいぜ。いつだったか、飢饉のあった年に、ムスティリ村で、豊穣のカミサマ、コムトビ神に捧げるっていって、女の子が生きたまま土に埋められたことがあったよな? それで次の年、豊作になったか? ならなかっただろ。あんたら、オトナは、もっと頭使えよ。この村でまともな頭なヤツはオレだけか? え? カミサマにお願いするため、とかいってさ、アンタら人殺しやってんだよ。…いや、待て。オヤジもおっちゃんもすでに人殺しだよな。兵士だもんなー」
言いたいことを言ったら、オルヴィスはすっきりしたが、それで終わりではない。フリーダの今後が一番気がかりだ。
「首都ウッドワイドから派遣されたデボン政務調査官殿が、バロックの家でお待ちだ。オルヴィス、オマエ、出頭せにゃならんぞ」
「俺も行く」
シュメルは、息子の肩に手を置いた。
「さっすが、オヤジー! 頼りになるぜ!」
「とにかく。まずは、フリーダを助けないとなあ」
だが、シュメルの顔は、こわばっていた。
「どういうことかね? シュメル」
詰め寄ったのは、この村で一番の有力者バロック村長である。彼の隣には、ぴしっと背筋を伸ばしたデボン税務調査官もいる。この辺り一帯の村々を統括している首都ウッドワイドから出向してきた役人である。
「どういうこと、とは?」
シュメルは村長に聞き返す。
「わかっておるくせに、聞き直すんじゃない。先日、オマエさんのところのバカ息子オルヴィスと、その友人のガードリアスは、オルテウス様に捧げる儀式を邪魔だてしたそうじゃないか」
「このままでは、戦局が後退しキサマらの村にも塁が及ぶぞ」
デボン政務調査官がぴくりとも表情を動かさずに告げた。
「そのことですが、私、以前より疑念を抱いておりました。果たして供物を捧げたところで、なにか上手くいった試しがありましたでしょうか? 供物とはあまりにも野蛮な行いの上に残酷で…」
言い終わらぬうちに、デボン税務調査官がぴしゃりと告げる。
「黙らっしゃい。昨年、アムゼン村にて大量の牛が流行病に罹り、死んでしまったことを覚えておろう。あのときは、ミロクミギア神に供物の心臓を捧げたところ、翌年にはもう病気など消えておったわ」
ミロクミギア神は、動物のカミサマと言われている。
「失礼ながら、それは人々が手塩にかけて育ててきた牛を泣く泣く殺してすべて土に埋めたからであって、ミロクミギア神の御仕業とは到底私には思えませぬ」
「おぬしは、ラーマの神々をすべて否定するのか? 死罪に当たるぞ! 誰か! この不信心者を捕えよッ!」
動いたのは村長の息子のコリンだけだったが、シュメルの一睨みで怯えたのか、下がった。
「まぁまぁ、デボン殿。この男は、この村を守る兵士ですぞ。あなた様のご一存で軽々しく殺生なさることもできますまい」
バロック村長が、この場を収めた。
「では、予定通り、あの娘を使い、もう一度儀式のやり直しをせねば」
「やめろッ! ざけんな! クソのっぽ背筋ピン野郎! 今オヤジが言ったばかりだろ! 供物なんぞやっても、なにも変わりゃしねーんだよ! そんなに好きなら、テメェの命を捧げやがれッ!」
オルヴィスは、デボン税務調査官の胸ぐらをつかんだ。
「やめろ。オルヴィス」
「なんだよ、オヤジ。アンタの力もここまでか」
「デボン殿。ひとつ提案がある。確かに、供物の儀式の妨げは、あってはならぬことだ。息子の失態は私がお受けする。棒打ちでも鞭打ちでもなんでも受けよう。それで、放免としていただけないだろうか?」
ノックがされ、ガードリアスが入ってきた。
「ガードリアス、たった今、参りました」
オルヴィスが駆けつける。
「オマエがガードリアスか」
デボン税務調査官が冷え冷えとした目で見下ろす。
「オルテウス神の儀式を邪魔したそうじゃないか」
こぶしを握り、ガードリアスの頬を殴った。ガードリアスは村長のそばで見ていた息子のコリンのところまで吹っ飛ばされた。
「ま、待てッ! そいつはカンケーねぇ! ぜんぶ、オレがやったことだ!」
「美しいねぇ。友情ってヤツか。だが、裏は取ってある。持ってこい」
デボンは部下に命じた。部下は、外へ出てからすぐに戻ってくる。部下の手には、クマの毛皮があった。
「ある者がこれを山の笹やぶの中から見つけた。やはり儀式を遂行中の僧侶たちが見たのは、これをかぶった人間のようだ。これを持っているのは、狩人どもしかいない。集落を聞いて回ったら、すでにクマの毛皮は市で売れて誰も持っていないそうだ。聞けば、オマエ、この前の市で、クマの毛皮は売れず、戻ってきたそうじゃないか。つまり、この毛皮はキサマの家のものだ!!」
「ば、バカ野郎! そんなことだけで判断できるかよッ!」
「いいよ。オルヴィス。本当のことだ。ぼくがやりました」
頭を下げるガードリアス。
父シュメルに無理やりオルヴィスも頭を下げられる。
「これでよろしいですかな? 税務調査官殿」
シュメルはこのままうやむやになればいいと思っていたが、そうはいかなかった。村長のバロックが言う。
「いいや、まだ話は済んでおらぬ。オマエたち二人は、鞭打ちで良いが、娘だけはならぬ。娘だけは、供物であることに変わらぬ」
「ダメだ! フリーダも助けろ!」
「助けろ、などとそのような話ではない。神に捧げられるのだ。むしろ、光栄だと思え」
「オマエ、狂ってやがる!」
「外へ出ろ!」
デボンに襟首つかまれて、外へ放り出される。デボンの部下がすかさず鞭を用意してくる。
その鞭をぴしゃりと一発地面に打ちつけると、部下たちがオルヴィスの上衣をナイフで引き裂いた。
「いい筋肉をしておる」とデボンは言った。「そういえば、キサマ、徴兵を拒否したと聞いたぞ」
「ああ、拒否した。戦争なんか付き合ってらんねー」
「撤回しろ。徴兵を受け入れたなら、今回のことは目をつむってやろう」
「フリーダは? アイツも生贄にならずに済むのか?」
「それとこれとは話が別だ。鞭打ちを中止してやろう、って話だ」
「ふざけんなッ! オレはいくらでも鞭打たれてやっから、アイツを助けろ!」
「こういう提案はいかがでしょう?」
シュメルが口を挟む。
「なんだ? また提案か? いくら諫言を弄しようと私の考えが変わるとは思えぬがな」
「フリーダは、生贄を拒否しているので、村から追放処分にいたしましょう。ガードリアスですが、この子は、徴兵に応えて、戦場へ出る気でいますから、鞭打ち三十回ほどで。私のバカ息子のオルヴィスは、この通り、自分の立場もわきまえず徴兵を拒否しておりますので、鞭打ち五十回で」
「ま、待て!」
オルヴィスは、父の提案に耳を疑った。一見すると、まとまっているように思えるが、フリーダが村から追放ってありえなかった。泣き虫のアイツが村を追い出されて一人で生きていけるとは思えない。しかも、身分はカーストにも入らない最下層卑賎民。どこへ行っても蔑視され、迫害を受ける。
「オヤジよせ! フリーダが追放されるなら、オレも追放処分にしてくれッ! オレもこの村を出る!」
言い終わると同時に、ぴしゃりと左肩に鞭を受けた。
「わかった。聞いたか? バロック殿」
デボンはなおも一撃をオルヴィスのほおに食らわせ、頭を足蹴にした。
「わ、わかりました。その通りにいたしましょう。オルヴィスも追放です」
シュメルを含め、ガードリアスも、一切口出しすることはできなかった。あまりにも突飛な発想だったからだ。
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