第7話 供物

 フリーダが戦神の生贄になる日がやってきた。

 着飾った僧侶の集団が経を唱えながら、籠に乗った彼女を運んで山道を登ってゆく。

 フリーダの目から涙が枯れることはなかった。逃げられるなら逃げたかったが、無理だった。これだけの僧侶に取り囲まれて逃げるのは不可能に近かったし、逃げたところで、また捕まえられるだけだし、なにより逃げるところがなかった。

 フリーダには、他に行き場がなかった。毎日毎日、憂鬱な部落だったが、お母さんがいるし、行き場がどこにもないよりは少しはマシだった。けど、それももう終わりだ。お母さんが娘が供物になったことを歓迎している様子だったので、逃げても受け入れてはくれないだろう。

 供物に選定された以上、命乞いは不可能だった。いくら泣いてもしょうがないこともある。

「…短い人生だったなぁ。グスン」

 籠が地面に降ろされて、後ろのドアが開いた。何らかの理由で儀式は中止になったと期待したが、違った。

「オルテウス様に捧げるための準備を行う」

 一人の僧侶が、小袋を差し出した。中には乾燥した葉っぱがたくさん詰まっていた。

「山頂の神殿に着くまでに、この葉を噛め、噛み終わった葉は、この袋に吐いてもいい」

「イヤァァァ! や、やめてェェェ!」

「うるさい! 言われた通りにしろッ、このクソガキ!」

 フリーダは、ほおをグーで殴られ、無理やり口に葉っぱをねじ込まれた。言われた通りに噛んでから、袋の中に残渣を吐き出した。

 急に、頭がぼうっとし始めた。意識が混濁してゆく。死の恐怖が消えていった。もうなにもかもどうでもよくなった。

 子供の頃から卑賎民、と蔑まれ、いいことなんか一つもなかった。いいこと一つも? イヤ、一つだけある。好奇心からひとりで平民地区へ行ったときに、平民の子たちから石を投げつけられて、それが目に当たって、わんわん泣いていたときに、オルヴィスが助けてくれたことだ。

 しかし、そのことも次第に薄れてゆく意識の中では、駿馬のように遠ざかっていった。




 オルヴィスはクマの顔をつけて、木陰に潜んでいる。籠の中でなにかあったらしい。ブリタニカの悲鳴が聞こえ、途絶えた。この隙を逃さずに、笹やぶを派手に揺さぶった。クマがいるように見せかけるのだ。この前、街道にクマに食われたらしい僧侶の遺体があったので、こうやると真実味が増すだろう。実際、人食いクマはまだ見つかっていない。

 隊列が止まった時を見計らって、オルヴィスは飛び出した。こういうのは思い切りが大事だ。少しでも躊躇したら失敗する。

 クマが出たと思った僧侶たちのほとんどは籠を置いて逃げていった。籠の扉を開けた。中では、フリーダがぐったり倒れていた。

「おいフリーダ、しっかりしろ! 助けに来たぞ!」

 声をかけても目を覚まさない。

 どうやら薬を飲まされたようだ。顔をひっ叩いても、つねっても、足のツボを押しても、どうやっても起きない。フリーダを背負った。

 下山しようときびすを返した時だった。

「待て!」老いた僧侶の一人がぴしゃりと制した。「その娘はオルテウス様に捧げる巫女なのだ。邪魔することは、何者にも許されておらぬ」

 その声とともに、逃げた僧侶たちの何人かが戻ってきた。

 大ピンチだった。

 一人だったら、メイプルの棒でぶっ叩いてどうにかなりそうだが、人数が多すぎる。しかも、フリーダはこの調子だ。走って逃げるわけにもいかない。

「う、うわッ! ク、クマだァァァァ!」

 若い僧侶が指をさした笹やぶには、本当にクマがいた。

 今度こそ僧侶たちはパニックになり、散り散りに逃げていった。

 だが、そのクマは、動きが不自然だった。

 まるでクマの中に人が入っているような……カンジだ。

「ごめん。遅れちゃったけど、間に合った」

 そのクマが人の声でしゃべった。

 クマの中から人間……ガードリアスが現れた。

「すまねぇな! マジ、助かったッ!」

「フリーダは、どうしたの?」

「薬だ。薬を飲まされた」

「なるほどね。供物の前の儀式には、麻薬を飲ませるって聞いたことがあるよ。それより急ごう。アイツらがまた戻ってくるかもしれない」

「ああ、そうだな。ガード恩に切るぜ。オマエは笹やぶの方から本当にクマみたいに逃げろ! オレはコイツを背負って下山する! オレの作業場で落ち合おう」

 オルヴィスは、もう一度フリーダが意識を取り戻したかどうか確認した。目覚めない。彼女を背負って下山した。

 職業柄、山歩きは得意だったのが幸いした。

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