第6話 助けて

 フリーダは、オルヴィスの家の前に立っていた。ドンドンッ、と戸を叩く。

「…オルヴィス! ねぇオルヴィス!」

 戸が開いて、オルヴィスが顔を出した。

「おお。フリーダか。どうした? オマエがこんなところまで来るなんて珍しいな」

 卑賎民の身分である彼女が平民であるオルヴィスが暮らす集落まで来ることは、ほとんどない。

「オルヴィス…」

「ん? だからなんだよ?」

 はっきりしなかった。

 フリーダの目尻からじんわりと涙の粒が浮かんだ。

「またアイツらにいじめられたのか? それだったら、オレがまた…」

「違う」

 フリーダは勢いよく首を振る。

「じゃあ、どうした?」

「選ばれた…」

「選ばれた? なにに?」

「オルテウス様への供物に」

 フリーダはオルヴィスの胸に顔を埋め、鼻をすすった。

「…イヤだ。わたし、死にたくない。でも、お母さんが名誉なことだって…」

「名誉なことあるか、バカ野郎! 死んじまったら名誉もクソもねーよッ」

「どうしよう…」

「オレにどこまでできるかどうかわからんが、オマエは死なせねぇ。供物とかバカバカしいことで死んじゃいけねぇ。坊主ども、人の命をなんと思ってやがる! 前から思ってたんだよ。供物なんぞクソみてーな風習だってな。…イヤ、違うな。クソの方がずっとマシだ!」

 フリーダはうなだれたまま、たずねる。

「ところで、何日か前に、徴兵があったんじゃないの?」

「ああ、あったが、トンズラしてきた。戦場になんか行くもんか。オマエと一緒だ。オレも死なねー」

「…ありがとう」

 オルヴィスはなんとかする、と告げたものの、フリーダは不安だった。そのことを察した彼は、家の中に彼女を入れてしばらく話し相手になった。




 山中、仕留めたシカの皮を剥いでいたガードリアスのところへオルヴィスが現れた。

「一撃で仕留めたのか?」

 オルヴィスが聞くと、ガードリアスは首を横に振った。

「いや、三発撃った。だいぶ苦しんだと思う。悪いことをした。ぼくはまだまだ未熟だな」

「そうか。でもしょうがねぇだろ。済んじまったもんは。だったら、もっと腕を上げろ」

「オルヴィス、こんなところまでどうしたの?」

「オマエを探していたんだよ」

「なにか用?」

「フリーダが、オルテウスとかいうクソ神野郎への供物に選ばれた」

「フリーダが?」

 ガードリアスの目が大きく開いた。口はぽかんと開いている。

「どうしたらいいと思う?」

 オルヴィスとしては、なんとか助けてやりたい思いだ。

「どうしたらって、どういう意味?」

「フリーダを助ける」

「え? どうやって? 無理だよ、そんなの。村の掟だもん」

「オマエは、フリーダが死んでもいいっていうのかよ」

「そうは思わないよ。でも、助けるって言ったって、具体的にどうやって?」

「まずは、バロック村長に頼む」

「無理だよ。中央政府からバロック村長に通達がいって、たぶんそういうことになったんだから」

「じゃあ、どうすればいいっていうんだ!」

 オルヴィスはそばにあった杉の大木を蹴りつけた。枝に止まってた一羽のカラスが驚いて飛んでいった。

「オトナたちが決めたことに、子供の僕たちがどうにかできる話じゃないよ」

「子供じゃねぇ。オレたちはもう十五のはずだ」

「それはそうだけどさ。じゃあ、言い方を変えるよ? 上の人たちが決めたことに、一介の平民に過ぎないぼくたちにできることは、ない」

「薄情なやつだな。見損なったよ」

 オルヴィスはきびすを返す。

「じゃあ、オルヴィスはどうすればいいか、考えているの?」

「わかんねぇ。それを今、考えている最中だ。オマエの知恵も欲しかったんだけどな」

「なにか思いついたら言うよ」

 ところで、とガードリアスは話を変えた。

「オルヴィス。君は、先日の徴兵のとき、いきなり咳き込んだけど、あれ、どういう仕組みなんだい?」

「オマエには見抜かれていたか」

「だって、君に咳が出る持病があるなんて聞いたことないからね」

 オルヴィスは、ポケットから小袋を取り出した。

「なに? それ」

「やってみた方が早い。口開けろ」

 言われた通りに口を開けたガードリアスの口に、オルヴィスは小袋を突っ込んだ。

「うわ、なに、これ」

「噛め」

「噛むの? どうして?」

「いいから言われた通りにしろ」

 その次の瞬間、ガードリアスは激しく咳き込んだ。しばらく咳き込んだ後、涙目になりながら言った。

「めっちゃ、辛いね。舌が焼けるかと思った。なんだい? これ」

「唐辛子だ。ありったけの唐辛子擦りつぶして粉末にした物を袋に入れたんだ」

「なるほど。それであのとき、咳き込んだってわけだね」

 ガードリアスは甕から水を組んで飲んだ。しばらく咳と涙が止まらなかった。

「ああそうだ。ぜってぇ兵士なんぞになりたくなかったからな。オマエは、兵士になったんだろ?」

「なったよ。普通拒否できないよ。この無用な戦乱を収めることに力を捧げられるのだったら、いくらでも戦うよ」

「オマエ、人殺したことあんのか?」

「ないよ、そんなの」

「でも、戦争ってのは、殺し合いだぞ? 口喧嘩とは違うんだ」

 獣を殺すのは慣れてるかもしれねぇけどな、と付け加えながら、オルヴィスはシカの解体を手伝った。

 まずは毛皮を剥いでから、その後に腹を割いて、はらわたを取り出す。血の匂いに引かれてきたのか、ハエがたかってくる。樹上の枝には、カラスが集まってきた。

 ここはデスゾーンだ。できるだけ素早く解体しないとクマやオオカミが獲物を横取りにやってくる。

 枝肉に分けて、ロープで結ぶと、ガードリアスは肉を橇に乗せて歩き始めた。

「こうやって見てると、やっぱ平民とか卑賎民とか関係ねぇな。俺たちだって、必要とありゃ獣殺すもんなぁ。でもフリーダは……手塩にかけて育ててきた家畜を殺すのは、まだ違った思いがあるんだろうなあ。アイツ、根がやさしいからなあ」

「根がやさしくても、殺さないことには、ぼくたちが生きていけないよ。自分で言ってて腹が立つくらい正論だけどさ。まったくの無感情ってわけにはいかないよ」

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