第11話〜12話

       11


 午前の練習前のストレッチの後、柳沼コーチは、チーム全体を二組に分けた。

 チームの分割後、散り散りになった片方の組の人から手で出されたボールを、もう片方の組の人が返球する練習を行った。試合を意識して、移動は全速力で行うように、命じられていた。

 基礎練習の後は、ポスト・シュート、センタリング・シュートを経て、グラウンドの全体を使った、総合練習に移った。

 二対一でのディフェンス、ワンツー、ボールを受けての逆サイドへの展開、シュートなどを、一人が走りながら休まずに行う練習である。総走行距離は百五十m近いのでハードで、頭も使う必要があった。

 十一時過ぎ、練習後のストレッチを終えた俺たちは、コーチの元に集まった。全員の集合を見届けたコーチが、鋭い表情で口を開く。

「おう、お疲れ。今日の練習はよくやるから、頭に叩き込んどけ。午後練だけど天気が怪しいんで、屋内でする可能性がある。どうするかは壁谷に連絡するから、よろしく。以上、解散」

「「ありがとうございました」」

 挨拶の後、俺たち一年生は、ばらばらに部室に戻ろうとするが、「一年生、集合ー」。

 壁谷さんの、普段よりわずかに低い声が聞こえた。グラウンドに戻った俺たちは、壁谷さんを含んだ円になった。

「ボール磨きだけど、初めてにしても汚過ぎです。竜神のサッカー部に入った自覚が足りないと思うんで、ちょっと今から走ってもらいます」

 後ろ手を組んで淡々と話す壁谷さんだが、表情は厳しめである。

「サッカー・コートを十五周だから、大した距離じゃないんで。終わったら、各自で上がってください」

 ぴりっとした「はい」の返事の後、一年生は走り始めた。ペースの指定はなかったけど、怒られた後なので、俺を含めてみんな飛ばしていた。午前の練習も楽じゃなかったので、かなり応えた。

 ボール回収とグラウンド整備を終えて、俺たちは部室に戻った。

 上級生たちは、一人もいなかった。食後すぐなので、どこかで勉強でもしているのかもしれない。

「怒られたな。これから、どうする? 雑用も大事だし、俺はしっかりやっていきたいけどな」

 パイプ椅子に座り、膝に手を置いた沖原が静寂を破った。姿勢は真っ直ぐで、シリアスな面持ちである。

「でもさ。いきなり罰走は、ないよな」

「どんぐらいやればいいか、わかんねぇし」

 一年生たちは、次々と不満を口にし始め、部室は騒がしくなる。

「俺が、釜本さんに訊いといてやろうか? 一年の代表として。磨き方とか、どのぐらい綺麗にすればいいか、とかさ」

 ベンチに深く腰掛ける俺の声に、部室は一瞬、静まり返った。

「……おう、わかった。じゃあ、よろしく頼む」

 振り分け試験での口喧嘩を引き摺っているのか、沖原は静かに答えた。視線も、完全には俺を向いていない。

「よろしく頼まれた。ばっちりざっくり訊いといてっから、お前らは、大船に乗ったつもりでいりゃーいいよ」

 沖原に合わせて低い声で返すと、一年生たちは、思い出したかのように着替えを始めた。

 釜本さん、おっかないからなー。どこまでやらされるか、マジで予想が付かないわ。


       12


 午後四時、俺と数人の一年生が部室で話していると、ドアが開き、制服姿の釜本さんが一人で入ってきた。右手で持ったスポーツ・バッグを、肩の上から背中に遣っている。

「釜本さん、俺、ちょっとお尋ねしたいんですけど……」

 すっと立ち上がった俺は、下手したてな態度を意識して釜本さんに話し掛けた。

「おう、何だ?」と、釜本さんは既に不機嫌そうだ。

「俺らさっき、ボールが磨けてなくて怒られたじゃないっすか。そんで一年で相談してですね。一番、厳しそうな釜本さんに、磨き方を教えて貰おうって決まったんです」

「は? 磨き方?」

 苛立たしげに返事をしてきた釜本さんに、「はい、お願いします」と従順に返事をする。

「おう、教えてやるよ。ボールと要らん靴下と、水が入ったバケツを持って来いや」

 語調の柔らかさが、逆に怖い。室内を探し回った俺は、釜本さんに必要な物を手渡した。

 無言で受け取った釜本さんは、おもむろにその場にしゃがんだ。靴下に水を付けて、親指一本で圧力を掛けて、ボールを磨き始める。

「こうやってぐーっと、おもくそ力を入れてやんだよ。小学生でもできるだろうが」

 ボールに視線を落としたまま、釜本さんは吐き捨てた。

 立ったままの俺は、「遣り方は、だいたいわかったんですけど、どこまでやったらいいんすかね」と、できるだけ角が立たないように尋ねた。

 俺の質問を聞いた釜本さんは、ボールだけを脇に抱えて立ち上がり、俺を睨んだ。高身長だけあって、威圧感が半端ない。

「てめえの顔が映るまで。まあ、頑張れや」

 どすの利いた声で答えた釜本さんは、ボールを俺の腹に押し付けて、部室のベンチに腰掛けた。部室がしーんと静まり返る。

 結局、俺たちは、午後練の開始までボールを磨くはめになった。

 ボールの全面をぴかぴかにするには、とても時間が掛かった。どう考えても、顔が映るまで綺麗にする意味はない。

 雨が降っていたので、午後練は屋内で行った。学校の廊下で、階段ダッシュ、手押し車、下半身を床につけてのハイハイ、片足スクワットなどを、みっちり二時間した。

 一年生の中には、倒れ込む人や、吐く人までいた。みんな、午前練と罰走で疲労が溜まっていた。

 俺も一度、片足スクワット中に足が痙攣して転けたが、根性でトレーニングを続けた。佐々だけはぴんぴんしてて、楽々とトレーニングをこなしてたけどね。

 体罰こそないが、コーチは容赦なく倒れた者を叱咤した。コーチは、俺たちが受けた罰走を知らなかった。

 練習後、俺はよろめきながら、誰もいない自室に戻ってベッドに仰向けになった。夕食の時間だけど、飯なんて喉を通るわけがなかった。

 結局、俺は、そのまま眠りに就いた。自主練をするには、あまりにも疲れ過ぎていた。

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