第13話~14話
13
翌日、一年生は、六時に部室に集まった。
昨日は雨だったので、ボールの手入れに加えて、部室にあるスポンジでグラウンドの水溜りを処理しなければならなかった。食堂は六時からしか開かないので、みんな、朝食は食べていなかった。
その後のボールの手入れも含めて終わったのは八時過ぎで、練習まで時間があった。しかし、スパルタな練習の直前には、食事を取る気にはなれない。一年生はみんな、朝食は抜きだった。
九時に、コーチから集合の声が掛かり、二人の一年生の退部が淡々と告げられた。しかし、辞めた人の顔が浮かばなかった。
俺たち、一年生は、互いに自己紹介などはしていなかった。辞める人が多いので、名前を覚えても、無意味になりうる。ドライな感じで、俺はちょっと嫌なんだけどね。
昨日とほとんど同じ内容の午前の練習が終わり、一年生が部室に戻ろうとしていると、「一年生、ちょっと集まってくれ」と、壁谷さんのニュートラルな声が聞こえた。
駆け寄った一年生は、壁谷さんを含んで円を作った。仏頂面の釜本さんもいた。
「今日のボールは、綺麗でした。よくやってくれた、ありがとう。ただ、部室のボール・バックに入っているメディシン・ボールを、磨き忘れてます。なんというか、もう少し、機転を利かせられないかな」
言葉が切られ、沈黙が訪れる。今回の壁谷さんは怒っているわけではないようで、言葉には刺がなく、表情も落ち着いていた。
釜本さんが、壁谷さんに顔を向けた。細めた目からは不満が感じ取れる。
「カベさん。メディシン・ボールもっすけど、俺に言わせりゃ普通のボールも、汚いっすよ。一年、やっぱ、舐めてますって。今日も走らせましょうや」
「ちょっと良いっすかね」
堪り兼ねた俺は、口を挟んだ。
「メディシン・ボールの件は、すみませんでした。二人の指摘の通り、迂闊でした。これからは、忘れずに磨きます」
みんなの視線が集まるが、俺は気にしない。はっきりと、だが反抗的には聞こえないように、壁谷さんへの主張を続ける。
「ボールの空気入れとグラウンド整備は、必要だと思います。でも俺には、顔が映るまでボールを磨く意味がわからないです。道具は大切にするべきですけど、毎日、一時間以上も取られたくないです。ボールを磨く時間を練習に充てれば、もっと上手くなれますって」
「お前な、生意気過ぎんだよ。集団におけるルールって、意味があるもんばっかじゃないだろうがよ」
釜本さんの凄むような声が聞こえるが、俺は、壁谷さんから視線を外さない。
「無意味なルールは、なくすべきだと思います。この世の中は、マイナー・チェンジで成り立ってますから」
「調子乗りもその辺にしとけよ。今のうちに、目上の人の命令を聞けるようになっとかねえと、社会に出ても通用……」
「釜本」
壁谷さんが静かな声で、ヒート・アップする釜本さんを窘めた。
「沖原の主張ももっともだな。それと俺らは、ちゃんとしたボールの手入れの方法も、わかってなかったよな。沖原、手間を掛けて悪いけど、調べておいてくれるか。ボールの手入れをどうするかは、沖原の調査結果を見てから考えよう」
「了解っす」と俺は、静かに依頼を引き受けた。
昼食後、俺は学校のPCルームに行き、インター・ネットでボールの手入れについて調べて、纏めた情報を印刷した。
部室に戻って壁谷さんに渡すと、壁谷さんは「おう、ありがとな」と、柔らかいお礼の後に熱心に読み始めた。
柔軟な考えを持った、理想的な先輩である。俺も来年以降、かくありたいもんだわ。
午後練の終了後、柳沼コーチの話を聴き終わったCチームの面々は、再び円になった。
「ボールの手入れだけど、週一で行う決まりにします。沖原が調べてくれた手入れ方法の載った紙を、部室に貼っておくので、見ておいてください。それと沖原と釜本、ちょっと出てきてくれ」
平静な口調の壁谷さんの指示を受けて、円から抜けた俺と釜本さんは、壁谷さんの前に出た。
「お前ら、ちょっと険悪な感じだから、仲直りしとけ。ほら、握手」
俺は、釜本さんと向かい合った。俺を見下ろす釜本さんは、いつもと同じ怖い目をしている。
俺は、釜本さんの目をまっすぐに見ながら手を差し出した。釜本さんもわずかに遅れて手を出し、俺たちは握手をした。
俺への怒りゆえかはわからないが、釜本さんの握る力はとても強く、手が痛かった。
14
入部してから一週間が経ち、一年生はかなり減った。退部する人ばかりでなく、Dに降格になる人もいた。
一年生はみんな、チームの雑用がそつなくできるようになり、怒られなくなった。ただ俺は、釜本さんとはボール磨きの件以来、関わりが一切なく、気まずい思いをしていた。
入部八日目、Cチームは、一年生が入部してから初めての練習試合を行った。
相手は、普通の公立高校だった。三十五分ハーフを三試合行い、俺は一試合目の、Cのレギュラーが出る試合に、センター・バックで出場した。他に出ていた選手は、沖原、釜本さん、壁谷さんなどだった。
どうやら俺は、ある程度、コーチから評価されているようである。ただ、B昇格の声は掛からないから、あくまで『ある程度』止まりなんだけどね。もたもたはしてらんないんだけど。
試合は、四対一で勝利した。スコアだけだと快勝だけど、俺は自分が失点に絡んだ一つのプレーで深く落ち込んでいた。
後半二十八分、竜神はペナルティアーク付近でボールを保持していた。しかし一つのパスがずれ、こぼれ球が敵右ウイングの7番に渡る。
テクニックはゼロだが7番はとにかく快足だった。ボールを取るなり、竜神の中盤の選手をぶっちぎって疾走。ディフェンスは三人残っているが、俺以外の二人は相手をマークしていて対応できない。ペナルティアークの少し左にいる俺は恐怖に駆られつつ、力強くドリブルしてくる7番に全神経を集中する。
俺の二mほど手前で7番は右に蹴り出した。俺も必死で反応。本気のダッシュで従いていくが、振り切られそうになる。
俺は反射的に7番の服に手を掛けた。7番はすぐに頭から転倒。審判が高らかに笛を吹いて、敵のペナルティ・キック。
キッカーの7番は難なく決めて、四対一。格下に一矢報いられてしまった。
単純なスピード差だけでやられた俺は、自分への憤りで地面を蹴る。技術のない選手にこうも簡単に突破されていては、技術と走力とを兼ね備えた選手にはどれだけやられるか想像がつかない。
それと試合を通して沖原とは、またしても口論になった。今度は、ライン・コントロールについてだった。どうも考えがずれがちである。まあ、馴れ合うよりは断然、マシなんだけどね。
佐々は、三試合目、Cで最弱のチームで出ていた。ポジションはフォワードで、前半のみの出場だった。
相手のディフェンスでのパス回しを、驚異的な運動量で追い回してたけど、チャンスの場面でも、トラップ・ミスをしたりしていた。ただ、直向きさはよく伝わってきてたよ。
練習試合のちょうど一週間後には、竜神の芝生のグラウンドで行われる、竜神学園、女子のA対男子のBの練習試合を観戦した。
女子Aは、好プレーは全員で褒めて、ミスは全員で労る、良い意味での仲良しチームだった。点を取った時は互いに駆け寄って、喜びを湛えた顔で抱き合ったりもしていた。
女子Aはみーんな溌剌としてて、自責点一で落ち込む俺にとってもマジで眼福だったよ。
え? お前は、未奈ちゃん一筋じゃなかったのかだって? 完全無欠、まったくもってその通りだよ。だけど俺はさ、美しいものは美しいって、正直に言うんだよ。
ここから本題、メインディッシュ。左ウイングで出ていた未奈ちゃんは、終始、明るく晴れやか、クリア・クリーンな表情で味方を鼓舞し続けていた。ほんと、女神様々て感じだったね。いつかは俺にも、あの笑顔を見せてほしいもんだ。
スコアは、三対三だった。実力の差を考えると、女子チームの大健闘だ。得点こそないものの、未奈ちゃんが全ゴールに絡んでいた。高一にして、強豪校のエース。美貌と合わせて、天は二物を与えちゃったってわけだ。
四月三日には学校の色々な手続きがあり、母親が来た。俺と会うなり、「あんた。なんか、雰囲気が変わったわねぇ」と、軽く驚いた様子だった。
さすがはマイ・マザー。よーく息子を観察しておられる。竜神高校サッカー部にいれば、誰でも変わらざるを得ない。
去り際の、「あんまり、女の子ばっかり追い掛けてちゃダメよ」のセリフは、余計だったけどね。絶対に聞けない願いって奴も、この世には存在するのである。
そして、四月七日。竜神中学校・竜神高等学校の入学式が行われた。
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