第5話~6話

       5


「百十二」

 声の後に流れるドレミファソラシドに追い立てられ、俺は重い脚を動かす。

 はるか遠くに思える向こうの白線では、橙色の練習着を着た選手が歩いていた。腰に両手を遣っており、足取りは重たげだ。

 百十回を超えて、何人か脱落者が出始めていた。ただ、ほとんどは新一年生である。

 開始時からずっと、二つ隣の佐々が先頭を走っていた。真っ直ぐな姿勢での軽快な足捌きが印象的だった。

 白線が近づいてきた。既に折り返した佐々の、険しい顔が目に飛び込んでくる。

「百十三」

 声と同時に白線を踏むと、足の裏から痺れがきた。制限時間、ギリギリ。既に膝は笑い始めていた。

「百十四」「気合を見せろー! 走れん選手は使わんぞー!」

 カウントの音声が聞こえるや否や、よく響く声で柳沼コーチが発破を掛けてきた。

 俺の隣では、キーパー用の練習着を着た新一年生が、ほぼ横並びで走っていた。ぜーぜーという苦しげな吐息が耳障りである。

 さっき俺は、時間内に折り返せていなかった。気合を入れ直して、スピードを上げる。

 最後の力を振り絞ったのか、隣の新一年生キーパーがスピードを上げ、俺を引き離し始めた。俺も負けじと追随する。

 白線が近づく。間に合った。思った瞬間、膝が落ちて倒れ込んでしまう。二回遅れたから、シャトル・ラン終了。そのまま地面に手を遣って、ぜーぜーと呼吸をする。

 息も絶え絶えな俺だったが、なんとか立ち上がれた。クール・ダウンのために、しんどさを堪えて歩行を始める。

 俺の走る系二つの記録は、間違いなく下から数えたほうが早い。ただ、ずっと動き回るポジションじゃないから、致命的じゃあない。ま、速いに越したことはないんだけどね。

 一往復した佐々とすれ違う。相も変わらず力強い走りだ。短・長距離ともに、Cチームでトップ。末恐ろしい奴である。

 短距離では速筋が、長距離では遅筋が用いられ、速筋と遅筋の割合は、生まれつき決まっている。また、一方の筋肉を鍛えるともう一方が細くなるため、理屈の上では、短距離と長距離の両方が速い選手はいない。

 しかし、佐々のような人は稀にいる。サッカー選手では、長友佑都、ロベルト・カルロスが有名だね。

 佐々よ、お前はとことん俊足路線を極めてくれたまえ。俺は俺の道を行く。ブラジル流の、小細工皆無で敵を蹴散らすサッカー道を。

 結局、佐々は、百七十回まで記録を伸ばした。集合後すぐ、コーチは佐々を褒めちぎったが、佐々は表情一つ変えなかった。


       6


「マノン!」ガタイがマックスの上級生が、俺にパスを出すとともに罵声のような指示を出した。

 俺は後ろを確認する。相手選手が迫って来ていた。足を止め、ダイレクトでボールを戻す。

 フィールド・テスト後の四対四のボール回し、五本目。俺は、息が上がり始めていた。足も重く、気を抜くと膝が落ちそうになる。一チームが四人なので、広いグリッドを四方八方に走りまくらなければならなかった。フィールド・テストの後ってのも、大きかった。

 相手チームの沖原に、ボールが渡る。「柊さん!」左足で出したボールが、ぴたっと味方の足元へ行った。

 まあまあ上手いしイケメンなんだけど、どこか小物感が拭えない男である。失礼極まりないし、口には出さんけどね。

 最もボールに近い位置にいた俺は、全力で追う。ここらでディフェンス力、アピっとかないといけないしね。

 沖原からボールを受けた選手は、キック・フェイントを入れた。切り返して逆方向へパス。

 俺はスライディングを掛け、ボールを外へと掻き出す。

 転がるボールは、俺たちのグリッドを見ていたコーチへと向かう。取ってくれると期待し、俺は歩いていた。

 しかしコーチはさっと脚を開き、股の間にボールを通す。

「おーい! 何を甘えてんだー! ボールが出たら、ダッシュで取りに行けっつったろーが!」

 コーチの怒声に、全速力でボールを取りに行く。気を抜いたのを、めちゃめちゃ後悔しながら。

 回収したボールを脇に抱えて、素早くグリッドに戻る。「よこせ、一年!」坊主の長身上級生が早口で喚いた。声の大きさから何から、怒っているとしか思えない。

 俺からのボールを受けた坊主の選手の左右から、相手が近づく。だが坊主の選手は、両手で敵をブロック。キープしながら周りを見る。

 見かけ通りパワーはある。あと、歪んだ顔の厳さが半端ない。

「釜本さん!」坊主の選手の右で、名前が呼ばれる。

 日本サッカー、伝説のストライカーと同じ名だ。ま、俺の中での日本のレジェンドは、カズこと三浦知良選手なんだけどね。

 釜本さんは、右足のインで強引にターン。味方にボールを出すが、ホイッスルが鳴る。五本目終了。

「おし! ちょっと休んで六本目な! まだまだへばんなよー! こっからだろ、こっから!」

 柳沼コーチの叫び声が耳に届き、歩いて息を整え始める。隣のグリッドでは、肩で息をする新一年生もいた。

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