お人形の夢と目覚め

宵澤ひいな

第一楽章 子守唄

 柔らかい冬陽ふゆびが、喫茶室の二階にむ少女の枕許まくらもと薬壜くすりびんに当たり、時折、蛍光色にきらめいている。

 微睡まどろむ少女は、階下したで開店する喫茶室のかすかなにぎわいに、憧れを抱くばかりだ。


 少女の母は喫茶室『メロディードール』を経営している。母は毎日、忙しい。その娘の仕事と言えば、決まった時刻に枕許の薬壜を、左から順に飲んでいくぐらいのものだ。

 母の手伝いが、できない。好きなピアノを弾くことさえ、できない。


 少女は寝ても覚めても、母の経営する喫茶室の店員に、なりたい。学校に通ったことは、ない。喫茶室『メロディードール』が、彼女の宇宙だった。


 一風、変わった喫茶室だ。店の名物はピアノ。

 ロココ調の家具とピアノが隣り合う喫茶室に、流れるクラシック音楽は、個性豊かな生演奏だった。

 ピアノを弾く人は、音大生だったり、飛び入りの客だったりした。


 ゆるやかなワルツやノクターンが、階下したから流れてくるのをうっとりと聴いていると、少女の心臓は安らいだ。生演奏を聴くことは、少女の心の栄養。心臓の弁膜異常で、先天的に運動を制限された生活の、唯一の楽しみ。


 ウェイトレスの服装は、エプロンドレス。黒い膝丈のワンピースに、白いエプロンを重ねたメイド服。足許は黒いタイツに、黒光りするエナメルのワンストラップシューズ。それは少女の憧れの制服だ。


 少女は一途に、喫茶室でピアノを弾き、注文の品を運ぶ人に、なりたかった。


 ♪♪♪


 はたらく人に、なりたい。


 その夢が、叶えられようとする夜、少女は衣紋掛ハンガーのエプロンドレスを、嬉しそうに試着する。弱い指でピアノの練習をする。限られた宇宙の時間が迫る。


『メロディードール』の奥の間の照明が落ちた。

 そして少女は、淡氷うすらいの如く繊弱あえか呼吸いきをつき、久遠くおんの夢の時間に旅立つ。

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