油断大敵!地下寺院の苦闘

 サーロは後悔していた。

 ただの後悔ではない。

 めちゃくちゃ後悔していた。

 たかがゴブリン如き……という油断、そしてD級に昇格した慢心があったのだろうか。

 とにかく、サーロは苦戦していた。

 古からの死臭が立ち込める地下寺院の礼拝堂に足を踏み入れるなり、ゴブリンたちが次々と襲いかかって来たのだ。

 その動きには統率や戦術というものは一切ない。

 彼らはただただ攻撃本能と破壊衝動の赴くままに、サーロたちに殺到してきた。

 最初はサーロも余裕のある動きを見せ、女たちを自分の後ろに下がらせると、サイキックスラッシュを放ち、これを迎撃した。

 剣波に吹き飛ばされたゴブリンは、壁に叩きつけられて動かなくなる。


「今宵、死神の掌の上で……って、うお!?」


 決め台詞をキメる隙もなく、ゴブリンたちは次々と飛びかかってきた。

 サーロはゴブリンたちを斬り伏せ、薙ぎ払い、時には蹴り飛ばしながら、一向に気勢の衰えない小鬼たちに脅威を覚え始めていた。


(これがゴブリンか!?)


 彼らは恐れない。

 仲間の死に動揺しない。

 なによりも、サーロを切り刻んでやろうという残忍な攻撃性を隠そうとしない。


「うおおおおおおっ!」


 突き込まれる剣を避ける。

 振り下ろされる剣をかわす。

 投げつけられる剣を打ち落とす。

 その合間に剣を振るい、一匹、また一匹と倒していくのである。

 防御する集中力と攻撃する体力。

 対多数の戦いでは、それが凄まじいスピードで消耗していった。


「せッ!おぁ!?むう!」


 壁に、床に、天井に血が飛ぶ。

 ゴブリンの血なのか、あるいはサーロの血なのか。

 あらゆる感覚が麻痺していく。

 そうして、どれほど剣を振り回し続けていただろうか。


「これでラストだァァッ!そうか!?そうであってくれ頼む!」


 気力を振り絞り、ようやく最後の一匹を切り倒した時、サーロは息を荒げて、がっくりと地に膝をついた。


「ハァ……ハァ……」


 汗まみれの額を手の平で拭い、山のように積み重なったゴブリンの骸を見つめる。

 よくも倒したものである。

 もはや、手足が消失したかのような錯覚を覚えるほど、困憊していた。


「これが……D級クエストか……」


 手荒い洗礼を受けた心地だった。

 それでも地に突き立てたサイキックブレイドを支えに、なんとか立ち上がると、パーティーメンバーを振り返り、気丈に笑顔を作って見せた。


「見てたか……俺、やってやったぜ……」


 男の誉れ、ここにあり。


「お疲れ様です。もぐもぐ」

「な!?」


 サーロの目に飛び込んできたのは衝撃の光景だった。

 女の子たちは、敷物を敷いてお弁当を広げていたのだ。

 奮闘し、苦戦し、消耗していくサーロの背後で、彼女たちは本当に見ているだけだった。


「そんなバカな!?ピクニック気分だというのか!?だが、確かに見ているだけでいいと言ったピエロは俺……!」


 そう、誰を責めることもできない。

 せめて玉子焼きだけは残しておいて欲しい気持ちがあった。


「ピエロ、次が来るぞ……」


 骨付きの鶏肉にかぶりつきながら、ヨーコが言う。


「な!?次だと!?」

「備えろ」


 確かに、耳をすますと地下寺院のさらに地下から、物音がする。


「マジかよ!?俺はもう限界の向こう側なのだが!」

「頑張るのですよ」

「薄情なのか!?」


 サーロはショックを受けながらもサイキックブレイドを構え直す。

 いつもよりも、はるかに重く感じた。

 サイキックは生命の波動。

 消耗しきった今の状態では、それを発揮することは難しい。

 寿司から刺身をとったらそれはただの酢飯になるように、サイキック戦士がサイキックを封じられてしまえば、ただの戦士である。

 しかも、その戦士は満身創痍なのだ。

 もはや、ただの人でしかない。


「逃れがたい死の足音が聞こえるようだ……」


 これは誇張でも厨二病の発症でもなく、心の底からの言葉だった。


「頼みがある」


 サーロは背後の女の子たちに声をかけた。


「俺が死んだら海の見える丘に葬ってくれ……昇る朝日と沈む夕陽をいつも見られるように、な……」

「ご主人様……」


 ツクシは悲しそうに首を振った。


「死んでもなお、水着ギャルが見たいんですね?」

「違うが!」

「本当に?」

「え!?」

「水着ギャルに興味ないんですか?」

「……」



 サーロは目を閉じて、水着ギャルを思う。

 嫌いなわけがない。

 むしろ好きである。

 水着は下着と同じ布面積──であるにもかかわらず、女性たちはむしろ積極的にその姿を見せてくれる側面があるのは否定できない。


 「似合う、かな……?」と。

 「この日のためにダイエット、がんばったんだぞ☆」などと。

 「も〜、よそ見禁止!」などと言うのである。


 あけすけな開放感と小悪魔的な挑発。

 人はどこから生まれ、そして、どこへ行くのか?

 塗るのはサンオイルなのか、日焼け止めクリームなのか?

 神が楽園に隠した最後の秘密。

 それが水着ギャルの真実であるように思えてならない。


「あ、ゴブリン来ましたよ」

「え!?ちくしょう!水着ギャルのこと考えてたら!」

「やはり水着ギャルですか」

「ピエロではなくただのエロだったわけだ……」

「あっ!違う!そうじゃなくて!」


 だが、呑気な会話はここまでである。

 地の底から湧いてきたかのようなおびただしい数のゴブリンたちが、地下寺院の祭壇を飛び越え、甲高く喚きながら、サーロたちに向けて殺到してきた。

 サーロは覚悟を決める。


「う、うおおおおおおっ!」


 もはやサイキックは当てにできない。

 火事場の腕っぷしだけが頼りである。


「今こそ開眼しろ!俺の恐るべきポテンシャル的な何か!」


 だが、そのポテンシャル的な何かは唐突には開花しなかった。

 振り下ろしたサイキックブレイドは虚しく空を切り、その反動でサーロは地に転がってしまう。

 脚にも手にも力が入らないのである。


「し、しまった!」


 その隙を見逃すことなく、ゴブリンたちの持つ錆びた剣の切っ先が一斉に向かってくる。

 サーロは見た。

 殺戮者たちの邪悪な笑みを。

 そして、自分が挽肉になる未来が見えた。

 坦々麺の上に乗っているアレである。


「もう、ダメだっ……!」


 サーロがギュッと目を閉じたとき。


「ご主人様……」


 ツクシの声が耳に届いた。

 それはこの喧騒の中でも、明瞭に聞こえる。


「パンツ……見ます……?」

「──」


 一陣の真紅の剣閂。

 それが闇を奔った。

 次の瞬間、ゴブリンの首が五つ飛び、天井に当たって落ちた。

 噴き上がる血煙の向こうで二つの光が闇に浮かぶ。

 それは煌々と輝くサーロの眼である。

 

 「色心不二……我、未だ行ならざるなり」


 呪文めいたことを呟きながら、サーロは、ゆっくりと立ち上がる。

 だが、そこへ襲い掛かるゴブリンは一匹もいなかった。

 むしろ、腰を抜かして後ずさるものや、首を振って半狂乱になるものまでいた。

 全てはサーロの全身から立ち昇る壮絶な生命波動に圧倒されてのことである。


「覚悟するがいい……今の俺は名もなき修羅」


 彼の手の中で、サイキックブレイドが眩い光を放ち始めた。

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