さらば弟子よ!希望への旅立ち

 食堂の扉が開き、アルが戻ってくるのが見えた。


「来たっ……!」


 サーロたちは早速配置についた。

 ヨーコが右。

 イノールが左。

 そして、ツクシはサーロの膝の上にお尻を乗せて、首に腕を絡みつかせてきた。


「あうっ……」


 思わず声を漏らしたサーロは己を淫獣へと変える邪な欲望との壮絶な聖戦ラグナロクを開始せざるを得なかった。

 性への渇望は生物としての根源的な本能ではあるが、男としてその昂りを女性陣に悟られるわけにはいかないのである。


「うあああ……っ!」


 彼はフォークを掴み、握りしめる。

 そして、呻くように念じ、自らに言い聞かせる。


「煩悩よ去れ!」


 回顧するのは、サイキック戦士としての修行の日々。

 それは欲望との闘争でもあった。


「俺は負けん……負けるわけにはいかんのだ!」


 必死に抗う。

 もう克己心ではどうにもならぬ。

 必要なのは達観の法である。

 サーロは宇宙を思った。

 渦巻く欲望、それはもはや宇宙である。

 煌く星々の光が何万年もの時を経て我々の目に届くように、今、彼の股間に集中している血流も刹那的な流星の如く、やがては爆ぜ、燃え尽きるのである。

 深呼吸を一つすると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。


「ありがとう、大宇宙……!」


 サーロは心の中で合掌した。

 克己心の勝利である。

 これで、万全の態勢でアルを迎えることができる。


「すみません、お待たせしました……って、え!?」


 サーロたちの変則的な新フォーメーションを見て、アルは不思議そうな表情を浮かべた。


「ど、どうしたんですか?」

「いつもこんな感じだが!」


 これが大人のヨユウというものだ、と言わんばかりに平静を装って見せたものの、左右から無遠慮に押し付けられる女性的な膨らみの、その柔らかい感触にサーロは目を血走らせ、顎の先からポタポタと脂汗を滴らせる。


「ち、ちゃんと宿は取れたか?女三人に男一人が同衾できるほどの巨大なベッドと鏡張りの天井がある宿をな……ま、この女たちの絶え間なき欲望の懇願に応じた場合は、今日はもう一睡もできぬのではないだろうかとさえ思われるが!」

「そ、それはちょっと……」


 アルがたじろいだ。

 明らかに動揺している。

 サーロは心を鬼にして言葉を続けた。


「女たちの尊崇を集めてこそ一人前の男だ。分かるな」

「そ、そうなんですか」

「正真正銘の夜王であり、歩く不夜城とは俺のことかもしれん」

「べ、勉強になります」


 サーロはここでアルがドン引きして「見損ないました、さよなら」と言うのを待っていたが、アルは居心地が悪そうに視線を外しただけで、立ち去ることはなかった。

 つまり、単純にドン引きされただけである。

 それでもサーロを見限らないのはアルの性根が純粋で真っ直ぐだからなのであろう。


「あの……どうしたらそうなれるんですか」

「な!?」


 まさか質問が返ってくるとは思わず、サーロは狼狽した。

 しかし、知らぬ存ぜぬでは筋が通らない。


「何か、秘訣が?」


 あれば俺が知りたいが!という気持ちは抑え込み、サーロは雑誌などで得た知識を総動員することにした。


「ま、アレだナ、ウン……髪型が変わった時にすぐ気づいてやるとか……そしてデートの時は割り勘でなく全額払うとか……あとは、えっと、清潔感!大事だ!」


 サーロはわずかにガッツポーズを作った。

 完璧な回答である。

 ここまでされて恋に落ちない女などいるだろうか?

 

「難しいんですね、女の子って」

「そうだ……永遠の謎」

「実は、師匠。お話したいことがあります」


 アルは改まって、座り直した。


「今、宿を探している最中に、街中に悪魔王デモンカイザーが降臨したんですけど」

「な!?」


 デモンカイザー。

 まさに災厄の使徒である。

 かつてサーロが会い見えたデーモンロードなど足元にも及ばぬ、強大な大悪魔であり、煉獄の深淵から生まれたこの魔神の手によって多くの国が消滅し、灰塵と帰してきた。


「全く気づかなかったが!?」

「空間転移で現れたんです」

「では、食堂の外は今や阿鼻叫喚の渦か!?」

「あ、差し出がましいとは思ったのですが、僕が倒しておきました」

「もう倒したの!?」

「師匠に教わった技を使いました」

「あれで倒せたの!?」


 サーロは顎が外れそうになっていたが、アルは話を続ける。


「それで、その後が本題なんですけど」

「デモンカイザーが本題ではないだと!?」

「一人の老騎士に声をかけられたんです。うちの騎士団に入らないかって」


 デモンカイザーを一瞬でホフった少年。

 当然、スカウトの目に止まらないはずがない。


「すごく熱心で、困ってしまって」

「そ、そうか……」

「今も食堂の外で待っているんです」

「かなり本気だな」

「最近、領地に魔物の侵攻が増えてきたらしくて……国民を守るには騎士が足りないって」

「……」


 サーロはアルを見つめた。

 先ほどまでの醜い嫉妬心はどこかへ霧消し、目の前の少年の輝かしい将来について思いを馳せていた。

 力ある者。

 人のためにその力を振るう場所──彼がその力を必要とされている場所があるのだ。


「アル……よく聞くんだ」


 サーロは少年の手を取った。


「これは決してお前をバカにして言うわけではなく、俺の本心から言うんだ。いいか、師匠ではなく、友人としてだ。だから、真面目に聞いてほしい」

「はい!」

「アル、お前は強い。誰がなんと言おうと、稀有な力を秘めているんだ」

「そ、そんなことは……」

「気づいていないだけだ。そして、お前はその力で多くの人を救うことができる」

「師匠……」

「無理強いをする権利は俺にはない。だが、騎士団に入って人々を守るのは誰にでもできることではない」


 アルはしばらく黙って考えていたが、やがて顔を上げて頷いた。

 その瞳には決意の光が灯っている。


「すみません、師匠──僕……騎士団に入ります」

「ああ。それが正しい決断だと思う」


 アルは立ち上がる。

 サーロも立ち上がり、そして、どちらからともなく手を差し出して固い握手を交わした。


「師匠、ありがとうございました」

「もう師匠はやめてくれ。俺たちは対等な友人だ」

「また会いましょう」

「必ずな!」


 そして、アルは足早に食堂を出た。

 その背中を見送ったサーロは、涙をぐいと拭って座り直す。

 実の弟を送り出したような寂しさがあったが、同時に晴々とした心地だった。


「最後まで凄いやつだったな……」


 天井を見上げながら、しみじみと言う。

 少年の宿す、眩い可能性の光。

 それを思うと、サーロは自らもまた輝かしい未来への希望を抱かざるを得ない。

 そして目線を下すと、いつのまにか食卓には彼一人だった。


「あれ?」


 卓の上には伝票だけが残されていた。

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