決着!愛と悲しみの果て
「バカな……俺がクビ……パーティー追放だというのか!?」
呆然と立ち尽くすサーロに、シンドバーグは追い討ちをかけた。
「ハハハ!女の子たちにその無様な姿を見られないよう、せいぜいコッソリとここを出ることだ!なんなら、お前の実家が火事になったことにしておいてやるぞ!」
高笑いが地下水道に響いた。
シンドバーグは腰から短刀を抜き、倒れている大ネズミに近寄る。
「討伐の証として、尻尾を切り取らねば」
ギルドでは常に厳正な管理のもとでクエストが発行されるため、今回のような討伐依頼においては、完遂の確かな証が必要なのである。
シンドバーグはネズミの骸の前に屈み込み、その長い尻尾を手にとった。
「汚らしい下等生物め」
吐き捨てるように言った、その時である。
「あっ!?」
息絶えたと思っていた大ネズミが跳ね起き、シンドバーグに覆いかぶさったのである。
「ひ、ヒィーーーーーーーーッ!!」
シンドバーグは情けない悲鳴をあげた。
なにせ、熊ほどもある大きさのネズミなのだ。
つまり、ほぼ熊である。
前歯と爪が長く、鋭く発達している分、熊よりも厄介かもしれないのだ。
しかも、完全に虚を突かれたシンドバーグは、なす術もない。
体重をかけてのしかかられているため、剣を抜くこともできず、また、狭い下水道ゆえに踠いて脱出することもできなかった。
「ヒィッ!ヒィッ!」
ガチガチと前歯が目の前で噛み合わされ、爪が甲冑の隙間から腕に食い込んだ。
シンドバーグは恐怖に涙を流しながら、身をよじり、足をばたつかせるが、どうすることもできない。
もはや、ここまでか。
このような下水道で迎える死に、なんの栄光があるだろうか。
あるいは、最強の能力を持って転生した後、魔法学校に入学してしまうかもしれない。
シンドバーグの脳裏に、それが浮かんだ。
広大な学校の、美しい中庭の見える廊下。
呼び止めてきたのは学園一の美少女と名高い生徒会長だった。
後夜祭のダンス?俺と?
やれやれ、興味などないのだがな。
ま、暇だから付き合ってやるか。
おっと、空が綺麗だ……
……
「今、助けるぞ!」
「!?」
サーロの言葉に、まだ見ぬ学園生活を夢想していたシンドバーグは我に返った。
「サイキックスラッシュ!んおァァァ〜ッ!」
一閃。
闇を裂いて剣波が飛ぶ。
大ネズミはそれを真正面から受け、シンドバーグの体の上で真っ二つになった。
「わっ!ワッ!わっ!」
映像化の場合にはモザイク処理必至の惨状と化した大ネズミの体から、バッと大量に噴き出した血とモツを全身に浴び、シンドバーグは短い悲鳴を断続的にあげた。
サーロは恐慌状態の彼をネズミの骸の下から引きずり出し、下水道の壁に寄り掛からせる。
「大丈夫か!?しっかりしろ」
シンドバーグはその問いに答えることができない。
恐怖とパニックのあまり、過呼吸になっていたのだ。
サーロはなんとか落ち着かせようと優しい口調で語りかけ、袖口でシンドバーグの顔を拭いてやった。
「落ち着け。深呼吸だ。吸って、吐いて……そうだ。もう大丈夫だぞ!」
「うう……」
シンドバーグもようやく落ち着きを取り戻してきたようだったが、すぐに腕を押さえて苦悶の表情を浮かべる。
「い、痛いっ!死ぬ!ぐああ!」
「な!?見せてみろ!」
サーロは慌ててシンドバーグの手甲を外し、袖をまくり上げる。
そこには、うっすらと血が滲む小さな傷があるだけだった。
サーロは拍子抜けしたが、シンドバーグはなお身悶える。
「い、痛いぃっ!死ぬ!死ぬ!」
「大げさだなぁ〜……この程度で死んでたら俺は今まで100回は転生して今頃は悪役令嬢だ」
だが、その痛がりようがあまりにも極端だったので、ひょっとしてネズミの爪に毒でもあったかとサーロは考え、シンドバーグの肩を掴んで言った。
「ステータスオープンしろ!あれはこういう時に使うんだ多分……」
シンドバーグは息も絶え絶えにそれをした。
「ス、ステータスオープン……!」
名前:ダリー・シンドバーグ
ジョブ:道楽息子
スキル:ゴリ押し
「な!?」
瞠目したのはサーロである。
無理もない。
シンドバーグはサーロを超えるカリスマ的ツワモノなどではなく、ゴリ押しの得意な道楽息子であることが露呈したのだ。
「ステータス詐称か!?」
これならば、今までの居丈高で傲慢な振る舞いにも合点がいく。
しかし、そんな男によって、あわやパーティー追放の憂き目に合うところだったと考えると、サーロはただただ身の引き締まる思いであった。
「しかし、責めはせん……思春期のむせ返るほどの青さは恥ではあっても罪ではないのだ」
寛容の心か?
あるいは同情の念なのか。
いずれにしても、サーロの心からは怒りの感情が霧消していた。
「しかし、お前──お前のHPたるや!」
1/3。
ステータスはそのようにあった。
それは純情な感情が伝わらない比率ではなく、紛れもなく体力の値である。
その貧弱さは、金魚すくいのポイに等しい。
「MAXで3って……転んでも死ぬレベルでは!?カルシウム不足か!?お前の今後が心配だが!?」
だが、それを責めるのはあまりにも理不尽である。
人には持って生まれた素質、体質というものがあり、それは個性の一部なのだ。
「俺は死にたくない……!」
シンドバーグは震えながら言った。
「死にたくない……俺は、俺はまだ童貞なのに……!」
「な!?」
憐むべし、その言葉。
忌むことなかれ、その告白。
境遇や思想は違えど、劣等感を共有する者は兄弟に等しい。
サーロの頬を憐憫の涙が伝った。
「シンドバーグ……大丈夫だ。お前は死にはしない」
「気休めを言うな……!もうHPは1しかない……」
「死なせはしない。ここを出るまでは俺が守ってやる」
「愉悦か!?」
シンドバーグは感情的に叫んだ。
「美少女に囲まれてるあんたにはわからんでしょうねぇ!」
サーロは逡巡した。
だが、伝えるべき言葉は一つしかないと決意し、シンドバーグの肩に手を置いた。
優しみ──傷ついた獣に必要なのはそれだけである。
「……俺も──童貞だ」
多くの童貞が抱える苦悩。
それは、自分だけがそうなのではないかという劣等感。
世界から見捨てられたかのような孤独感。
そして、いつまでもその状況を打開することのできない焦燥感である。
サーロは、そういった鬱屈を抱えているシンドバーグに、寄り添う決心をしたのである。
「俺も童貞なんだ。昨日今日のものではない、筋金入りのプロの童貞だ」
「う、嘘だ!」
シンドバーグは首を振った。
「あんなに可愛い女の子たちに囲まれていながら、童貞のわけがない!」
「本当だ。あの女の子たちは俺のことをミジンコかゾウリムシくらいにしか思っていない。あらゆる場面でノーチャンスだ。野宿をするときは手足を縛られ、木に吊るされる。宿屋に泊まるときは俺だけが馬小屋で寝る。同じ金を払っているのにも関わらずだ」
話していて、三千世界を戦う阿修羅をも凌駕するほどの悲壮で峻烈な感情が込み上げてきたが、サーロはそれでも気丈に笑顔を作って見せた。
前世と現世において童貞を貫く者の生き様とは、あるいは、救世の法を求める修行僧の歩みにも似ているのかもしれない。
「だが、生きていれば……いつかは」
来る。
その日が。
自らを慰めるだけの、長い夜が終わる。
信じるしかないのだ。
見果てぬ夢。
それを信じるのは恥ではない。
「あなたは……神……?」
シンドバーグはまるで眩しいものを見るようにサーロを見た。
サーロは首を振る。
「ただの童貞だ──お前と同じ、な」
互いに見つめ合う。
笑みがこぼれる。
そして、どちらからともなく、抱き合った。
「生き別れの兄にあったような心地です。兄さんと呼んでいいですか」
「弟よ!」
もはや、勝敗など些末なことである。
二人は肩を寄せ合いながら、地下水道を光に向かって歩き出した。
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