愛を忘れた獣たち!優しい心を思い出させよう


 歩くごとに追い剥ぎに絡まれ、その都度、撃退し、あるいは無力化しながら、ようやくオルモネンコ商会にたどり着いたのは日が暮れてからであった。


「随分と遅かったでねえの」


 荷受け係の男は、不機嫌そうな声を発した。

 小太りで血色が良く、体型の割にキビキビと動く。

 チューバ・オルモネンコという名前で分かるとおり、この商会の会長の息子だということであった。

 どうやら昼過ぎには荷受けをする準備をしていたようだった。


「ダメだぜ、時間厳守でないと」

「申し訳ない──街に入った途端にガラの悪い連中に次から次へと声をかけられて……」

「バッカだなぁ」


 チューバは呆れたように鼻を鳴らした。


「一番最初に声をかけてきた奴をよ、惨たらしく殺して見せしめにしねえと、どんどん来るに決まってんだろ」

「見せしめに……ホフると……!?」

「んだよ」


 サーロはその言葉に身震いした。

 一介の商人ですら、虐殺をいとも容易く口にする。

 ということは、この街ではそれが日常的に行われているということなのだろう。


「ここは無法の楽園なのか……!」


 嘆くべし、世の乱れ。

 サーロは嘆息を漏らし、首を振った。


「今夜の夜もこの街のどこかで虐げられた天使が涙を流すのだろうか……不安げな人々が今夜、青白い月を見上げる……」

「『今夜』を2回言ってしまっていますよ」

「『今夜の夜』も妙だ……」

「そもそも言葉のチョイスが非常に香ばしいというかなんというか」

「お前たち、そんな矢継ぎ早に──!俺はピエロか!?」


 サーロは女たちの歯に衣着せぬ言葉に深い遺憾の念を抱きはしたが、その率直な物言いは親愛の情の表れであると自惚れて悪いことはない。

 

「だが、ありがたきお言葉」


 ここでも、感謝。

 皆に示したのは感謝の心である。

 感謝は全てを円滑にするのだ。


「じゃ、確かに荷は受け取ったよ。ギルドによろしく伝えてくれろ」

「ハンコをくれ」


 受領書に印が押され、報酬の金を受け取る。

 金。

 人間の作った、自然界から見ればおかしな価値基準ではあるが、やはりそれが手元にあると気分がいい。

 自らが俗人になったような後ろめたさもあるが、これによって日々の生活が豊かになるというのは否定できない事実である。


「俺……なんだかお金が好きさ。ずっと一緒にいたいと思う」


 サーロがずっしりとしたその感触を掌で味わっていると、背後から突然、大きな声が浴びせられた。


「その金はいただくぜぇ!」

「な!?」


 背後の声に振り向くと、窓の向こう、商会の外には街中のゴロツキが集まり、全員が手に武器を持って立っていた。

 明らかに、サーロの持っている金貨を狙っている。

 チューバは「またか」と呟いたのみで、さして驚いた様子も見せなかった。


「あいつらはここには入ってこないよ。外に出た途端に襲ってくるんだ。だから、十分に準備をするこった。自分の身は自分で守るんだぜ。それが掟だからな」


 チューバの言葉通り、彼らは商会には踏み込んでこないようだった。

 この街なりのルールのようだ。

 あるいは先ほどサーロに授けた薫陶をすでに実践し、何人かの悪党を惨たらしくホフった結果なのかもしれない。


「飢えた獣たちの爪と牙が俺たちに向けられている……人の世はどこまで荒んだのか」


 サーロの嘆きを知ってか知らずか、暴徒たちは目を血走らせながら、聞くに耐えない罵詈雑言や、耳を塞ぎたくなるほど卑猥で下品な言葉を投げつけてくる。


「さっさと出てこい!」

「ぶち殺してやる!」

「女たちは俺たちが代わりに楽しませてやるぜ!ッヒョー!」


 サーロはブーツの紐をきつく結び、大きく息をはいた。

 恐れは無い。

 ただ、悲しみがあった。

 モンスターや邪神と戦うならば、このような感傷には浸ることがない。

 しかし、相手は同じ人間である。

 これでまた、人の心を信じる──というサーロの信念が裏切られたような気がしたのだ。

 世に悪の種は尽きず、つまり、人の本性は悪であるということなのか。


「サーロ……」


 その時である。

 突然、イノールが彼の手を握った。

 じっと見つめる彼女のエメラルド色の瞳は、サーロの悲しみを、その心の澱までも拭い取るような深い慈愛に満ちている。


「な、なんだぉ」


 応える声が上ずってしまったのはやむを得ないことだろう。


 なぜならば、サーロは童貞なのである。


 童貞にとって、異性の手が意図的に身体に触れる、ということは人生における一つの事件である。

 これで向こう三日間は、あれはどういうことだったのか、ひょっとしたら俺のことが好きなんじゃないか、などと事あるごとに自問自答を繰り返し、眠れない夜が続くことになるのだ。

 顔を紅潮させ、何がしたいんだコラ、とか、これはアレだなウン、などと動揺まぎれに意味不明な言葉を呪文のように呟くサーロに対して、イノールが言う。


「人を見誤ってはいけません。これが人の本質ではないのですよ」

「イノール……」

「目を閉じてご覧なさい」


 サーロが言われた通りに目を閉じると、イノールの光る指先がそっと彼の額に触れた。


「信じる心を忘れないで。世界であなただけがそれを信じているとしても」

「み、見える……!!」


 道。

 そう、道が見えた。

 それは果てしなく続く道。

 だが、涼やかな風が吹き、草は優しくたなびいている。

 海がある。

 空がある。

 これ以上、何が必要だろうか。

 満ち足りている。

 足りないものが何も無いのである。

 悲しみも、恐れもない──


「目覚めなさい」


 イノールの言葉とともに、サーロは覚醒した。

 その頬に、涙が伝っていた。


「僕は開眼したような心地です。そうか、これが、人の道か……」


 サーロは、サイキックブレイドを握った。


「誅するは人にあらず……今、俺のこの剣は人の悪心を斬るためにあると知った」

「さあ、お行きなさい。悪心に立ち向かう時です。あなた一人で」

「うむ!皆、そこで見ておられよ!」


 サーロは、扉を開けた。

 飢えた獣たちの血走った目と、剣呑な光を放つ刃の切っ先が全て彼に向けられる。

 殺気が、押し寄せる圧となって全身を包んだ。


 一歩。


 一歩、外に出れば凶刃が降り注ぐだろう。

 その一歩を皆が待ち構えているのだ。


「金!」

「女!」

「おっぱい!」


 暴徒たちは口々に欲するものを叫ぶ。

 中には「尻!」と叫ぶものもいたが、ひょっとするとそれはサーロの尻のことかもしれない。

 だが、サーロは首を振った。


「どれもお前たちには渡せねえな」


 そして、その一歩を踏み出した。

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