大冒険の序章!俺の最凶パーティー!
「モンスターだぁ!逃げろぉ!」
村人が叫んだ。
「人食いのデーモンベアーだ!」
そう、デーモンベアーが現れたのだ。
「まかせろ俺に!」
駆け出しの冒険剣士となっていたサーロは、モンスターの前に飛び出し、素早く剣を抜いた。
ここで解説をしておくと、彼のステータスにおいて、あらゆる数字は平均並みである。
つまり、転生における生物学的なアドバンテージはさほど大きくないということだ。
だが、サイキック戦士は強さや速さを競うジョブではない。
では何か。
というと定義が難しい。
人は闇を見るときに闇を感じはするが闇という物質がそこにあるわけではない。
サイキック戦士もそのような存在である。
対して、デーモンベアーは腕力は強い。
だが、その動きは亀のように遅い。
しょせん、サイキック戦士の敵ではない。
「サーロ、では私は身体強化の魔法を……」
ジョブ『裏プリースト』のイノール・トナエルが、光る指先で宙に魔法陣を描いた。
全く関係ないが、彼女の身につけている厚手の僧衣の下には艶かしいボディラインが隠れている。
常に蘭の花の香りを漂わせている魔性の化身。
艶かしくふくらんだ蘭の蕾が夜露をまとい、月の下でしとどに濡れ光るような、それがイノールという女である。
「ありがてぇっ!今すぐ魔物をなますのようにズタズタに斬り刻んでやるとするか!」
「強化の魔法をデーモンベアーにかけます」
「え……?な、なぜ……?」
「スリルのある戦いにしたいからです」
「スリル!」
ギャオウ!と一声雄叫びを上げると、デーモンベアーの身体がメキメキと巨大化し、素人目にも異常なまでに強化されたことがわかった。
「な、ばかな!」
この魔法を人間にかけたらどうなるのか?
骨格自体があれほど変異しては、もう人間には戻れないだろう。
サーロは恐怖を覚えた。
そして、恐怖は生命の原初の感情であるように思った。
恐怖は生存本能である。
人は生きるために恐れるのだ。
「確かにスリルを──感じる!逃れえぬ死の運命に手招きされているような、危険なスリルをな……だが、俺は生きる!」
叫ぶ。
自らを奮い立たせるために。
戦意は未だ手中にあり。
「敵がどれだけ強くなろうとも俺はサイキック戦士──もう押忍だ押忍!押忍だな!邪神すらもホフるであろうこの一撃を見よ!ンォアアア〜ッ!」
抜いたサイキックブレードが、サーロの生命波動に反応して赤い光を放ち始めた……が、イノールの呪文が再び詠唱された。
「スキルを封印します。サーロの」
「ありゃ!?」
「さらに弱体化魔法。サーロに」
「や、やめろォォォォォォォォォォォォォッ!?」
「さあ、デーモンベアーと泥試合を演じるのですよ」
「そうか、これがスリルか……」
まさにスリルである。
どんどんデバフを上乗せされ、サーロはみるみる衰弱していった。
体に力が入らない。
目も霞んできた。
「ぐへっ、ステータスオープン!」
あわててステータスオープンした。
すべての数値が5になっており、HPに至っては10しかない。
レッドラインである。
町のちびっ子ガキ大将とならば、拮抗したレベルのいい勝負になるだろう。
だが、相手は異様に強化されたモンスター、デーモンベアーである。
「あっぐぅッ……!」
もうサーロは立っているのもしんどくなってきた。
体に全く力が入らないのである。
サーロはガックリと跪いた。
今ならば石を投げつけられただけでも絶命するだろう。
「ご主人様ぁ!」
駆け寄ってきたのは、ジョブ『毒メイド』のツクシ・ツクスだった。
毒メイドとは何か。
世界に一つしかないジョブであるというが、サーロはその全貌を知らない。
しかし、ステータスにそう書いてあるのだから間違いない。
全く関係ないが、彼女は街を歩けば10人中9人が振り返る美少女である。
残りの一人はおそらく目を抉られた罪人か死人だろう。
「ご主人様、ああ、こんなになって……これをどうぞ」
そう言って、彼女は液体の入った小瓶を手渡してきた。
きれいな緑色をしている。
「こ、これは……?もしや万能の秘薬」
「毒です」
「毒。それをこの俺に──お前……正気か!?これを飲めば俺はどうなるというのか……」
「大丈夫です。致死量ですから」
「致死量とは死に至る量と書くのだが……おまえは俺を殺すために雇われた殺し屋なのか?」
「濡れ衣なんですよねぇ」
「テヘペロだと!?致死量の毒を差し出しながらよくも言う……俺の曇りなきマナコはもう騙されはしない。俺がピエロだと思ったか!?」
「ご主人様はピエロだったんですね……えーん、ぐすん♪」
「偽りの涙……!だが、それは俺の弱みだ……!」
目に見えるあざとさが、武器になる場合がある。
ツクシはまさにそれを使いこなす危険な少女だ。
サーロは振り上げた強パンチを下ろす先を失った。
などとやっているうちにデーモンベアーが大きな口から涎を滴らせながらのそのそと近づいてくる。
万事休すである。
サイキック戦士の異能冒険譚は、もはやこれまでか。
物語はまだ始まったばかりであるが。
「ヨーコ!」
サーロは生まれたての子馬のようにガクガクと地べたに這いつくばりながら、もう一人の前衛パーティの名を呼んだ。
「私を呼んだか……ピエロめ」
結い上げた黒髪を風になびかせて立つ少女の名はヨーコ・タテヨコ。
ジョブは『おサムライ』である。
ステータスオープンしたらそう書いてあるのである。
全く関係ないが、彼女の切れ長の瞳は男を惹きつけてやまない蠱惑的な輝きに満ちている。
冷たい輝きに彩られた美しい宝玉。
それを東洋の神秘と表現するのはあまりにも陳腐だろうか。
「俺はもはや、動けんっ……ご覧の有り様だ……まるで翼をもがれたピエロだ……あ、あとは頼むぞっ……」
「刀が……ない」
「は?」
「ないのだ……許せ……質に出している」
「か、金に変えたのか?」
「イカにも……そう、タコではない」
「なぜだ……?」
「金……金が欲しかったのだ……勝負下着をな……私も女だ。これ以上は言わせるな」
「お前ぁ……!武士の魂を勝負下着にしたというのか……?いったい何色の」
「なあ、武士の魂ってなんだろうな……私はいつも風に聞く……それは星の果てにあるのかもしれないが見たことはないのだ」
探しに行くのだろうか。
武士の魂を。
蒼穹の彼方に想い馳せ、黒髪の少女は佇む。
星が答えるのを待つように……
「が!今は魔物だというのに!」
サーロは叫ぶ。
パニックに近い状態であった。
その恐慌を宥めるように、ツクシが耳元に口を寄せてきた。
「ご主人様、こうなったらもうアレです。パンチしかないです」
「パンチ!」
サーロは握り拳を作った。
握力も減退しているので、老人のもののように弱々しく震えている。
「怒りの拳か、あるいは信じる力が拳に宿るというのか!?だがここまで見事に弱体化した俺の拳……ああも強化された魔物を打ち倒すなどと、そんな夢物語のような奇跡が果たして起こるだろうか?奇跡を信じたいが!」
「うーん無理かも」
「無理──そうだ、俺もそのように思う。このままでは臓物を掻き出されて、咀嚼された後に嚥下されてしまうほかない……!」
「どこにキスしてほしいですか?」
「えっ、何だぁ、急に……」
読者諸君も薄々はわかっているだろう。
サーロは童貞である。
前世でもそうであった。
二つの世界を股にかけているため、もはやプロの童貞と言ってもいい。
したがって、この手の話題に対処する術を持たない。
「……キスって、アレだな。ウン。好きな人同士がするものか。聞いたことがありますよ。ハイ」
「デーモンベアーを倒したら……ですよ」
倒したら?
(キスか!?)
サーロはツクシの顔をまじまじと見た。
ツクシもサーロを見つめた。
熱を帯びた視線が宙で交わる。
時が──止まったようだった。
なんということか。
毒を含んでいるとはいえ、メイドはメイドである。
メイドといえば世の全ての童貞が憧れる存在。
つまり、童貞がメイドとキスをしたらそれはもう童貞ではない。
神に等しい存在に生まれ変わる、と言っても過言ではないのだ。
ついにその時がきた、というのだろうか。
永きにわたる劣等感。
男子としての負い目を消し去る時が。
一つ上の男になる時。
「何と、容易いことか」
サーロは立ち上がった。
「俺の体はボロボロだ……!しかし、それはとるに足らぬこと」
握りしめたサイキックブレードが再び光った。
煌々と、紅く。
それは沈みゆく夕陽ではなく、始まりをもたらす朝陽の色だ。
人はかくも接吻という行為に尊厳を見出すものか。
「ほう、スキル封印を打ち破るとは……なかなかのキス魔です」
イノールは感心したような声をあげた。
「燃ゆるぞ!ンおあァァァァァ〜ッ!」
一閃。
光刃が奔り、デーモンベアーの首から上を綺麗に吹き飛ばした。
生命の絶え間なく脈打つ波動──それを凝縮し、剣波として放つ。
これこそがサイキックスラッシュである。
「死神の掌の上で踊れ……」
決め台詞も完璧である。
パーティー結成当初に使用していた「あの世でダンスしろ」は女性陣に不評であったために大きく改良を加えることになったが、今ではこちらの方が気に入っている。
だが、体力を出し尽くした結果、サーロは仰向けに地に倒れた。
生命波動は無尽蔵ではないのだ。
スキル封印の呪文を打ち破っただけでも凄まじい気力を消耗しているはずである。
もはやステータスオープンをする気力もない。
「さすがサーロですね。なかなかできることではありません」
「見直した、ピエロ……もう日が暮れる……見ろ、戦士の星が流れようとしている」
「ご主人様、おめでとうございます」
3人の女がおめでとう、おめでとうと拍手を送る。
サーロは倒れたままそれを受け、ありがとう、ありがとう、と譫言のように繰り返した。
感謝──である。
完全に感謝である。
命を繋ぐ、ということは自他を問わずして感謝の連続なのだ。
感謝を知らぬ者は何者からも感謝されることはない。
ツクシが屈んで、サーロの顔を覗き込む。
その唇をサーロは見つめた。
じっと見つめた。
ふっくらとしていて、瑞々しく光っている。
まるで、もぎたての桃のような──
あれに触れれば、さぞや、柔らかきことだろう。
羽化登仙の境地に到りて、人は何を悟り得るか。
いまだ、それを知らぬサーロ。
接吻という行為には、ただ唇を重ねるという肉体的な事実だけでなく、人生そのものを左右するかのような重大な意味を含んでいるということだけは分かる。
それは、生涯にわたって忘れえぬ経験となるはずだ。
サーロは、本能的に唇をひと舐めした。
「ご主人様。じゃあ、キス……」
「あ、ああ……いつでも……俺はいつでもな!」
「の、補助券を一枚差し上げますね」
「……補助券?」
唖然。
「100枚たまれば本券と交換ですよ」
「100枚?」
呆然。
「本券を50枚ためればキスチャンスくじが一回引けます」
「つまり補助券5000枚で!」
愕然。
「抽選で3%の確率でキスゲットですよ!」
「低ぅい」
「よかったな、ピエロ」
まだ、旅は始まったばかりである。
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