茸の誘惑!良い子の皆は気をつけよう
「どこだ!?仙人キノコは!」
霧深い森の中を、サーロは這いつくばって進む。
ギルドのクエスト、『仙人キノコの採集』である。
「出てこい!俺に胞子を振りかけてみろこの野郎!ッヒョー!」
目を血走らせて、サーロは半狂乱になって叫ぶが、その声は霧の向こうに虚しく飲み込まれていくのみである。
「キノコが呼んで出てきますかねぇ」
ツクシの指摘はもっともである。
だが、サーロの狂態には理由がある。
◆◇◆
「この山に入って、仙人キノコを探すこと丸一日……ここに十五種類のキノコを見つけたわけだが!」
サーロたちの前には、ずらりと色とりどりのキノコが並ぶ。
「どれが仙人キノコなのか!毒のエキスパートとして何か助言はないか、ツクシちゃん」
「わかりません」
「な!?即答、だと……?もう少し考えてみてくれよな!」
「うーん……」
「どうだ!?」
「わかりません」
「そうか……」
ツクシの答えは明白であり、涼やかでさえあった。
世界の謎を解き明かせと賢者に言えば、おそらく何十年、いや、何世代にもわたってそれに取り組むであろうが、答えは出ない。
愚者に問えば、すぐに答えが返ってくるであろうが、それは真実ではない。
わからないものはわからない──それが最も正直で、また、誠実な回答なのである。
「どんなに時間をかけて考えてみても、わからないものはわからない……そんな簡単なことにも気付かず、君の貴重な人生の時間を浪費させてしまったというのか……すまない、俺はピエロだ……」
ガックリと膝をつくサーロに、イノールは優しく声をかけた。
「顔を上げなさい。あなたはピエロですが、問題はキノコです」
「どれが正解か……確かめるすべは一つだな……」
「それはどのような!?」
ヨーコが一本、キノコを拾い上げ、サーロに向かって差し出した。
「食すのみ。お前が」
「俺が!」
サーロは目の前のキノコをまじまじと見つめる。
「う、なんて色だ……とても人間の口に入れていいものじゃないぞ……俺の本能が全力で警告を発している!食べてはダメだとな!」
その禍々しい赤黒さ。
ゴブリンから引きずり出した臓腑を軒先に三日三晩吊しておいたような、そんなグロテスクな色である。
いくつかある中でよりによって最初にそれを選ぶかという気持ちがサーロにはあった。
「そういう前フリみたいなのはいらん……いいから食え……」
「フリではないのだが!いや、待て!近づけるなって!そもそも俺が食べる、というのは既定路線なのだろうか……皆で苦楽を分けあってこそのパーティーメンバーでは!?それとも俺は苦痛担当なのか!?」
「はい」
「な!?即答だと!?」
「女の子は色々と大変なんです。わかってください、もう」
「女の子の問題だというのか……」
頬を赤らめて訴えるツクシの言葉には、乙女らしい、なんとも言えない無垢な恥じらいが含まれていた。
これ以上の追及は、ともすればジェンダー差別の意味を含む性的な嫌悪感を抱かせてしまうことになると察して、彼は黙り込んだ。
女の子には、きっと男には理解することのできない、神の隠した秘密があるに違いない。
女性についての知識を中学生並みにしか持ち合わせていないサーロには、その深淵を覗くことは、あまりにも無謀な挑戦のように思われた。
「……わかったよ。野生のキノコが誘う危険な旅……その航海に出る船には俺だけが乗ればいいだろう」
しかしこれは、安易な慈しみや、男としての優越感から出た言葉ではない。
パーティーメンバーを苦痛から守るという、悲壮な覚悟であった。
サーロはヨーコからキノコを受け取る。
「うっぷ、なんて色だ……そしてこの糸を引く強いヌメリ……嫌悪感を通り越して、もはや憎しみすら覚えるほどのものがある……!だが、こんなにも不味そうなのだから不味いのはすでに当たり前なのでたとえ不味くても結果はプラマイゼロというわけだな!」
「意味不明ですね」
「そう……意味などないのだ。現世で起こる全てのことは夢の如し!」
あらゆる生理的な葛藤を圧殺して、その傘の端を小さく噛みちぎる。
「む!?」
舌の上に淡い苦味が広がる。
次いで、このキノコを育てたであろう、木の香り。
決して美味とは言い難い。
だが、その醜い見た目に反して食えないこともない。
「どうですか?」
「食える……」
予想外だった。
しかし、あくまでも見た目の割にというレベルの話であって、天上の美味と称されるほどかといえば、そんなことはない。
「だが、違う……これは仙人キノコではない……」
「では、次だ」
「え、早くない?も、もう少し間を置いてから」
「次だ」
「せめて口をゆすいでから」
「次だ」
終身刑以上の凶悪犯ばかりを集めた脱出不可能の孤島の監獄──そこにいる血も涙もない鬼看守を連想させる高圧的な物言いに、サーロは震えた。
しかし、抵抗は無駄である。
彼は再び差し出されたキノコを一口、噛み締めた。
「まっっっっっっっっっず!絶対これじゃない!」
「次ですよ」
「くせぇぇぇぇ!うぐっ、しかも、まずい!これも違う!」
「じゃあ、これですね」
「いや。うむ。これは……なんの味もせん……このキノコがそうなのか、それともすでに舌が麻痺しているのかはわからん」
「次だ」
「すっっっっっっっっぱい!」
試食を続けること、30分。
結論は出た。
「この中に仙人キノコはないようですね」
イノールが断じた。
「というわけで、次を探しましょう」
「ちょっと待ってください」
サーロはよろめきながら手をあげる。
「体が熱いです……」
たしかに、サーロの顎の下から大量の汗が滴りおちていた。
「まあ、それは大変ですね」
「ご主人様、ファイトですよ」
「いや、君たち!これはまるで……!ハウっ!?」
言いかけて、サーロは目を見開いた。
胃からこみ上げてくる微弱な火照りが、じわじわと全身に広がっていき、やがて炎のように燃え広がったのである。
「ハウーーーーーっ!」
天に向かって獣じみた咆哮を上げる。
彼の身に何が起きているのか?
サーロは爪先から頭の先までを、まるで電柱の化身に転生したかのようにピンと伸ばし、目を見開いたままゆっくりと空を見上げた。
(これは……)
すぐに思い当たった。
というか、それしかない。
キノコである。
先ほど食したもののどれか。
その中に、強烈な毒を含むものがあったに違いない。
腹の中でブレンドされているため、どれがそうだったかもわからないが。
「ス、ステータスオープン!」
探す。
自らの状態異常の欄を。
そこには確かに──
『高揚』
とあった。
つまり──キマッているということである。
「やはり……!」
しかし、思い当たったところで、どうにもならない。
なんだかもう、異常に楽しくなってきた。
「すげぇ……!俺、今すげえ!え?え?どこ?うわ……そこかぁハハハ」
棒立ちになったまま意味不明なことを呟きヘラヘラと笑う姿は、どう見ても不審者なのだが、もはやそんなことはどうでも良くなってしまっていた。
自分は木だ。
乱立する林の一部であり、それは地球と一つになっているということなのだ。
「俺はもはや地球、地球なのだろうて!?」
意味不明なことを叫び出したサーロを見て、パーティーメンバーは全員が現状をなんとなく理解した。
「さっきのキノコですかねぇ」
「これはこれで……面白い……」
口の端から泡を吹きながら奇妙な手拍子とともに体を揺らし始めたサーロを、少し離れた位置でパーティーメンバーは静かに見守る。
ガンギマリしたサーロに手を差し伸べない彼女たちを冷徹であると断じることはできない。
プレパラートにのせた葉脈を顕微鏡で覗くとき、誰もが無表情で無言になるのと同様である。
観察することの重要性を知っているのだ。
「すごいって!なあ!これやばいって!」
サーロは木にすがり、その幹を上下にさすり始める。
「すごいよねぇ……本当にすごいねぇ……ツクシちゃんや、どう思う」
「キモいです」
ツクシが思わず声を上げるのも無理はない。
いつもならば辛辣な言葉に対して、陸に上がったナマコのように打ちのめされるサーロだが、今回は全く動じていなかった。
「キモいっていうのはエモいっていうことなんじゃない!?ひょっとして!」
「違います」
「でも俺はすごくハイな気分なのだが!アーア!皆を愛している!」
何という高揚感。
自らの体が発光しているかのように世界が輝いて見える。
サーロは今、無二全六世界の普空曼荼羅図をこの場で完成させかねないほどの解脱に自らが近づいていることを悟った。
人間としての俗情や地位といった社会的な束縛と殻を捨てた、生物の一つ先の境地である。
それが能動的なものではなく自然な形で完成した場合、人生の解放、つまり完璧な自由を得たと解釈できるであろう。
あと少しでサーロの身体は宙に浮きはじめるに違いない。
彼は拳を握りしめた。
「おい何だこれは……もはや人間の抱えるあらゆる苦悩と苦痛、そして葛藤は俺の前では全くの無意味ということになるが!?今ならば暗黒魔界との最終戦争を三千億の夜にわたって無慈悲に戦い続ける事が可能とみた!」
「なるほど」
イノールは深くうなずいた。
「しかし、今は暗黒魔界は放っておいて、キノコを探すのですよ」
「わかった!俺はキノコの王……王だ!」
サーロは犬のように這いつくばり、鼻を鳴らしながら霧の中へ進み始めた。
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