眠れ、魔界公!追憶の海がお前を抱くだろう
「のこのことよくも現れたものだ」
デーモンロードは玉座からサーロたちを見下ろして、邪悪な笑みを浮かべた。
「死ぬがよい」
振りかざした真っ青な手。
そこから、漆黒の稲妻が走る。
「ハーッ!」
サーロはそれを抜き打ちのサイキックスラッシュで迎え打った。
互いの放った攻撃が交錯し、行き場を失った衝撃波が玉座の間を縦横無尽に駆け抜け、床や壁面に引き裂いたような傷跡を残す。
「ほう、口先だけではないようだな」
「俺の力は──まだこんなものではないのだがな」
「私も今の攻撃は半分の力も出してはおらぬわ」
「ふっ、お互いに様子見ってわけか。ようやく本気が出せそうだ」
サーロは鼻で笑って、余裕を見せた。
しかし。
(……マジか、こいつ)
内心はかなり焦っていた。
先ほどのサイキックスラッシュ。
あれはほぼ全力で放っていたのである。
それに対して、デーモンロードは半分の力だったと言う。
ということは、どちらの方が力が上か。
小学生でもわかる計算である。
デーモンロードの言葉が、誇大なフカシや尊大なイキりではなかった場合、サーロには逃れ得ぬ死が待っているだろう。
「イノール!ツクシ!ヨーコ!」
サーロはパーティーメンバーに声をかけた。
毛利元就による三矢の教え。
それに倣うまでもなく、今こそ一人ではなく力を合わせて戦う時である。
「わかっています」
女達が頷いた。
「私たちは手出しをしません」
「存分に戦ってください、ご主人様」
「男同士の雌雄を決する戦い……戦士の命の輝きを見届けよう」
サーロは何かを言いかけ、それを飲み込み、頷いた。
(はーんっ!違うぅぅぅっ!)
飲み込んだのは、そんな弱気な嘆きである。
かわりに吐き出したのは、男としての覚悟。
悲壮な決意であった。
「命──燃やすぜ」
強がりだといえばそうでもあるし、男のプライドだといえばそうなのであろう。
この命がけの強がりに、世の人は愚かだと笑うであろうか。
しかし、男のプライドは時として命よりも重いのである。
「クックック……面白い奴め……」
デーモンロードが玉座から立ち上がった。
当然、座ったままでいるよりも力を出しやすいからだろう。
つまり、先ほどの宣言通りに本気を出すということだ。
サーロはサイキックブレイドを握り直した。
額と掌に汗が滲んだ。
確実に、先程よりも本腰を入れた一撃が襲ってくるだろう。
その一撃が、勝敗の行方を決める。
場合によっては、そのまま絶命するかもしれない。
生か、死か。
ことの発端は安易な金儲けのようだった気もするが、いつからこんな大事になったのだろう。
人生とはまことに、うまくいかぬものである。
「俺の……ありったけの生命の波動をぶつけてやる……!」
サイキックブレイドが輝く。
鮮血で染め上げたような真紅である。
今はその激発する若き生命力に一縷の望みをかけるしかない。
「ほう、全力を出すか。決着を急ぐとは、いかにも短い生を送る人間らしい」
デーモンロードは、なおも、揺らがない。
その堂々たる振る舞いこそが悪魔公と呼ばれる所以なのだろう。
強者の愉悦。
支配者の優越。
奪うことは罪ではない。
奪われる弱さこそが罪なのだという、絶対の自信。
倫理を歪められるのは強者ゆえである。
その肥大化したエゴが全身から噴き出し、サーロを飲み込もうとしている。
正義とはどこにあるのか。
弱者にとっての正義とは──
「正義とは信念だ!」
サーロは叫んだ。
「念ずれば即ち鬼と化す──今こそ阿修羅の気持ちになるですよ!んっらァァ〜!」
狙いは、自らの命と引き換えに致命傷を与えること。
相討ちならば、あるいは。
何年か後の今日という日に、彼の勇ましい死を悼み、野辺に咲く花を摘み、手向とする少女が現れるかもしれない。
サーロの前に、その光景が広がった。
純白のサマードレス。
麦わら帽子。
少女は花を川に流す。
そして、夏の日差しの中で寂しそうに微笑んだ。
その花の向かう先は、彼岸なのだろう。
そこにサーロはいる。
また、夏が来ましたね……
あなたのいない夏です……
「あ」
突然、ヨーコが声をあげた。
デーモンロードも、サーロも、ツクシもイノールも、全員がヨーコを見た。
彼女は天を指差し、言う。
「星だ」
それはあまりにも場違いな──緊張感を欠く発言だった。
星。
それがなんだというのか。
しかし、全員が、その指の先を見た。
デーモンロードの玉座の真上にはガラスをはめ込んだ天蓋がある。
そこからは、確かに星が見えていた。
緑や青、赤く輝くものまで。
濃紺の夜空に散りばめられた宝石のようだった。
美しい。
なんという美しさか。
「星だ……」
サーロも思わず呟いていた。
「星……」
デーモンロードもそれを惚けたようにじっと見上げている。
全員が、黙ったまま、しばらく星を眺めていた。
星々の瞬き。
自然の生み出す精彩で峻烈な美。
その前では、善も悪も、そして、あらゆる戦いがスケールの小さな、虚しいものになってしまう。
大宇宙。
思い馳せるにはあまりにも広大で深遠な……
束の間ではあるが、全員の胸に様々な思いが去来しているだろう。
「永きにわたって暗雲が垂れこめていた、あの空が……」
何がその雲を晴らしたのか。
問えど、答える者なし。
あるいは、散りゆく戦士への餞として、神が見せたものなのかもしれない。
と、ここで。
(……隙だらけだ……)
気づいてしまった。
サーロの脳裏に、一筋の思案が宿る。
だが、それはあまりにも悪魔的な誘惑。
(今なら一撃で仕留められる……)
つまり、不意打ちの算段である。
それはおそらく、絶対的に不利だった状況を逆転させる、唯一の手段。
今ならば。
容易にデーモンロードの虚を突き、その命を刈り取ることができる。
だが。
(汚い……汚い勝利だ)
手段を問わずというのは弱者の論理。
何と卑怯な勝利であることか。
だが、このままでは逃れ得ぬ死がサーロには待っている。
目的を果たさずして死ぬのは、無駄死にではあるまいか。
今、ここでデーモンロードを討ち取らねば、また多くの無辜の民が死ぬ。
我が身を清廉に保とうとして悪逆の徒を野放しにするなど、言語道断ではないか。
思想や信条だけでは世界は救えない。
清濁併せ持ってこその秩序がある。
世の力無き者たちのためならば、あえて汚辱を被るという覚悟も、英雄の条件だと言えるだろう。
(大義のためには小義を捨てるもやむなしでは……!?)
サーロは剣を強く握りしめた。
己の、卑劣ともとれる閃き。
だが、それを正当化する理由はいくらでも思いついた。
(やるしかない……デーモンロードよ、この世界は常にWAR。戦争の最中に我を忘れ立ち尽くす、人それを油断と呼ぶ也)
気づかれぬようそろりと構える。
悟られぬようそろりと近づく。
仕損じぬようにそろりと首の急所へ狙いを定めた。
(星になるか、デーモンロード……天を見上げればおまえもそこにいる。俺もいつかはそこへ行くのだろう)
今、見上げる星は、かつて散っていった戦士の魂の瞬き。
サーロが心の中で祈りを捧げた時。
「星か……」
デーモンロードが、穏やかな声で呟いた。
「もう何千年の昔になるであろうか……私の身体をまだ熱い血が巡っていた頃……よくこうして妻と共に星を見上げていた……」
目を閉じて、長く息を吐いた。
想いを──辿っているのだろうか。
生きた分だけ、広大になってしまった記憶の海を。
憧憬や、あるいは郷愁の念は、その海を照らす月明かりなのかもしれない。
「あの星の輝きは同じだ……全く同じだ。何も変わらぬ。変わったのは私だけだったのか……エリーヌ……なぜ、忘れていたのか……あれほど争いを嫌っていたお前のことを」
全員が、何も言わなかった。
黙ってデーモンロードの、懺悔の情に満ちた告解を聞いていた。
「もう……よい」
デーモンロードは剣を抜き、それを自らの胸に押し当てた。
「私は……永く生き過ぎたのだ。もうよい。もう十分であろう……」
誰が止める間も無く、剣がデーモンロードの胸を貫いた。
「あっ」
その体は燃え上がり、一瞬で灰塵と帰した。
灰はすぐに風に吹かれて霧消し、後には静寂が残るばかりである。
「散った……」
その散り際があまりにも美しく、見事だったので、サーロは胸を打たれた。
「無明の生が終わったというのか……奴にとっては死こそが唯一の救いだったのかもしれない……」
勝利の余韻は……ない。
胸に去来するのは、姑息な勝利を手に入れようとした自らへの侮蔑である。
「俺はまるでピエロだな……」
だが、不思議と、心は晴々としていた。
悪魔の王といえども、情があるということを確認できたのだ。
また、人の心を信じることができるような気がしていた。
サーロは女たちを見た。
皆も同じ気持ちでいるに違いない。
「なあ」
だが、女たちは誰もサーロのその心情を共有してはいなかった。
「さ、少しでも高価なものを探すのですよ」
「この玉座についてる宝石、高そう。取れないかなあガリガリ」
「現金は……ないのか……シケてるぞ、デーモンロード……」
全員が目を血走らせながらウロウロと部屋を徘徊し、金目のものを漁っていた。
その様は明らかに盗掘者や簒奪者のそれである。
「お、お前たち……狂気に彩られているのか……?」
「ぼっとしてないでご主人様もさっさとお宝を探してきてください!」
「ヒィ……!?」
ツクシに怒鳴られ、サーロは肩を落としながらも金銀財宝を求めて歩き出した。
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