賢者の買い物


 小刻み良いベルの音と共に、木製の扉がやや軋んだ音を上げて開く。


「いらっしゃいませ、紅工房へようこそ!」


 鼻腔一杯に広がる懐かしい香り。弟子の工房も確かこのような香りだった筈だ。まぁ……消せない血の臭いも混じっていたが、それはお互い様であるので割愛する。ここは血の臭いの無い、混じり化の無い薬品たちの踊る香りだ。


「ああ、どの薬草も高品質な香りがするな、やはり伯爵の紹介ともなると相応……伊達に赤に近い色を名乗っている訳では無いらしい」


 一応、私が何処の紹介から来たのかを名乗ってけん制しておく。お互いがお互いの事を知らずに話が始まるのは、フェアでは無いし精神衛生上良くない。

 同時に、私の発言に僅かに反応を見せた複数の店員。どうやら既に伯爵から通達を受けているのだろう。いやはや、あの伯爵の有能さも見事な物だ。


 自分に声を掛けようとしていた女性店員を引き留め、中からやや老齢な女性がゆっくりと現れて接客を引き継いだ。


「お初お目にかかります、私、この工房の長である"シシャ・グルガレット"と申します」


「ご丁寧にどうも、ルベドと申します。大陸の外より来た錬金術師でして、縁ある伯爵殿の元で現在客将をさせて頂いております。薬学は嗜む程度ですが……ええ、香りだけでも分かる。ここの薬草は自然の品では無く、より効能を高める方法で自家栽培なされているのでしょう」


 まったく、私にも教えてほしいぐらいだ。とはいえ、多少本気を出して調べればわかる事なので今は良いが。


「まぁまぁ、お世辞がお上手ですね。ですが仰る通り、ここにある薬品は全て自家栽培です。製法は国に提出しておりますので、相応の金銭を支払い頂ければお教えする事は可能ですよ?」


「いやはや、先ほども言った通り私の専門は薬学ではありませんので、開発に時間を割く必要があるぐらいならば此処で買わせていただきますよ、見たところお値段も品質に似合った物だ」


「専門が薬学では無いと仰ると……」


「人造生命体の製造、魂への干渉やゴーレムの作成等が専門になります。此方ではあまり進んでいない技術と聞きましたので、伯爵様に拾って頂けたのでしょうね」


「魂の干渉……そのような事が可能なのですか?」


 薬学も極めれば其方に走ると思っていたが、どうやら彼等の反応を見るに少し違うのか?


「この店にエーテルやエリクサーはありますか?」


「はい、此方になります」


 そう言って、棚から2つの小瓶を取って来るシシャさん。


「ほう、見事な生成ですね……。実はこれも魂の干渉作用を利用した薬品の一種なんです。どうでしょうか、この2本で魂に関しての授業料としてみますか?」


 そう言ってほほ笑むと、シシャさんは破顔して。


「まぁまぁ、商売上手なお方ですね、そう言われては断り辛いじゃないですか」


 と、笑っていた。まぁ店内のトーンが一段下がったので、全員一言も聞き逃すまいとしているのは分かったが。


「では僭越ながら。こういった薬品をシシャさんも作られてはいますが、それらは完成された魔術・材料をレシピ化して技術として完成された物を使っているのでしょう。しかし、その誠の理念はレシピの中にありません」


 軽く指を振ると2本の瓶が中を浮いて、その内エーテルの瓶がクルリと一回転した。回転と同時にビンの口が開き液体が空中に円を描いて撒かれ、そのままの形で停止させる。


 基礎的な知識だが、魔力とは魂からあふれ出したエネルギーである言い換えるならば、存在力。そしてエーテル薬とは、魂からあふれ出した存在力を薄めて嵩を増す為の薬でもある。

 存在力とエーテル薬は事実上同じ性質を持ち合わせてはいる。だが、塩水と真水ぐらいの違いはある。


「この空の瓶が人間の魂の器だと思ってください、現在この中身は空ですが、本来なら外に飛び散っているエーテル……ここでは魔力と言い換えましょう。それが中に詰まっている状態というのが正しいあり方だ。さて、魂とは魔力を装填された瓶であり、同時にこの器自体がエーテルを生み出す力を持ち合わせている。人によってはこれが大壺程あったり、あるいはコップ一杯だったりと個人差がある。もっとも、戦闘用の魔術ではない一般の人々が利用している事が多いのは、器から漏れて周囲に漂う、今まさに飛び散っているこのエーテルのような魔力を利用する事が多いです」


 一旦話を区切る。まだ専門的な話ではないので、皆もついてこれているようだ。


 生活に使う魔術というのは、そこまで魔力を必要としない為に周囲に霧散した魔力を使用している。だが、戦闘用の魔術の場合魔力密度が求められる為に、霧散魔力は基本的に使用しないのだ。

 もっとも、その霧散魔力を圧縮する技術を持っている俺は、それら霧散魔力を陣で固定して魔術を放てるのだが。


「魔力の1日あたりの回復量はこの器の大きさによります。概ね割合として丸一日の休憩で5割程でしょうか、存外回復量は少ないようにも思いますが……このエーテルを使えばあら不思議。何故か魔力が回復すると」


 まぁ、このあたりも基本知識だろう。先も言ったが魔力を薄めて嵩まししているだけだ。


「では、何故回復するのか。それはこの魂の器の中に直接エーテルの中身を入れてかさ増ししてるからという凄まじく単純な理由なのです。では問題です。一見便利に見えるエーテルですが、連続使用は厳禁とされている。それは何故か?」


「魔中毒と呼ばれる、魔力が一時的……酷ければ半永久的に回復しなくなったり、自我の崩壊現象があるからですね」


「正解です。さて、回復の原理が簡単ならこれの原理も簡単です。自我の元となる魂という器に魂の原液を薄める薬を入れて嵩増ししているので、無論自我が薄くなる。魔力が少ない所にこれをブチ込むとそりゃもうもっと薄くなる。結果としてエーテルの量が魂の器の量を上回ると魔力が回復しなくなったり、あるいは自我に悪影響が出る。そういう副作用ですね」


 水と塩水ぐらいの違い、と言ったがイメージとして副作用は浸透圧で生じる痛みのような物だ。目に塩水が入ると痛いのは、眼球の水分と塩水が入れ替わる際に発生する痛み。さらに言うならば、塩分の高い方に水気は移動する性質がある為に起きる症状である。


ならば―――それらを踏まえた上で、此処からが本題だ。


「ちなみにこの薬品の副作用消せます」


「なっ!?」


「まぁ単純な話です。個人個人の魂に薬品側を調節さえすれば魔術使用時の身体負荷は掛かる物の、それ以外はほぼノーリスクになる。ただし調整した者以外に使えばそれは猛毒となり、その魂と体を蝕む……まぁ他人の魂を継ぎ足してるような物なので拒絶反応が出るのは当然ですね。さて、これらのプロセスを組み替えた際に一つ面白い薬品が出来るのですが、お分かりですか?」


 塩水が目に入るとしみる理由は、先に説明したような塩分濃度の差。であるならば同じ塩分濃度であれば悪影響を及ぼす事も無い。事実、眼球洗浄用の液体が染みない理由がソレだ。


「ヒントは魔力を"薄める"という行為、及び薄まった魔力でも魔術を発動可能という事」


 彼女は暫く考えた後、震え、口を開く。恐らく過去の俺と同じ発想に思い至ったのだろう。有能な錬金術師は大好きだ。ああ、まったく……大陸を渡れど人の思考の海は何処までも強欲に広がり無限を見せる。

 他者の思考がまるで自らの思考のようにすら感じる。あるいは私達錬金術師は何処か遥かなる一に導かれているのかもしれない。いや、事実としてその魂の黄金に惹かれて、引かれているのだ。


「……魔術の無効化……いや無効化からの魔力吸収!?そんな物が!?」


 正解だ。濃度の高いエーテル薬を、気化させ範囲内に止める事で敵の魔術を薄め無効化出来る。さらに薄まった魔力を利用して、此方側から魔術を発動する事が出来る。


「残念ながら私は毒性を消し切れず完全な完成に至りませんでしたが、あるいは……薬学に長けた貴方達ならば可能性はありますね」


 王の元で最後に戦ったあの日の事を思い出す。毒性濃度を上げれば魔力吸収効率は上がる。弟子に任せればきっと完成したのだろうが、これだけは何となく自分でやってみたかったのだ。

 だが、それを本当に捧げたかった王にはもう会えない。ならば、彼女達に授けても良いだろうと思った。あるいは心に残った未練を晴らしたかったのかもしれない。


「完成、楽しみにしています。魂に触れる領域からの開始となるでしょうが、それがホムンクルスやゴーレムの技術への一歩、そして一助にもなる。エーテル薬とは、本来魂に触れる過程で出来た薬だ、ならばそこから手を広げるのが良いでしょう」


 そう小さく耳元でささやき、退店する。そしてすかさずリアが入店し、続きの買い物を行う。もちろん、先ほどの情報量を差し引いてもらって……だ。


 この手法で既に5店舗程でお安く買い物を済ませた。いやはや、やはり同業者相手だと買い物をしやすくて助かるね。

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