第73話 いちご大福。トラック一台分
<西宮月(にしみや つき)視点>
今日は兄貴と瑞菜様が帰ってくる日だ。兄貴の突拍子もないスポンサー探しの作戦は上手くいったのだろうか。世の中、そんなに都合よくホイホイと大金を払う金持ち何ているとは思えないけど。まあっ、いっか。目的はそこじゃないし。
グフフフ。グハハハハ。クックックックックッ。ブファー!
横浜港を出発して片道一週間、誰にも邪魔されることなく兄貴と瑞菜さんが二人っきり。もう、そうなったら、いくらヘタレの兄貴と言えども。ああなって、こうなって。きゃー。もー。羨ましい。うわっ。鼻血が垂れた。
ティッシュ!
シワッチ。危ないとこだった。森崎弥生(もりさき やよい)ちゃんに預かった『Be Mine』の秋の新作、大切なコスプレ衣装を汚すところだった。
この年で叔母さんなんて呼ばれたくないけど、兄貴と国民的無敵美少女アイドルの赤ちゃん。絶対に天使様に決まっている。天使様をこの胸に抱きしめるのが待ち遠しいぞー。お願い、神様ー!月(ボク)の願いをかなえるのだ。
って興奮している場合ではない。キッチンが大変なことに。あまりの恐ろしさに見なかったことにしていたけど、兄貴たちが帰ってくる前にとにかく、このカップ麺や弁当の食べ残しに巣くう得体のしれない微生物をどうにかしなければ。もう、元気のやつ、こんな時に防衛戦に南米なんかに出かけるんだもん。ボクシングのタイトルと恋人の月(ボク)とどっちが大切だと言うんじゃい。
全てをこの黒いビーニール袋に詰め込んでっと。うわっ。臭い!負けるものか。うりゃうりゃー。消えてしまえ!この悪霊どもめー。
ピー、ピー、ピー、ピー。
トラックがバックする音?
「気をつけろよー」
「せーの!おっ、ほいな」
「これは何処に乗せますか」
んっ。なんだ、なんだ?お向かいの山本さんの家がうるさい。引っ越し屋のトラックが止まっている。ずいぶんと、また急な話だ。
ピーンポーン。
「お隣の山本ですけどー。西宮さん。いらっしゃるかしら?」
おっ。山本さんの奥さんの声だ。優しい奥さんの事だ、キッチンの後片付けを手伝ってくれるかもしれない。月(ボク)のこの可愛さを持ってすれば容易いことだ。早速、頼もう。
「あら月(つき)ちゃん。陽くんはお出かけ?」
「兄貴ならちょっとハワイにコンゼン・・・」
「ハワイニコンゼン?」
「あっ。近くにできたカフェの名前です。変な名前ですよねー」
やばい。口がすべって兄貴と瑞菜様との婚前旅行をばらしてしまうところだった。
「そっ、そうなの?まあいいわ。ところで月(つき)ちゃん、驚かないでね。突然なんだけど我が家は引っ越すことになったの・・・」
「ええっー。去年、新築に建て替えたばかりの大豪邸なのに」
「そうなのよねー。昨日の晩に決まったのよ。ビックリするくらいの高額で買い取ると言う申し出があって。長い付き合いだったけどごめんなさいね。本当に。それじゃあ、もう行かなきゃ。元気でね!月ちゃん。陽くんにもよろしくね」
嵐のように引っ越していく山本一家。んぐっ!これはただ事ではない。これって夜逃げだよね。昼間だけど・・・。リビングに戻ってしばし放心。うわっ!生ごみを捨てるの忘れていた。
ピーンポーン。
今度は何事?月(ボク)は再び生ごみの袋を抱えて玄関の扉を開けた。なぬっ。イケメンじゃん。んっ。黒の燕尾服?コスプレ?弥生ちゃんの知り合い?
「西宮月(にしみや つき)さんであられますよね」
「そうだけど」
「お初(はつ)にお目にかかります。僕は矢内真司(やない しんじ)と申します。この度、隣りに引っ越して来られるヘレン・M・リトル様の執事をしております。こちらはつまらないものですが、お近づきのしるしにお受け取り下さい」
「そっ、その袋は、金松堂の!」
「はい。いちご大福にございます」
「金松堂のいちご大福は春限定のはず・・・」
「英国の名門。リトル家の資金を持ってすればこのくらい容易(たやす)いことです。ご所望とあれば、トラック一台分だってご用意できます」
くっ。春まで我慢と思っていた金松堂のいちご大福!ああー、大福の海に埋もれてみたい。
「しょ、所望します」
「えっ!」
「いちご大福。トラック一台分」
「ブリティッシュ・ジョークのつもりでしたが、本当によろしいのですか」
月(ボク)は浮かれまくる。ジョーク何てことで済ますつもりはない。
「トラック一台分!」
ぐあっはっ。英国の名門かどうかなんて知らないけど、今更、困った顔をしても遅いのじゃー。
「分かりました。直ぐに手配します」
えっ!そうなの?全く動じないの?そうなんだ。あっそ。ふーん。こいつは使えるかも。いひひ。
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