第5話 殺人無罪
裁判員裁判の一審で無罪判決が下りたことにより、山田純はとりあえず検察が釈放指揮書を発したことにより久方ぶりに拘置所から釈放された。
山田純は釈放されたその夜、朝霞市にある浅井の事務所でささやかな「祝宴」が催された。無論、山田の釈放を祝うためである。
「いやぁ、先生のお蔭で助かったよ」
山田は浅井に注がれた酒を一杯、飲み干すとそうぞんざいな口調で礼を口にした。
「喜ぶのはまだ早いですよ。検察は恐らく控訴するだろうし…」
一審こそ無罪判決だったが、それはあくまで証拠不十分であり、判決理由の中では検察の主張もある程度、認めていた。これが裁判官のみの裁判だったならば有罪の可能性が高かった。
そして舞台は第二審、しかも今度は裁判官のみで審理される東京高裁に移ることになる。検察は無罪判決が下りるや、わずか半日の控訴協議で控訴を決めたからだ。
「高裁で逆転有罪の可能性もありますし…」
「引き続き、先生が弁護してくれるんでしょ?なら大丈夫だ…」
山田は自分に言い聞かせるようにそう言った。
「そこで一応、改めて聞いておきたいんですがね…」
「なに?」
「あなた、本当に殺してないんですか?」
浅井がそうストレートに尋ねると、山田の目が泳いだ。
「安心して下さい。今、ここにはあなたと私の他には誰もいない…」
女性事務員の姿はなく、それというのも浅井が早退させたのであった。
「それに私には守秘義務がありますから、安心して話してもらって構いませんよ…」
「守秘義務…、ああ、そうだったな、弁護士には守秘義務があるんだったよな…」
山田は思い出したようにそう繰り返した。
「ええ。ですからあなたにとって不利なことであっても、私はそれを他人に漏らすことはないということですよ。そんなことをしたら罪になる…」
「そっか…、まぁ、それなら良いか。本当のことを話しても…」
それから山田が語った内容は警察…、牧管理官の見立てとほぼ一致する。すなわち、坂口慶子は自殺ではなく、この山田純に殺されたのであった。
例の果物ナイフにしてもやはりこの山田純が自らネットで注文したものであり、決して坂口慶子に頼まれたからではなかったそうだ。
但し、受け取りのみ坂口慶子に頼んで宅配業者から受け取らせたそうだ。
そしてその果物ナイフで坂口慶子の心臓を突き刺した。但し、刺し殺した時には素手でもって凶器の果物ナイフの柄を握っていたのを、その後…、坂口慶子を刺し殺した後で改めてあらかじめ用意しておいた白手袋をはめて果物ナイフの柄を握り締め、そうして手袋痕をしっかりと付着させた後、果物ナイフを床下収納に投げ込んだ上で、部屋に火を放ったそうだ。
「ねぇ、先生…、こんなことがバレたら先生も終わりだよねぇ…、人殺しの弁護をした…、しかも殺人鬼を野に放ったとなれば、とんだ人権屋だって、叩かれるだろうねぇ…」
山田はネットリとした口調でそう言った。顔も歪んでいた。それが山田の本性であった。人殺し特有の醜い本性である。
「ああ、終わりですね…」
浅井もそう応ずると、山田はうんうんとうなずき、
「それならこれからも俺の弁護をタダで続けなきゃいけない義務が先生にはあるんじゃないですかね…、いや、それだけじゃねぇな…、仮に無罪が確定したら、この先、一生、生活の面倒もみてもらわなきゃ…」
どうやら山田は浅井を脅迫するつもりのようだった。いや、つもりではなく脅迫そのものであった。
「まぁ、それは無罪が確定した時に改めて考えましょう。今はとりあえず無罪を確定させるべく、それに専念しましょう…」
浅井はそう告げると山田にさらに酒をすすめた。山田は深く考えずに浅井に注がれた酒をさらに飲み干した。
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