第3話 凶器

 浅井はそれから特捜本部が置かれている朝霞警察署へと向かった。朝霞警察署は落成してまだ日が浅く、綺麗な、そして立派な庁舎であった。


 浅井はそこで今回の事件を担当している埼玉県警捜査一課の管理官への面会を求めた。今回、浅井の依頼人である山田純が逮捕されるに至った経緯を訊くためであった。


 アポなしではあったが、管理官はすぐに浅井に会ってくれた。浅井は会議室に通され、そこで管理官の牧次郎が待ち受けていた。牧次郎は浅井と名刺交換をするや、浅井に椅子をすすめた。


「それで…、山田純を被疑者と特定した経緯についてお訊きになりたいんですよね?」


 すでに牧管理官には話が通っているらしく、浅井も「ええ」と答えた。


「凶器の発見、それにつきるでしょうねぇ…」


「凶器、ですか?」


「ええ。室内からマル害…、あっ、失敬、被害者の坂口慶子を刺し殺した凶器が出たんですよ」


「報道によると果物ナイフとのことですが…」


「ええ、まさしくその果物ナイフ…、坂口慶子の心臓を貫いた凶器の果物ナイフが室内から発見されたんですよ」


「待って下さい。室内って…、確か火事で…」


「ええ、事件現場であるアパートは全焼…、でもね先生、運のいいことに…、いや、先生にとっては不運なことにと言うべきでしょうな、焼け跡から凶器の果物ナイフが綺麗な状態で発見されたんですよ」


「綺麗な状態?」


「ええ。あの部屋…、現場となった部屋ですが…、まぁこれは1階のみなんですが、キッチンに床下収納がありましてね、その床下収納だけは幸いにも延焼を免れましてねぇ…」


「その床下収納から凶器が…、果物ナイフが発見されたと?」


「そういうことです。まぁ、ヤツは恐らく部屋を燃やしちまえば、床下収納も灰になるに違いないと…、まぁ果物ナイフですから灰になるのは無理としても、指掌紋は検出されないぐらいに燃えるだろうと、そう短絡的に考えて、凶器を床下収納に投げ捨てたんでしょうなぁ…」


「それでは果物ナイフから…、柄の部分にでも山田純の指掌紋が発見されたと?」


 浅井が身を乗り出して尋ねると、牧管理官は背広の内ポケットから写真を三枚取り出した。そこには様々な角度から写された果物ナイフが写っていた。


「これが凶器のナイフの全体像…、で、この二枚目…、ナイフの柄の部分…、柄の両側に山田の右手の掌紋と、それに右手の親指を除いたすべての指紋がベッタリと付着しておりましてね…」


「親指を除いた…」


「拳を作るときに親指を外側に…、その要領ですよ」


「ああ…、それでその凶器の果物ナイフですが…」


「入手先をお訊きになりたいんでしょう…」


 牧管理官は自信たっぷりとそう言った。自信が透けて見える。


「ええ…」


「果物ナイフ自体は市販品ですが、幸いなことに凶器に使われた果物ナイフはインターネットで購入されていたことが判明しました」


「インターネット?」


「ええ。被害者の坂口慶子が契約しているインターネット、パソコンですか、まぁともかくパソコンを解析したところ、ひと月前にネットで果物ナイフを注文していることが判明したんですよ」


「待って下さい。それなら坂口慶子自身がネットで注文したとも考えられるのでは?」


「自宅のパソコンから購入されたものですがね、購入したのは…、まぁ発注したと言うんでしょうか、ともかくそれは平日なんですよ」


「平日…」


「ええ、持ち歩き可能なスマホから注文されたんならともかく、自宅のパソコンから注文されたとなると、平日、働いていた被害者の坂口慶子には無理でしょうよ…」


「それで山田純が購入したものだと?」


「そうです。平日からぶらぶらしている山田ならそれも可能でしょうから…」


 牧管理官は嘲笑するようにそう告げた。


「それで…、ネット注文したということは、アパートへと…、事件現場となったアパートに配達されてきたわけでしょうから、山田純を被疑者と見立てている以上は、当然、注文した凶器の果物ナイフを受け取ったのも山田純ということになりますよね?」


 浅井が念押しするように尋ねると、そこで初めて牧管理官の目が泳いだ。浅井はそれを見逃さなかった。


「いや…」


「いや、とは?」


「それは…」


「言いにくければこちらで調べますが…」


 浅井がそう言うと、牧管理官は観念したように「坂口慶子だよ…」と教えてくれた。


「坂口慶子が刺し殺された凶器と思しき果物ナイフを坂口慶子自身が受け取っていたと?」


「やつが慶子に因果を含めて受け取らせた可能性もあるだろうが…」


 牧管理官の言葉が崩れた。


「確かに、その可能性もあり得ますねぇ…」


 浅井は余裕の表情でそう答えると、もう二、三の事柄を尋ねた後、朝霞警察署をあとにした。


 浅井は翌日、再び、山田純の元を訪れ、凶器の果物ナイフについて尋ねた。


「警察の見立てではあの凶器はあなたが購入したと…、そして私自身もそうだと思いますが、この点はいかがですか?」


「確かに…、注文したのはこの俺だよ。でもそれは慶子に頼まれたからで…」


「慶子さんがあなたに?」


「そうだよ」


「どうして慶子さんはあなたにそんなことを…、果物ナイフならご自身でも購入できたでしょうに…」


「俺もおなじことを慶子に訊いたよ。でも慶子のやつ、忙しいからとか何とか、適当にごまかして…、まぁ俺も慶子に養ってもらってた以上はあまり強くも出られないしよ…」


「それで深く考えずに自宅の…、慶子さんのご自宅にあった、慶子さんが契約されているパソコンから果物ナイフを注文したと?」


「そういうことだよ」


「それで果物ナイフを受け取ったのは慶子さん自身と…」


 浅井は昨日、朝霞警察署をあとにしてから、牧管理官から教えてもらった配送会社へと足を運び、そこで幸いにも坂口慶子の自宅アパートに果物ナイフを配送した配達員を掴まえることができ、その配達員に話を訊いたところ、警察にも何度も訊かれたことだと前置きしながらも、玄関先に出て来て果物ナイフを受け取ったのが女性だと教えてくれた。しかも受領証には判子がみつからなかったのか、「坂口」と自筆でサインしたらしく、その受領証は警察に押収されていた。


「受け取りぐらいはてめぇでできるだろうって、慶子にそう言って受け取らせたんだよ。慶子のやつ、渋々だったけどな…」


 山田は感慨深げな様子でそう告げた。


「どうして受け取りは慶子さんに?」


「配達日指定だったんだけどよ、めんどくせぇから適当に打ち込んで、で、気付いたらその日は俺、野暮用があってそれで外出することになってたから…」


「野暮用とは?」


「覚えてねぇよ。もうひと月以上も前のことなんだから…」


 山田は面倒臭そうに答えた。

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